第九十三話 板挟みのリッチ
王都の宿の一室でルドルフはテーブルを挟んでアリアナと向き合っていた。思わず氷のアリアナという古い二つ名を思い出す。目の前にいるエルフの無表情がただひたすらに恐ろしく、ルドルフは大きな体を可能な限り小さくしていた。
「ふぅん? ダークエルフに人間の魔王? その魔王の卵は年端もいかぬ少女? あなたってそんなに想像力豊かだったかしら?」
アリアナがニッコリと笑顔を見せる。目と声色は笑っていない。
転移魔術で一人報告に来たルドルフは、迷った末にすべてをほぼ包み隠さず正直に話した。あとで隠していたことがばれたらそれこそ地獄だからだ。だが嘘偽りなく話した内容が、まるで出来の悪い冗談のように聞こえることもまた理解していた。
いずれにしろ当てにしていた赤竜ギギゼラは死に、その弔いまで終わっている。竜の子を救うためにはダークエルフの情報を信じて新たにほかの竜を訪ねるしかない。
しかし話を聞いたアリアナは強い難色を示した。竜の子は助けてやりたいが、神子を敵地の只中に送り込む危険にさらしてまですることかというと、彼女は絶対に否の立場である。
「とにかく、竜探しは切り上げて、いったん帰ってきて。残念だけれど物事には優先順位がある。約束はできないけど、竜についてはエルフも尽力して手がかりを探すわ」
「とはいえですね」
思わず敬語になって物申すルドルフに向けアリアナは静かに目を細めた。その圧力がルドルフを黙らせる。が、なんとか圧に負けずにルドルフは言葉をつなげた。
「とはいえですね。それをみなに言って納得させるのも難しいかな~、なんて」
正直ギギゼラとの戦いより緊張感がある。アリアナは黙してルドルフの次の句を待っている。
今のルドルフはセラたちの希望とアリアナの判断との板挟みになっていた。ルドルフも正直アリアナの意見が手堅いと考える。だが現場で各人の感情や思惑を無視してその判断を通すのはそう簡単なことではない。進んでやりたくはない仲立ちの仕事である。
いま考えるとディアドロに竜の居場所を聞いてしまったのがもう失敗だった。その前にダークエルフの言葉など信用に値しないとつっぱねて帰ってくればよかったのだ。だがそれを聞いたとたんに事態が急転してしまい、思案の猶予は一気に無くなった。
セラは竜がいると聞いた場所が具体的に想像できたことですっかり前のめりになってしまい、アクィラは死霊国に行くなら是非やっておきたい用事があると言い出した。気持ちの流れがすっかりそちら側へ傾いてしまったのだ。
ついでにラエルはアクィラにいい顔をしたくて一も二もなく同調し、バルドは控えめながらも自身の興味と周りの空気に引っ張られていた。
衝突を解消するためには、アリアナをなんとか説得しなくてはならない。
ルドルフはあらかじめ準備していた各自の意気込みを、ひとつひとつ整理して話し始めた。なおラエルとバルドのものは正直に言うと身も蓋もないので、ルドルフが取り繕って考えたものだ。
「まずセラのことだが……あの子は子竜のために恐ろしくやる気を出している。これと決めたことには無茶も辞さない性格のセラを止めるのは言うほど簡単なことではないぞ? 強引に押さえつければ勝手にダークエルフに付いていきかねない。転移魔術も使えるんだからな。行くと決めたセラを果たして捕まえておけるか」
「そこはなんとかうまく説得して。時間をかけて丁寧に説けば、最終的にはセラちゃんもあなたの言うことをわかってくれるはず。無理矢理じゃなくてきちんと理非を理解させるの。そうすればあの子は自分で答えを出せる子よ」
「セラだけではなくてラエルも行きたがってるんだ。さっきも言ったがバルドの従士になるって言い出してな。これはあいつの自覚と成長を促す千載一遇のチャンスかもしれない。アリアナだってラエルの力が役に立てばと思っているだろう?」
「それはいい話ね。彼がその力をバルドのために使ってくれるというのは本当に心強い。でも成長のチャンスと言うなら、ほかにいくらでも用意してあげられるのじゃないかしら? それがダークエルフの提案する竜探しである必要性は薄いわね」
「バルドは今の従士探しのやり方にストレスを貯めていてな。少し環境を変えてガス抜きさせてやりたいのだ。知らない土地に行って冒険するなど、ちょうどいいと思うのだがな」
「その話も聞いたわ。こちらが見逃していたバルドの我慢を見つけてくれたのは本当にありがたい。従士探しのやり方は改めます。それを考える間、顔見知りと王都周辺のダンジョンを探索させるのはどうかしらね。それで十分に気分転換になると思うわ」
「アクィラは死霊国の西側方面に行くなら、そこで散った己の従士たちの遺品探しをしたいと言っている。珍しく思いつめたような顔をしていてな。あれはさすがの俺も胸が締め付けられるというか」
「そんなものはリッチキングを倒せばあとでいくらでもできるじゃない。あとにさせてあとに」
アリアナはバッサバッサと切り捨てた。ルドルフも内心その通りだと考えていたことばかりなので何も反論できない。各自の、特にセラとアクィラの抱いている熱量は本物だが、それを支える理屈が弱いのだ。少なくともアリアナをうんと言わせるには。
だがここでルドルフは本命の切り札を切った。アクィラの秘めたる計画を話したのである。
「そんなことが……本当に可能なの?」
「アクィラは十中八九うまくいくだろうと言っている。我々の中で死霊国のことを一番よく知っているアクィラがな」
その話を聞いたアリアナは黙って頬に手を当て考え込んでいる。その計画がうまくいくならアリアナにとっても大きな収穫となる話だ。その収穫とリスクを慎重に天秤にかけているのだ。
ルドルフはそんなアリアナに各自のギギゼラ戦での活躍をもう一度語り、旅の間の戦力として期待していることも口にした。もはや彼らは一人前であり、それぞれが自ら決断して同行するのであり、決して未熟な子供をルドルフが引率していく旅ではない。
云々。
ルドルフが口を閉じる頃には、アリアナはこめかみに指をあて、ひどい頭痛に耐えるような表情をしていた。
「要するにあなたは行かせたいと考えているわけね。行かせた方がいいと」
アリアナはそう言うと数瞬の間沈黙し、そして続けた。
「バルドとラエルも必要?」
ルドルフは黙ってうなずく。アリアナはひとつため息をついた。
「わかったわ。あなたの報告は聞いた。死霊国に竜を探しに行くことを許可します。でも私はダークエルフと魔王の卵の話は聞いていない。いいわね? それを聞いてしまったら私はとても承服できない。感情的にも立場的にもね」
エルフとダークエルフは不俱戴天の仇同士なのだ。お互い同士が直接戦ってはならないという協定があるにも関わらず、誰もいないところで顔を合わせれば平気で殺し合いになる仲だ。よほどの非常事態でもない限り、協力関係を結ぶということはあり得なかった。
「あなたたちが訪ねると、逆鱗という事故からギギゼラとの戦いになりギギゼラは死んだ。しかしギギゼラが死ぬ前に幸いにもほかの竜の手がかりを得た。そしてその手がかりの場所へと旅立った。私が聞いたのはそれだけ。わかった?」
アリアナは表向きに整理した内容をルドルフに伝えた。
「多少危険はあるけど、あんたならなんとかするでしょ。死んでもなんとかしなさいよ」
どうにかアリアナを説得できたことでルドルフはほっとした。その余裕を発露しようとしてパカッと口を開いたところで
「もう死んでる、とか言ったら殺すわ」
先回りしてアリアナはアンデッドジョークを封じた。説得はできたがダークエルフのことで葛藤していることに変わりはない。アリアナの氷の表情の下で感情はいまだマグマのごとく煮えたぎっている。
再び無表情となったアリアナを見て、ルドルフはほかの者にもよろしくと告げ、早々に退散した。
ルドルフが転移魔術で戻ったのはゲルナロ火山の北にある小さな入り江だった。
「どうでしたか?」
「なんとか了解を取り付けてきた」
胸の前で両手を握り、祈るようにして訪ねるセラにルドルフは答えた。その様は大きな一仕事を終えてどっと疲れたといった風だ。
「よかったです」
「よかった、か。お前も戻ったらこってり絞られる覚悟はしておけよ」
セラは胸をなでおろしたが、別れ際のアリアナのあの顔を見たルドルフはそう気楽ではいられない。
「素晴らしい」
パンパンパンと手を叩いてディアドロが称賛する。目を閉じ非常に感服した様子だ。ルドルフとしてはそのわざとらしい様が癇に障る。
「やはり私とヌイのことは伏せたのですか? それともまさか正直に告げた上で?」
「どっちでもかまわないだろう。いずれにしろ俺たちはお前についていくんだからな」
「まあ説得できてもできなくても状況は変わらなかったのですから、そうですね。それだときっとあなたは正直にすべて話したのでしょう。その上で了解をもらってくるとは、なかなかどうして只者じゃないようだ」
相変わらず見透かすように推測を被せてくるところがイラッと来る。褒められて微塵もうれしくない。というかバカにされている気がする。
アリアナにひとつだけ言わなかったというか、言えなかったのは、ダークエルフについて竜を探しに行くというのが事後承諾だったということだ。
エルフに相談する前に決断する、それもディアドロの出した条件だった。ルドルフがアリアナの判断に食い下がってなんとか否を通せたのも、結果がすでに決まってしまっていて後がなかったからであった。何度も頭の中で繰り返したようにきちんと話せてよかった、とルドルフは安心している。
ちなみに報告自体は、きっとエルフが悔しがるでしょう、ということで許可された。このダークエルフもなかなかいい性格をしている。実際アリアナの胸の内は悔しさにまみれていただろうが、ルドルフとしてはそれをディアドロに伝えて喜ばせてやる気はない。




