今日の解散通告
午後十一時二十二分、<レッド>の駆逐は完了した。残ったのは空中廊下だった瓦礫の山と、校舎に抉られた穴と、各所に穿たれた爪痕である。
それと、大量の排斥物と涙。
凛への影響は、遼太のコートを通してのものだったので、そこまで深刻にはならず、今では収まっているものの、直に喰らった遼太に関しては、明瞭な視界を手に入れるのにまだ時間が必要のようだ。
部長は未だぼろぼろと涙を流す遼太を一瞥し、溜息をついた。
「やれやれ……いい加減泣き止め。男だろう」
「こ、これは不可抗力です……あんな臭いなんて聞いてませんよ……」
「教えてないからな。まぁ、いい経験になっただろう」
自分から振ったのに、酷い鼻声で応える遼太には全く興味を示さず、部長はついと視線を校舎に向ける。凛はまだ余蘊な涙が残る目をぐしぐしと擦りながら、そんな部長を眺めていた。
被害の方は、第一校舎は半壊もとい四分の三以上が壊れており、空中廊下は全壊、第二校舎は窓ガラスが割れた程度である。それとテニスコートのフェンスの消滅と、校庭とコートにある地面の掘られた跡。どれも特撮レベルの損害である。
「全く、少佐が居なければ、私は何回自己破産したことか」
部長はその惨禍を聞いた途端に、大義そうに肩を竦めた。自己破産で済むのであれば、警察は要らないんじゃないかと凛は思う。器物破損にも度が行き過ぎている。
<レッド>が破壊したものに関しての責任は、基本的に唯一それと対峙できる『中世武器研究会』が負うことになっているらしい。傍若無人な部長にしては、珍しい正論である。
随ってこれらの被害の責任は、『中世武器研究会』が背負うことになるのだが──常識的に考えて、高校の非公式ともいえる一部活が、これだけの代償を払える訳が無いのだ。
それなのに、この部長はことあるごとに、無駄に被害を拡大させそうな無茶な真似をする。とはいえ、凛もそれなりにやむを得ずにすることもあるのだが、それを最終的に決行させるだけの支えは、この目の前に居る凛の他、唯一の女子部員である佐慧である。
凛も遼太の腕を謝って刈り取った際、彼女の力を借りていた。意識を削ぎ取るそれは凛がナイフからの精神磁場によって、意思的に睡眠を促したものであるから、佐慧のものとは異なるが、仮の右腕を作り上げたのは彼女の能力によるものだ。彼女の思想を受容できる無機物があれば、一回につき一ケースまでこのような汎用が出来るのだ。
そして、その無機物とは、このナイフであった。
部長はやれやれと首を振ると、佐慧の顔を見た。
「では少佐、今晩は少しばかり広範囲だが、頼んだ」
「はい」
佐慧はおっとりと応えると、目を閉じた。
幸いにもこのコートの遮断性は、通常のそれを遥かに凌駕しているらしい。
もしやコートを抜けて、制服までもがこの悪臭に蝕まれているのではないかと冷やりとしたが、全くをもって無事だったので安心した。
悪臭コートは、部長が洗ってきてやると言って来たので、手渡してある。元々遼太のものではなかったので、拒否することはできなかった。まぁ、家に持ち帰ったところで、空の涙目を見るだけになるだろうが。市販の洗剤で完全に払拭できるわけが無い。
「さて──諸君、さっさと帰っていいぞ」
大分目が落着いてきた矢先、部長からそんな言葉が掛かった。
「え……校舎はこのままで良いんですか?」
「校舎だと? グレードアップでもさせるつもりか?」
遼太が困惑して、そう言うと部長はしれっとしていい返してきた。
「ぐ、グレードアップとかそれ以前に、あのまま壊したまんまで良いんですか?」
「──何だ、貴様。校舎を背中に向けてるのか、つまらんな」
「え……?」
部長の言う通り、遼太は校舎を背中にしていた。
何かに弾かれるように、遼太が振り向くと──そこにはいつもと変わらぬ……とはいっても、夜の学校は少しばかり雰囲気が違うが、校舎がそこに佇んでいた。
部長が抉った大きな穴も見えなければ、大破した窓ガラスもきちんと元通りにそこに嵌っていた。
全ては完璧に修復されて、『何事も無かったかのよう』に、涼属高校の校舎があった。
「驚くのも無理は無い。私も最初は疑った。少佐のような、反則的な存在があるとはな」
部長は愕然としている遼太の反応を面白そうに眺めて言った。
「障壁となる常識を駆除し、想像と希望を結び付けて具現化させる能力があるとはな」
「──もっと端的にいえませんか?」
そこで当人である佐慧がいつもと同じ調子で言った。部長を睨むでもなく、静かな微笑──公園で遊ぶ子供を眺める保育士のような表情である。
すると部長は少し考える仕草をすると、いい答えが思いついたようにヘルメットを揺らすと遼太を見た。
「要するに、願望を実現してしまうのだ。即席で、な」
「……そういうと、語弊が生じます……まるで私が魔女っ子みたいじゃないですか」
「確かに、魔女っ子と言えど、万能ではない。欠点は存在する」
佐慧の意見を聞こうともせず──だが、ちょっとした揚げ足だけはとって、遼太に腕を突き出す。
「仮にでも少佐は人間だ。常識の排除によって想像を具現化するといえど、多少の常識の判別は存在するのだ。人間が一朝一夕で病を克服することはありえない。動物の食物連鎖が一晩で逆転することはありえない。双方どちらも実現してしまえば、来月あたりに地球は植物だけの星になっている可能性も否定できないのだ。そして、健気にも少佐にはこのような常識が根付いて引っこ抜けない状態にあるがゆえん、少佐が影響を及ぼすことができるのは、無機物の存在についてだけだ」
「──」
反応に困って、遼太が視線を佐慧の方に逃がすように向けると、佐慧は柔和な笑みを浮かべて、口を開いた。
「だから、私が介入できるのは、こういう建造物とか、そういう多くの人が当たり前と認識しているものの保持くらいなの。平たく言っちゃえば、ねん?」
「そういうことだ」
「はぁ……」
部長は腕を引っ込めて、遼太は肩を落としながら、相槌を打った。
すると、昨晩半壊した校舎が修復されていたのもやはり、佐慧のしたことだったのか。遼太は今更ながら、納得する。
「それと、奴らをこの学校に押し留めているのも、少佐だ。少佐の在らぬ能力は、範囲を限定すればその範囲内での特殊なルールを定めることができるのだ」
部長はコートの中で何かをガシャガシャと整理しながら、再び説明に入り始めた。
「この高校の敷地内では、校舎が存在する限り、『人間』の許容範囲を逸脱する有機物の校外の進出は一級罪とする。この様な、いわゆる条例のようなものだ」
「……一級罪?」
「設定主は少佐だ。基を決めたのは私なのだがな──、いわゆる死罪だ。存在を消滅させられる」
存在の消滅。その言葉に、遼太の背筋が粟立った。
「こういう理不尽な条例にはな、それなりの制約が居るのだ。この場合は、校舎の存在が条件だな。校舎が全壊すれば、奴らは校外への進出が可能になる。それが、我々の敗北だ」
「え……でも……、昨日は外出てましたよね?」
昨日の畑での惨事を思い出し、遼太が自信無さそうに言った。
「昨日は少佐が居なかったからだ。主である少佐が居なければ、その条例は判子のない誓約書と同じだ」
主。その言葉に、右腕が反応した様に感じたが、どうも遼太の思い過ごしだったようだ。
そこで、遼太はようやく右腕の『発動』状態のままだということを思い出した。
「そういうことだ。分からなくてもいいが、一応頭に入れて置け。これは部則だ。それではさらばだ、諸君」
部長は役目を終えたつもりなのか、それだけ言うとさっさと帰っていってしまった。全身黒ずくめの背中が闇に溶けて、瞬きをするとすぐ消えてしまいそうで、妙に寒々しかった。
遼太はとりあえずこの体が妙に軽い状態を解除しようと、右腕を叩いたりどこかそれらしい部分を指でなぞったりしてみたが、何も起こる気配が見られなかった。ちなみに、銃身だったそれは、既にデフォルトの腕に戻っている。
「何してるのん?」
すると、佐慧が気になったのか、横から覗き込んできた。
「あ、いえ……どうにも……」
「──? 腕がおかしい?」
「そういうわけでも……」
「そう?」
しどろもどろに応える遼太であったが、佐慧は納得したのか遼太から身を引いた。
「それじゃあ、私もこの辺で。じゃあね」
「あ、はい……」
それから手を振って、帰宅の旨を告げると、ほわんと振り返って校門へと向かっていった。
その後姿を見やりながら、遼太は肩を落とす。なんだかんだで、無事に終わった、という実感が今ごろ湧いてきたのだ。
──それから、腕に視線を落とした。流石にこのままというわけにもいくまい。この義手には色々と世話になった節がある。ずっと解放状態では、流石に疲弊するだろう。
そう遼太が考えた矢先、腕が浮いたような感覚に襲われた。音も無ければ、予兆のようなものも無く、ただ自然現象の様に。
その数瞬後、体が一気に重くなった。正確には、元に戻っただけなのだが、人間の環境に適応するために発達してきた慣れという習性が、裏目に出てこのように感じてしまうのだ。
「──完了する際は、解除コードを要する」
それから、懐かしくも感じる義手の無機質な声が聞こえて、遼太は安堵した後、疑問をおぼえて反芻した。
「解除コード?」
「肯定。設定の旨の報告を怠った。謝罪と同時に、解除コードの設定を要請する」
「か、解除コード…………ねぇ……」
セキュリティのようなものだろうが、あまり必要ないのではないかと遼太は思う。だが、そんなことを分かっているのであろうが、義手は淡々と続ける。
「主のみの解除と限定するため、録音されたそれを如実に制定する。録音の秒読みを開始──」
「ちょ、ちょっと待って!」
そんな唐突に言われても、困るというものだ。優柔不断な遼太がそんなさっさと決められる筈も無い。
「五、四、三」
「まままま、待ってっ!」
「不可」
自らの腕にまで冷たくあしらわれている。遼太は軽い眩暈を覚え始めた。
「二、一」
そして、冷酷にそのカウントの終了が宣告される。
「零」
結局、適当に思ったことを叫ぼうと思った、その寸前で。
「帰ろ」
後ろから、声が掛かった。
「録音成功」
遼太は義手の成功の言葉を聞き流し、振り向くと──控えめに手を伸ばた凛が立っていた。
「な、何……?」
「な、何って……帰らないのって……」
ふいに声を掛けられた驚愕と、秒読みからの焦燥から生じた遼太の表情に臆したのか、凛は控えめに小さな声で言った。なんとなく、自分の間の悪さを実感しているのだろうか。
「あ……」
遼太はそれには応えずに、腕を見下ろした。義手は、相変わらず無感情に、応答する。
「以後の解除コードは、この肉声の主がコードを入力することと設定する」
「……と、いうことは…………」
「……え?」
遼太が視線を上げると、再び困惑を凛の顔がある。自分がまだ何をしているのか、全く分かっていない顔だった。
「うーんと……それは、私が『部活』が終了するたびに、佐貫君を誘わなくちゃいけないってこと?」
「んー、そういうことかも……」
とりあえず、今あるところから話すと、色々と面倒な点も発生してくると思ったので、最初の『発動』のあたりから話しておいた。
「……嫌なら別にそれはそれで良いんだけど……」
眉を吊り上げて、不機嫌そうな面持を作る凛を見て、遼太は引き腰気味に、そう言った。すると、凛は目を見開いた後、慌てたように言い繕った。
「べ、別に嫌なんてことないからっ。で、でも……一つ、頼みたいことがあるんだけど……」
急に声を小さくした凛に、遼太は疑問符を浮かべる。
「何?」
「……あのことは忘れてよね……」
「あのこと?」
「そう…………あのこと……」
「──ゴメン、心当たりが……」
視線を逸らしたい衝動をなんとか誤魔化し、遼太は素直に告げると、凛の方が視線を逸らした。どことなく顔が赤くなっているような気がする。
「だ、だからあの時、最後の奴を殺したときの──」
「あぁ……う、うん、大丈夫……っていうか、見てないから」
泣き顔が見られたのが嫌だったのか、と遼太は納得した。
「そ、そっちじゃなくて……」
だが、凛はもどかしそうに首を振った。
「その……行動の方……」
「……、なんかしてたっけ?」
「お、覚えてなかったら、無理に思い出さなくていいからっ!」
なんでそんなにムキになるんだろう、と遼太は首を傾げつつも、思考をめぐらせるのを中止した。あの時は、動転していたので身悶えしていたことしか記憶にない。どうもそれから記憶の幅を広げていくのは難儀しそうだった。
「そ、それじゃあ、よろしく」
「え? あ、うん……」
とりあえず締めとして、遼太がそう言うと、凛は頷いた。
それから凛は、再び視線を逸らして、改めた調子で言った。
「それじゃあ、帰ろ……?」
「う、うん……」
凛のそんな言葉に、遼太は何の考えも無しに頷いた。大分あれから経っているから、恐らく空は寝ているだろう──いや、起きているかもしれない。起きているからどうしたとか、そういうことでもないが、なんとなく寝ていてくれるとありがたい。
「えっと、家、どっち?」
そんな儚い希望を懐きながら、遼太は凛に訊ねた。帰ろうと促されても、方向が同じでなければ意味が無い。
……しかし凛は、訊かれて初めてそこに気づいたのか、顔に動揺を浮かべた。隠そうとしている様だが、ほとんど隠せていない。口は生半可に開かれ目は泳いでいる。
「……あ、ごめん……私、電車通学だった……」
「……そっか……」
この高校は地元に住んでいる生徒が多いものの、市外から通う生徒も少なくは無く、別に身近な人がそうだったとしても、驚く要素ではない。
「じゃ、早くしないと電車出ちゃうから、じゃね」
「あ、うん……」
そうして、凛は逃げるように駆け足でその場を去っていった。
遼太は息を吐いて、校舎を見上げた。全くの新築というわけでもなく、今までと同じようなある程度老朽化した校舎。
佐慧の能力の原理はいまいち分からなかったが、万能な希望実現能力は無いといっていた。すると、この校舎は佐慧が勝手に作り直したものなのか、それとも時間を遡行させて元通りにしたものなのか。
何にしろ、遼太が目の前にした物には謎が多すぎる。かといって、それら全てに究明を求めようとは思わない。
寧ろ、謎の存在を知らなかった方が良かったと、遼太は思えてきた。
──こんな場面のために一話使うほど、恐ろしくだらだらしてやってきたんですが、これから急展開させます……ちょいと申し訳ないんですが……。
一応、節目となる完結は練ってあるので、このまま突っ込ませれば……終了となります。嫌な表現ですが。
完結を決定した理由はというと、色々と忙しくなるからです──が、まだ二ヶ月は終わらないと思いますし、結局まただらだらと長引いて、更に気が変わったりでもしたら、いつまでも続いていくと思われます。
ということで、コメディ重視の話がほとんど無くなると思われます。とはいっても、ずっとシリアスダークな重重しい場面が続くとも思えませんが、作者の性格からして。
──以上です。ありがとうございました。




