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銀色の毒・1


 サイラス・ウィストンは大きく息を吐きだした。


 彼の上着のポケットには輝安鉱で作られた銀色のフォークがある。

 一般的に貴族の屋敷で使われるものと同じデザインで作られていて、イートン伯爵家でも同じデザインのものが使われている。念のため、先ほど厨房を覗き、カトラリー類が準備されたトレーを確認してきた。

 このフォークを口にすれば、人体に害のある成分が体内に入り込み、激しい食中毒を起こし、死に至るはずだ。


 今日、サイラスはこれをアイザック第二王子に使わせるように、という命令を受けてここにいる。

 それに関しては、そう難しいことでもない。取り分けるときに、自分が王子のもとへ持っていくと言えばいいだけだ。

 通常、毒として疑われるのは料理の方だ。すぐにまたフォークを入れ替えておけば、バレることもないだろう。


(だが、……なぜ俺がいつも危険な橋を渡らなければならないのだろう)


 サイラスはここに来るに至った顛末を思い出して、ため息をついた。



**



 若い頃のサイラスは不運続きだった。

 元々は裕福だったウィストン伯爵家が金銭的に困窮しはじめたのは、まだサイラスが学生だったときだ。

 学費の捻出も苦しかったが、学術院を卒業しなければ、この国でいい役職には就けない。奨学金をもらえるほど成績優秀でもなく、かといって、伯爵家の子息として生まれたプライドもあり、肉体労働で日銭を稼ぐという方法にも踏み切れなかった。


 そんな時、どちらかといえば苦学生の部類だったジェイコブ・オルコットの羽振りが急によくなった。

 それまで、学術書を買うために他人のノート移しなどで日銭を稼いでいたはずの彼の変化に、サイラスは疑問を抱いた。


『いい儲け先でもあるのか? 俺にも紹介してくれよ』


 しかし、何度聞いてもジェイコブは答えなかった。


 業を煮やしたサイラスは、ジェイコブの動向を探ることにした。

 鉱物学専攻の彼は、教授の許可を得ない採掘を行っているようだった。なのに、人足は非常に多い。


 ジェイコブにこれだけの人を雇える金があるわけがない。

 子爵家は裕福なのだが、オルコット子爵はジェイコブが学問にのめり込むのをあまりよく思っていないので、学費以外の支援を断っているからだ。


 目当てのものは直ぐには見つからないらしくジェイコブは何度か採掘に向かっていた。サイラスが後をつけたのは二回目までだったが、それ以降も彼は定期的に採掘に向かっているようだった。


 それから一年ほどして、サイラスは思い立ってジェイコブが使っていた採掘場へと赴いた。

 既に彼の目的は達せられたようで、そこは打ち捨てられたただの穴倉だった。……が、サイラスとて鉱石学を学んではいる。ここにあった鉱物の残りを見て、彼が掘っていたものが何かを知った。


(……アンチモン硫化物)


 輝安鉱という、銀と間違えやすいが硫化鉱物だ。金属光沢のある、剣状の美しい結晶が特徴的だ。アンチモンが人体には有害で、口にすると食中毒を引き起こし、最悪死にいたると言われている。

 実際に銀と間違えられて食器装飾に使われて人が死んだ事件があるくらいだ。


 こういった山中で見つかるときはすでに表面が酸化しているので、触った程度では何も起こらないが、爪で引っ掻けば欠けるくらいには柔らかいので、扱いには注意が必要だ。


(こんなものを、ジェイコブはなぜ?)


 輝安鉱の主な用途は、印刷のための金属活字版だ。錫や銅と混ぜることで、固まるときの体積変化の少ない、適度な硬度を持つ合金を作ることができる。

 だが、単独では毒性があるため、採掘にも販売にも許可がいるはずだった。


(だが、闇市なら売れるか。少しでも学費の足しになるなら助かるし)


 サイラスもそこから少しばかり輝安鉱を持ち出し、毒物として闇市に売りに出した。

 そしてそれは、サイラスが予想していたよりも高値で売れたのだ。


 サイラスはこれで当座の学費を手に入れることができ、結果としてジェイコブに助けられた形で学生生活を終えた。


 それから何年も時がたち、今から十一年前、西方で助教授として活躍していたジェイコブが、結婚し、教授待遇で学術院に戻ってくることになった。 

 そのとき、サイラスは造幣局の一局員だ。サイラスはかつての同級生として結婚式にも参加した。


 ジェイコブは、相変わらずの鉱物馬鹿だった。教授となったからには授業をしなければならないが、その準備を助手の妻に任せ、自分はできる限り採掘や研究に時間を費やしていた。

 いいように使われる妻のオードリーを、当時のサイラスは、半ば同情めいた気持ちで見つめていた。


 そして六年が経ち、今から五年前。サイラスが造幣局局長へと就任すると、ジェイコブは彼を呼び出して言った。


『サイラス、お前、かつて私が採掘した跡を荒らしただろう』


 それが、輝安鉱のことを言っているのは直ぐに分かった。サイラスにとって、あれは忘れたい出来事だ。造幣局で安定した立場を手に入れた今、危ない橋を渡る必要はない。が、ジェイコブがそれを許さなかった。


『輝安鉱を使って稼ぐいい方法を思いついたんだ。お前ものるだろう? 断ったりするわけないよな』


 ジェイコブはサイラスに断る隙を与えなかった。

 次々と漏らされた計画は、それこそ、サイラスから血の気を奪うようなものだった。


 輝安鉱を“銀貨”として隣国へ流そうというのだ。


『無理だ。輝安鉱は硬貨にするには硬度が足りなさすぎる。それに、作業する人間の危険も伴う』


『では合金にすればいいだろう。あとはあっちで製錬してもらえばいい。隣国の造幣局に知り合いがいるんだ。この話をしたら、食いついてきた。最も足のつかない販売ルートだと思わないか?』


 鉱物馬鹿である彼は、自分の研究費をねん出することだけを目標としていた。最近、助手をしていた妻をやめさせ、家庭を守らせることにしたというから、新たな助手を雇う金も必要だったのだろう。学術院で割り当てられる研究費だけでは足りない、というのは、どの学問の教授でも感じていることだ。


『だが、いくら俺が局長でも、そんな誤魔化しができるわけがない。材料だって……』


『輝安鉱は俺が準備する。それによって余る銀は金貨作成の配合率を変えればバレはしないだろう。それによって浮いてきた金は報酬や口止め料として流用すればいい。まさか断る気じゃないよな。あのときの輝安鉱。お前がどうしたかなんて調べればすぐわかるんだぞ?』


『お前だって……あれを採掘して一体何に使ったんだ』


『それを知ったらお前、殺されてしまうよ。俺はあの時、ちゃんと後ろ盾があってあの採掘をした』


 彼の裏にいた人物は教えてはもらえなかった。

 だが、ジェイコブの自信が、サイラスには怖かった。もし本当に権力者がジェイコブの後ろにいるのだとすれば、全てを暴露したところで自分だけが罰せられるどころか、全ての罪をかぶせられるかもしれない。結局、一度でも手を染めてしまった人間に、選択肢などないのだ。


 だが、通常の硬貨作成でそんなことをすれば、すぐさま局員にすべてバレてしまう。

 サイラスが目を付けたのは、国王の在位三十周年記念行事の一環として作られる予定の記念硬貨だ。それの金属配合を研究するためと言えば、ごく少人数でのチームを立ち上げられる。

 輝安鉱入りの銀貨や、銀の配合の多い通常の金貨など、不正に利用されたものはほとんどこのチームでつくられた。



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