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標的は誰?・5


(う、嘘……どうしよう)


 予想外すぎた人物の登場に、ロザリーは固まった。何せばっちり目は合ってしまっている。今更見なかったことにはできない。


(いやだって、陛下お忍び? ていうか、陛下とカイラ様、最近はうまくいってないんじゃなかったんですかー?)


 脂汗がダラダラ出てくる。陛下は陛下で何も言わずにじっとロザリーを見ていた。

 その背中から聞こえた声に、ロザリーは心底救われた気持ちになる。


「陛下、急にどうされたんですか」


 後を追ってきたウィンズだ。彼は、窓際で小さく身を隠しているロザリーに気づき、目を丸くした。


「ろ、ロザリンド嬢? どうしてこんな時間に」


「こ、こんにち……あ、おはようございます、ですね。ウィンズさん」


 今は挨拶などどうでもいいのだが、頭がパニックになっているので変なところが気になってしまう。


「そなたが噂の令嬢だな。カイラが世話になっているそうだな。ああ、アイザックもだったか?」


 予想外に、ナサニエル陛下は朗らかに話しかけてくる。ロザリーは目が回りそうだ。


(何を言えばいいのか、まず謝るべき? いやでも悪いことなんて。あっ、立ち聞きは悪いことか。でもでも……)


 沈黙に耐え兼ねたのか、ウィンズが間に入ってくれた。


「陛下。ロザリンド嬢が固まってますよ」


「む……。人懐っこい令嬢だという話じゃなかったのか」


「たしかにアイザック王子にもカイラ様にも物おじせず話せる令嬢ではありますが、さすがに陛下となるとこの反応で普通じゃありませんかね」


 苦笑しながらウィンズが言うのを、部屋の中から呆然と見ていると、部屋の扉が勢いよく開いた。

 ランプを持って入ってきたのは、ライザだ。


「まあ、ロザリー様。ご令嬢がこんな夜中に出歩いてはなりませんよ」


「あの、あの……」


「皆様、中にお入りください。お茶の準備をいたしますわ。国王様の御戯れもばれてしまったようですし」


 ロザリーはここでようやく落ち着いて息を吸い込んだ。

 そのときに嗅いだ陛下の香りに、ああこれまでもこの人だったのだ、と気が付いたのだ。


 白磁のカップに香り豊かな紅茶が注がれる。

 ここは王家の離宮で、陛下がお忍びで来ていても何の問題もないし、お茶会を始めるのも問題ない。これが早朝五時であるということを除けば。


「改めまして、ロザリンド・ルイスと申します。陛下に置かれましては、ご機嫌麗しく……」


「ああ堅苦しい挨拶はいい。それに、あまりうるさくするとカイラが起きてしまう」


「カイラ様にはお会いにならないんですか?」


「私はもう嫌われているからな。顔を見せても病を悪化させるだけだ」


 ナサニエル・ボールドウィン国王陛下は、御年四十五歳。逞しい体躯の持ち主で、金色の髪をもつ。

ザックは母親似のようで、そこまで印象は近くないが、綺麗な緑色の瞳は一緒だ。


 ロザリーはデビュタントのときに挨拶をしただけだが、そのときはもっと威圧的な印象を受けていた。今はどちらかといえば、祖父に近しい印象を抱いている。一見威厳があるようだけれど、普段は優しい祖父と。


(懐かしいな。おじい様、元気かしら)


 ふいに思考が祖父のもとへと飛んでいく。

 加齢臭が酷かったな、なんてひどいことを思い出していると妙に切なくなってくる。


「君が」とナサニエルに声をかけられて、ロザリーはハッとした。


「君がきてから、カイラの調子がいいと聞いている。彼女になにか言ったのか?」


「いえ。……あ、えっと」


「かしこまらなくていい。今はお忍びだからな」


「……お忍び、よくされるんですか?」


 気になっていたことを、聞いてみる。

 ナサニエルは、脇に立つウィンズにちらりと目配せして、苦笑した。


「たまに……だな。カイラの様子も気になってな」


「でもお会いにはならないんでしょう? どうしてですか?」


 一度口に出したら、止まらなくなる。陛下に失礼だとは思うけれど、不思議で仕方ない。

 そんなに心配しているなら、どうしてそれを伝えないのか。

 イライラするのは、カイラがまだ陛下を想っていると、ロザリーには痛いほど分かるからだ。


「私がカイラに会うことは、どの方面にもいい影響を与えない」


 そう思うなら、報告を聞くだけでいいはずだ。

 彼女の心を慰めるように、綺麗に整えられた内庭。まさか陛下が自分でそれを手入れしているなんて誰が思うだろう。

 なのに、外側は全く手入れされず、まるで他人には、彼女は捨て置かれているとさえ思わせている。


「第一妃の……マデリン様への影響を懸念されているのですか?」


 陛下は黙ったままだった。

 深く大きなため息。それは、深いうろを連想させた。彼の心の中にある、大きな埋められない穴。


「王太子の母親であるマデリンと離縁はできない。だがカイラも手放せない。カイラが心を壊すことになったのは、元はと言えば私が原因だろう。守ると言ったのに、一つも守ってなどやれなかった」


 後悔のにじむ声。それでもまだ、彼はカイラ妃を解放しようとはしない。

 後ろ盾のない、政治には全く役に立たない妻を。


 そしてすでに関係が途切れて久しいのにも関わらず、彼女の心を慰める花を手ずから植える。誰にも気づかれないような時間に。


(……もしかしてこの人、めちゃくちゃ不器用な人なんじゃないのかな)


 心の中がムズムズした。それは、ロザリーが今まで感じたことのないような感覚だ。嬉しくて尻尾を振りたいような感覚とも、悲しくて耳のあたりがかゆい感覚とも違う。


(……なんか、もどかしい。一国の国王様に思うことじゃないのかもしれないけど、はっきりしなくてイライラするっていうか。……回りくどくて面倒くさいというか。単純に好きという感情だけで動ける立場の人でないのはわかっているけど)


 ハッピーエンドのその先にある、想い合うがゆえの決裂。

 ロザリーには、頭では理解できても感情がついて行かない。


「……カイラ様はずいぶんお元気になられました」


「そう聞いている。そなたのおかげだろう」


「私だけじゃありません。ザック……アイザック様と仲直りされたこともありますし。……なにより、この庭がカイラ様をずっと癒してくれています」


 ピクリと、怯えたように陛下の手が動く。


「冬咲きのクレマチスが好きだと教えてくれました。私が来る前から、カイラ様の寂しさを慰めていたのは、この花々たちです」


 陛下は黙ったままだ。ロザリーは拳を握り締めて、もう一言付け足した。


「陛下は、カイラ様に会いたくはないんですか?」


 ここまで様子を確認しに来ているのだ。会いたくないわけがない。それでも、敢えて確認したかった。


 驚いたようにウィンズがひゅうと息を鳴らす。ロザリーも声が震えているのが自分で分かった。国王に進言するなど恐れ多いことだ。


 しばし眉間に皺を刻んでロザリーを睨んでいたナサニエルは、やがて深いため息を吐き出した。


「……それを私に言うのは無礼だということは知っているのかな?」


「申し訳ございません。でも」


「なるほど、肝は据わっているようだ」


 ナサニエルは立ち上がり、ウィンズに手ぶりをする。


「陛下」


「帰る。……私が来たことはカイラにもアイザックにも言わないように。言ったら……どうなるかわかるな?」


 まるで脅しのような声に、ロザリーは全身でびくつく。


「分かりました」


「もう一度寝るといい。夜が明けきる前にな」


 立ち上がり、背中を見せて歩き出す。怒らせたのかもとも思ったが、最後の声は優しかった。

 陛下の考えが分からない……と思いながら、ロザリーはうつむいたまま彼が出ていくのを待った。パタン、と扉が閉まる音に、ようやく緊張が解け、テーブルに身をつっぷす。


「……き、緊張した」


「その割には、しっかり言いたいことをおっしゃっていたじゃないですか」


 さらりと言ってのけるのはライザだ。彼女は普段は鉄面皮のように表情が動かないが、今日ばかりは微笑んでいた。


「……お疲れさまでした」


 彼女にゆっくりと肩を揉まれ、へにゃりと力が抜けてくる。


「ありがとうございます」


「お礼を言うのはこちらですわ。……本当は私も、陛下にカイラ様に会っていただきたいんです。あの方は、本当にカイラ様を大切に思ってらっしゃるのだもの」


「そうですね」


 だけど、彼は会うつもりはないのだろう。

 人の噂では、陛下とカイラ妃の仲はすっかり冷え切っていると言われている。それも、カイラ妃を守るためなのだとしたら。


(やっぱり、すっごく不器用な気がする)


ロザリーは、無言でうんうんと頷いた。


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