第37話 隻脚(せっきゃく)のグラード
今まで食べていた冒険者次の依頼に向けて食堂から出ていく。
入れ替わりに食堂の扉が開き、また冒険者たちがなだれ込んでくる。
重い鎧が軋む音。
剣が椅子にぶつかる金属音。
床を踏み鳴らす無数の足。
空気が、一瞬で満ちた。
「席空いてるか!?」
「今日の肉はなんだ!」
「早くしろ、腹が減って死にそうだ!」
怒号と笑い声が混ざり合い、空席が見えていた食堂の席は瞬く間に埋まっていく。
その圧が、壁一枚隔てた厨房へと雪崩れ込んできた。
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「来たぞ!!昼の山だ!!」
「肉追加しろ!このペースじゃ足りねぇ!」
「スープもう空になる!!」
鉄鍋がぶつかる。
炎が唸る。
焼けた脂の匂いが立ち込め、熱気が肌に絡みつく。
厨房は完全に戦場だった。
だが誰も止まらない。
止まれば崩れる。
それが昼の食堂だった。
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「レオン!その肉回してくれ!」
返事をする暇もない。
塊肉を引き寄せる。
筋を断つ。
火に落とす。
鍋を振る。
盛る。
次。
次。
流れが見える。
どこが詰まり、どこが遅れているか。
思考より先に体が動いた。
気づけば自然と穴を埋めている。
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「なんだあいつ……新人だろ?」
「動きがおかしい……」
「迷いがねぇぞ」
視線が集まる。
だが手は止めない。
ここで止まる奴から使えなくなる。
厨房もまた、実力の世界だった。
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その時だった。
食堂の奥から怒声が炸裂する。
「おい!!まだかよ!!」
机を叩く鈍い音。
「注文してからどれだけ待たせる気だ!」
空気が軋む。
新人料理人の顔が一瞬で青ざめた。
「やべぇ……赤狼の連中だ……」
「最悪だ……絡まれるぞ……」
苛立ちは簡単に伝播する。
こういう時、厨房は崩れる。
焦りが焦りを呼ぶ。
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——重い足音が一つ、響いた。
ゆっくりと。
床を踏み締めるような音。
振り向くまでもない。
空気が変わった。
料理長が歩いていく。
右脚をわずかに引きずりながら。
速くはない。
だが——
不思議と誰よりも早く、その場に辿り着く。
先読みしている歩みだった。
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食堂へ出た瞬間、怒鳴っていた冒険者が口を開きかけ——止まった。
視線が交差する。
それだけ。
料理長は低く言った。
「騒ぐな」
声は大きくない。
だが、場の空気ごと押さえ込む重さがあった。
男は舌打ちを飲み込み、椅子に座り直す。
周囲も黙る。
嵐が、一瞬で消えた。
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隣で若い料理人が小さく息を呑む。
「……知らないのか?」
「何がだ」
料理人はさらに声を潜めた。
「うちの料理長は元Aランク冒険者——隻脚のグラードだぞ……」
その名が落ちた瞬間、すべてが繋がる。
揉め事が起きない理由。
誰も逆らわない理由。
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料理人は続ける。
「昔、あの人……たった一人で魔物の群れを止めたらしい」
レオンの手が、ほんの僅かに止まりかける。
「街に流れてきた群れだ。門が閉まるまでの時間を——一人で稼いだって話だ」
一拍。
「脚をやったのは、その時らしい」
ぞくり、と背筋を何かが走った。
武勇を語る声ではない。
ただ事実を確認するような声音だった。
だからこそ重い。
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本物だ。
ここに立っているのは、ただの料理人ではない。
修羅場を生き延びた冒険者。
それも——最前線の。
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怒号はいつの間にか消えていた。
代わりに聞こえるのは、鍋の中で小さく弾ける煮込みの音だけだ。
さっきまで戦場だった厨房に、ゆっくりと静けさが戻ってくる。
積み上がっていた皿は消え、炎も弱められている。
誰かが深く息を吐いた。
「……終わった……」
安堵が漏れる。
昼の山を越えたのだ。
料理人たちの肩から一斉に力が抜けた。
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レオンも手を止める。
掌にじんわり汗が滲んでいた。
悪くない緊張だった。
むしろ、どこか心地いい。
厨房に立つと、自分の輪郭がはっきりする。
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「……レオン」
低い声が背後から落ちた。
振り向く。
グラードが立っている。
さっきまで食堂を制圧していた男が、今はただ静かにそこにいた。
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「グラードだ」
短い名乗りだった。
余計な肩書きも誇張もない。
それで十分だった。
名前だけで重みがある。
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グラードは腕を組み、しばらくレオンを眺める。
値踏みではない。
観察だ。
「さっきの動き……悪くねぇ」
低く言う。
「慌てねぇ。流れを見てる」
一拍置く。
「厨房はな、それができる奴だけ生き残る」
戦場と同じ言い方だった。
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視線がレオンの手元へ落ちる。
「包丁の扱いもいい」
そして、ふっと言った。
「体もできてるな」
一瞬の沈黙。
「剣も振れるだろ」
「多少は」
グラードは小さく頷く。
納得したように。
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「俺は普段、ギルドで武術指南もしている」
さらりと言う。
だが、その一言に重みがあった。
「冒険者は力任せじゃ長くねぇ。技がいる」
鍋の火を落としながら続ける。
「無駄な動きは死に繋がる」
それは包丁にも言えることだった。
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グラードはふと、空になった大鍋を見下ろした。
「……さっきの連中みたいにな」
赤狼のことだろう。
「腹が減ると人は荒れる。余裕が消える」
一拍。
「余裕が消えた奴から依頼で死ぬ」
静かな言葉だった。
だが重い。
経験から出た重さだった。
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グラードは再びレオンを見る。
「新人講習は出てるか」
「ああ」
「なら戻れ」
即答だった。
だがその声に拒絶はない。
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「今日はよくやった」
火を指で示す。
「だが講習は待たねぇぞ」
一歩近づく。
「知ってるか知らねぇかで、生きるか死ぬかが決まる世界だ」
ダリオと同じことを言っている。
だが重みが違った。
この男は、それを見てきた。
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「強い奴ほど学ぶ」
ぼそりと言う。
「弱い奴ほど振り回す」
短い。
だが真理だった。
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レオンは小さく頷く。
この男の言葉は、不思議と素直に入ってくる。
押し付けがないからだ。
ただ事実を置いていく。
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背を向けかけた時だった。
「レオン」
呼び止められる。
振り向く。
グラードの口元がわずかに歪んだ。
「手が空いたら来い」
一拍。
「また手伝え」
それは命令ではなかった。
許可だった。
この戦場に立つことを。
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そして小さく付け足す。
「悪くねぇ動きだ」
それだけだった。
だが十分だった。
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厨房を出る直前。
背中に、低い声が落ちる。
「……焦るなよ」
足が止まる。
「新人はすぐ強くなろうとする」
一拍。
「長く生きる奴は、強くなるのが遅ぇ」
振り向いた時には、もうグラードは鍋に向かっていた。
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廊下を歩きながら思う。
この街には、本物がいる。
剣だけじゃない。
生き方が強い。
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(悪くない厨房(戦場)だ)
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