第4章:記者会見という戦場(3)1-7 東京新聞の叫び(7時05分)
◇ 1-7 東京新聞の叫び(7時05分)
「次の方、どうぞ。はい、そちらの若い方」
東京新聞の高橋翔(2000年生まれ、27歳)が立った。ミレニアム世代と呼ばれ、生まれた時から少子高齢化が「当たり前」だった世代の一人だ。
「東京新聞の高橋です。20代の記者として、同世代を代表して聞きます」
高橋の声は震えていた。
「私たちの世代は、就職氷河期の再来と言われ、非正規雇用も多い。年収300万円台が普通です。そんな私たちに、『結婚して子供を3人産め』と。総理、私たちはもう詰んでいるということですか?希望はないのですか?」
声が裏返った。会場の若い記者たちも、真剣な表情で総理を見つめている。
石原は、長い沈黙の後、ゆっくりと答えた。
「詰んでいません」
「でも...」
「高橋さん、あなたは27歳。まだ十分に時間があります」
石原は、父親のような眼差しで高橋を見た。
「確かに、経済的に厳しいことは理解しています。だからこそ、政府としても支援強化を検討しています。第3子以降の教育費無償化については、早急に具体案をまとめるよう指示しています」
「でも、そもそも結婚相手が...」
高橋の声が小さくなった。
「お見合いでも、職場の紹介でも、あるいは最近はインターネットを活用した出会いの場もあると聞いています。どんな機会でも構いません。まず一歩を踏み出していただきたい。政府も自治体と連携して、結婚支援の充実を図ってまいります」
◇ 1-8 テレビ東京の経済分析(7時08分)
会見開始から約40分。談話の衝撃がSNSで拡散され始め、各社から緊急招集された記者たちが続々と到着していた。当初130人だった記者は、すでに150人を超えている。廊下で待機していた記者たちも、なんとか室内に入ろうと押し寄せ始めた。
会見室の空気が、まるで夏の夕立前のように重く湿り始めた。150人を超える人々の体温と緊張が発する熱気が、官邸の空調システムの限界を押し上げていた。記者たちの額に浮かぶ汗が、この夜の異常事態を物語っている。
テレビ東京の経済部記者、宮本達也(1984年生まれ、43歳)が手を挙げた。東大経済学部を出て、日銀記者クラブでの経験も長い。数字には誰よりも詳しい。
「テレビ東京の宮本です。総理、具体的な数字をもう少し詳しく教えていただけますか」
宮本は手元のiPadに表示されたグラフを見ながら質問を続けた。
「現在の年金積立金は約42兆円。年間の赤字が約10兆円。単純計算で4.2年。しかし、総理は3年5ヶ月とおっしゃった。この差は何ですか」
石原は少し驚いた表情を見せた。さすがテレビ東京、と言いたげだ。
「よく勉強されています」
石原は褒めてから説明を始めた。
「ご指摘の通り、単純計算では4.2年という数字が出ております。ただし、これは様々な前提条件を置いた試算でございまして、実際には多くの変動要因があることをご理解いただければと思います」
「変動要因とは?」
「経済成長率、運用利回り、人口動態の変化など、複数の要素が複雑に関係しております。だからこそ、今、抜本的な改革が必要だと申し上げているのです」
宮本はすかさずiPadを取り出した。
「厚労省の公開データを見ますと、現在の国民年金納付率73.1%ですね。さらに各年の推移を見ると...」
宮本の指がiPadの画面を滑る。事前に用意していた厚労省の統計データを開いている。
「過去5年間で、年平均1.5ポイントずつ低下しています。もしこのペースが加速して、年率3〜5ポイントの低下になれば...確かに制度の持続性は急速に悪化しますね」
会場の記者たちが、宮本が事前にデータを準備していたことに感心している。
「でも総理」
宮本は続けた。
「この計算には、最も重要な変数が抜けています」
「何でしょう」
「総理がこの会見で『数年で破綻の可能性』と発言されたこと自体が、明日からの納付率に影響するのではないですか?」
会場がざわついた。
「行動経済学では『予言の自己成就』と呼ばれる現象です。総理の発言が引き金となって、実際に制度崩壊が加速する可能性について、どうお考えですか?」
石原は静かに宮本を見つめた。その瞳には、予想外の落ち着きがあった。
「宮本さん」
石原の声は穏やかだった。
「貴殿のその質問自体が、国民の不安を煽る可能性については、どう考えられますか?」
宮本の首筋に、冷たい刃物が当てられたような感覚が走った。会見室の空気が急速に薄くなり、150人を超える記者たちの視線が一斉に自分に向けられるのを感じる。じっとりと背中に汗が噴き出し、シャツが肌に張り付いた。
──まずい。これは本当にまずい。
40年の政治経験を持つ老獪な獣が、若い獲物を罠に追い込んだ瞬間だった。
「メディアの皆様も、この問題を報じる際の責任について、お考えいただければと思います。センセーショナルな見出しが、それこそ『予言の自己成就』を引き起こす可能性もあるのではないでしょうか」
「それは...報道の自由に対する...」
宮本の声が震えた。
「いえいえ、報道規制など考えておりません。ただ、我々政治家と同様、メディアの皆様も国民に対する責任を負っているという、当然の事実を申し上げているだけです」
宮本は罠にかかったことを悟った。自分が突いた「自己成就予言」の論理が、そのままブーメランとして返ってきた。下手に反論すれば「無責任なメディア」のレッテルを貼られる。
会場の記者たちも、石原の切り返しの鋭さに息を呑んだ。40年の政治経験は伊達ではなかった。
「ただし」
石原は続けた。
「制度の持続可能性について、国民の皆様に正確な情報をお伝えすることは、政治の責任です。たとえそれが厳しい現実であっても」
石原は一呼吸置いて、慎重に付け加えた。
「なお、将来的に支給水準の改定が行われる場合におきましても、いわゆる払い損にならないような措置を講じることを検討してまいります。国民の皆様がこれまで納付された保険料に見合う給付を確保することは、制度への信頼を維持する上で不可欠であると認識しております」
──破綻は避けられない。問題は、いかに国民をその現実に軟着陸させるかだ。
石原の本心を、宮本は察した。この老政治家は、制度の延命ではなく、国民の心理的準備期間を稼いでいるのだ。「払い損にならない」という言葉も、実質的価値ではなく名目的な約束に過ぎないことを、経済記者の宮本は理解していた。
重い沈黙が会場を支配した。宮本は次の質問を諦め、そっと着席した。他の記者たちも、この緊迫したやり取りに圧倒されていた。
「次の質問をどうぞ」
塩田広報官が場の空気を変えようと声を上げた。
◇ 1-9 毎日新聞の検証(7時12分)
毎日新聞の斎藤健(1980年生まれ、47歳)が手を挙げた。データジャーナリズムを専門とする記者だ。
「毎日新聞の斎藤です。総理、数字について詳しくお聞きします。出生率を3.0以上にするというのは、戦後のベビーブーム期でも4.0程度。現実的に可能なのですか」
斎藤は手元のタブレットを見ながら質問した。
「1947年から49年の第一次ベビーブームで4.3。1973年でも2.14。それ以降は下降の一途です。どうやって3.0を実現するのですか」
石原は、データを求められて少し安堵の表情を見せた。感情論より、数字の話の方が答えやすい。
「確かに困難です。しかし、不可能ではありません」
石原は、手元の資料を開いた。
「イスラエルは先進国でありながら2.9を維持しています。彼らには『生存への危機感』があるからです」
「でも、イスラエルは特殊な...」
「特殊ではありません。日本も今、生存の危機にあるのです」




