第七十三話 聖剣沈黙
一直線に突き出された無骨な大剣。握る右腕は巌の塊のように隆々として、やはり一直線に伸びていた。その直線が聖剣の神子の胸を鎧ごと貫き、ぶらりと地面から持ち上げている。
太い首、分厚い胸板。剥き出しの筋肉で全身を鎧ったその巨漢は、前触れもなく突然その場に現れた。
少し離れたところから見ていれば、アクィラの背後の闇から姿を現した男が、まるで弩の矢のような速度で飛んできたのがわかっただろう。それはひとつ呼吸する間に、慮外の距離から聖剣の神子の目前まで迫っていた。
「あーあ、つまんねぇ」
巨漢の大剣が聖騎士を串刺しにしている様を見て、アクィラは心底残念そうに言った。
「惜しいとこだったのにな」
怪腕の神子エゼル。
最初にリッチキングに挑み、最初に敗北した二百八十年前の神子である。身体能力を極限まで高める異能の持ち主だ。軽装の鎧の隙間から隆々たる体躯をのぞかせている。
エゼルは仏頂面のまま切っ先を下げ、くずおれた聖剣の神子の体から無言で剣を引き抜いた。犠牲者の胸から背中にまで開いた大穴から血が噴き出す。頑強な板金の胸部装甲も、法術と魔術で重ねに重ねた守りも、この男の振るう剣の前ではことごとくが無意味だ。力なく倒れた聖騎士の周りにたちまち血の海が広がっていった。女神官が叫びとともに走り寄り、大槌をエゼルに向かって振るう。
エゼルは眉ひとつ動かさずに丸太のような腕を振り回し、近づく女神官を、そしてそれぞれが何かする素振りを見せたほかの者たちをも次々に大きく殴り飛ばした。動く者はない。まさに鎧袖一触である。
立ち上がったアクィラが吐き捨てるように言った。
「おいおい、あいつら死んでねえぞ。ほかもちゃんと殺してけよ。可哀想だろ」
腹に刺さった氷はすでに炎で溶かしてある。こちらの大穴からは血は流れていない。
「俺が殺せと言われたのは聖剣の神子のみ。もうその仕事は済んだ」
エゼルはそれきり悠然と身を翻し、西側の森に姿を消した。
「チッ、クソ仕事のおいしいところだけ持っていきやがって。もう少しサービスしてやってもいいだろうに」
エゼルが去った後、アクィラは落ちていた聖剣を片手でひょいと拾った。おもむろにその刃を自分の首筋に当ててみるが何の反応もない。
「使い手がいなければただのゴミってか」
アクィラはそれきり聖剣には興味を失い、適当にその辺に放り投げた。アンデッドにとって必殺の武器であるこの大剣も、聖剣の神子の手になければ単なる鉄クズの塊だ。
そんな彼女の目に治癒の法術を必死になってかけ続けている女神官と横たわる聖騎士の姿が映った。ほかの三人は未だ動けずその周りに這いつくばっている。
「おや、そいつまだ生きてるのか。でもそれっぽっちのしょぼい法術でその大穴が塞がるもんかよ。どう見たって致命傷だよ」
最初は嘲りの笑いを浮かべていたアクィラの顔に、しかしやがて苛立ちが広がる。
「まったく、無駄なことしてるやつを見ると腹が立つ」
アクィラは一心不乱に法術を行使している女神官につかつかと近づき思い切り蹴飛ばす。大きく吹っ飛んだ女神官はよろよろと立ち上がると再び聖剣の神子のもとへと歩き、血だまりに座り込んでまた治癒の法術をかけはじめた。終始アクィラには目もくれない。
「クソッ! そいつもお前ももう終わってんだよ! さっさと燃えちまえ!」
そう言い終わるや否や、女神官の全身が炎に包まれた。
「眠れ! 火の精霊たち」
しかしその声とともに女神官を焼こうとしていた炎は勢いをなくし消え去った。
ほぼ同時に巨大で強い魔力の塊がアクィラを襲った。魔術、エナジーショットである。完全に不意を突かれたにもかかわらず、アクィラは体をひねってなんとか致命打を避けた。右腕が肩から吹き飛び、手にしていた三叉鉾は地面を何度か弾んで遠くに転がっていく。
腕が片方なくなったことに顔をしかめるアクィラの前に、まず小さな少年が姿を現した。続いて少し背の高い少年が前に出て大剣を構え、魔術師らしき少女がその後ろで短杖を手にしている。みな緊張の面持ちだ。アクィラは泰然としてその彼らと対峙した。
「へぇ、ガキども。お前らか。アタシの炎を消したのは」
「悪いやつにもう火は使わせないぞ!」
「悪いやつ、か。クク……」
見れば近くで家屋の残骸を燃やしていた火もいつの間にか消えていた。腰が引けつつも得意顔をしたこのガキの仕業らしい。
「どうやってるか知らないが、面白い。それじゃあこっちも強火で行こうかァ!」
アクィラが残った方の左手を振り上げると、周りのすべての焼け跡がくすぶり始める。新たに赤い炎がそこかしこに踊り始めた。うってかわって楽しげな表情となった彼女の顔を炎が赤々と照らす。
「ほらほら、どうしたぁ?」
「火よ、眠れ!」
少年が再び呼びかけるとまた火はぱったりと鎮まったが、間を置かずまた踊り始める。
「駄目だ、どんどん新しい火が生まれてきてる。眠らせても眠らせてもキリがないよぉ……」
少年が早くも吐いた弱音の通り、彼が火を消す速度よりもアクィラが炎を生み出す速度の方が速かった。少年も懸命に火を消し続けるが炎は徐々に勢いを増していく。
「アタシに火を使わせないんだろ? 全部消してみろよォ!」
剣を持った方の少年が大剣を手に飛び掛かって来る。目の前に炎を躍らせるが、止まらない。火傷をするのもおかまいなしの強引さだ。
それはとても少年のものとは思えない鋭い踏み込みであったが、しかしアクィラにとってはどうということもない。ひらりとかわし、かわしざまに軽く膝蹴りを繰り出す。腹にもろに食らって動きを止めた少年に追い打ちの蹴りを叩きこんだ。
元いた場所まで転がっていった少年は、しかしすぐに何事もなかったかのように立ち上がった。打たれ強さはなかなかのもののようだ。
『エクスプロージョン!』
刹那、少女の魔術が炸裂し、爆炎がアクィラの身を包んだ。その炎の中でアクィラは白けた顔を見せる。
「あーあ、せっかくの服が。ま、いいか。腹に穴開いてたしな」
炎が消えた後、アクィラは平然とその場に立っていた。着ていたワンピースが燃え尽き、胸と腰を覆うぼろ布だけの姿となっているが、爆炎は彼女の体に何の影響も及ぼしていない。
短杖を構える少女は驚愕の表情を見せた。
「悪くない火力だが覚えときな。火を使う相手に火ってのはたいがい悪手だぜ」
アクィラのつまらなそうな声とともに巨大な炎の波が三人を襲った。驚いた魔術師が素早くシールドの魔術を使うが、炎は展開したシールドごと包み込むようにして波打って迫る。炎が三人を飲み込んだ。
が、不思議なことにかろうじてその炎は三人に達していなかった。渦を巻く炎にまかれてはいるが、不可解にも砂や風が火を遠ざけ、水滴が膜を作り、皮一枚といったところで炎を食い止めている。
「へぇ。おかしな術を使うじゃねえか。しかしいつまで耐えられるかなぁ?」
「くそぉ、くそぉ!」
アクィラの顔が愉悦に満ちる。背の低い少年は諦めず懸命に火を消そうと試みているが、炎の勢いを止めることができない。アクィラの力の方が強い。
その少年以外の二人も炎に周りを囲まれて苦しげな表情をしている。直接火に焼かれていないとはいえ、迫る熱気にろくに呼吸することもままならない。
アクィラは禍々しい笑みを浮かべつつ、三人を興味深く見守った。さあ、まだ何かしてアタシを楽しませてくれるのか。
その時である。不意に三人をうっすらと光るドーム状の壁が包んだ。それが炎を大きく弾き、中の三人の表情が和らぐ。
「師匠が来てくれた」
少女がほっとしてつぶやき、涙を浮かべるのが見えた。




