第七十六話 アクィラの選択
「あなたが聖剣の神子を殺さなかったのはなぜ?」
それはアリアナの大きな疑問のひとつだった。業火の神子の力を使えばやりようはもっといくらでもあったはずだ。
「殺せとは言われてなかったし? 王様もアタシに締めを任せるのは不安だったんだろう。ま、戦うなとも言われてなかったんで、あわよくばあの胸糞悪い剣をぶちこんで終わらせてくれないかと軽くちょっかいかけたんだが……駄目だなあれは。弱すぎる。もっとちゃんと鍛えとけよ」
「だったらわざと負ければよかったのに」
「そうもいかねぇんだなこれが」
自死やそれに準ずる行為はリッチキングに禁じられていた。聖剣をわざと紙一重で避けていたのは、当たらないと心底確信していたからである。
「ちなみにそこのデカブツにやられたのは、アンデッドに危害は加えるなって言う王様の命令があったからだぜ。魔物との戦いで敵味方かまわずボカボカ焼いてたらアタシだけそんな制約をかけられちまってな」
そこでまたアクィラはケケケとおかしそうに笑った。
その説明でルドルフは自分に対してアクィラがあまりに無抵抗だったことに合点がいった。
次にアリアナは最も気になっていることを聞いた。それは今までの常識ではあり得ないはずのことだった。
「ところであなたが率いていたっていうゴブリンのゾンビは何? それにあの数」
死霊国はゴブリンだけではなく多くの魔物をアンデッドとして従えている、とアクィラは語った。積極的にアンデッド化させるというよりも、勝手に死霊国に攻めて来て死んだ魔物たちが、死者の大地の瘴気にあてられて自ずとアンデッドになっているらしい。
その新しいアンデッドが西の魔物たちの土地にさまよい出ることで瘴気の汚染が進み、死霊国はそちら側にも徐々に広がっている。すると土地を取り戻そうとする魔物たちが不毛にもまた攻めて来る。西側ではそんな魔物たちとの戦いがずっと続いていて、アクィラもつい最近まで前線で戦っていた。
リッチキングはそうやって増え続ける魔物のアンデッドを集めて新たな戦力にしている。
「数に関してはゴブリンってのはとにかく増えるのが早いからな。殺しても殺しても新しいのが来てアンデッドになっちまう。馬鹿だよな。今回はだいぶ焼いてやったが、まあ、すぐまた増えるんじゃねえか?」
自分が把握していなかった死霊国の情勢を聞いてアリアナは目を細めた。
ここまで会話してわかったことは、敵の中で長年働いてきたアクィラは情報源として計り知れない価値を持っているということだった。まだまだ聞きたいことはあるが、これ以上は場所を改めた方がよさそうだ。
アリアナは最後にこれだけは今日確認しておかなければならない、ということを告げた。
「それはそうとアクィラ、あなたはまだ神子の使命を果たす気があるかしら? そのつもりならまだ機会は失われてはいないけれど」
そして少しの間をおいて付け加えた。
「でももし終わりたいというなら、こちらが聞きたい話をひととおり聞いた後で終わらせてあげる。エルフも死者に鞭打って働けとは言わないわ」
死者に鞭打って働かせている気がするんだが? とルドルフは口を挟みたくなったが黙っていた。
「それはまだ使命の報酬も有効ってことか?」
常にニヤついていたアクィラがにわかに真剣な顔になって問うた。神子の使命を果たした者にはなんでも望む報酬が与えられる。
「もちろん」
アリアナは即答する。
「ああ、でも弟さんの病を治すって願いはもう無理だけど」
「……そりゃ当然だな。もうとっくに死んじまってるだろう」
アクィラは言った。その言葉の中には自嘲と寂しさがないまぜになっている。
「でも病は治って七十まで生きたわよ」
アリアナの一言にアクィラはなぜか衝撃を受けて固まった。その顔には先ほどまで張り付いていた余裕はまったくなくなっている。
乾いた笑いが漏れた。
「不治の病だって話だったのに勝手に治ったのか。あのヤブ医者め。アタシが神子になったのも……アタシの仲間たちが死んだのも……こりゃどうやら無駄だったな。はは……」
さっきまでの威勢のよさはどこへやら。それはやっとのことで絞り出したような弱々しい言葉だった。神子の使命にかけていた願いが、まさか待っているだけで果たされるものだったとは。
しかしアリアナはその徒労感を悟って訂正した。
「違うわよ。あなたが死んだあとデンゼルが強く掛け合ったの。エゼルがアンデッドとして敵方にいるのを事前に察知できなかったのはエルフの落ち度だと言ってね。それで薬が手に入って治ったんだから」
その言葉にアクィラはまたしても固まってしまう。今度は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
「おかげでその子孫も健在よ。今も王都近くのあなたの故郷で暮らしてる。会いに行く?」
「……いや、それだけ聞けば十分だ。死人が今さら余計なことをするもんじゃねぇ」
それきりアクィラは神妙な顔で黙った。そのまましばし沈黙が続く。
「わかったわ。じゃあ行きましょうか」
かなり待った後で、アクィラに戦う理由はもうない、と判断したアリアナは話を切り上げようとする。
「は? 勝手に話を終わらせるなよ。そりゃつまり報酬を前払いしてもらってたってことじゃねーか。デンゼルのお人好し野郎め。余計なことしやがって。ムカつくぜ」
ムカつくという言葉とは裏腹に、彼女は吹っ切れたような笑みを浮かべていた。
「アタシは報酬分の仕事はきっちりこなすからな。リッチキングにもずいぶんと貸してある。それも返してもらわねーといけねぇ」
アクィラが力のこもった目つきではっきりそう言うと、アリアナはニコリととてもいい笑みを見せた。
「ところでこれは軽いお願いなんだが……とりあえず新しい服をくれないか? ちゃんとした女物だと助かる。あと義手なんかも作ってくれたらうれしいんだが」
アクィラがいくらかしおらしく言った。
今は胸と腰にぼろ布を巻き付け、エレノアの放った氷の槍で腹に穴が空いている。右腕はセラのエナジーショットに吹き飛ばされてなくなっていた。有体に言って無惨な格好だ。
「義手とは言わず、まるっと体を直してやろうか?」
「直せるのか!?」
ルドルフが軽く言うと、アクィラはこの日一番の大声で食いついてきた。
ルドルフはアンデッドの負った傷を修復することができる。アンデッドとしても止めを刺されているようなら無理だが、そうでなければ、腹の穴を埋めたり、腕を生やしたりくらいは造作もないことだ。
「その腹と腕だけでいいか?」
「あとこっちもお願いできると……」
アクィラが少し恥ずかしげに胸を覆う布を指で少し引っ張って見せると、その下には痛々しい傷口が開いていた。かつてサイラスと同じようにエゼルに開けられた胸の大穴だった。




