第4章:記者会見という戦場(5)第2部 激化する攻防(午後7時40分〜8時30分)
◆ 第2部 激化する攻防(午後7時40分〜8時30分)
◇ 2-1 再開(7時40分)
10分間の休憩中、記者たちは慌ただしく原稿を書き、SNSに投稿していた。その間にも、談話の衝撃を聞きつけた記者たちが続々と駆けつけている。経済部、社会部、さらには文化部からも応援が到着し、会見室は180人近い記者でひしめき合っていた。廊下にはさらに数十人が待機し、モニターで会見を見守っている。
「総理が年金3年で破綻認めた」
「出生率3.2必要と明言」
「100年安心の前提条件が崩壊と認める」
Xのトレンドは、すでに総理談話一色だった。
共同通信の佐伯が、スマートフォンの画面を見て眉をひそめた。
「おい、これ違うぞ。総理は『夫婦あたり3.2人』と言ったんだ。『出生率3.2』じゃない」
隣の朝日新聞記者が苦笑した。
「もう手遅れだ。SNSでは既に『全女性が3人産め』という話になってる。訂正しても誰も見ない」
石原が戻ってきた。先ほどより顔色が悪い。相当な精神的負担がかかっているようだ。
「それでは再開いたします」
塩田がマイクを取った。
◇ 2-2 TBSの追及(7時42分)
TBSの村上陽子(1985年生まれ、42歳)が手を挙げた。
「TBSの村上です。総理、Xでは既に『現代の産めよ増やせよ』『戦前回帰』というハッシュタグがトレンド入りしています。この批判にどう答えますか」
石原は少し考えてから答えた。
「戦前は国家のために産めと言いました。今回は、皆様自身のために、と申し上げています」
「でも結果的に同じでは...」
「違います」
石原の声が強くなった。
「戦前は選択の余地がなかった。今は選択できます。ただし、その選択の結果も引き受けていただく」
「それは個人の責任に帰することでは...」
「個人の責任と社会的連帯は両立可能です。むしろ、両者が相補って初めて持続可能な社会が構築されます」
◇ 2-3 フリーランス女性の涙(7時48分)
突然、一人の女性が立ち上がった。
「待ってください!」
フリーランスの水田真理だった。
「フリーランスの水田です。総理!」
彼女の声は震えていた。目には既に涙が浮かんでいる。
「私は不妊治療を5年間続けました」
水田の声は震えていたが、必死に平静を保とうとしていた。
「医療費は800万円。貯金は...全部使い果たしました。それでも子供は...」
言葉が詰まった。会場に死の静寂が降りた。180人を超える記者たちの息遣いが、一斉に止まったかのようだった。
「先月、もう無理だと...諦めました。お金も、体も、心も、もう限界で...」
丁寧に話そうとしていた言葉が、感情の波に押し流され始めた。
「それなのに、総理は『3人産め』って言うんですか!?私みたいに産めない女は、この国にいる価値もないってことですか!?」
最後の問いかけで、ついに感情の堤防が決壊した。涙が、まるで5年間の苦悩を洗い流すかのように頬を伝った。
石原の表情が、まるで氷河が崩れ落ちるように変化した。政治家としての鎧が剥がれ落ち、そこに現れたのは一人の人間の、底知れぬ苦悩だった。
37秒間の沈黙。
会場の時が止まった。250人の記者たちが、歴史の分水嶺を目撃している自覚に震えていた。
「水田記者のお気持ちを深く害する結果となったとすれば、遺憾に思います」
石原の声には、慎重に選ばれた言葉が並んだ。40年の政治経験は、直接的な責任認定を避けつつ共感を示す術を教えていた。
「ただ、誤解なきよう申し上げたいのは、子供を持てない方々の価値を否定する意図は一切ございません。社会には多様な貢献の形があり、それぞれが等しく尊重されるべきです」
「でも、総理の論理では...」
「水田さん」
石原は慎重に言葉を選んだ。
「不妊治療への支援拡充は、重要な課題として認識しています。現在の保険適用範囲の拡大、自治体との連携強化など、できる限りの支援策を検討します」
「でも、それは今までも...」
「ただし」
石原の声に、現実を直視する政治家の苦渋が滲んだ。
「医学的な成功率、財政的な持続可能性、そして何より治療を受ける方々の心身の健康。これらを総合的に勘案した、現実的な制度設計が必要です」
水田は黙った。希望ではなかったが、少なくとも存在を否定されたわけではなかった。
「水田さん、あなたの苦しみは無駄ではありません。同じ苦しみを抱える方々への支援改善に、必ず活かします」
水田は静かに座った。涙は止まらなかったが、怒りは少し和らいでいた。
◇ 2-4 読売新聞の政局質問(7時58分)
重い空気の中、読売新聞の中村太一(1979年生まれ、48歳)が立った。
「読売新聞の中村です。政局についてお聞きします。野党からは既に『内閣総辞職に値する暴言』との声が上がっています。連立を組む衆政党からも批判が出ています。総理は辞任されるおつもりは?」
石原は毅然として答えた。
「辞任するつもりはありません」
「しかし、世論調査では...」
「中村さん」
石原の声に、鋼のような決意が宿った。
「私が今辞任すれば、それこそ無責任です。この問題から逃げることになる。出生率1.20という現実も、年金制度の危機も、何一つ解決しません」
「でも、政治責任は...」
「政治責任とは、批判を恐れて辞任することではありません。批判を受け止めながら、必要な改革をやり遂げることです。私はその責任を全うします」




