漆黒の巡回
眞夏高校は、涼属高校と比肩するのには大きすぎる、超名門校である。
その敷地は下手すれば小さな村の半分にも及ぶほどのものであり、校舎は中高会わせて十五もの数があり、部活動にそれぞれに適した環境があるのは勿論のこと、文化部に関しては一つの部活に関しては大きいもので一つの校舎を丸々占領してしまうものもある。吹奏楽部は全国クラスである。
無論、共通のグラウンドも涼属高校にひけを取らないほどの広さがあり、中央に立つと複雑に入り組んで細かな装飾が目立つ校舎が小さく見える。
遼太はその校舎を遠目で眺めて、白い息を吐いた。緩やかな風に靡いた息は仄かに上昇すると、そのまま空に消えていく。
現在時刻午前二時。この時間帯になると、傍を車が通るのも稀である。
あの部長、どんな伝で知ったのか、眞夏高校の警備員のシステムを完全に把握していた。そして、警備員及び用務員の完璧な不在が確認できる時間帯が、午前二時から三時までの一時間と限定したらしい。
調査の結果、<レッド>と遭遇したとしたら、何が何でも一時間のうちに殲滅させなければいけない。それが例え多数の個体だったとしても、強大なものであったとしても。
そんな風に遼太が戦慄に浸っているその足元では、凛がナイフを砥いでいた。金属の悲鳴のような、甲高い音が直接鼓膜を突付いてくる。
「──竹中君、大分良くなったみたいだから、今日来れたら来るって」
「う、うん……」
凛がつむじを遼太に向けたままそう言ってきた。遼太はとりあえず頷いておく。
──あの時の、この義手によるヒーリングでは、傷の大半が修復されたが、それでもまだまだ多く傷は残っていた。それが一晩で治るとは、やはり彼もなにか逸した存在なのだろうか……。
「でも、実質的な退院はまだだから、来れないかもね……その時は、やっぱり二人でやるしかないよ」
砥ぎ終わったのか、かたかたと用具を片付け立ち上がりつつ凛が言った。その言葉を聞いて、遼太は漆黒に塞がれた青空を仰いだ。暗い。
部長と佐慧は、受付である涼属高校に配置していた。佐慧の縛り効果は涼属高校でしか効果を顕さない上、有機物へ直接的に影響させることは不可能だということで、部長と共に元来どおりの役割を買って出たのだ。
というわけで、今この場に居るのは凛と遼太のみ。
凛は腕時計を確認して遼太を見た。
「それじゃあ、さっさと始めようか。異常がないなら、それはそれで良いし……」
「うん」
遼太も素直に頷く。
部長の話によれば、<レッド>が狙うのは、宇宙内部での自分たちの存在を脅かす天敵、在らぬ存在である『中世武器研究会』のメンバーだけなんだとか。遵って、遼太達が徘徊をしていれば、相手の方から飛び出してくるのは必然なのである。
自分たちの身を餌にする、嫌な狩りだな、と遼太は肩を落としつつ、凛の背中を追う。
眞夏高校の校舎の配置は、職員室校長室等といった中枢的な役割の教室が集中した『管理棟』を中心として、すべての校舎に空中廊下が通っている。位置的に近い位置にある校舎同士も、空中廊下が通っている場合もあるので、そこを上手く通っていけば、効率よく散策ができるわけなのだが。
凛は校舎に向かっていく遼太を見て、慌てて声を挙げて遼太の足を止めさせた。
「基本的に<レッド>は人間の近くに居るのを好まないからね。屋外に居るって前提で散策しても良い、って部長様が言ってた」
そして、あたかも言い訳するかのように、そう言った。
遼太は内容的には頷きつつも、少し不快な突起が残るのを感じ、問いかける。
「部長様って語呂悪くない?」
「…………だって、そう呼べって」
「──そ、そう」
急にしんなりとなった凛を見て、遼太は触れてはいけない過去なんだと思い、追求を思いとどまった。なんとも、あの部長には不可解な点が多い。
空気を濁してしまったことに反省して、遼太は少し頭を垂れた。
「じゃ、じゃぁいこうか……」
「う、うん」
二人で頷きあって、一先ず共通グラウンドを一周すると、隣のグラウンドへと移動する。
高校第一棟と管理棟を結ぶ空中廊下の下をくぐり、野球グラウンドとバスケットコートが密接した第二グラウンドへと向かう。
深夜の暗く侘しいグラウンドを、二人並んで歩く。寒い空気が足元を駆け抜け、乾いた空気が口の中に潜り込み目を乾燥させる。
そんな冬の夜中に発生するそんな弊害に対し、遼太はコートの襟を立てて、のろのろと歩いている。凛はその隣を押し黙ってまた歩いている。
そんな状態に遼太はだんだんと焦燥を覚えてきた。
「あのさ……その、『そいつ』が出てくるときってさ、どうやって出てくるの?」
それがどうしようも無く不安だったのだ。昨晩のように、地面から出てくるわけでもあるまいだろうし、まさか空から滑空してくるのだろうか。もし、既に潜伏しているのであれば、最初<レッド>を目撃したように、あからさまな異空間から登場することも無いだろう。
そんな意味の無い想像の輪が循環するごとに、焦燥が塵のように積もっていき、落着かなくなる。一応、遼太はネガティブな思考に卓越しているのだ。連想が始まると、終わるまで終わらない。
「さぁ……? こういうの初めてだから……」
と、返す凛も自信が無さそうで、更に遼太の杞憂の濃度が上がっていく。
「──下手したら、不意討ちしてくるかもね……」
凛としては、折角発生した話の種を消沈させたくなかったのか、蛇足とも言える言葉を接いで来る。
「へ、へぇ……」
「でも、そんな小さいのは見たこと無いから、出て来れば音で分かると思う」
存在が大きく異質であるがゆえん、移動をするとそのような轟音が発生する。確かに、それは鼓膜がはじけそうな程に大きなもので、死ぬ寸前まで気づかないということは無いだろう。
「そうかなぁ……」
「大丈夫だよ、多分。これもあるし」
それでもまだ憂慮が消えないらしい遼太に、凛はポケットを叩いた。ナイフが入っている方のポケットである。
遼太はそれを見て、右腕を見下ろす。
まだ『発動』をしていないのに、あれから一言も喋っていない。今の遼太の心情はわかりきっているだろうに。心配ないと示唆しているのか、それとも無頓着なのか。
それでも、今まで何回かあったように、いざとなったら守ってくれるだろう。空に対する言い訳にしろ、至近距離での拳銃による発砲を躱したことにしろ、どちらも遼太だけでは到底今に及ばないだけの効果を齎している。
遼太はこの右腕を信頼してやることにした。もしも、そのまま逝ってしまったとしたら、それは運が悪かったのだ。誰を恨むでもない。
そう考えると、気が楽になってきた。多少、下方面へと向かっていた視線も真っ直ぐと前を進むようになり、足取りも僅かに速くなる。
やがてその一帯を歩き終えたが、結局それらしきものは現れなかった。
「──それじゃ、次行こ」
午前二時九分。凛は腕時計を確認して、遼太を急かす。実際のところ、三時には警備員が詰め所に入っているので、五十五分あたりには退散しなければならないのだ。
足元から弄るような風が舞い込み、遼太は竦みあがりながらも凛の後をせっせと付いていく。
サッカーグラウンドとハンドボールのコートが合併した場所まで来ると、同じくして外周を大きくぐるりと回って戻ってくる。またしても現れない。
「このままでてこないと良いんだけどな……」
と、遼太が次のソフトボールのグラウンドに向かう最中、『中枢管理棟』と『管理棟』を結ぶ空中廊下の腹を見上げながら呟いた。中枢という修飾詞がついてどうなるのか、と突っ込みたいところだが、その中枢管理棟と称された校舎の壁には、赤い三角に「!」が埋め込まれたマークが大きく描かれており、それを見るとなんとなくその重要性を理解できた。
「出てこないと思うよ」
凛は凛でそっけなく言い返した。
「なんで?」
「少佐がこっちに来なかったから。出てくる確信があるなら、少佐をこっちに置いて、縛りつけなきゃ駄目でしょ?」
「……へぇ」
それならば、出現率が圧倒的に高い涼属高校に居させておいて、縛り付けて置いた方がいい、ということか。
やがて見えてきたソフトボールのグラウンドを一周すると、また空中廊下をくぐり隣の競技場へと移動する。
真空に居るのではないかと思えるほど静かで、そこに何かが隠れている気配など全くしない。──宇宙云々の存在を知らなければ、今ごろは普通の夜と享受して深い眠りについていただろう。
ごく当然の一夜として。
午前二時四十九分。半時間ともう半々時間を掛け、ようやく一周してきた。
異常は無し。視覚では勿論、腕による第六感を通しての反応も無かった。
結論で言ってしまえば、部長の言って来た「異常現象」は、人間の手が加えられたもの──端的に言えば、杞憂に過ぎなかったのである。
閉まった校門前で、遼太は凛と二人立っていた。ミーティングの様なものである。
「良かった。居なくて」
凛は管理棟を眺めながら言った。
遼太はその清々しげな横顔をまじまじと見つめて、訊いた。
「こういう任務もたまにあるの?」
「私は初めてだから……って言わなかったっけ?」
「あ、あぁうん……言った」
「んー……それでも、これで任務完了で良いんだよね? 居なかったし」
「いいと思う……」
一応、万が一の時は佐慧から凛に携帯を通じて連絡が入るのだが、それも無い。異常が無いのであれば、もう帰宅しても差し支えないのだろう。
「今日は解散ね。竹中君は来なかったけど……大丈夫だよね?」
「──さぁ?」
「まぁいっか。そこまで狭量じゃなだろうしね。じゃあ、帰ろっか」
凛はそう言って遼太に背中を向けると、校門を開き始めた。車輪の摩擦音が耳障りに周囲に浸透して、空間が開いていく。
遼太も手伝おうと脚を伸ばした瞬間に、今まで寡黙だった義手が唸った。
「発生した」
脚が止まった。
──その短い言葉だけで分かる。今まで探していた存在が大気に露見されたのだ。
遼太は顔を引き締め、凛にその旨を伝えようとした。だが、開いた口が途中から動かなくなってしまった。
「彼女の同伴は認可できない。相性が最悪である所以、危険が及ぶ可能性が非常に高い」
危険。
その言葉に遼太は戦慄する。
今までこの義手が言っていたことが、的外れだったことは一度も無い。憑依された期間が短いとはいえ、ここまで誠実な態度を見せられたらそう信じぜざるをえない。
相性が最悪、というのは、相手が遠距離にも対応する攻撃方法を持っているか、それとも結界の様なものを持っているのか──いずれにしろ、義手がこういうのだから、素直に従うのが賢明だろう。
遼太はそう決心し、疑問符を浮かべつつこちらを見る凛に向かって叫んだ。
「ごめん! 落し物してきたから、さき帰ってて!」
「え? ……一人で大丈夫?」
「大丈夫、だから先帰ってて。結構かかるかも知れないから……」
「そう? それじゃあ……、見つからないようにね」
「う、うん、それじゃ」
凛は思いのほかすんなりと納得して、門をすり抜けて夜道を駆け抜けていった。眞夏高校の敷地内、遼太は一人残される。
完全に姿が見えなくなったのを確認すると、遼太は義手を見た。
「何処?」
「共通グラウンド。規模は破壊者」
義手の機械音声を聞き流しながら、遼太は共通グラウンドへと走る。位置的上の都合で、高校第一棟を大きく迂回していくことになるため、焦燥は徐々に積もっていく。
ようやく、共通グラウンドが見えてきて、遼太は駆け込むようにその敷地に足を踏み込ませた。そして、目を瞠って立ち尽くす。
共通グラウンドの中ほどで空間が乱れ、渦を巻いていた。その渦の中心付近には、蠢く物質がある。
いつしか見た、異空間からの登場とは少し異なる。屈折率ゼロの状態から、少しずつ可視状態に戻りつつあるような、そんなイメージ。
やがて、渦は小さくなり、凝縮し、弾けた。
遼太は舌で口腔を湿らせた。大きさはさして昨晩に戦闘を交わしたものと変わりは無いようだ。
だが、貫禄はあからさまに違う。威圧感が喉が潰れそうな程噴出されていた。
「目標捕捉」
義手が淡々と告げる。
「制限時間──十分間」
『それ』の咆哮。空気を摩擦が発生するほどに振幅させるその一声に、遼太は慄然とする。
あれと、一人で。
突き出た口、異形の角、鋭い眼光を放つ赤い双眸、硬く凹凸の激しい鱗、生物のそれとは思えない翼に、図太い肢体が生えた胴体。
それは正に神話や寓話に登場する、ドラゴンそのものであった。
「あ……あれはさ……誰が戦っても相性は最悪だと思うんだけど……?」
「──『発動』を推奨する」
遼太の逃げ腰発言をあっさりと無視して、義手は玲瓏に告げる。言葉の寸前に生じた空白は、呆れを示しているのだろうか。
「う、うん……お願い」
仕方ない。やるだけやろう──。
遼太はそう決心して義手にそう言った。
その刹那後、遼太の体は解放された。視界が明瞭になり、大気の動く音が聞こえ動く感覚がリアルに皮膚を介して伝わってくる。どうやら、五感の超人的な卓越化も見込めるらしい。
『それ』が遼太の方を向いた。隆々としたその顔は、一切の感情がこもっておらず、その双眸は虚空を見つめているようにも見える。だが、しっかりと遼太を視界に入れていることは確かだった。
遼太はそれを確認すると、義手を変形させた。タイムラグの後、腕が銃身へと変わる。
制限時間は十分間ということになっているが、遼太はそのことに頓着するつもりは無かった。
俗界にこの存在が示されようと、それによって一般人が畏怖を抱こうと、遼太の知ったことではない。
遼太がすべきことは、これらの存在をこの世から駆逐することだけ。使命感、宿命。そんな大儀な言葉などでは表現できない、それだけのもの。
これは、遼太の意志なのか、それとも義手の意志なのか。答えはこの世には無い。
前回投稿から随分と空白ができてしまいました。
一応、受験生なので、そこそこの忙しさを持っているのですが──それでも遅れすぎでしょうか。すみません。
拙作は着々と終末へと向けて躍進し始めました。
三月までには完結させたいと思っていますので、どうかそれまではお付き合いしてくれると……はい、ありがたいです。
それでは、次の回があれば。




