第八十九話 奇妙な先客
街道の終点の村で馬車を預けたルドルフたちは、そこから徒歩で狭い野道を歩きはじめ、次の日には荒涼たる火山の山腹にいた。見上げるゲルナロ火山の頂からは灰色の噴煙がもくもくと上がっている。時折風に乗って卵の腐ったような臭いが鼻を衝いた。
火山特有の赤黒い砂利と時折転がる大岩を踏みしめて進むと、いくらか登った山の中腹に、洞穴がぽっかりと口を開けていた。
「ここだ。ギギゼラはこの奥にいる」
魔術で明かりを灯して中に入っていくと、どうやら自然の洞穴に少し人の手が入っている。人の手ではなく竜の手かもしれないが、ともかくもところどころ荒く岩を削って道が広げられていたり、急な斜面には階段が作られていたりして、一応道として整備されていた。
一行は思ったよりも広い洞穴の中を上ったり下ったりしながら注意深く進んでいく。途中、足下はるかに赤黒い溶岩を望む崖沿いの道などもあり、セラは暑さの汗と冷や汗を同時にかいた。
そして長い急な階段を下りている時のことである。
「ぅうわああああああああああああぁぁ!」
後ろの方向から大きな叫び声をあげながら、何者かが大きく弾みながら階段を落ちてくる。洞穴の暗がりから現れたその何者かの正体を見てルドルフは言葉を失った。
「ラエル!?」
とっさに言葉が出てこないルドルフの代わりにセラが大きく声を上げる。
それ以上落下する前にルドルフに受け止められたラエルはまったくの無傷であった。いつものごとく砂の精霊が手厚く保護している。
「ラエル! 大丈夫か!」
続いてバルドがラエルの名を呼びながら何度も大きく跳んで下りてくるのを見て、ルドルフは思わず天を仰いだ。
「お前ら……」
階段を下り切ったところでラエルとバルドが正座させられている。二人がルドルフたちのあとをつけてここまで来た顛末を聞いてルドルフは開いた口がふさがらなかった。
この道行きを企んだのはラエルだった。セラだけ同行を許可されたことに一晩寝ても納得がいっていなかった彼は、バルドを誘ってここまで運んでもらったのだ。誘われたバルドもいつもなら断るところだが、もともとは自分も赤竜を見に行くのを楽しみにしていたのと、また憂鬱な従士探しが始まるのかと思うと、ついラエルの口車に乗ってしまったというわけだった。
「もう! 無茶をして! みんなにどれだけ心配かけるかわからないの?」
セラが二人を叱った。心配かけるという点についてはセラさんもあまり人のことはいえないような気がするが、ともかく今はルドルフも彼女の意見に同感だった。
「だって、赤竜見たかったんだもん」
ラエルはぷいっとそっぽを向いて不満そうな顔をしている。
「ラエルはともかくお前までどうしたんだ」
「すみません……」
ルドルフの途方に暮れたような言葉にバルドは小さくなって反省していた。
「なかなか骨があるじゃねえか」
そんな状況の中でアクィラだけは心底楽しそうにしている。
しかしまあここまで来たら目を離す方がかえって危ない。考えてみれば戦いに行くわけではないのだし、言うほど危険はないだろう。と、ルドルフはラエルとバルドの同行を許可した。
「やったっ!」
両手を上げて喜ぶラエル。ルドルフはその頭に手を乗せて思い切り髪をぐしゃぐしゃに乱した。
「絶対に赤竜の前で余計なことするなよ」
やがて洞穴の奥に遠く炎の明かりが見えた。その明かりを目指して進んでいくと、そこは洞穴の終点だった。ひときわ大きな空洞が広がっていて、天然の壁にところどころ据え付けられた灯篭の明かりが、その一番奥にどっしりと鎮座する赤竜の姿を照らし出している。
その赤竜の巨躯はかなり丸みを帯びたフォルムをしていて、どっしりというよりもっちりと言った方がより適切かもしれない。赤竜ギギゼラは大方の想像よりもかなり太っていた。ルドルフが以前見た時よりさらに横に育っている。
そしてもうひとつ意外なことがあった。なんと先客がいる。ぼろをまとった小さな少女がギギゼラを見上げながら何かを話しかけていた。そしてその少女の横には黒い肌をした旅装の耳長がいる。
ダークエルフ!?
それは以前ルガルダのダンジョンで出会ったのとは別のダークエルフだった。光の加減によっては銀色にも見える灰色の長い髪をしていて、満面の笑みでニコニコしている。
ひそかに覗き見るルドルフは思わず回れ右をしたくなったが、なんとかその誘惑に耐えると、入り口の影に隠れてそのまま様子をうかがった。
少女は舌足らずながらも表現力豊かな竜語でギギゼラに話しかけた。
『えっと、ギギゼラさん、そろそろどう……ですか? そろそろヌイといっしょに来てもらえたり~、なんて……あ、駄目だったらやっぱり無理はしなくていいんですけど』
少女の言葉は終わりに近くなるにつれだんだんと小さくなっていく。そしてそこまで言ったところで首を小さくかしげてチラっとダークエルフの顔色を見た。ダークエルフはギギゼラの方を向いてニコニコしている。
『い、いや、ぜ、ぜひ来てもらえるとうれしいんですけど』
少女の声がまた勢いを取り戻した。
『ヌイよ、何度も言うがそれはならんのだ。お前のことは嫌いではないが、わしは忙しい。やることがあるのだ』
ギギゼラが大きく息を吐いて億劫そうに言った。
『あっ、やること! そうでしたよね。たしか昨日も聞きました。じゃあ仕方ないかな……』
少女は再びチラっとダークエルフを見る。
『じゃ、じゃあ、それが終わるまでヌイは待ちます。いくらでも待ちますよぉ? ど、どれくらいかかりそうですかね』
『それも昨日言っただろう? すぐには終わらないことなのだ。とても難しいことだから詳しく説明はできない』
『そうですかー……そうでしたよね』
チラっとダークエルフを見る。
『で、でも、もしかして気が変わったり、とかしませんか? た、たまには、そ、外の空気を吸いたいなー、なんて。あはは』
チラっとダークエルフを見る。
『あっ、ヌイにできることなら手伝います。いや、是非手伝わせてください!』
少女はにへっとぎこちなく笑った。卑屈な笑顔である。
黙って口角を上げるギギゼラ。竜の作り笑いをルドルフは初めて見たと思った。
ギギゼラは明らかに迷惑そうにしているが、なぜか少女を無下にもできないようだ。ダークエルフの手前だろうか? いや、竜という種族はエルフもダークエルフも等しく下に見ているはずだ。
しばし沈黙が流れる。
少女はチラっとダークエルフを見た。ダークエルフは相変わらずニコニコしている。
『えっと……ヌイがなんでギギゼラさんに来て欲しいのか、ちゃんと伝わってないかもしれないので、もう一度いちばん最初からお話しますね。また時間がかかると思いますが、い、一生懸命話すので聞いてください! あ、ディアドロさんにお手伝いしてもらって直して来たので昨日よりわかりやすくなってると思います……きっと……』
ギギゼラの目がスゥっと光を失い死んだ魚のような目になった。何かに備えて心を閉ざしたようだ。




