カラクリ兵士
全員が、ただ一人事情をまったく理解できていないヒヨリだけを除いて、目を見開いたまま言葉を失っていた。平原には重苦しい沈黙が流れ、誰もすぐには口を開けない。
「……ニュークリアス……?」
ヒヨリは聞き慣れぬその名を、おぼつかない口調で繰り返す。
「オ、オマエ……今、何と言った……?」
鳳凰の表情には隠しきれない動揺が浮かんでいた。
「こいつはどう見ても人ではないか……!いや……あの常軌を逸したハタの総量、複数の異能力、あれほどの再生能力……まさか……」
「妾も最初からそう考えておったわけやあらへん。ニュークリアス――その存在については、宇宙の歴史を探しても、情報はほんのわずかしか残っておらへん。もし単なる力ある結晶やったら、それを手に入れた王国や世界が急に強大になった、そないな記録が山ほど残っておっても、おかしゅうはあらへん。せやけど、実際にはそうした話は、ほとんど見当たらへん。妾も昔、風の噂で、ニュークリアスは無機物やのうて、生きた存在かもしれへん、いう話を耳にしたことはあった。せやけど、そんなもん、確信なんぞ持てるはずもあらへなんだ」
そう語り終えると、九尾の狐は改めてヒヨリを真っ直ぐ見据えた。その瞳には、逃げ場を与えぬような真剣さが宿っている。
「ヒヨリ。おぬしについて、妾はもう一度だけ聞くえ。おぬしは親を知らへん。自分がどう生まれたんかも知らへん。それに、ほとんど無限とも言える治癒力を持ち、血も尽きることがなく、ハタを使い果たしたことも一度たりともあらへん――妾の言うておることに、間違いはあらへんかえ」
「あ、えっと……た、確かに……そう、だが……」
本人ですら戸惑いを隠せず、小さく頷くことしかできなかった。
その様子を見ながら、鳳凰は腕を組み、深く考え込む。
「……なるほどな。未だ信じ難い話ではあるが……もし、オマエが宇宙の血筋――ソルスそのものから生まれた存在ならば、根印の使い方を少し変えるだけで複数の異能力を扱えるだろう」
その場の空気を破るように、キュウキが豪快に笑った。
「ははっ、そういうことか!なるほどなぁ。ダッキ、おまえがそこまでこいつに執着する理由がようやく分かったぜ。こんなの、腹が減る心配なんぞ一生いらねぇみたいなもんじゃねぇか。よくまあ、こんなとんでもねぇ宝物を見つけたもんだ」
「……やかましい」
タマモは露骨に眉をひそめたが、否定はしなかった。
一方、鳳凰はなおも複雑な眼差しでヒヨリを見つめ続ける。長い沈黙の末、ようやく口を開いた。
「……オレの負けだ」
その一言に、ヒヨリは思わず顔を上げる。
「さっきオマエは……わざとオレを怒らせたのか」
「はい。怒ってくれれば、そのぶん隙ができると思った。その隙をキュウキなら突けるって……そう考えた」
鳳凰は苦笑混じりに鼻を鳴らす。
「……もっとも、その作戦が成り立つ前提は、オマエがオレの一撃を耐え切れることだったがな」
そう言って衣に付いた土埃を軽く払う。
「無茶だな……。先ほど、オマエを甘いと評したが、あれは撤回しよう。こっちへ運べ」
「え……?」
ヒヨリはきょとんとした表情で立ち尽くした。
「何をぼさっとしておる。その娘を連れて来い、オレが見てやる。そういう約束だろう」
「お、おう!」
ヒヨリは慌ててハルカのもとへ駆け寄った。だが、その直後、鳳凰は露骨に顔をしかめ、キュウキへ冷たい視線を向ける。
「……ただし、オレはそいつが嫌いだ。ヒヨリ、オマエの式神だろう。さっさと消しておけ」
「えぇ~」
キュウキは肩をすくめ、大げさにため息をついた。
「そんなケチくさいこと言うなよ、鳥の王様」
「……オレの民を喰らっておいて、よくもそんな口が利けるものだな」
二人の間に再び険悪な空気が流れ始める。タマモは呆れたように額へ手を当て、大きく息をついた。
「もうええ。今は、そないな面倒くさい連中の相手をしておる暇はあらへん。どうせ今のキュウキはヒヨリの式神や。ヒヨリがちゃんと手綱を握っとれば、問題あらへん。……空気や思うて放っとき」
ジョウガはただ一言、「ついてきて」とだけ告げ、そのまま歩き始めた。フクロが逃げ出すことなど微塵も心配していないのか、一度も振り返ることなく先を進む。その傍らには、あの大きな白兎が寄り添い、今度はフクロの後ろを静かについて来ていた。
道中では兵士や役人らしき者たちと何度もすれ違った。背丈や体格には多少の違いがあるものの、その顔立ちは誰も彼も寸分違わぬ同じ顔だった。その異様な光景に、フクロは思わず背筋へ冷たいものが走るのを感じる。
やがて周囲の景色も変わり始めた。果てしなく続く白い雲海だけだった景色に、少しずつ建物が姿を現す。金色の屋根、朱塗りの楼閣が次々と視界へ入り、さらにその先には、多くの兵士たちが一か所へ集結している場所が見えた。どうやら、あそこが目的地らしい。
不意にジョウガが口を開く。
「あなたがここにいるのはほんのしばらくでしょうけど、今はほかに空いとる場所もない。ひとまず、そこの牢に入ってもらう」
そこには銀色に輝く巨大な牢獄が建っていた。入口には同じ顔をした兵士たちが一列に並び、厳重な警備を敷いている。
空いている一室の前まで来ると、鉄格子が重い音を立てながらゆっくりと上へ持ち上がった。
フクロは中へ入る直前、隣の牢へ視線を向ける。
そこだけは様子が違っていた。幾重もの兵士が周囲を固め、尋常ではない数の警備が配置されている。
「……隣には誰が閉じ込められているのか」
フクロが尋ねると、ジョウガは一瞬だけ視線を逸らし、小さく肩をすくめた。
「……まぁ、危険人物だ。気にしないほうがいい」
それ以上は語ろうとせず、兵士たちはフクロを牢内へ押し込み、鉄格子を重々しく閉ざした。
「そのうち私があなたをブリットンスへ連れて行く。それまで妙な真似はしないこと。……もっとも、暴れたところで、この世界で昊天に敵う者などいないけど」
それだけ言い残すと、ジョウガは踵を返した。兎も主人のあとを静かについて行き、やがてその姿は霧の向こうへ消えていった。
静寂だけが残る。
フクロは牢の奥まで歩き、壁にもたれて腰を下ろした。
隣の牢とは壁一枚隔てられているだけで、その壁には小さな格子窓が開いている。しかし鉄格子がはめ込まれているため、はっきり見ることはできない。
薄暗い向こう側には、鎖で何重にも拘束された人影がかすかに見える。顔までは判別できない。
すると、その人物のほうから先に声が響いた。
「……珍しいもんだな。馬鹿なトランスグレッサーが、こんな場所まで来るとは」
低く、それでいてどこか豪快さを感じさせる男の声だった。
「……同じ牢屋に閉じ込められている者同士だ。どちらが馬鹿かは分からないだろう」
「ははっ!そりゃそうだ!だが残念。この広い世界で、この牢に入れられているのは俺とお前だけだ。つまり、ほとんどの奴らはちゃんと賢いってことさ」
その口ぶりから察するに、この男はこの世界について相当詳しいらしい。
フクロは少し間を置いてから尋ねる。
「……答えたくないなら構わない。だが、この世界はいったいどうなっているんだ。宮殿の兵士は全員同じ顔をしている。地上には、人が暮らしていた形跡だけが残る町があるのに、誰一人として住んでいない。……この世界で、何が起きている」
「気になるだろ?」
鎖がかすかに鳴る。
「まぁ、俺もここで暇を持て余してる身だ。話し相手くらいにはなってやるよ、トランスグレッサー」
その豪放な話し方とは裏腹に、意外にも話しやすい性格らしい。
「兵士がみんな同じ顔なのはな……昊天のクソジジイの悪趣味だ。あいつら、全員カラクリなんだよ」
「……カラクリ?」
「違う世界だとロボットと呼ぶだっけ?まあそんなもんだ。鎧で隠れてるから分からねぇだけで、中身は機械だ。身体のどこかには個体識別用の模様、コードみたいなものまで刻まれてる。口の中や腹ん中には火薬でも詰まってるかもしれねぇし、中にはレーザーを撃てる奴までいるかもな」
「……妙に詳しいな」
「ああ」
男は少し懐かしそうに笑った。
「俺の弟弟子のうちも、一人はまさに昊天が作ったカラクリだったからな。よく知ってるよ。……もっとも、ここの連中とは全然違う、自慢できる弟弟子だぜ」
「……そうか。自分の宮殿を守る兵士ですら、昊天が自ら造った存在ということか。なら、地上はどういうことだ。俺たちは一つの町へ立ち寄った。暮らしの痕跡は至るところに残っていたのに、一人もいなかった。町が滅びたようには見えなかった。ただ、住民だけが突然消えたようだった」
男はしばらく沈黙し、それから低く呟いた。
「……町ひとつの話じゃねぇよ。今この世界の地上にはな、人なんざどこにもいねぇよ」
「……何だって?」
その瞬間、フクロの脳裏に、以前ナタが町について説明していた時の、あの曖昧な態度が蘇る。
「まあ安心しな、本当に消えたわけじゃねぇ。みんなちゃんと生きてるさ。ちょうどこの天宮の中で、な」
少し間を置き、その笑みが皮肉へと変わる。
「……誰一人、目を覚ましちゃいねぇが」
ヒヨリはハルカをそっと抱え上げ、慎重な手つきで石の台座へ横たえた。
鳳凰は無言のまま歩み寄ると、その傍らへ膝をつく。手をかざし、全身を巡るハタの流れを静かに探っていく。長い時間をかけて診察を終えると、ようやく立ち上がり、一同へ向き直った。
「まず、オレの力について説明しておこう。オレの炎には、生命あるものを一瞬で最良の状態へと戻す性質がある。あらゆる穢れを焼き払い、肉体を最も純粋な状態へ作り直すのだ。病も重傷も、オレの炎でまとめて焼却し、そのうえで肉体を再生させることができる」
その説明を聞いたアルテミスは、小さく呟いた。
「……死者を蘇らせる力、というわけではないんだね……」
「……昔、それに近い真似をしたことはある。だが、オレはもう二度とあんなことはせぬし、できもしない。……その話は今は置いておこう。通常なら、瀕死の者であろうとオレの炎を浴びれば助けられる。それだけは保証しよう。――だが、この娘は話が別だ」
その一言に、場の空気が張り詰めた。
「この人類には根印がない。それにもかかわらず、全身の隅々までハタに侵されている。根印を持たぬ者の身体をハタが満たした瞬間、神経も経絡も即座に焼き切れ、その場で命を落とすのが道理だ。……それなのに、この娘は今なお生きている。こんなものは宇宙規模の奇跡と言っていい」
鳳凰は石台に横たわるハルカを見つめたまま問いかける。
「この娘は、一体何をしてきた」
アルテミスは唇を噛み締め、服の裾を強く握った。
「……私のせいだ。ハルカは……ずっと、この身体で私を使っていた。残刻器を使い、自分のものではない異能力まで使い続けて……何度も無理をしちゃ駄目だって言いました。このままじゃ身体が耐えられないって……それでも私は……止められなかった。全部……全部、私の責任だ……!」
「……根印無き者が残刻器を扱い、さらに異能力まで?小娘、オマエの言葉に偽りはないのだな」
「ほんまや」
タマモが横から静かに口を添えた。
「その娘は、妾と何合か渡り合うたほどの腕前や。並の根印無き者やあらへん」
「……なるほどな。さすが昊天へ刃を向けた人類というべきか」
「それで――助けられるんかえ」
鳳凰はしばらく考え込み、やがてゆっくり頷いた。
「……方法はある。まず、この娘を包んでいるハタの障壁を破壊せねばならん。だが、その障壁は命を守る代わりに、生命活動そのものを封じ込めている。つまり、それを壊した瞬間――この娘は本当に死ぬ」
「そんな……!」
ヒヨリは思わず一歩踏み出した。
「慌てるな。オレの考えは、その障壁を破壊した瞬間、生命が尽きるより先に全身の経絡を一斉に活性化させることだ。……問題は、この娘には根印がないことだ。根印が存在しない以上、オレの炎は逆にこの娘に痛みをもたらす」
そう言うと、鳳凰はアルテミスへ指を向けた。
「そこでオマエの出番だ。オマエはこれまで、この娘とハタを共有し続けてきたのだろう。ならば、オマエがオレとこの娘を繋ぐ媒介になれる」
鳳凰は全員を見回しながら、手順を一つずつ説明する。
「まずヒヨリ、オマエが障壁を破壊する。その瞬間、小娘――オマエは一瞬の遅れもなくオレからのハタをこの娘へ送り込め。その流れを媒介として、オレは炎を流し込み、肉体を再生させる」
そして百鳥の王は、真剣な眼差しで二人を見据えた。
「――覚えておけ。すべては、その一瞬に懸かっている。ほんのわずかでもタイミングを誤れば……その時は、この娘を二度と救うことはできぬ」




