第十一話 玄夜が遺したもの
第十一話です。
今回は、東雲家前当主・玄夜が遺したものに触れる回になります。
そして第二章後半に向けて、少しずつ過去の因縁が動き始めます。
東雲家の蔵で見つけた古い記録。
そこに残されていた『藤』の文字。
あれから数日が経っても、澪の胸から違和感は消えなかった。
藤ヶ宮。
母の旧姓。
そして東雲家の過去。
それらがどこかで繋がっている気がする。
だが、その答えはまだ見えない。
「……藤」
縁側に座りながら小さく呟く。
春風が吹く。
薄桜色の花弁が揺れた。
その時だった。
「また考え事か」
聞き慣れた低い声に振り返ると、朔夜が立っていた。
「朔夜様」
澪は少し困ったように笑う。
「顔に出てしまっていますか」
「ああ」
即答だった。
最近、本当に隠し事ができない。
朔夜は隣へ腰を下ろす。
「蔵のことか」
「……はい」
澪は少し迷う。
けれど口にした。
「あの記録に残っていた『藤』という文字が気になっていて」
朔夜は静かに目を伏せた。
何かを考えるように。
やがて口を開く。
「俺も気になっている」
珍しく曖昧な言い方だった。
普段の朔夜なら、分からないことをそのままにしない。
それだけ慎重になっているということだろう。
「祖父なら何か知っていたかもしれない」
ぽつり、と。
朔夜が呟く。
澪は少し驚いた。
朔夜が玄夜の話をするのは珍しい。
「玄夜様、ですか」
「ああ」
紫紺の瞳が遠くを見る。
「祖父は何でも知っているような人だった」
その声音はどこか懐かしかった。
澪は静かに耳を傾ける。
「黒焔のことも」
「東雲家のことも」
「俺のことも」
少しの沈黙。
そして。
「……お前のこともな」
澪は目を瞬かせた。
「私のことを?」
「ああ」
朔夜は静かに頷く。
「お前と婚約するよう遺言を残したのは祖父だ」
澪の胸が少しだけ熱くなる。
何故だろう。
会ったこともない人なのに。
玄夜という人物が少しだけ近く感じた。
◇
その日の夕方。
澪は書庫で老術師を見つけた。
「おや、澪様」
「少しお聞きしたいことが」
老術師は頷く。
そして澪の問いを聞くと、少しだけ目を細めた。
「玄夜様について、ですか」
「はい」
澪は静かに頷く。
「どんな方だったのでしょう」
老術師は懐かしそうに笑った。
「厳しい方でしたな」
即答だった。
澪は少し意外に思う。
「ですが」
老術師は続ける。
「とても優しい方でもありました」
その言葉は、どこか千鶴の話をする時と似ていた。
「玄夜様は東雲家だけではなく、多くの術師を守ろうとしておられた」
老術師の視線が少し遠くなる。
「だからこそ、多くを抱え込みすぎたのです」
澪は静かに聞いていた。
玄夜。
千鶴。
二人とも自分の知らない人だ。
けれど。
不思議と同じ匂いを感じる。
人を守ろうとした人たち。
「……玄夜様と母様は、お知り合いだったのですか」
思わず尋ねていた。
老術師は一瞬だけ動きを止める。
そして。
「ええ」
静かに答えた。
「何度もお会いしておりました」
澪の鼓動が少し速くなる。
だが老人はそれ以上語らない。
まるで慎重に言葉を選ぶように。
「昔の話です」
ただそれだけだった。
◇
その夜。
朔夜は一人、執務室にいた。
机の上には古い資料が並んでいる。
中央区画。
異常発生した禍。
そして。
玄夜が遺した記録。
その中に一つだけ気になる記述があった。
『再び始まる時、黒焔は薄桜を求める』
短い一文。
意味は分からない。
だが。
玄夜がわざわざ残した言葉だ。
無視できるはずがなかった。
朔夜は静かに目を閉じる。
そして脳裏に浮かぶ。
暴走した黒焔。
それを鎮めた花弁。
不安そうに自分を見上げる澪の姿。
「……祖父」
答えを知っているのなら教えてほしい。
そう思った。
だが返事はない。
窓の外では春の夜風が吹いている。
その風に乗って。
一枚の薄桜色の花弁が静かに流れていった。
第二章、第十一話を読んでくださり、ありがとうございました。
今回は東雲玄夜について少し触れる回でした。
第二章後半では、
・玄夜が遺した言葉
・藤ヶ宮家との繋がり。
・中央区画の異変
が少しずつ一本の線になっていきます。
そして澪と朔夜も、それぞれ過去へ近づき始めます。
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