疑惑
「しかし不思議だよね」
早朝に起き出して昨夜できなかった予習復習に努める崇が誰も居ない部屋のなかで呟く。勿論そこには鈴音や夜桜がいる。霊感の無い者が見れば変わった独り言のレベルである。
「どうして京都は寺も多くて昔の話だと結界だなんだとある筈なのにこうも物騒なんだろう」
(寺が多いからといっても妖怪だ霊魂だというのは別に怖がるわけではないぞ)
「そうなの」
(そもそも京都の守護結界なんぞ、とうの昔に潰れているのさ、あれに法力を掛けていた陰陽師は既にこの世におらんし、跡を引き継いで入る者もおりゃせん、変に増えた神社だなんだと元々の霊脈に逆に噂を呼んで増やしているぐらいさね。まあ一部天ヶ瀬の家のような立場の人間なんかが邪霊払いや悪鬼退治は続けてるけど、法力をもった坊主なんぞおらんから低級なもんなんぞ祓いきれんわ)
「でも魍魎跋扈といった風じゃないよね」
(そりゃ昔にくらべりゃ人の数が違う、夜も明るい、本当の意味で魑魅魍魎を信じてるもんも少ないよってな。闇が薄くなれば生息できん奴等かて多い。それに力のある奴等は結構封印されてしもたからやし、そうじゃないもんは森深くに逃げ込んだり、自ら結界を作って閉じこもっとる)
「時代の移り変わりは人間だけの世界じゃないんだね」
(そう云う事やね)
(そうだったのですね、こっちに着てから低級霊を祓うことが多くて不思議だったのですよ)
「ごめんね鈴音」
(いえいえ、構わないのですよ、これも守護霊の役目ですから)
真冬の京都の寒さというのは底冷えする。部屋のエアコンも稼動しているがそれでも若干寒さを感じる程。冬はつとめてと云った人も居るけれど寒いものは寒い、情緒で語れる話ではない。
だが屋敷ではプロの人々が既に働き始める時間になっていた。それこそ火鉢を運びはしないが朝食の準備などをしている。エアコンが動いていて妙な独り言を呟いていれば起きているかと尋ねる人も当然居た。
「崇様、もう起きられておられるのですか」
「ああ、静音さんおはよう、ちょっと昨日は夜勉強せずに明け方になっちゃいました」
「失礼します、では朝食前に朝の紅茶などお持ちいたしましょうか」
「それは嬉しいな、お願いします」
「では後ほど、小枝様より私はお聞きしておりますので問題御座いませんが、他の物で知らぬ者もおりますのでお声は少し控えめにお願いします、お三方も宜しくお願い致します」
「え、はい判りました」
(まったく静音は真面目で詰まらぬ)
(というか、あの方も視えるのですか)
(崇君程じゃないが視えとるよ、他にも数名はこの屋敷と他の施設で働いてる視鬼者がおるよ。昔に比べると随分少なめやけどね)
今日から調べる呪術を使った人間を調べる作業には彼女達も加わる。
登下校時に狐憑きもしくは動物霊などの憑依している可能性がある者をまずは調べる事になっていた。
昨日美月の荷物などは調べたが呪符や呪物の類を送られた形跡もなかった。白雪の眼もあったので心配はしていなかったが、こうなるとどうやって美月へと呪いを発動させているのかが不明なのだ。
可能性の第一候補はやはり宇迦之御魂神を使ったこっくりさんを利用したような使役霊による呪法。しかも白雪達が払えないような方法である。これに関しては小枝の手勢が調べを進めている。
宇迦之御魂神の捕らえられている場所が判明すれば解放することも可能かもしれないので、そちらは昨夜から空弧が仲間に連絡をとって捜索に乗り出していた。これまで発見はされていないので期待は出来ないが打つべき手だ。
静音の入れてくれた紅茶を楽しみながら予習と復習もすませた崇は小夜から借りた一冊の書物を朝食まで一心不乱に読み続けていた。朝食の前に美月の頭の上の禍を取り除き、ご飯に向かおうとした所で後ろから飛びついた美由によって前方に倒れこみつつ美由を抱きかかえていると後頭部の強打の代わりに覗いては生きて帰れないといわれるトライアングル地帯が視界に収まっていた。
即座に目を瞑るより先に立ち上がろうとした所に美由の体が邪魔をしたが、慌てたのも災いして顔が今度は美由の胸元へと埋まってしまった。姉に勝る妹など存在しないと主張したい由紀だったが、なぜか身長を初めとして下手をすると美由のほうが発育がよいのではないかというレベルである。まだまだ成長期で悩む必要もないのだが目の前で勝ち誇る妹をみれば黙っていられない。
早朝から実に平和てきな騒ぎが巻き起こっていた。家系的にみて由紀の方が岩永姫の血を濃く受け継いでいるらしく、呪術的な才能に関しても色濃く受け継いでいるらしい。
その御先祖様だが神様だけあって今でも旦那様を神籍にいれて一緒に仲睦まじく暮らしていると聞いた。
その話を聞いた時に純粋に疑問に思ったのが岩永姫と木花咲耶姫の伝説だったが、答えは単純だった。美人の基準が太古と今では一部大きな違いがある。岩永姫は細身で若干背が高く目もちょっときつい印象を与えるような現代風にいえばかなりの美人だ。大昔では細い事は女性としてはそれだけで先ず美人の条件からはずれる、まして自分より背が高く、肌の色も透き通るような色は健康的に見えない、そして白銀色の髪の毛は受け入れられなかったらしいのである。
これを現代基準に近い美的感覚をもった一人の陰陽師が山に分け入った際に出会い一目ぼれをした。それが天ヶ瀬家の始まりだと夜桜が話してくれた。確かに血が混ざってしまった事で髪の色などはそれこそ淡い茶色のような色合いであるけども背が現状で低い事を除けば現代風の美女といっていい由紀の容姿は言われた岩永姫の容姿そのものだ。
自分の妻をいきなり疑うような旦那をもった木花咲耶姫に比べると幸せになったとも言えなくも無い。未だに愚痴を聞いているのだとか聞けば笑える話でもないが、美人の価値基準も長い年月を経れば変わる、今現在でも木花咲耶姫が可愛らしいの違いないのだが美人かどうかと言われると違うかもしれないと夜桜は教えてくれたのだ。そして美由がどうやら木花咲耶姫に似ているらしと言われるとなるほどという感じであった。
確かに美由は由紀と比べると可愛らしい印象の方が強い、これでぽっちゃりしてれば確かに愛嬌もあって可愛いだろう、本人曰く運動部で活躍している限り太るなんてありえないとの事だが、運動しないとぽちゃっとしているのかと思えば可愛らしい話だ。
そんな朝からのハプニングを過ごした隆たちは朝食を済ませて登校する事となった。授業が始まるまでは生徒会室で待機して夜桜が校門を、鈴音が通用門を見張り、白雪が3人を護衛する。
(態々こうして来て頂いて申し訳ないのじゃ)
若干恐縮気味の白雪が崇と由紀に礼を述べていた。まだ解決にも至っていないので礼を述べられても困るのだが、分霊といえど神なのにと思うと不思議ではあったが人間っぽいのもまた神としては普通なのだと教えられた、そう言われてみると古今東西の神話の神々などというものはまさに人間そのものなのだ。
(あれじゃ、神様じゃ、なんて祭り上げられてるのもおるが、祭り上げられて浮かれてる時点で人間ぽいじゃろ。時折祭る神をでっちあげとる輩もおるから注意じゃぞ)
白雪は神使のなかではかなり高位の存在だが、まったくそんな事を気にしないフランクなお姉さんだった。
美月は最初こそ神様、神使、守護霊と引き気味だったのだが、次第に頭に手を当てたくなるほどの暴露続きの攻撃でフレンドリーに接するという選択肢にたどり着いていた。
(まったく良く喋る女だぜ)
ビクゥと白雪が緊張したのは目覚めたもう一人の崇が話しかけたからである。殺気を全く放っていなくても最初の恐怖の刷り込みはかなり有効だったようだ。
(怖がるな、それよりほら、来たぞ)
語りかけてきたのは黒い狐が来るのを察知したらしい。
「単純に消しちゃうと手がかりが消えるかな?」
(いや、既に手がかりは掴んだようだぜ)
(崇よ、見つけたぞ、学校にくるなり一匹狐が飛び出しよった)
校門の方から夜桜が駆けつける。静音に命じて女生徒の氏名などはすでに確認する作業に入っていた。
(他にも数匹の狐の形をした使役霊が黒く纏わりついておったからの、昨日は見つからなんだが、恐らくまた儀式でも執り行いおったに違いなかろうよ)
恐らくその女生徒で間違いは無い、であればこの使役霊は消し去っても良いのだが、禍となって取り憑いていない動物霊状態では禍のように単純に消せないからだ。そしてこの使役霊は悪意をこちらに向けているようである。単純にみて禍とする為に放ったのではなく、昨日のように花瓶を落としたような行為を働く為にやってきた存在だとみて間違いない。
(判ってるな、コイツは禍になる奴じゃないぜ、どちらかと言えば元凶みたいな存在だ、下手に帰れば呪術者は返しを喰らう事になるから要注意しろ)
返しとは、呪詛を放った側が被る呪詛返しだ。低級霊などを使役した場合などはこれを防ぐ手段も無く行っている事が多い、人を呪わば穴二つとは少々異なるが、呪いを放てば防がれてしまうとその呪いは術者を蝕む事になるのである。
この黒い狐が害意をもっているからには返せばその女生徒か、もしくはその周囲に被害が及ぶと忠告したのだ。やはり鈴音の言葉は正しいようで、もう一人の崇も人が良いと言える。
(逆ラウカ人間ヨ)
獣だから唸るだけかと思えば喋りかけてきた。低級霊ではありえない現象に一同は警戒を強めた。
(ナラバ主ラ纏メテ喰ロウテヤロウ)
(舐めるなよ)
ただし、相手が悪かったとしか云い様が無い。喧嘩を売る相手を間違えれば霊体である事に変わりのない存在である。崇に向かって飛びかかった黒い狐は自分が何をされたのか判らないままに消滅させられた。
(俺は一休みするけど油断するなよ、今の奴はきっと本体の一部だからな)
そう告げたもう一人の崇の言うとおり問題は呪詛を放った女生徒がまだそのままである。
静音に連絡を取った崇達は、とりあえず一時間目に遅れないようにと教室へ向かったのだった。