疑問召集
凛が最初に見た光景は、本当に何も無い、いつもと同じ閑静な過疎農業地帯であった。地面に鋭い亀裂が入ってるものの、その亀裂を作ったモノの姿は見られない。
「……また後で直すのかぁ……」
凛はそうぼやきつつ、捻挫してしまった左足首を庇いつつなるべく早足で、そこに居ると思われる男二人を探した。平坦な地平が続くここら一辺で、大男を探すのは訳も無いはずだ。立っていれば、の話だが。
畑の中ほどまできたものの、祥吾と遼太の姿が見えない。あの『異物』が住んでいる世界に、人間を拉致するようなことは決してしない、と心得ているが、全く無いというわけではない。今までそういうケースが無かっただけで、論理的には解明されていないのだ。
「……っ、どこだろ…………」
不安が募る中、凛は夜の冷たい空気が頬を引っ掻いてくるのを無視して、周囲に視線を配る。
「あっ、居た。おーい!こっち!」
そのとき、遠くから声が掛かった。遼太の声だ。
凛は表情を安堵一色に染めて、そちらを振り向く。そして、ギョっとした。
──遼太の肌蹴て露出した右腕が、黒一色に染まっている。もしや、ここに『あれ』が居ないのは、遼太の右腕の持つ力を全て吸収し、依存がなくなったのでもう帰ってしまったのではないか。そんな憶測が凛の脳内を行き交う。
「ちょと……その右腕どうしたの!?」
凛は左足首が悲鳴を上げるのにも構わず、全速力で遼太の下へ走っていった。
「み、右腕っ?」
凛はそんな遼太にも構わず、その右手をぎゅっと握り締めた。そこから伝わってきたのは、無機質で冷淡な金属独特の冷たさ──ではなく、普通の人間の手の温もりだった。
「え……あれ……ぇ?」
凛は呆然として、遼太の右腕を見下ろした。そこにあるのは、遠くから見たとおり、黒い手。
凛が見下ろした視線を上げて、遼太を見ると、遼太は困ったような顔をしていた。凛は知る余地もないが、幾分か照れが含まれている。凛のその秀麗な顔立ちは、可憐な部類に入ることは必須であるゆえんである。
「え……ぇ?え?ど、どうしたのこれ?」
凛は混乱を湛えた瞳で遼太を見て、訊ねた。
「え……、ど、どうしたって訊かれても……」
とはいえ、遼太も事情を全て知っているわけでもないので、当然のように返答に窮す。
そんな二人の間に立ち入ったのは、この場に居る異次元の<知的生命体>。
「友人が待機している。三十秒以内の到着を推奨する」
「え……?誰……?」
本人としては、気を利かせたつもりなのだろうが、凛の混乱を一層深めてしまったようだ。凛は警戒を表し、周囲に油断無く気を配り始めた。
「そ、そうだ、祥吾が待ってるんだ。早く行こう」
「えぇ、ちょっと……!」
遼太はもうこのままでは埒があかないと判断したか、慌てて凛の腕を取って駆け出した。凛は戸惑いながらも素直についてくる。
祥吾はそこから二十メートルほど離れた場所に位置する、納屋の壁にもたれていた。左手で脇腹を抑えており、その脇腹と左手は真っ赤に染まっている。
「た、竹中君大丈夫!?」
暗闇でも分かるその様態に、凛は驚愕の念を露にして祥吾に駆け寄る。そんな凛に祥吾は凛に苦笑いをしてみせた。
「あぁ……あの鎌がそういう性質なのか、傷はもう塞がってる。暫く休めばすぐ歩けるだろうさ」
「……良かった」
凛はそう呟くと、改めて遼太の方に向き直った。
「ねぇ、何が起こってたの?」
「起こってた……って……最初から……?」
遼太はちらりと祥吾の方を見た。祥吾は最初からだ、と言うように顎を振り上げる。
遼太は嘆息して、それから記憶を手繰るようにして、ついしがたここで起こったことを話し始めた。
「我が存ずる事は皆無。吐露は不可能」
遼太が家に帰って、何度問いただしてみても、義手はそれしか言わなかった。三十二回目に訊いてもまたこの回答だったので、この義手はたったさっき誕生したばかりなのだろう、と遼太は勝手に納得しておいた。知らないことを教えろといわれて答えられる者などこの世に存在してはいけないのだ。
こんな真夜中に帰ってきた従兄を、従妹の空は当然の如く訝ったが、部活の勧誘に引っ掛かって、仕方なく付き合っていたところ、気がついたらこんな時間になっていて、この右腕はそのときに怪我してしまったものだ、と誤魔化しておいた。微妙に都合の良いいいわけだったが、空は一応納得していた。
遼太に両親はいない。詳細は聞いていないが、恐らく事故だったのだろうと遼太は思っている。そういう因果から、遼太はこの叔父の家に従妹の空と住んでいるのだ。ちなみに、空の母は空が幼い頃に病気で亡くなっており、叔父は現在海外に単身赴任している。ヨーロッパの中枢辺りだったと思うが、遼太も詳細は知らない。
空は遼太と同い年の高校一年生。都合二人暮しとなっているが、その家事のほとんどを空が受け持っている。遼太が不器用ゆえんの宿命である。遼太がすることといったら、空曰く『死なない程度に生きる』とのこと。遼太は知らないが、遼太は空にとって生きがいらしい。どちらかというと、介護の練習のような感じなのだろうが。
遼太はベッドの上に転がった。無機質な天井が遼太を凝視している。
そして、右腕を掲げるようにして眺める。容貌はすっかり高性能な義手になってしまった。だが、慄くほど思い通りに動くし、きちんと神経が通っているのか感触や痛みなどもきちんと感知する。そして──人語を喋る。意思があるといった方が正しいか。
状況説明を終えた後、凛は後の始末はこっちでしておくから、先に帰っていて良い、と言った。あの後どんな処理を行ったか知らないが、あの壊れた校舎や亀裂の入った地面はどうなるのだろうか。
しかし困ったことになった、と遼太は脳に考えるべき議案を提出する。議題は無論、この義手のこと。別に使用に難が無ければ死ぬまで右腕がこれでも構わないのだが、そういうわけにもいかない。外見に難がある。まさか前日まで普通の腕で、次の日にいきなり義手になるなんてこと在り得ないだろう。訝る人間は必ず現れ、平穏を望む遼太を窮地へと追い込んでいくことだろう。まぁ、今日の出来事も十分に非日常ではあったが。
とりあえず、今考えるべきは、この義手をどう隠蔽するか。である。
「長袖の衣服及び手袋の着用を推奨」
と、そこでいきなりそんな声がかかる。この部屋には遼太しかいない、となれば、声の主はただ一人である。
遼太は驚いて半身を起こし、悠然と構える義手を見た。
「な、なんで僕の考えてくることが分かったんだよ……」
「我と主は神経回路で接続されているゆえん。思考感情疑問を共有することが可能」
「──の割には、お前の考えてる事が僕にはわかんないんだけど」
「我にその様な高性能な器官は存在しないゆえん、情報の伝達は常に一方通行と化す」
「……そうかい」
遼太にとってこの義手が持つ戦闘能力の方が高等だと思われるが、義手にとっては人間の脳の方が高等の器官らしい。確かにこの義手は人間の脳に何らかの媒体を介して憑代としているようなので、頷けないことも無い。
「しかるに、我の存在を極端に隠蔽する必要は皆無。自由に晒して良しとす」
「ん……あっそう……ならそんな深く考えなくてもいいか」
遼太はそう嘆息して、ベッドに再び倒れ込んだ。義手に体を乗っ取られて、大分消耗したらしい、このまま瞼を閉じればすぐに眠りにつけそうである。
「スタンバイ」
そんな無機質な声がどこからか聞こえた瞬間、遼太の意識は遠のいた。
「あれ……」
遼太は自分が通っている高校の校舎を呆然となって見上げた。そこにはきちんといつも通りの校舎が佇んでいる。確か昨日あの『変な奴』に壊されたはずじゃぁ──
「我の存在を享受した以上、その程度の非常識は通らない」
袖と手袋によって完全に隠された義手が、そんな遼太の心境を読んだか、気休めにもならない解釈を入れる。それを聞いて遼太は怪訝な顔を一瞬したが、それもそうかと頷き、校舎に入っていった。
「おい、佐貫。今日こそ寄ってけよ」
放課後。わらわらと生徒が各々の目的地へ向かうべく散っていく最中、遼太は廊下でそんな風に声を掛けられた。その声の方を向くと、乗馬部の安藤が見飽きたニヤケ面を浮かべていた。遼太はそれをみて、内心で落胆の息をつく。マずったな……。
「どこに?」
時間稼ぎにもならない愚問と痛感しつつ、遼太はできる限り真っ直ぐに安藤を見据えて言った。警戒の色を見せたのにも関わらず、安藤は相変わらずのニヤケ面を微塵にも変化させずに二の句を接ぐ。
「決まってるだろっ、乗馬部だよ」
遼太は溜息をついた。恐らくこの言葉を聞いたのは十回目ほどだろうか。
安藤はセリフから分かるとおり乗馬部の部員である。が、その乗馬部は去年できたばかりの新設部。しかも、現在にいたっても馬が一頭も居ないという、名前負け極まりない部活なのである。
そんな部活誰も入りたがるわけが無い。というわけで、今年の新入部員も安藤だけらしい。随分の変わり者である。
しかも、この安藤という奴は曲者であり、部活に入っていない生徒を言葉巧み(と本人は自負している)に勧誘し、無理に仮入部させているのだ。しかも、そのまま口車に乗せられて、入ってしまった生徒もいると聞いた。
そして、遼太はきっぱりと断れるタイプではないのは、外見からしても確定事項である。しかも部活に入っていない。正に格好のカモである。
「えとさ……僕興味ないから……」
「なぁに言ってるんだよ。お前が競馬好きなのは分かってるんだよ。お前の大好きなショウゾンに毎日会えるんだぞ?」
遼太は決して競馬が好きではないし、ショウゾンとかいう馬だか寄生体だかなんだか知らない生物と毎日会いたいとは思わないし、そもそもそんなもの知らない。
「で、でも、本当に、無理だから……」
「大丈夫大丈夫、上手く乗れなくても。むしろ乗れた方がおかしいだろ? うちは初心者大歓迎なのさ」
安藤の推しはあくまで強固である。ぐいぐいと理不尽不条理根拠が無いことをずっこんばっこんと言ってくる。
「なぁ、頼むよ。お前と俺の仲だろう?」
最終的には懇願の体勢に入る。
──目に涙を浮かばせるという、渾身の演技。遼太はマジ泣きだと思い込んでしまう。そして、渋々了承をしようと、その口を開きかけた、その時。
肩を叩かれた。遼太は開きかけた口をさっと閉じ、天の助けといわんばかりに振り向いた。
「あれ、お取り込み中だった?」
北馬凛だった。この学校の制服に、昨日と同じ黒いコートを前を留めずに上から着込んでいる。ただ、昨日とは違い、髪型はポニーテールになっているが。
「な、何か用……?」
安藤の方に掌を突き出し、『ちょっと待ってくれ』と牽制し、そちらのほうに視線を向ける。
「ん、いや、あの暇じゃなければ後でで良いんだけど……」
「んぇ?」
無論、暇だ。帰ったってすることはない。英語か何かの予習復習か何かをやって、居間でぽけぇっとテレビを見て、定刻になったら寝るという、単調で暇な生活を送っている遼太である。それが示唆するように、趣味らしき趣味も興味のある事柄も皆無に等しかったため、高校に入ってもなお帰宅部という、入部が義務付けられている=授業が終わったら即帰還という立場にならざるを得なかったわけである。
さて、遼太はその暇という性質ゆえん、双方から挟まれることとなった。一瞬にして一時的な多忙状態になってしまった。
遼太はちらりと安藤を見た。無益な玩具を高値で買うように媚びるインチキセールスマンの様な二ヤケ面である。そして、再び凛に視線を戻すと、安藤を1とすると、35くらいの比較的真面目な顔をしていた。
遼太の判断は一瞬。
「あ、安藤、悪い、それはまた後でにしてくれないか?用があったんだ」
途端に、安藤は仏頂面になった。それは藻で滑って大物を取り逃した釣り人の様なものであった。
「んで……何?」
安藤がすたこらと行ってしまったのを見届けてから、凛に視線を戻した。
「え、べ、別に用があるなら強制ってわけじゃないから別にいいんだけど……」
少しばかりムキになったような口調になる。
「いや、それはあいつを引き離すための言い訳だったから、特に用はないよ」
「え……あ、うん。ごめんね」
凛はそれを聞いて、少し視線を逸らしてそう答えた。
「そんで……何?」
「うん。ちょっと話というか、お知らせというか、……とにかくついてきて」
それらしき言葉を羅列し、やがて言葉に詰まると、凛はぐいと遼太の右腕をとって、走り出した。必然的に、遼太もそれを追う、というか連れて行かれるような形になる。
階段をいくつか下り、昇降口に至りそのまま靴を履きかえて外に飛び出すと、校門とは正反対の方向へ駆け出し、校庭を突っ切ると(ここでもあの亀裂は見当たらない)、第二校舎の裏側へ辿り付いた。
そこには、木造の校舎があった。壁には蔦が壁の色が見えないほど這っており、入り口と思しきスライド式の扉についている窓は見事に四散している。割れているのはそこだけではなく、普通の教室の窓も砕け散っていた。
そう、そこは立ち入り禁止になっている旧校舎である。
「元々小学校だったんだって。それが廃校になったとき、ここの高校が買い取って、そのままその校舎は残してあるんだって」
凛は立て付けの悪い引き戸をガコガコ言わせながら開くと、遼太に入るように促した。
電気は通っているらしく、ほのかに光る蛍光灯によって、昇降口は転ばない程度に明るくなっていた。
「土足でいいよ。どうせわたし達しか来ないし」
わたし『達』というのが気になったが、遼太は助けてもらった恩に殉じて気にしないことにした。
ギィギィなる階段を上っていくと、染みで純黄色になってしまった壁が見えてくる。そして、何ともいえない匂いもしてくる。
遼太は戸惑いながらも、凛のあとをついていく。──このままここで自殺に見せかけて殺され様としても、きっとこの義手が助けてくれる、と信じて。
「愚案」
そして、突っ込まれる。その『救世主』の義手に。遼太は無理に苦笑いをした。
やがて、凛は一つの扉の前で止まった。その扉には、「中世武器研究会」と書かれている。
「ここね。覚えてね」
「え?」
どうして、と遼太が問う前に凛はさっさと扉を開けて、中に入っていってしまった。遼太も慌ててそのあとを追う。
──そこには、いつかみた光景が。
「──あれ?ここって……」
遼太は凛を見る。
「君の家……?」




