第四十六話 冬の日々
ルドルフは今日も寺院の転移門の間でセラを待っている。毎日午前中は魔術の鍛錬をすることになっているのだ。
やがて身支度を整えたセラがとてとてと廊下を走ってきた。鍛錬前の彼女はいつも溌剌としていてうれしそうだ。
「お待たせしましたっ」
「よし、行くか」
寺院の周りが雪に閉ざされるまでは野外を鍛錬の場所としていたが、今はダンジョンの第八層の地脈の部屋を代わりとしている。ルドルフとセラは転移門を乗り継ぎそこまで移動した。
鍛錬の時間は大きく分けて毎日同じ日課と、日々異なるテーマに沿って工夫を重ねるもののふたつのパートに分かれる。
日課としているのは、すでに習得している魔術を一度ずつ使うというものだ。魔力を消費することで魔力を鍛えられるほか、覚えた魔術を慣らしていく意味がある。
魔術の呪文を寝てても唱えられるくらいに繰り返し練習しておくというのは大事なことである。とっさの時にミスって魔術の発動に失敗することもなくなる。
日々異なる方は特定の魔術の習熟を目指すものだ。高速詠唱を試したり、精度を高めたり、呪文の唱え方を少し変えて効果が変わるのを学んだりする。
特定の魔術といった時にどの魔術について練習するかは、ルドルフが指針や選択肢を示した上で、いつもセラに自分で決めさせていた。これは一方的にカリキュラムを組めるほどルドルフに指導の自信がないためであったが、十分な助言を得ながら学ぶ内容について自分で考えるというのはセラの魔術の理解度にかえっていい影響を与えていた。
今日は初級の魔術の高速詠唱を色々と試している。最終的にはそれぞれ一節の詠唱だけで発動できるようにするのが目標だ。時間をかけて強力な魔術を発動させるより、一瞬で弱い魔術を発動させた方がアドバンテージを取れる場面も多い。実戦を視野に入れた訓練だった。
そうして昼が近づく頃にはセラはきつそうな顔をして汗だくになっていた。その様はまるで激しい運動でもしていたかのようで、くせっ毛がしっとり額に張り付いている。魔力が尽きる直前まで様々な魔術を使い続けるというのは、体力が尽きるまで肉体の鍛錬を続けるのと同じくらい苦しいのだ。鍛錬のお供として負荷を倍加させる練魔の腕輪をつけっぱなしでいるため、それはなおさらである。
「よし、今日はここまでとしよう」
「はぁ~」
頃合いを見てルドルフが今日の鍛錬の終了を告げると、セラはその場にへたり込んだ。よくも毎日ここまで追い込めるものだとルドルフは感心する。用意していた水筒をセラに渡した。セラは礼を言いつつ受け取り、こくこくと水を喉に流し込む。
「セラはゆくゆくはどんな風になりたいのだ?」
数日前にアリアナとセラについて話していたことを思い出し、ルドルフはふとそんなことを聞いてみた。
「師匠みたいな魔術師になりたいです!」
セラは勢いよくルドルフの方に向き直ると、元気よく明るい笑顔で即答した。
こうしてセラが自分を慕ってくれる様にルドルフはやや戸惑うことがある。そこまで好かれることをした覚えがないからだ。
とはいえ優秀な弟子に慕われて悪い気はしない。
「フン、だいぶ目標が小さいな」
ルドルフは黒い眼窩に緑の光を煌々とさせながら軽口を叩いた。セラは顔をくしゃっとさせて満面の笑みを見せた。
この子は間違いなく自分を超える器だとルドルフは考えている。軽口はそう言う意味だ。ただしそれには神子の使命を無事に果たし、乗り越える必要がある。戦いに勝利して生き残る必要がある。そのための力をつけさせるのがルドルフの役割だ。
鍛錬の後始末を終えてルドルフとセラは転移門で寺院に戻った。
それから昼食が済み、午後の座学も終えた頃、廊下から騒がしい声が聞こえてきた。
「この野郎! 今日こそぶん殴ってやる!」
「ヘーイ、やれるもんならやってみ~。雑魚先生の雑魚弟子~」
からかうラエルをバルドが追いかけている。追いつきざまにバルドが繰り出すパンチは、しかしすべてラエルの周りをただよう砂の塊にガードされていた。ついでに砂を顔に食らったバルドが怯む隙に、ラエルはまた方向を変えて逃げ出す。そんなことを繰り返している。
暖炉の炎が燃える広間の中で二人が追いかけっこしているのは、もはや毎日の光景で誰も気にする者はない。ラエルは隙を見てはバルドを怒らせて楽しんでいた。鍛錬を優先して遊びに付き合わないバルドも、剣の師である剣聖を馬鹿にすればすぐに頭に血を上らせる。それがわかってから、ラエルは遊びたい時に好きなだけバルドを怒らせている。
しかし思えばバルドは今までこういう追いかけっこをしたことがない。神子になるまでは体が弱くてほかの子供と遊べなかったし、神子になってからは力が強すぎてほかの子供と遊べなかったからだ。この遊びはバルドにとっても実は意外にうれしいことかもしれない。
「殺す!」
バルドが咆えた。鬼の形相をしている。うん、いやそんなに微笑ましいものでもないかな。
「師匠、助けて! 殺される!」
ラエルがルドルフの後ろに隠れた。その言葉は内容とは裏腹に、心底楽しくて仕方がないといった笑い声をともなっている。
「師匠、そいつを渡してください」
バルドがルドルフの前に立ちふさがった。こちらは本当に人を殺しそうな顔をしている。ルドルフはため息をつく。別に匿ってるわけでもないので勝手に捕まえてくれ。
ラエルもバルドもルドルフのことをセラに倣って師匠と呼んでいた。他人の前では本名を隠すルドルフもこの寺院にいる者は身内とみなしている。なので全員がすでに本名を知っているのだが、なぜか誰も本名で呼ぶ者はなかった。
「ラエル! バルドをからかうのはやめなさい!」
もう我慢ならないとばかりにセラが毅然とした態度でラエルをたしなめる。その小さな体のどこから出ているのかというくらい大きな声に、かばわれたバルドの方がかえってビクッと震えた。
「止めてみればぁ?」
ラエルはおちょくる変顔を作ってセラを煽った。今度はセラがラエルの追手となった。
ラエルとセラが走り去っていき、毒気を抜かれたバルドがあとに残される。そのバルドにルドルフは尋ねた。
「相手は要るのか?」
「よろしくお願いします」
今日も木剣のぶつかる音が長い間途切れることなく寺院の一室に響いた。
冬の昼下がりの穏やかな時間が過ぎていく。
夕食の時間になってもラエルは絶好調だった。ルドルフがその元気に呆れていると、不意にふざけたラエルがバルドの皿から付け合わせのニンジンをつまんで放り投げる。そのニンジンが床に落ちるのと時を同じくして、ルドルフの拳固がラエルの脳天に落ちていた。その速度は精霊がガードする間もない。
「食べ物を粗末にするんじゃあない」
いつになく鬼気迫る様子でそう言ったルドルフの迫力に、ラエルは頭を押さえて涙目になっていた。そしてそれから二度と食事時にふざけることはしなくなった。




