第八十六話 王都へ行こう
夕方を前にして寺院の中がにわかに慌ただしくなった。
セラやアクィラが自分の部屋で何やら荷物をまとめていると思ったら、ベルタ、シャーロット、メアも同じく旅支度を進めている。
バルドは何が始まったのかとその様子を眺めていた。
「バルド、あなたも支度をしてください、明日から私たちも王都へ行くんですよ。グラナフォートともしばらくお別れです」
足早にそばを通ったマルクはそう言うと、夕食が近い時間にもかかわらず、転移門でどこかへ出かけて行った。
王都!
バルドはその言葉に強く惹きつけられた。もちろん聞いたことはある。この大陸を治める王国の首都のことだ。が、まだ行ったことはない。
荷造りしているセラに尋ねると、子竜のために赤竜を訪ねてゲルナロ火山という場所へ行くらしい。その途中で王都を経由するのだそうだ。
火山に竜に会いに行くというのもバルドの胸を最高にワクワクさせた。それにまた気心知れた仲間といっしょに旅ができる。バルドは急いで自室に走り込むと、荷物を背嚢に詰め始めた。それ自体はものの十分も経たずに終わったが、バルドは念のため二度三度繰り返し荷物の内容を確認していた。
* * *
ルドルフはいつものように夕食の支度をして、広間でみなを待っていた。食事が始まると、みなのはしゃいだ様子で食卓はいつもよりも賑やかになった。早くもベルタが王都の話を子供たちに聞かせたりしている。
王都に行くのがそんなに楽しみか、とルドルフはなにやら微笑ましくなった。
翌早朝、グラナフォートの東門に二台の幌付きの馬車が停まっていた。マルクが急なことにも関わらず手配してくれたものだ。
マルクは長らく隊商の護衛をしていただけあって、便利な伝手を色々と持っている。馬車の前にはいつも居たりいなかったりで忙しいアリアナまでをも含めて、見知った顔のすべてが揃っていた。寺院はしばらくの間完全に留守となるので、念入りに戸締りをしてきた。
やがて二台の馬車はゆっくりと進み始める。片方はルドルフ、もう片方はマルクが御者を務めている。早朝とはいえ、一番日の長い時期なので、太陽はすでにかなり高いところにいる。まだ真夏には少し遠い朝の空気は涼やかで、進んでいく街道の景色を眺めるのも気持ちが良い。馬車の中では、旅の空気に浮き立っている者があり、あくびをして二度寝を決め込んでいる者があり、各人銘々に過ごしている。
王都マクベルンまではひとまず十日の旅路となる。
翌日の半ば、馬に乗った十人余りの神殿騎士たちとすれ違った。その時はちょうど御者台にルドルフとセラが並び、その後ろからアクィラが顔を出していた。神殿騎士のうち一人が気づいたようにこちらを指差すと、幾人かが険悪な雰囲気でその指の先を睨んだ。
ルドルフは例のごとく認識阻害の仮面を被って空気同然の存在感となっているので、神殿騎士たちが睨んでいるのはルドルフではない。ちょこんと座っているセラでもない。アクィラである。
アクィラがグラナフォートの神殿騎士たちをまとめてのした話は秘されているはずなのだが、どうしてか裏ではかなり広まっていて、町の酒場でもわずかに噂されているくらいだった。それによって神殿内にはアクィラに強い反感を燃やす者が多い。ルドルフ以上の不人気だった。
アクィラはその視線を涼しい笑顔で受け止め、無言でひらひらと手を振り挨拶を返した。
「それにしても、この辺りの景色もだいぶ様変わりしてるなァ」
神殿騎士たちとすれ違ってしばらくしたあと、アクィラがふと口にした。どうやら二百五十年前と比べている。アクィラの知る昔に比べると街道はいくらか粗末だし、村と村の間隔も記憶にあるものより広いという。
「六十年前の大戦でここらへんにも魔物があふれたからな。その頃になくなった村も多い。それでもだいぶ元には戻ったと聞くぞ」
アクィラの言葉につられてルドルフも昔を思い出す。世界の最北の島から発した極北の魔王の脅威は、その隣りの北方大陸から中央大陸、その東西の大陸までをも巻き込み、海を隔てて最も離れたこの南方大陸にまで届いていた。
ルドルフがそのころ住んでいた大陸東部はまだマシだったが、王都のあるここ西部と、聖都のある中部は、魔物たちの侵攻で大変どころの騒ぎではなかった。
「そういやかなり前だったか、死霊国にもやたら魔物が攻めてきたことがあったなぁ。あん時は西に東に大忙しだったぜ。あれはその魔王とやらの軍勢だったのか」
皮肉なことにその六十年前は死霊国が魔物の脅威への強力な防波堤として機能していたのだった。グラナフォートやこの国の王都が魔物の侵攻の波を持ちこたえられたのは、魔物たちの多くが死霊国に吸い込まれ消えていったためでもある。どうやらアクィラもその一助として活躍していたようだ。
その時代は特に西側の海の果てから攻めてくる魔物の数が無尽蔵だったが、倒した魔物をアンデッドにして自らの駒にしていた死霊国側の兵力もまた無尽蔵だった。数の力押しは不死の王が率いるアンデッドの国相手には悪手である。
好天にも恵まれ、馬車の旅は特に何ごともなく穏やかに進んだ。一行はちょっとした行楽に行くようなムードで、広大な平野を一望にする丘の上で昼食にしたり、名瀑と名高い巨大な滝に少し寄り道したり、魔物たちとの古戦場跡を眺めたり、村々ではその土地のおいしいものを逃さず食べたりと、実際に物見遊山を織り交ぜながら道行きを楽しんでいる。
そんな旅も残すところ数日となったある日、野営地から少し外れたところに朽ちた馬車が打ち捨ててあるのが見えた。
「ねえ、あそこに壊れた馬車があるよ」
それを見つけたラエルが指さす。ルドルフもなんだろうとそちらを見ると、マルクがそれに答えた。
「たしか野盗にやられた馬車だね。もう何年も前からあのままかな」
マルクは隊商の護衛でこの街道を年に何回も往復する生活を送っていた。昨今のこの道に一番詳しいのは彼だ。
「野盗ってつまり人間にやられたってこと? 魔物とかではなくて?」
「人間だよ。悪い人間もいるからね。この辺りには魔物はまず出ないかな」
ラエルが意外そうな顔でしてくる質問に、マルクは率直に答える。
「野盗にあった人たちはどうなるの? 殺されちゃうの?」
「殺されるものもあるし、人買いに売られるものもある。いずれにしてもあまりいい目には合わないね」
それを聞いたラエルは何かを想像して怯えた顔をした。
「ははっ、うちらの馬車は大丈夫だよ。乗っている者がこんなに手練れぞろいなんだから。もし野盗が襲ってきたら野盗の方が気の毒なくらいだ。そもそもここのところは野盗が出たという話も聞かないしね」
そう言いいつつもマルクはこの旅の間、周りに異常がないかずっと目配りし続けている。特別に何かが起こると感じているわけではなく、単に仕事柄身についた長年の癖である。ルドルフから見てもその落ち着いた姿はなかなか堂に入っていた。
「マルクもすっかり頼もしくなりましたね~」
いつの間にか近くにいたシャーロットがニコニコしながら二人の会話に加わってきた。
シャーロットは再会した当初からごく普通にマルクと接している。実質的な年齢も逆転しているし、少年が成長した姿に二十年ぶりに会ったらほぼ別人のようにも思えるはずなのだが、彼女が混乱している様子はない。
「こ、このくらい大したことありませんよ。もし何か来てもシャーロットさんは俺が必ず守りますから!」
こういうマルクの態度が少年の昔と変わらないせいかもしれない。
ラエルがリズを石化させて年上になろう、などと考えた実例がここにある。
シャーロットが石化した時、十四歳も年上の彼女に淡い恋心を抱いていた少年マルクは、今や彼女より六歳年上の肉体になっている。その間、どうやらマルクはずっと一途だったようで、端から見ていてもその気持ちは明らかだった。シャーロットだけが相変わらずそれに気づいていない。
何はともあれ、先ほどまで頼もしい番犬の顔をしていたマルクはすっかり飼い犬の顔になってしまっていた。
それを見たラエルは何か言いたげな顔をしていたが「まあ確かに師匠やみんながいれば大丈夫だよね」と、辺りを見回し、セラやバルドと話しているアクィラを見つけてそちらへ足を向けた。その表情から不安な気持ちはきれいさっぱりと消えていた。