銀色の毒・3
ロザリーが広間に戻ってきて、クリスをオードリーのもとへ帰したあと、ケネスの隣に立つのを、ザックは少し白んだ気持ちで見つめた。
自分が狙われているという状況じゃなければ、彼女をエスコートするのは自分だったと思うと、なんとなく腹だたしいのだ。
隣にはクロエがいる。クロエは見た目こそ美しく凛としているが、気が強く極度のブラコンだ。
ケネスがザックを弟のように思い、なにかと気にかけてくれることを最も不満に思っているのは彼女であり、ザックは彼女に世界で一番嫌われている自信がある。
「ロザリーが戻ってまいりましたわね。これでやっと食べられます」
クロエはホッとしたように笑い、ロザリーを手招きする。
「アイザック様が食べないのに食べるわけにもいかないし……。生殺しでしたわ」
そう言いながらひょいひょいと皿に盛っていくクロエの脇で、ロザリーも銀の皿に料理を取り分ける。
小さく鼻で息を吸い込みながら、料理や皿についた匂いを検分し、それがイートン伯爵家の使用人のものだけだと分かったものだけを、ザックに渡してくれた。
「ありがとう」
「……!」
受け取るときに、ザックはわざと彼女の手に触れた。
驚いたロザリーが慌てて手を離したので、危うく皿を落とすところだった。
「す、すみません」
「君が謝ることはないよ。ワザとだ」
何せスキンシップが足りないのである。ザックも正常なる成人男子であり、好きな子には触れたいし、独占したいのだ。いくら兄のように思っているケネスが相手であろうとも、本当はパートナーの座を渡したくはなかった。
「今のところ順調だね」
ロザリーとザックの間に皿を割り込ませて入ってくるのはケネスだ。
眉間に皺を寄せているのは、『馴れ馴れしくしすぎだよ』ということなのだろう。
「どの参加者も料理には満足しているようだ。田舎に返すなどもったいないと言ってね。後でレイモンドに挨拶をさせるつもりでいるんだ」
レイモンドの料理はアイビーヒルで味わったときと変わらず、いや、……食材がよくなった分、以前よりもずっとおいしくなっている。
レイモンドが作ったなどと知らないオルコット夫妻も、感心しきりで料理に夢中だ。こうなれば、レイモンドが庶民だというだけで、ないがしろにはできないはずだ。
なにせ今の彼は、上流貴族がこぞってその腕を欲しがる料理人なのだから。
ついでに、ウィストン伯爵がここでなにかしでかせば、当然オードリーとの縁談も破談だ。オルコット子爵夫妻は、レイモンドとの再婚を認めざるを得ないだろう。
「だが、なかなか仕掛けてこないな。まあ、俺も無理に何かされたいわけじゃないが」
ウィストン伯爵は思いの外、慎重な質らしい。ザックに何度か話しかけにはくるが、今のところそれだけだ。
しばらくして、女性の人波が去ると、ウィストン伯爵はクリスを連れ、デザートを取りに向かった。
そしてクリスに銀の皿をもたせて、ザックのいるテーブルへとやって来る。
「あの、デザートをどうぞ」
ウィストン伯爵にそうしろと言われたのか、何度か彼の方をちらりと見ながら、困ったように皿を掲げる。
「ああ、ありがとう」
ザックは軽く身を屈めてそれを受け取った。
「申し訳ありません。どうしてもアイザック王子に渡したいと言いましてね。女の子というのは小さくとも王子様に憧れるものなのでしょうなぁ」
ウィストン伯爵はそう言って笑うが、クリスは終始困ったようにうつむいている。
近くにいるロザリーがさりげなく皿のにおいを嗅いだ。そしてザックに目配せする。
これは食べない方がいいのだろうな、と思ったが、クリスから受け取った手前、食べないのもかわいそうな気がしてくる。
ザックは渋々フォークを手に取り、乗せられたケーキを小さく切った。
だが食べはせず、「おいしそうだね。君はたべたのかい?」とクリスにいい、ちらりとロザリーに視線を送る。
「あ、そうですね。クリスさんも無くなっちゃう前に食べませんと。ふたつよそって……お母様のところに行きましょうか。私、お手伝いします」
ロザリーはザックの意図をくみ取り、クリスをオードリーのもとへと連れて行った。
これで一安心だ。ザックはウィストン伯爵をテラスへと誘った。話をつけるにしても、人が少ないところの方がいい。
「少し夜風を浴びませんか。ウィストン伯爵。造幣局の視察以来ですし、あの時の記念硬貨、お調べになったのでしょう? 考察もお伺いしたい」
「は、はあ。あれはですね。金属の配合比率を研究していたときに作ったものが流出したのではないかと……」
ウィストン伯爵は、焦りながらも弁明を始める。
ザックはわざと見せびらかすようにケーキの皿をもったまま、テラスへの扉を開いた。夜風が吹き付け、火照っていた肌を冷やしていく。
「そ、それよりおいしい食事でしたな。イートン伯爵がご自慢になるのも分かります」
「そうですね。王宮の料理人にもなれそうな腕前だ」
「おや、アイザック様もお気に召されたようですね」
ははは、と笑いながらも、ウィストン伯爵は目が泳いでいる。
何度もザックが手に持つ皿とフォークの間を行ったり来たりするので、アイザックは呆れてしまった。
これでは皿かフォークになにかあると言っているようなものだ。慎重というよりは、小心者なのかもしれない。
(……アンスバッハ侯爵が、本気でこの男を手駒にするだろうか)
ふいに、ザックの頭にそんな考えが浮かんできた。
アンスバッハ侯爵は長年国の重臣として権力を誇示してきた。時に父である国王を制するほどの圧さえある。そんな男が、命運を分ける相手としてこんな小物を選ぶだろうか。
ざわざわと胸の奥に嫌な予感が沸き上がる。
「おそらく、あの料理人は望めば素晴らしい地位を手に入れることができる。……だが、しないだろうな」
「……お知り合いで?」
向けられた問いに、ザックは答えずに口もとを緩めた。
例え地位があろうとも、ザックにはウィストン伯爵よりもレイモンドの方が信用できるし、力を貸すにふさわしい相手だと思える。それは彼のひたむきさや誠実さがもたらす力だ。
「ウィストン伯爵。人を動かすには何が必要だと思う?」
ザックはフォークを皿に戻した。ウィストン伯爵の笑顔がこわばる。
「力……ですか? 権力とか身分とかそういう?」
「それもないとは言わない。……だが、最も大切なことは情熱なんじゃないかと、俺は最近思うようになった。強く願う心がない人間に、誰が従う? 理想も覇気もない人間に、誰が自分を賭けようって思える? この国が今、ひとつにまとまらないのは、それが理由だと俺は思う」
「……アイザック殿下?」
「君にも同じことが言えると思うよ。君は本当に婚約者を愛しているのか? オードリー・オルコットという個人を本気で見つめているのか?」
「なにを」
戸惑うウィストン伯爵に、アイザックは指を突きつける。
「ここの料理人はレイモンド・ネルソン。オードリー・オルコットと将来を誓い合った仲そうだ。彼女を取り戻すために、彼はこの王都までやって来た。その情熱に、今の君が勝てるとは思えない」
「……は?」
ウィストン伯爵が青ざめる。と、室内は急にざわめき立った。




