信頼の駆け引き
遼太が校庭に出て行ってからすぐに目を覚ました凛は、佐慧からそのことを聞くとすぐに玄関まで向かうと、冷風の吹きつける校庭へと身を呈した。
身体が重く感じるのは、先ほどまでの、身体強化に慣れてしまったからだろう。
遼太は丁度校舎に背を向けるようにして、校庭の真中付近に佇んでいる。全く身動きをしていないので、亡骸があった場所で義手との日々を色々と回想をしているのだろうか、と凛は思いその背中に向かって走っていく。
例の物質に憑いていた精神体は、契約目的が達成されたため、宇宙外へと旅立っていた。物質は重水素となって、核融合し霧消している。
ただ、決着がついた今、武器は既に実用価値を失っており、長い間共に闘ってきた相棒との別れも意識を失っている間に済んだ。夢だったのかもしれないが。
凛は遠慮がちに遼太の背中へと近づいていく。ざくざくと、靴裏が地面を踏む音が大きく聞こえる。
──ふと、凛はその後姿に違和を感じた。
戦闘は済み、敵も蒸散した筈なのに、遼太の右腕が剣になっている。凛の刀よりも劣るものの、それが日本刀並の威力を誇ることも知っている。
遼太は、そこまで好戦的な性格ではないから、戦いが済んだらすぐにでも武器は鞘に収めるだろう。
凛は足を止めた。何か嫌な予感がする。
ただ、何も無いことを祈って遼太の背中を凝視するのみ。
──これは信頼しているからの行動なのか、それとも、彼に対して卑屈な疑懼を抱いてからの行動なのか。互いを信頼しろ、と言い出したのは自分からだ。ここで、妙な疑惑によって、彼を貶めるのは、人間として最低だ。
だが、決断できずに、その場に立ち尽くしていると、ふいに遼太が行動にでた。
不気味な音をたてて、右腕の剣が延び、そのまま切先が地面に刺さる。軽快な音と共に、砂がいくらか舞った。
そして、左肩から横顔を覗かせると、右腕の剣を地面から引き抜く様に身体を回転させて、真正面から凛に向き直った。
凛は、そのあまりに緩慢で不思議な光景に見とれていたが──その遼太の顔を見て、愕然とする。
まず、目が塗り潰したかの様に赤かった。今までの瞳が赤いのとはまた違う、目全体が禍々しい赤い眼光を放っている──、
そして、酔狂に満ちた悪魔の表情。
人間も此処まで醜いまでの表情を出来るのだろうか。
凛は慄然とし、足を一歩退かせた。
その変貌の様は、直視できないほどのものであった。普段の温厚な彼の顔と照らし合わせると──。
遼太は剣の刃を空に向けて立てた。その何気ない動作でも、空気が裂かれてヒュッと音が鳴る。
そして、その口の端に酷薄な笑みを浮かべ、口を開いた。
「……良いもの見つけちゃった♪」
悪寒が背筋を粟立たせて駆け抜けていく。
それと同時に、遼太が右腕を構えたままこちらに向かった走り出してきた。
咄嗟に身動きが取れない凛に、遼太は容赦なくその右腕の細身の剣を叩きつけるように振り下ろす。
それでも凛は危機感を踏み台にして脚を奮い立たせると、地面を弾いて後退し、その一閃を躱した。凛の目の前を通過したそれは、前髪一本縦に裂いて空を斬る。風圧が頬を撫でる。
それを予期していたように、遼太は剣を振り上げて再び斬りつけてくる。
凛は片脚を軸にして回転しながら、その一撃を回避し、遼太の横に回る。だが、すぐに剣は目標を模索するように横に薙がれて凛にその猛威を見せつけてくる。
凛はしゃがんでそれを躱し、剣が頭上を通過する寸前に足裏を突っ撥ねて遼太に接近、反応を取られる前に脚払いをかます。
見事に決まって遼太の片脚が浮き、一気にノーマークになった。
その隙を衝いて、凛は一気に後退し距離を取る。武器を持っていない上、相手の武器は絶対に手から零れないのだから、近づくのは不利が累積することでしかない。
靴裏を踏みしめてブレーキをかけると、よろよろと立ち上がる遼太の姿を見据える。
ここまで反応できるのも、日々の活動の賜物である。近距離攻撃を主体とする役割なのだから、回避ができなくてはどうにもならない。数々の修羅場を乗り越えてきただけ、本能に叩き込まれているらしい。
そして、遼太だが──襲い掛かってくる寸前の一言から察するに、何かに取り憑かれている。その何か、とは言うまでも無いだろうが、その身体能力は常人……遼太のそれと同じようだ。即ち、素人の攻撃と反応だ。
だが、あくまで身体は身体だ。例え武器があっても、遼太を傷つけることなど出来ないだろう。いかにして、中の精神を取り除くのだろうか。
──どう思考を巡らせても、一つの結論にしかたどり着かない。
肉体の破壊。
歯を噛み締めた。軋んだ振動が脳に伝わってくる。
凛が自分の不甲斐なさに、苛立ちを覚えたその時、背後で金属が落ちる甲高い音がした。振り向くと、校舎の近くに木製の筒がそこに落ちて転がっている。
遼太を警戒しつつその筒の方に移動し、校舎を見上げると、穿たれて穴の空いた二階の壁から佐慧が顔を覗かせていた。
遠くからだから、ハッキリこそしなかったものの、その顔には何かの決意が張り付いていた。
──もしかして、彼女はこのことを知っていたのか……?
そんな野暮ったい考えを思考の淵まで追いやり、凛は素早く側転するようにその筒を取ると、手に取った。
そして、握り締めて解った。これが何なのか。
佐慧が撃って空になったロケットランチャーの発射器だ。緩やかな凹凸があって握りづらいが、普通の鈍器として通用しそうな重みがある。一見木製に見えるが、それは一部だけ、しかも覆っているだけで、中身は相当の重みのある金属だ。
片方の先がラッパ状になっているので、そちらを遼太の方に向けて、発射口の付近を握り締めた。
棒状の武器を扱うのは初めてだが──やるしかあるまい。佐慧が、部長がくれた最後のチャンスだ。
すぐに駆け出して遼太に接近する。
ある程度近づくと、遼太は右腕を振るって牽制してきた。凛は軽く上体を反らして躱すと、すぐさま棒を突き出し、更に牽制し返す。
そして、そのまま勢いに乗るように一歩踏み出すと、棒を握りなおす。
その直後、剣が薙がれた。予想通りに。
筒を翳してそれを防ぐと思い切り弾いて、横にステップを踏み、棒を振る。
金属音が鳴り響く。だが、凛は躊躇せずにこちらから剣を弾き飛ばすと、間髪入れずにもう一発、思い切り叩きつける。
腕でいう、上腕に鈍器が炸裂した。
遼太が大きく身動ぎする。
凛はその隙をついて、一気に近寄ると脚を振り上げて遼太の頭を蹴りつけた。
鈍い衝撃が脚に降りかかる。凛はそのまま遼太を蹴り上げると、その回転力に乗じてもう一回転。棒を遠心力に乗せるようにして薙ぐと、そのまま遼太の横っ腹に叩きつけた。
あまり聞きたくない類の音がして、遼太の体が宙に舞った。そのまま、弧を描くようにして校庭に叩きつけられる。
凛はすぐさま追いつくと、倒れて咳き込む遼太の身体を蹴って転がし、仰向けにして、左足で剣を踏みつけるようにして行動を取れないようにすると、馬乗りになるようにして、その胸倉を思い切り握り締めた。
──そして、その一気に形成を逆転された典型的な者の顔を見て、凛は初めて清々とした。
「あんた……コロコロ態度が変わるのね」
悪魔の取り憑いた遼太の顔は、弱者を俯瞰する禍々しい表情とは打って変わり、恐怖に打ちひしがれ救済を必死に請う哀れな敗者の表情となっていた。
だが、未だその威勢の良さは払底されていないようで、無理に口元を吊り上げて見せている。
「わ、分かってるの? 僕をこのまま殺せば、この身体の主もそのまま逝っちゃうんだよ?」
「んなの分かってる。だから、こうして追い詰めただけにしてあげたんじゃない」
左足ががくがくと暴れる。未だ抵抗を続けるか。
凛はそのままの体勢で振り向くと、手に持った発射器を遼太の腰へと叩きつける。
グシャッ、と音を立てて骨がひしゃげた。遼太が悲鳴を漏らす。
その様子を見て、凛はふと思いあたって呟く。
「……やっぱり、少佐辺りの力が影響してたのかな。コートが全く役に立ってない」
そうなると、一撃でも喰らえばそのまま致命傷だったのか、と凛は今更ながら戦慄するものの、今の状況の重要さで被せて考えないようにする。
凛は、抑える左足の所為で、少しばかり体勢が無茶になってしまうが、遼太の胸倉を手繰り寄せると、顔を思い切り近づけて、諭すように訊ねた。
「どうやったら、あんたは出て行くわけ?」
「……そんなの僕が言うわけ無いじゃない」
それもそうだが、どこか屁理屈じみていて、気に入らない。
とはいっても、このまま同じ質問を繰り返していても、埒があかない。何か、打開策は無いか──。
とりあえず、棒を近くに転がしておいて、遼太の右頬を一回殴りつける。そうしておかないと、何故か気がすまない。
そして、よくこういう類の物語でありがちな、それを試してみようという、結論に思い当たる。
苦痛に目を白黒させる遼太の胸倉を再び掴んで引き寄せると、思い切り、鼓膜が破れても構わないという心意気と共に叫んだ。
「遼太ぁあぁあぁぁぁッ! 気づけぇぇえぇぇッ!」
体内に石油をばら撒かれたような不快感が蔓延したかと思ったら、その不快感が神経系を動かし始めた。そこまでは理解できたし、記憶にも残っている。
だがそこから完全に身体を乗っ取られたらしく、意識がなくなっていた。
だが、とある拍子にその意識が目覚めたのだ。橋か崖かの端を歩いている夢を見ていて、唐突に足元が崩れて落ちた瞬間、夢から覚めると似たような感覚で。
そして、目覚めた一瞬後、その拍子がとある人物の声だということも理解した。
凛が、叫んでいる。すぐ目の前で。
それと同時に、体内で一つの意識が暴れていることにも気付く。いつのまに取り憑いた、悪魔の精神だ。
「ぐぁああああぁあああ! 莫迦なぁあああああああああ! 嘘だぁあああああぁぁあ!」
脳が張り裂けそうになるほど、うるさくやかましい悲鳴。
遼太はその壇上から地の底まで落とされたのを、悔やみ恨んで、他に責任を押し付けている子供の様な意識をさっさと消し去りたかったが、生憎と身体が全くをもって動かない。
悪態をつきたくなるものの、そこを抑えてどうにか処置できないか模索してみるものの、縛られた意識ではほとんどのことがままならない。精々、今起きている事象を認識する程度である。
その事象というのも──、凛がひたすら外から怒号を散らしているのだ。
そのほとんどが、遼太自身を励ますような言葉。
負けるな、挫けるな、気付け、ぶっ飛ばせ、打ち勝て、起きろ、飛び出せ──。
そんな貧弱な語彙から引っ張り出したような言葉を、漠然と聞いていると、ふいにこの身体に封じられたもう一つの精神体が話し掛けてきた。
『主──あいつのお陰で、大分奴の精神が揺らいで来ている。そこで、チャンスだ。──この狼藉者の否定する、人間の信頼を見せ付けてやるんだ。俺が、この身体から退くときに、こいつも一緒に連れ出してやる。──だから敢えて遠まわしに教えてやるんだ。信頼を見せつけるために……』
『…………あぁ』
039の言葉に、遼太は言葉で頷く。
なんとなく、この口調からでも分かる。
恐らく機会は一回だけ。039の精神がこの身体から離脱するとき。その時に、この騒いでいる精神を一緒に連れ出す。
その時には、精神的に叩きのめしていた方が、遥かにやりやすい。ぼろぼろになった精神ならば、容易く宇宙外に連れ出せる──。
右腕の利己的な言葉にも思えるが、利害は一致している。失敗すれば、意識は悪魔に占有されて、どうなるか分かったものではないのだ。そうなると、一番困るのは遼太。
これは、遼太のための助言。
『…………俺は奴の意識に直接話し掛ける。そこを衝いて、声帯部を乗っ取るんだ。そうしたら、さっさと言いたいことを叫べ。ストレートは避けろ、できるだけ遠まわしに言うんだ。この娘が分かる程度にな』
たった四日で培って来た信頼など、たかが知れている。
だが、命の危機を互いに乗り越えなければ、得られえない信頼も存在する。
『分かった、やってくれ』
遼太の決意は固かった。
凛は揺さぶる手を止め、叫ぶ口を噤んだ。
遼太の様子がおかしくなってきたのだ。
「……あぁ…………ぐぁ……」
真っ赤な目の眩さが失われ、カラーコンタクトをはめただけの様になってしまった眼を剥いて、口を半開きにして痙攣を始めたのだ。
凛はそのおぞましさに慄くものの、気力だけで胸倉を離さない。力強く握り締めて、発作を起こす──闘っている戦友の様子を見守る。
「ぁああああ…………!」
首を揺らして、涎や鼻水を撒き散らしながら、遼太の中枢を牛耳っている存在が暴れている。
左足が痺れて、胸倉を掴んでいる腕の感覚も危うくなってくる。だが、離さない。全てが終わるまで、離して堪るものか。
その光景が暫く続き、──その発作が途絶えた。
それと同時に、赤かった目に普段の輝きが戻り、胸倉を掴む凛の手に片手が添えられる。
見間違いではない──、遼太が身体を取り戻した。
その冷たい手の温かさに、凛は感涙して遼太の名を叫ぼうとした──が。
「お、終わるときは……いつも、一緒……だ……」
その口から漏れたか細い声に、凛は動けなくなる。
やがて、そのまま左手は地面に吸い込まれるように落ち、目は瞼の裏に隠れて動かなくなった。空気が凍ったような気がした。
凛は、その言葉の真意を探りつつ、その眠る遼太の顔を凝視していた。
が、その瞼が開いたとき、その目は再び真っ赤に染められていた。
「ざ、ざまぁ見ろ……もう、僕をどうすることも……できない……」
もうその声にも、身体にも生気が感じられない。もう分かりきっているのだ。凛が何も出来ないことを。手を出せず、このまま馬乗りになっているしかない、と。
だが、凛は足掻き続ける。
意味の無い遺言の様な言葉など、遼太が残す筈など無い。ここまで来て、そんな言葉を吐くような少年ではない。
それなら、何が言いたかったのだ?
凛は必死に考える。
終わるとき……一体何が? 人が? 時間が? 世界が?
分からない──、でも遼太は自分に託した。何かを察してくれると、その言葉を託した。
察しないといけない。期待に……信頼に応えてあげなければならない。
自分は彼にとって何なんだ? ただの、部活仲間?
いや、昨日は多難な修羅場を乗り越えた。本当に危ないところを乗り越えた。
一緒に──乗り越えた。
………………そして?
「……そして──」
先ほどの部長からの手紙の内容が反芻された。特に、自分には関係ないと思っていたその内容だったが。
凛は……遼太にとって、重要な、いつも一緒に居るべき……。
「分かったよ」
凛は胸倉を握っていた手を解いて、そう言った。遼太はその言葉に、ポカンとした表情を凛に向けているだけで、抵抗こそしてこない。
「分かった…………解ったよ……」
何度も呟き、その真摯な視線を遼太の赤い目にぶつける。
その視線の根元からは、熱い液体が零れ落ちていく。
彼は信じてくれていた。自分が、あの言葉からこの結論にたどり着く、と。自分なら──私なら──。
それは感激の涙、それと、彼の身体の事情を軽視していたことへの懺悔の涙。
「……ごめんね…………ごめん……」
その涙に乗せて、自分の言いたいことを、静かに言った。
「二人で……ううん、皆で帰ろ……」
その言葉が、遼太の耳に入った瞬間、遼太の目が限界まで開かれた。
「……そ、そんな……」
そう呟くと同時に、その目が閉じられた。
再びゆっくりと開かれた時、その目は純粋な瞳を携えた、本来の遼太のそれに戻っていた。
そして、力なく笑ってみせる。
「……流石、主が信頼していただけあったぜ。その涙、大切にとっておけよ」
そう言って、左手の親指を突きつけてみせた。
そのあまりに遼太に不似合いな仕草に、凛は噴出しそうになるが、なんとか堪えて頬を伝う液体を拭う。どうしてだか、涙が止まらない。大したことじゃないのに。
その言葉を最後に、遼太の表情は徐々に綺麗になっていき、──意識が途絶えた。
エピローグに続く。




