第七十七話 エピローグ 私が死んだら、その時は
戦いから五日ほどが経って、神殿はようやく聖剣の神子サイラスの死を世間に向けて公表した。
軍勢といってもいい数のアンデッドを相手に、神殿騎士の精鋭のことごとくが生死の境をさまよう熾烈な戦いの中、敵が全滅するまで聖剣を振るい続けた末の、名誉の戦死であると伝えられた。
それと同時に、不死の神子セラの功績が大々的に取り上げられた。
リッチキングに囚われていた業火の神子をその軛から解放し、味方として取り戻したことは大きな成果であると。
それは神殿にとってせめてもの体面を保つ材料であった。こちらも被害甚大ではあったが、リッチキングにも一泡吹かせた。そういうことにしたかったのである。
その戦果をもって、対リッチキングの試みは一定の成果を上げた、として討伐計画はいったん白紙とされた。
リッチキング討伐を推し進めていた国や神殿、そしてエルフたちにとっても今回の出来事は衝撃的だった。
一番おののいたのは神殿だ。打倒リッチキングのためにようやくの思いで鍛え上げた聖剣を危うく失いかねなかった。神子はともかく聖剣は唯一無二なのだ。聖剣さえあればいつかまたそれを扱う神子が生まれるが、その逆はない。
再び死者の軍勢に攻められてはたまらない、とリッチキング討伐の言説は急速にトーンダウンしていく。
回収された聖剣も聖都に戻され、次の使い手が現れるまで静かにその時を待つこととなっている。もしリッチキングの側に何か動きがあれば不死の神子を中心に対抗していくと説明があったものの、それ以上の具体的なことは何も言及されなかった。
そんな神殿の発表の翌日、初冬の冴え冴えとした早朝の空気の中、ルドルフとセラはグラナフォートを去る聖剣旅団を見送りに町の外れまで来ていた。
二人が到着すると、そこには黒い喪章のついた幌馬車が停まっていて、傍らにエレノアとザイオンが二人を待っていた。リズとルインは馬車の中から出てこない。夜を徹して旅の準備をしていたのだ。疲れ果てて眠っているのだろう。
彼らはこれからサイラスの遺体を聖都まで運び、そこでひそかに葬儀を執り行うことになっている。名声を誇っていた聖剣の神子のパーティとは思えない、寂しくひっそりとした出発であった。
「おはよう。旅の準備はつつがなく終わったのか」
ルドルフがエレノアとザイオンに挨拶の言葉をかける。すると馬車の影から一人の男が笑みを浮かべながら姿を現した。目元を隠す仮面をつけてはいるが、ルドルフにはそれが誰だかわかっている。
「なにもかもすまない。こうして見送りにまで来てもらってしまって」
それは死んだはずの男であった。
あの夜の闇の中でサイラスが最期を迎えんとする時、ルドルフは一本のナイフを取り出して言った。
「お前をアンデッドにすることはできん。だが、ひとつ、試してみたいことを思いついた。どう転ぶかはわからんがな」
ルドルフが取り出したのは命属性の魔術を秘めた魔道具のナイフ、ノーペインであった。本来は切った指先を治すだけの採血用の魔道具だが、無理矢理に魔力を注ぐことでより大きな傷を治すことができる。
ルドルフはその刃の腹をサイラスの胸の傷に押し当てると、ありったけの魔力を注ぎ始めた。自身の魔力のほか、備蓄していた魔石のすべてを山のように積み上げ、膨大な魔力のことごとくをノーペインに流し込む。刹那、ノーペインは赤く激しく輝き、短い刃を小さく震わせた。そして一拍の後にパチパチっと藁が焼けるような音を立てると、そのまま光を失い静かになった。
多大な魔力を消費しても胸に大穴を開け肺腑をえぐった致命傷を癒せるかどうかは何の保証もない。治せなければ費やしたものが無駄になるだけである。分のいい賭けとも思えなかった。しかしすべてが沈黙した後、サイラスの胸の穴は何事もなかったかのようにきれいに塞がっていた。それと引き換えにノーペインの機能は永遠に失われている。無理な使い方で壊れてしまったのだ。
「貸しは大きいからな。希少な魔道具を犠牲にしたうえ、この数年貯め込んだ魔力のすべてだ。いずれ必ず返せよ。必ずだぞ」
「ああ、必ず」
備蓄していた魔力はともかく、貴重な研究対象を失ったルドルフの言葉にはうらめしく未練がましい響きがどうしてもこもってしまう。サイラスはそれに短く毅然と応じた。
このあとサイラスは聖剣をいったん聖都に返還し、死を装ったまま姿をくらますことになっている。リッチキングの追及をかわすためだ。そしてこの大陸を離れて海の向こうへと活動拠点を移し、来たるべき討伐の日を待ってひそかに牙を研ぐ。
「サイラスが旦那にアンデッドにしてくれと頼んだ時は悪い夢かと思ったぜ。そりゃ死ぬより悪い。旦那には申し訳ないが、俺はやっぱり身内がアンデッドになるなんてゾッとしない。命は尽きたらそこで終わるべきだって思う。所詮、発想が凡人なんだな」
別れの言葉を交わす最中に、ザイオンがそんなことを言った。ルドルフに異論はない。それがまっとうな考え方というものだ。
「だがサイラスのそこまでの覚悟。俺たちは何があっても忘れやしないだろう」
ザイオンはそう付け加えた。リッチキングとの前哨戦ともいえる戦いで惨憺たる敗北を喫したにもかかわらず、その顔はどこか晴れやかだった。
エレノアは一言もしゃべらなかったが、別れ際に黙ったままセラに右手を差し出した。セラはその手を取り握手する。次にエレノアは同じくルドルフにも右手を差し出した。ルドルフは少し驚いたが、そのままエレノアと握手をかわした。
「次に会う時はリッチキングとの決戦の時になるだろう。私たちは必ず強くなって帰って来るよ。また会おう。その日までどうか元気で」
最後にサイラスはそう言って馬車に乗り込んだ。
薄曇りの透明な朝日の中、ルドルフとセラは馬車が街道の向こうに小さくなるまで見送った。
「私が死んだら、その時はアンデッドにしてくれますか?」
馬車が見えなくなる頃、セラがふとそんなことを聞いた。今回のことで神子の使命が命を賭したものだと実感したのだろうか。
「言っただろう。死なせはしないと。そのためにお前を鍛えているのだ」
ルドルフが真面目に答える。
「お婆ちゃんになるまでは生きるので!」
だが見上げる笑顔とその言葉でルドルフはセラがふざけているのだと悟った。
「それだったら死ぬ前に自らの力でリッチにでもヴァンパイアにでもなるがいい。お前ならその域まで楽に行けるさ」
「それじゃそのうち私にも死霊魔術を教えてください」
「いやぁ、一応禁術だからなぁ。さすがに弟子でも何か格別の交換条件がないと。伝手を見つけるだけでも俺はだいぶ苦労したもんだよ」
「命は尽きたらそこで終わるべき」というザイオンの言葉を受けて考えたが、今のところルドルフは自らリッチになったことを何ら後悔してはいない。だがこの先もそうであるかは自信がなかった。彼は物事を慎重に見定めるタイプなのだ。だからその答えが曖昧なうちは他人をアンデッドにすることは絶対にすまいと思っている。自分のことならともかく、他人のことは責任が取れない。
もしかするとあと五十年くらいしたら、ある程度は確かなことがわかるかもしれない。セラがリッチになるかヴァンパイアになるか悩む頃には、なにがしかのアドバイスができるようになっていればいいのだが。




