⑨
「さっきの原稿の焦げ跡ですがね」
イブキはミシミシと音を立てる階段を昇りながら、オレ達の方を振り返らずに言った。
案内しようとする団長のハルを制し、イブキが自ら案内役を買って出てくれたのだ。
「あれはユキノがやったんですよ」
「……何があったんですか?」
「ユキノは、この劇団のオーナーの娘なんです。なので、僕たちは表立って彼女に文句を言える立場じゃないんです」
「ははあ。それはアレですねぇ」
「あちらは《カガチ》の家のお方ですし? 金持ちの道楽の一つとして、ウチの劇団に経済的な援助をしてくださってるわけですし? 芝居小屋の一部屋を、娘の住処として提供しろなんて言われても断れませんし?」
(ん?……娘の住処? 芝居小屋の屋根裏を?)
「なんというか……厄介な要求ですね」
(普通、こういうのは、主役の座を我が娘に! とかじゃないのか? よく知らないけど)
娘を屋根裏に住まわせろ、とは変な要求だ。
イブキは階段を上がりながら話を続ける。
「それで、ですね。ノジさんが行方不明になった後、エチゴ家の方が、こちらに原稿を届けてくださった事があったんです。ノジさんの部屋にあったのを見つけたとかで」
「ははあ……それはまたアレで」
(届けさせたのは夫人だろうか? そんな事をするタイプには見えなかったけど……)
「原稿を受け取ってから二日三日経った夜に、団長が目撃したんですよ。彼女——ユキノが屋根裏を抜け出して、原稿を燃やそうとしているところを……」
「……それはまたなんで?」
「知りませんよ。僕達は《カガチ》ではないですし? 大事な原稿を燃やそうとなんて思った事もないですし? 彼女とは……」
そこでイブキは、少し言い淀んでから、顔を背けた。
「特別な彼女とは、違いますし」
(……よくわからないな)
「会ったらわかりますよ。さあ、この扉の向こうが、彼女の家です」
そう言われて、オレ達は木製の扉の前に立った。
経済的に恵まれているはずの《カガチ》の娘ユキノ。
その彼女がなぜ、芝居小屋の屋根裏なんかで暮らしているのだろうか。
バショウ隊長は扉をノックして声をかけた。
「失礼いたします。あたくしは灰虎のバショウ。『王の鉤爪』第八部隊の隊長です。エチゴ家のご子息ノジ様について、貴見伺いたく馳せ参じた次第です」
「……どうぞ」
返事があり、オレ達は扉を開けた。
「僕はこちらで待ってますので」
イブキはそう言って部屋の中に入ろうとしない。
オレ達は構わず、屋根裏部屋へと足を踏み入れた。
「初めまして。私、ユキノって言います。ここの劇団のオーナーの娘です」
天井からぶら下がっている無数の電灯。
棚や引き出しからはみ出ている色とりどりの布。
大きな作業台と、足踏みミシン。
その前に立って、ぺこりと頭を下げる一人の女性。
彼女を前にして、オレは言葉を失った。
彼女は——大きかった。
何枚もの服を重ねて着ているのだ。
膨れたスカートは絹の上に二枚のレースが重ねられている。
あれだけ膨張しているのだから、その中にもスカートを膨らませるための肌着を着ているのだろう。
その上に、ヒダがたっぷりついたフリルシャツ。
刺繍の施されたベスト——そのボタンは今にも弾け飛びそうだ。
手にも手袋をはめていて、頭の上には何枚もの布を使った帽子をかぶっている。
(布の塊みたいだ——)
そんな彼女が、ユサユサと身体を揺らしながらオレ達の方へ歩み寄る。
オレは、遠慮も忘れて彼女をじっと見つめてしまった。
オレが言葉を失ったのは、その奇抜な格好のせいだけではない。
服から覗く、彼女の肌。
鎧のようにまとわれた布は、身体だけではなく、首や手足も覆い隠している。
けれど顔は——布の塊から覗くその顔は、電灯の明かりに染まっている。
露出した肌が照らされている。
十代後半か、二十代前半ぐらいの、人間に見える。
(人間……?)
彼女には、牙もなければ、爪もない。
そして何より、縞模様の毛が生えていない。
(いや、そんなわけはない)
《オオ虫ノ国》で、人間がいるわけがない。
と言う事はつまり——。
「びっくりなさったでしょう? 私、特別なんで」
ユキノはそう言って笑った。
「私、《牙無し》なんですよ」




