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リッチは少女を弟子にした  作者: 川村五円
第三章 竜の名付け親

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第九十一話 激怒の赤竜

 ゆっくりと少女に向き直ったギギゼラの両目は先ほどまでとは打って変わって真っ赤に染まっていた。耳をつんざく咆哮が大空洞の空気を激しく揺らす。その様相からは理性のかけらも感じられない。今のギギゼラはもはや興奮した獣と変わりがない。


 ほとんどの者の足がすくむ中、涼しい顔をしたダークエルフは耳を塞いだ少女を小脇に抱えると、短い呪文を唱えて光とともに姿を消した。少し遅れてギギゼラの前足がその場所を踏みつけ地を砕く。手ごたえのなさに不満を感じたギギゼラが足を持ち上げると、果たしてそこには砕けた岩しか残されていなかった。


 他人を連れての転移魔術だと!?


 あり得ないものを見たルドルフの驚きをよそに、竜は逃した獲物を探している。その視線がルドルフたちを捉えてピタリと止まった。そして大きく息を吸い始める。


「竜のブレスが来る! 俺の後ろに隠れろ!」


 もう退避できるタイミングではない。ルドルフは多重詠唱でレジストファイアの魔術を己と子供たちにかけ、仲間全体を包むシェルの魔術を幾重にも重ねる。シールドに比べて強度は劣るが、どう広がるかわからない攻撃に対しては全周防御のシェルが適解だ。


 バルドやラエルとともにルドルフの後ろに隠れたセラもシェルを連続で重ねてアシストする。いま思いつく限りの最大の守り。忌々しいことに、それで耐えられるかどうかは神のみぞ知るといったところだ。


 ルドルフたちがイチかバチかの備えを終えたその時、ギギゼラの口から竜のブレスがほとばしり出た。


 赤竜が炎を吐くものだとは子供でも知っていることだが、ルドルフが目にした実際のそれは炎というよりも白く眩しい光の奔流だった。それが恐ろしい速さで迫ってくる様を、ルドルフは何十倍にも引き延ばされた時間の中で感じていた。白い輝きが細かく観察できるほどにゆっくりと迫ってくる。だがどうしようにも体は動かない。


 これはいかんかもしれん。


 ルドルフがそう思った刹那、ひとつの影がルドルフの前に飛び出した。


「こいつはアタシに任せろ!」


 アクィラである。彼女は真正面から竜のブレスに立ちはだかり、その光を一身に受け止めた。竜のブレスが止むまで数秒だったのか、それとももっと長かったのかルドルフには判然としないが、その間、アクィラは微動だにせず竜の炎をその身に浴び続けていた。


 竜のブレスがおさまると、アクィラの着ていたものや持っていたものは全て燃え尽き蒸発していた。その裸身は鍛冶屋の鉄のように美しく赤熱している。


「やったぜ! こいつが赤竜の炎か!」


 目的を達して歓声を上げた瞬間、アクィラは横ざまから飛んできた尻尾の一撃で思い切り跳ね飛ばされていた。ものすごいスピードで壁に激突し、その衝撃で崩れた岩の下にすっかり埋まって見えなくなる。


 最悪なことに崩れてきた大量の岩はこの大空洞のただひとつの出口である横穴をすっかり潰している。逃げ道が完全に塞がれてしまった。


 尻尾を振り回すために体を大きく横に一回転したギギゼラは、勢い余ってそのまま千鳥足で回り続ける。目を回してよたよたとたたらを踏み、地面に腹を付けるとしばらくゼイゼイと息を荒げて動けなくなった。明らかに太りすぎである。


「ラエル、悪いがアクィラを掘り出してくれ。あとそれからなんとかして出口を開けてくれ。これは今お前にしかできないことだ。頼むぞ」


 ルドルフが頼むとラエルは大きくうなずき急いで仕事にとりかかった。地の精霊が土木に向いているのは証明済みだ。


 竜が体勢を崩しているうちに攻撃魔術を叩きこもうとするセラをルドルフが制止した。どうどう。子竜のことを考えると、ここでギギゼラを殺してしまうわけにはいかないのだ。そしてこちらも殺されるわけにはいかない。ラエルが撤退路を開くまで、なんとか防戦一方で竜の攻撃を耐え忍ぶのがベターだ。


 そしていったん逆鱗の怒りが収まってから仕切り直す。もともと逆鱗に触れたのは自分たちではないのだから、それでなんとかなるだろう。


 そう決めたルドルフは、セラとバルドにラエルの護衛を任せると、一人ギギゼラに近づいて行った。


 鉤爪や尻尾による攻撃や竜のブレスが飛んできても、ほかの者が巻き込まれないように回り込んで位置取りする。まだ動きがおぼつかないギギゼラを見ながら、ルドルフは面倒を起こすだけ起こしてさっさといなくなったダークエルフたちのことを腹立たしく思っていた。


 それから幾分の時間が経ち、ギギゼラはようやく体勢を立て直した。目を回している間に正気に戻ってくれないかと願っていたが、どうやらその目はまだ怒りに理性を失っている。


 再びルドルフを見据えたギギゼラは太い前足を振り回して、執拗にルドルフを狙った。空を切った鉤爪が深く地面を削り岩の塊をまき散らす。それは一撃一撃がまともに当たればそれで終わりの恐るべき攻撃だったが、幸いにも予備動作の時間が非常に長く、かわすことは容易だった。余計な肉がつきすぎてすっかり鈍重になっている。


 ただその巨体によるリーチの長さと一歩の大きさはなかなかやっかいだった。余裕をもってかわしたと思った一撃が体のすれすれをかすめたり、気がつくと思わぬ距離にまで迫られていたりする。攻撃をひらりひらりとかわし続けるルドルフにも見た目ほどの余裕はない。


 つかず離れずの間合いで戦わなければならないせいもあった。おそらく距離を取ればギギゼラは追いかけることを止めて竜のブレスを吐いてくる。


 さらに悪いことにギギゼラが地に前足を叩きつけるたびに、抉れる地面と飛び散る岩でどんどん足場が悪くなった。それにつれて逃げ回る難度が上昇していく。このままではいつかしくじる。ルドルフがそう考えながら後ろに下がった時だった。


「くっ」


 案の定、転がっている岩につまずいて思い切り体勢を崩してしまった。そのまま無様に後ろに倒れ込んだ次の瞬間、赤竜の重い鉤爪がルドルフの下半身を押しつぶしていた。残された上半身は引き裂かれたローブをまとったまま物凄い勢いで回転しながら転がっていき、だいぶ転がったあとで大岩にぶつかりようやく止まった。


「師匠!」


 セラが悲鳴をあげた。


 やはりかわすだけで竜の攻撃を耐え凌ぐのは無理があったか。


 そう考えることはできたが、体を動かすことはできない。腕までもが砕けていて、這ってでも移動しようとしたルドルフはただバランスを崩して転がった。


 そこに向かってギギゼラがのしのしと鈍足ながらも重量感をもって突進してくる。そしてゆっくりと振り上げられた鉤爪が重力の加速度を乗せて迫る。万事休すか――


 だが寸前、目前に割り込む者があった。


 バルドである。


 バルドが幅広のオーガの曲刀でギギゼラの膨大な体重の乗った鉤爪を受け止めている。金属同士が激しくぶつかり合い擦れるような音。そのまま懸命の鍔迫り合いをして巨竜ギギゼラの体重と拮抗している。なんというパワーだ。


 次いでギギゼラの眉間に巨大な氷弾がめり込んだ。セラの放った上級魔術のアイスショット。その一撃にのけぞったギギゼラが怯んで下がる。赤竜に氷弾をぶつけるセンスはなかなかのものだと我が弟子に感心しながら、ルドルフも呪文を唱えて立て続けに三発のアイスショットを放ち、ギギゼラをバルドから遠く引きはがした。


「すまん。助かった」


 立ち上がったルドルフが礼を言う。バルドが耐える間に再生に魔力をつぎ込み下半身を再構築することができた。


 だがどうにか凌ぎはしたものの、竜の一撃を真っ向から受け止めたバルドは力を使い果たし、肩を上下させながら息を荒げている。体中が汗でびっしょりだ。手に入れてからずっと愛用していたオーガの曲刀はひしゃげて折れ曲がり、使い物にならなくなっていた。


 距離を取ったギギゼラがまた深く息を吸い始める。今度こそイチかバチかだとルドルフは覚悟を決めて再び魔術による防御を展開する。


「オラァ! 戻ったぞ!」


 だが今度はそこにアクィラが飛び込んできた。ギギゼラから放たれた竜のブレスを再びアクィラが全て受け止める。己の必殺の攻撃が効かない。赤竜にとって業火の神子は相性最悪の相手といってよかった。


 アクィラ発掘に尽力したラエルの方を見ると、引き続き逃げ道を開くべく精霊の力で岩を掘り起こしている。が、出口を塞ぐ岩石の山は依然として大きく、開通まではまだ時間がかかりそうだった。


 とはいえ、この時点でだいぶ見通しは明るくなった。竜のブレスを防ぐことができるなら、残りの時間を稼ぐのはそれほど難しくはなさそうだ。それにセラの攻撃のおかげでこちらが全力を出してもギギゼラは大してダメージを受けないとわかった。少し慎重すぎたかとルドルフは反省する。


 相手は赤竜。倒す必要があるとなるとげんなりするところだが、攻撃魔術で牽制しつつ時間を稼ぐだけならなんとかなるだろう。バルドとアクィラにも新しい武器を渡して全員で意識を散らすのがいいか。


 こうなればギギゼラにも多少は痛い目にあってもらうしかない。もともとギギゼラも子竜の件はかなり乗り気になっていたようだし、重ねて言うが逆鱗をやらかしたのは自分たちではないし、多少傷を与えても少し機嫌を損ねる程度でなんとかなるはずだ。きっと。


 そう方針を決めたルドルフは次元収納から取り出した竜殺しの剣をバルドに投げて渡した。


「バルド、この剣を使え。相手を殺す戦いじゃない。ラエルが逃げ道を開くまでの辛抱だ。くれぐれも急所は切るなよ」


 かつてエレイースの命を奪ったいわくつきの武器。竜に対するのにこれ以上の代物はない。


 しかしバルドがその宙を舞う深紅の剣の柄をしっかとつかんだその瞬間、ギギゼラが今までにない動きを見せた。


 ぎょろりと竜殺しの剣に目を向けるやいなや、間髪入れず、躊躇なく一直線にバルドに向かって突っ込んで行ったのだ。それはまったく予想だにしなかった動きだった。セラとルドルフが氷弾の雨を降らせてそれを止めようとするが、今度は怯む気配すらない。アクィラも炎を放つが、逆に赤竜に炎はまったく効果がなかった。


「おい! アタシにも早く何か武器をよこせ!」


 アクィラがそう叫ぶのも空しくギギゼラはバルドに肉薄し、突進の勢いを駆ってその鉤爪を突き出す。疲労困憊の体では横にも後ろにも逃げられない。覚悟を固めたバルドが竜殺しの剣を前に構えた。


 刹那。


 赤い刀身が、何の抵抗もなくスッと、竜の指の間から前足の中に入った。続けて前足の根元まで、その下側を料理人の包丁が魚の腹を割くように静かに切り裂いたかと思うと、そのまま胴体に食い込んでいく。バルドが体の前に立てた剣を中心に、竜の体の下半分はきれいに左右に分かれていった。そして少年の立つ場所を通り過ぎてしばらくしてから、ようやく竜の巨体の前進は止まった。


 赤竜ギギゼラは声を上げる間もなく絶命していた。胸から腹にかけてを大きく割かれて臓物と血だまりの中に沈んでいる。剣の通り過ぎた位置からして、おそらく心臓もまっぷたつになっている。


 竜の血を頭から浴びて真っ赤になったバルドは、竜の屍を後ろに立ち尽くしていた。何が起こったのかわからない。そんな顔だ。あっという間の出来事に、周りの者も同じ表情をするほかなかった。

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