第七十話 戦いの狼煙
冷たい風の吹く夜半。
村を囲む森の木々が燃え盛る炎に包まれている。天を焦がす火柱が辺りの惨状を昼間のように照らし出していた。
パチパチと火の爆ぜる音と舞い散る火の粉の中に、男たちの怒号や女子供の悲鳴が響く。人の半分ほどの背丈しかない小鬼、ゴブリンの群れが跳ねまわって村の人々を殺して歩いている。その目は虚ろで肌は土気色。そのゴブリンたちはすでに生きていない。すべて動く死体、ゾンビであった。
三叉の槍を持ち、ぼろ布でなんとか胸や腰だけを覆った一人の少女が、阿鼻叫喚の殺戮の中をゆっくりと歩いて行く。ふたつ結びの赤髪と金色に光る瞳が印象的だ。肌は炎に照らされて赤々と輝いているが、陰になる部分には冷たい白が光っている。彼女もまた生者ではない。
「ちくしょう、バカスカ殺しやがって。やっぱりこうなるとアタシの言うこと聞かねーじゃねーかこいつら」
その少女が通るとゴブリンゾンビにやられて息絶えた人々の亡骸が次々と燃え上がり、辺りを照らす新たな松明となった。
その炎に照らされた家の前で、一人の村人が農作業に使うフォークを振り回し、ゾンビのゴブリンを必死で遠ざけようとしているのが目に留まった。
「おっと、ようやく第一生存者発見」
少女は今にも村人にとびかかろうとするゴブリンゾンビの首根っこを捕まえて引き戻すと、じたばたするそれを片手にそのまま村人に話しかけた。
「この家はお前の家か?」
村人は得体の知れない女を前に蛇に睨まれた蛙のように固まっている。その顔に脂汗がにじみ出た。
「お前の家かって聞いてるんだよ。しゃべれねえんなら死ぬか?」
「あ、ああ! そうだ俺の家だ!」
すごまれて我に返った村人は慌てて答えた。
「そうか、じゃあアタシの言うことを聞くならこの家を燃やすのは一番最後にしてやる」
村人はとにかくこくこくと首を縦に振る。
その様子を見た少女は上機嫌な笑顔を見せ、その隣りの家を指差した。すると不思議なことにその家はパチパチと音を立てて根元から燃え始めた。
「ありがたいリッチキングのお言葉だ。グラナフォートまで行ってこう伝えろ。『聖剣の神子一人でこの村まで来い』とな。アタシはそいつが来るまでこうして村の家を一軒一軒燃やしていくから。そいで全部の家が燃えちまったら次の村で同じことをする。オーケイ? 理解したか? よし、じゃあ村の出口までは送ってやる」
* * *
ルドルフらは帰還の余韻にひたる間もなかった。
グローザ村がアンデッドたちに襲撃されたという報で町は大騒ぎとなっている。その村はこの春のアンデッド掃討でルドルフたちが馬車を預けた場所だ。
命からがらグラナフォートまで逃げてきた村人たちによると、襲ってきたのはなんとゴブリンのゾンビであったという。逃げてこられたのはわずか十名足らず。村の北側から大きな火の手が上がったのを見て速やかに村の外へと脱出した者たち、そして得体のしれない少女から伝言を預かったという男だけだった。
そのシンプルな伝言はたしかにグラナフォートの神殿に伝えられた。リッチキングのアンデッドたちが積極的に攻めてきたというかつてない事態に、町は異様な空気に包まれている。出身の村を心配する者、聖剣の神子がなんとかしてくれると楽観的に構える者、アンデッドたちとの戦だと息巻く者、少数ながら早くも東の王都へと逃げていく者もいた。
リッチキングの言葉を伝えたという謎の少女の正体、魔物であるゴブリンのゾンビの出現など、気になることはいくつもあったが、とにかく敵は聖剣の神子を狙っている。急遽開かれた神殿とギルドの協議の結果、対抗措置は速やかに決まった。
指名された通りに聖剣の神子が件の村に向かう。ただし一人でではない。
急報がもたらされた翌早朝。神殿の前には大勢の人間が集まっていた。
聖剣旅団の五名、神殿騎士たちが十数名、それに刹那の色彩に加えてルドルフらと子供たち。いずれも戦いに向けた装備をしている。相手から名指しにされたのは聖剣の神子だが、不死の神子、つまりセラも当然のように同行することになっていた。これはすでにリッチキングを倒すという神子の使命の一環であるという理屈だ。
「不埒なアンデッドどもを必ずや滅してくるのだ!」
「はっ、必ずや」
「承知」
神官長代行の一級神官が檄を送ると聖剣の神子サイラスと神殿騎士長ボードウェルの二人がそれに応えた。リッチキングの要求を唯々諾々として呑むという意見は皆無だった。少し早いが死霊国との前哨戦だと神殿騎士たちの士気は高まっている。グラナフォートは万単位の人間が住む町としては最も死霊国に近い。こうした有事のために神殿選りすぐりの精鋭がたちが控えていた。
周囲で着々と出発の準備が進む中、サイラスは常になく気を張っている様子である。
「おいおい、今からそんなに硬くなるなや。気負い過ぎると肝心のところでしくじるぜ」
いつの間にかやってきたザイオンがサイラスの肩に手を置いて言った。その顔にはいつもの締まらない笑みが浮かんでいる。
「たしかに気負うにはまだ早いな」
それでサイラスは肩の力を抜き、少しいつもの調子を取り戻した。
神殿騎士の多くは馬車で、神殿騎士長以下数名は馬に乗り出発した。昨日まで第十二層でアライアンスを組んでいた冒険者の面々もそれぞれの馬車に乗り込む。
村が襲われてからもはや四日が経過している。
逃げてきた村人たちの話を聞くに、すでに人命を助けるという段階ではないが、アンデッドたちはそこで撃滅しなければならない。ほかの村に被害が拡大する可能性も考えると迅速な行動が求められていた。
一行は三日かかる距離を二日足らずで急行した。
この程度の強行軍なら精強な神殿騎士たちはものともしない。馬は途中の村で一度換えた。馬車の中の者は二倍増しの揺れに耐えながらも思い思いに体を休めて戦いに備えている。
グローザ村に近づいたのは出発の翌日、日がだいぶ傾いた頃だった。
村の入り口付近にある家はすべて黒い焼け跡となっていて、木の焦げた焚火のような臭いがただよっている。人の姿はないが、地面に広がる灰の中に崩れた頭蓋の残骸がかすかに見えた。人々は骨すらほとんど残らないほどに焼き尽くされたらしい。
報告にあったゴブリンゾンビの姿もない。
だが遠目にはまだ家が燃えているとおぼしき煙がずっと狼煙のように見えていたし、聖剣の神子を来いと呼び出した以上、撤退したとは考えにくい。
謎の少女ともども、村のどこかで待ち伏せていると見るのが妥当だろう。
家は一軒ずつ燃やすという話が本当ならば、現在家が燃えている場所に敵のいる可能性が高かったが、残念ながらそれが今どこにあるかはわからない。山中の森がちな地形に広がる村のため、村内に入ってしまうと見通しがきかなかった。
もとはウルムトに続く街道沿い、今では街道の終点にあるこの村はそこそこ大きく、人々が居を構えていた範囲も広い。そこでボードウェルは聖剣の神子を含む神殿部隊と、不死の神子が率いる別働隊の二手に手分けすることを決めた。
「敵の数も規模も分かっていないのだ。戦力はむやみに分散するべきではないだろう」
その決定に思わずルドルフが意見を述べる。ここまで来たら手分けしてまで急ぐ必要はないのだ。その意見にサイラスはたしかにとうなずいたが、ボードウェルは有無を言わさずきっぱりと切り捨てた。
「わきまえよ。貴様ごときアンデッドの進言など不要。不死の神子とてまだ右も左もわからぬ子供よ。大人しく我らの指示に従っておれ」
先だって転移魔術での先行偵察を提案した時も、ボードウェルはそれを許さなかった。少しでも情報が欲しいだろうに、とルドルフは考えたが、出過ぎた真似をして足並みを乱すのは得策ではないと考え強行はしていない。
人間に対しては人当たりの良い誠実な武人といった風のボードウェルであったが、ルドルフに対しては蔑みの感情を隠さず接してくる。これは他の神殿騎士も同じで、神殿の者のルドルフに対する基本の態度であった。
不死の神子にはかろうじて頭を下げるが、ボードウェルの発言通り子供として侮っている様子も見え隠れしている。ましてやその下僕たるアンデッドなどものの数とも思っていないのだ。
そしてそのボードウェルにサイラスたちもおいそれとは逆らえない風である。立場こそ神子という権威あるものだが、神殿内の序列ではサイラスは神殿騎士長の下位に属する。
まあ敵がアンデッドならば、滅多なことでサイラスたちが後れを取ることはないか。それにいざとなればこちらも勝手にやらせてもらうだけだ。
そう心に決めたルドルフは今度も大人しく引き下がった。これだけ下に見られていると言い争うのも時間の無駄だ。今さら神殿騎士の態度に気を悪くするといったこともない。ルドルフ、セラ、ラエル、バルド、それに刹那の色彩の三人を加えた七人は、ボードウェルの言う通りに別働隊として村の北側へ向かうことになった。
「本当にみんないっしょじゃなくて大丈夫なの?」
やりとりを聞いていたラエルが心配そうにルドルフに聞く。ダンジョンに向かうのとは違う殺伐とした雰囲気を感じてか、ラエルはずっと不安な顔を見せている。
「まあいずれも精鋭ぞろいだ。万が一が起きてもそこまでひどいことにはならんだろう」
ラエルを怖がらせても仕方がないのでルドルフは当たり障りのないことを言うにとどめた。いずれにせよここまで来てしまったらやれるだけのことをやるしかない。
セラやバルドはともかく、ラエルを連れてきてしまったのはちょっとしくじったか? とルドルフは考えていた。
本人も付いてきたがったとはいえ、筋合いから言うと今のラエルは関係者ではない。また戦いの中でも割と冷静に動ける二人に比べると、ラエルはむらっ気がありやや頼りない面もあった。非常に強い力を持ってはいるが、戦いではそれがゆえに判断を誤ってあっさりと死んでしまうこともあり得る。
もっとも今きちんと不安を感じているようなら大丈夫か。奇妙な話ではあるが、ルドルフは不安がるラエルを見てかえって安心していた。