標的は誰?・1
それからしばらく、ザックとケネスは離宮を訪れなかった。
ロザリーはザックからもらった香木を取り出し、そこから彼の香りを拾い出しては、寂しい気分を紛らわせる毎日だ。
退屈を持て余していたロザリーは、ここで一つ不思議なことに気づいた。
カイラが深夜に徘徊すると、必ず二日以内には離宮の内庭が手入れされていたり、花が増えていたりと何かしらの変化があるのだ。
誰か人が入り込んでいるのかと、訝しんで侍女に聞いてみたが、「警備は万全です。屋敷の者が手入れをしているだけですよ」と言われるだけだ。
(そうなのかな、本当に)
近づいて、香りを嗅いでみる。ほんの微かに残る、花のにおいとは違う香り。
侍女はああ言ったけれど、嗅ぎ分けのできるロザリーには分かる。
この木々や花を触っている人間の香りは、離宮に勤めている人間の中にはいない。
ここで暮らし始めてひと月ほど経つ。出入りする人間の香りは大体覚えた。
(花をいじっているだけなら、まあ害はないんだろうけど)
だけど気になる。だけどカイラに相談しては怖がられるだろう。実害がないだけに、それもはばかられる。
カイラの夢遊病は以前よりは減ったが、時折、思い出したように部屋の中を徘徊する。
大抵は侍女が対応するのだが、気づいたときはロザリーも向かうようにしている。
そうした状態のとき、カイラはよく陛下の名前を呼ぶ。「ナサニエル様」と。
以前はただ驚いただけだったが、落ち着いて観察できるようになれば、彼女が夢の中でしていることが分かった。
髪を梳く仕草。洋服を見立て、着替えの手伝いをする。それも相手は大柄な男性だ。なにかを持って移動しているカイラは必ず最後に自分の肩より上に手を上げ、背の高い人間に見せるような仕草をするのだ。
(……陛下のお世話をするのが好きだったって言ってたよね)
ロザリーは知らない、陛下とカイラが侍女だった時のふたりの時間。
それはおそらく彼女にとって、とても幸せな時間だったんだろう。
「……カイラ様、そろそろ寝ましょう」
夢の中にいるカイラからは返事がない。それでも、ロザリーの誘導に、素直にベッドへと向かった。
横になって、寝息が落ち着くまでの間、手を握ってみる。温かくて、傷ひとつない綺麗な手だ。
(でもカイラ様は、こんな贅沢がしたいわけじゃないかもしれない。きっと、自分の仕事で誰かの役に立ちたかったんだよね)
ロザリーが来てから、ずいぶん症状がよくなった、と侍女も言う。
カイラに必要だったのは、“誰かの世話を焼く”という行為だったのではないだろうか。
ロザリーはすっかり寝付いたカイラの手を、布団の中に戻し、静かに部屋を出た。
心配そうに廊下で待っていた侍女は、ロザリーに会釈し、扉に再び鍵をつける。
「夜中なのにありがとうございます」
「いいえ。……あの、私もお願いがあるんですが」
続くロザリーの言葉に、侍女は目を丸くして、渋々ながら頷いた。
*
「僭越ながら私がお教えしましょう」
カイラ付きの侍女はなかなかに仕事が早い。
昨晩、ロザリーは『内庭を手入れしている人に、花の手入れの仕方を教えてもらいたいので紹介してほしい』と頼んだのだ。
そうしたら、やって来た人物は、警備を担当するイートン伯爵の私兵のひとり、ウィンズだった。
「ウィンズさんは詳しいんですか?」
「まあ人並み程度ですかね。家で少しやらされるくらいですよ。こういったお屋敷と違って、我々の家は庭も狭いですから」
「本当はここを担当している庭師さんにお願いしたかったんですが」
「庭師は数か月に一度の契約でしか入らないはずですよ。この離宮は頻繁でもありません。入口の方は鬱蒼としているでしょう」
それは、ロザリーが気になっていたことだ。
外見からはまるであばら家を想像させるほど木々が鬱蒼としているのに、内庭だけこまめに手入れされている。
「ウィンズさんが内庭の整備をされるんですか?」
「時々……ですね。頼まれたときだけ」
さりげなく、ロザリーはウィンズのにおいをかぎ取る。
だが違う。ロザリーがみつけた内庭に残る匂いとは違うのだ。
「でもどうしたんですか? 突然。庭仕事がしたい、なんて」
「カイラ様がお花が好きなので、お手入れ方法が分かったらいいかなと思ったんです」
「なるほど。ロザリンド様は本当にカイラ様と仲がよろしいのですね」
「私はカイラ様が大好きです。カイラ様もそうなら、嬉しいですけど」
「カイラ様もきっとそうでしょう。あなたが来てから、夜中の徘徊もずっと少なくなったし、何よりも明るくなられました」
ウィンズの答えに、ロザリーは微笑んだ。
そして彼の教えを受けながら、簡単な剪定方法を学んでいく。
地植えの作物はそこまで気にする必要はないが、水は土が乾いていたらやること。
花芽はバランスを考え、早いうちに育てるものを決め、残りは摘んでやること。
(バランスかぁ……。そうだよね。最も育つものに栄養をまわしたほうが、より美しく咲く)
真理だ。そう思うのに、どこか引っかかる。
心が定まらない。頭の中に、さまざまな可能性が浮かんでは消えていく。
(……早く、ザック様来ないかな。そうしたら相談できるのに)
待っている時間というのは、どうしてこんなに長いのだろう。
寂しくなりながらロザリーは門の方を見つめた。




