第13章 国会の修羅場(8)2031年9月30日 火曜日 午後3時
◆ 2031年9月30日 火曜日 午後3時
◇ 国会議事堂 参議院本会議場
衆議院通過から約3週間後のこの日、参議院でも法案が可決され、正式に成立した。
深く頭を下げる志茂野に石原総理が歩み寄る。
「お疲れさまでした。見事な答弁でした」
「ありがとうございます」志茂野は眼鏡を押し上げた。「これで年金制度改革は完了です」
「長い道のりでしたね」
「ええ。あとは実施あるのみです」
志茂野は議場を見回した。ここで彼が勝ち取ったのは、単なる一つの法案の成立ではない。日本の社会保障制度を根底から変革する、新しい原則の確立だった。
出生数に応じた負担の変動
この原則が確立された今、年金制度改革の最終段階が完了した。基礎年金の移行債化に続き、厚生年金2階部分も出生数連動減免により実質的な制度変更が達成された。
これにより、今後出生数が再び落ち込んだとしても、政府の財政負担は増えない。子供を産まない者が満額の保険料を負担し続け、その保険料収入と給付のバランスが自動調整される。現役世代も過度な負担から解放される。
リスクは完全に個人と家族に転嫁された。いや、より大きな歴史の流れから見れば、人類が数万年にわたって維持してきた生物学的真実——親が子を育て、子が親を養う——という原初の相互扶助システムに回帰したのだ。福祉国家という短い実験期間を経て、種の存続という最も根源的な原理に立ち返った。
一方で、これは20世紀に成立した福祉国家というシステムに終止符を打つ行為でもあった。「ゆりかごから墓場まで」の社会保障は終焉した。新たな社会契約は「産んでも良い、増やしても良い、産まなくても、増えなくても構わない。国家財政はもはやそれに左右されない」というものだった。個人の選択は自由、結果は自己責任。健康保険と障害者福祉を除き、近代国家が担ってきた老後保障と再分配の役割は、家族と血縁に回帰した。
志茂野は議場を後にしながら、厚生労働委員会の論戦を思い出していた。野党は憲法論、財産権、富裕層優遇など、理論的な攻撃を仕掛けてきた。感情に訴える場面もあったが、むしろ法理論での追及が鋭かった。それでも大半は数字と論理で返すことができた。
ただ、神崎議員の「土地を預けたら勝手に現金にされた」という例えには、正直参った。あの瞬間、初めて答弁に詰まった。不動産業出身の自分だからこそ、あの比喩の的確さが痛いほど分かった。憲法論で逃げるしかなかった自分が、少し情けなかった。
廊下で記者に囲まれた志茂野は、落ち着いて質問に答えた。
「今回の法案成立により、日本の社会保障制度は新しい段階に入ります。出生数に応じた公平な負担分担が実現されました」
「大臣、野党からは『冷血漢』という批判も出ていますが」
志茂野は苦笑した。「冷血ではありません。冷静なだけです。国家の持続には、感情よりも数学が必要です」
「次はどういったことに取り組まれますか?」
「来年4月の実施に向けた準備です。年金移行債への移行手続き、私的年金ファンドの設立、厚生年金減免の申請システム構築。膨大な実務が待っています。さらに国民の理解を得られるよう丁寧な説明に努めたいと考えます」
志茂野は記者団を振り切り、エレベーターに向かった。
エレベーターの中で、志茂野は一人呟いた。
「これで日本は生き延びることができる」
数字が証明していた。基礎年金は完全廃止され、国家の年金債務は個人の投資リスクへと転嫁された。厚生年金2階部分は賦課方式を維持しながら、出生数連動減免という従来とは真逆のインセンティブを実装した。
志茂野創平という男の設計は巧妙だった。賦課方式の枠組みを残しつつ、「子供を産まない者が満額負担、産む者ほど減免」という逆転の発想。戦後日本の「みんなで支え合う」から「産んだ者が勝つ」への大転換を成し遂げた。
◆ 2031年10月1日 水曜日 午後2時
◇ 厚生労働省 記者会見室(実施詳細発表)
法案成立翌日の記者会見。志茂野が演壇に立つ。
「11月から申請受付を開始し、来年2032年4月の本格実施に向けた準備を進めます。システム構築、金融機関との連携、国民への周知など、十分な準備期間を確保しました」
記者席がざわめく。
「既に年金を受給されている方は、年金任意減額制度の申請も可能です。自主的な減額分の1.2倍が相続税の税額控除として適用されます」
志茂野は資料を示した。
「制度の詳細は配布資料の通りです。3人出産で60%減免、4人で80%減免、5人で完全免除。配偶者も同率で減免されます」
「大臣、世論調査では制度への支持率は60%を超えています。野党の批判とは対照的ですが」
志茂野は頷いた。「国民の皆様は、数字を理解してくださったということです。感情論ではなく、論理で判断していただいた」
「今後の見通しは?」
「来年度の出生数は、150万人を超える見込みです。制度の効果は既に現れています」
志茂野は会見場を見回した。
「私は『不動産ゴリラ』と呼ばれています。しかし、ゴリラでも国家は救えるということを証明しました」
記者席から笑いが起こった。
「数字は嘘をつきません。これが、1月の説明開始から今日まで、9ヶ月の論戦を通じて訴えさせていただいたことです」
志茂野は一瞬言葉を切った。以前の自分ならさらに「感情論では国家は維持できない」と言い切っていただろう。しかし、神崎議員の「数字の向こうに弱者の姿を思い浮かべたことがあるか」という問いが脳裏をよぎる。
「ただし」志茂野は続けた。「数字だけでも国家は維持できません。国民同士が支え合うという連帯も、また国家の礎です。だからこそ衆議院での附帯決議を重く受け止めています」
記者たちが驚いたような表情を見せた。「不動産ゴリラ」からこんな言葉が出るとは思わなかったのだろう。
志茂野は深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
会見は終了した。しかし、志茂野創平の仕事は、まだ始まったばかりだった。
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