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リッチは少女を弟子にした  作者: 川村五円
第二章 聖剣の神子

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第四十三話 神子の少年

 一人の少年がやってきてから一週間もしないうちに、アリアナが別の一人の少年を連れて寺院までやってきた。どこか不景気で頼りなげな顔をした少年である。


「こちらは神子のバルド君。十二歳よ。よろしくね」


 今日はセラの休日ということで、一同はグラナフォートに昼食がてら買い物などをしに行っている。寺院に残っているのはルドルフだけだった。そのルドルフはいきなりの訪問者、しかもそれが神子だという話に呆気に取られた。


 バルドと呼ばれた少年は十二歳にしてはかなり背が高く、すでに成人と言っても通じるなりをしている。セラと並べて互いの年齢を伝えれば、人々は逆ではないですか、と問い返してくるだろう。


「ここがエルフの修練場……? ということは、あれが俺の新しい先生なんですか?」


 バルドは怪訝な顔をしながら辺りをうかがっている。どうやら色々と思っていたのとは違うといった様子である。


「あれ呼ばわりは失礼よ。あれでも元は人間なんだから。ほら、ルドルフも挨拶して。握手」


「お前もあれ呼ばわりしてるじゃないか?」


 相変わらず話は見えないが、ルドルフは言われるままに名乗って握手の手を差し出した。バルドはその手を見た後、アリアナの顔を見る。アリアナはうなずいた。なんだろうこの妙なやり取りは。


「バルドです。よろしくお願いします」


 そのなんでもないような口調とは裏腹に、バルドは躊躇いがちに恐る恐る手を差し出した。最初はリッチの手を取るのを気味悪く感じているのかと思ったが、それはルドルフの思い違いだとすぐにわかった。


 バルドがルドルフの手を握った瞬間、バキバキッと音がしてルドルフの右手は握りつぶされていた。


「すっ、すみません!」


 バルドは慌てて手を放し、頭を下げる。顔を上げると、自分の方が手を握りつぶされたかのように歪んだ表情がそこにあった。


 今度はルドルフがアリアナの顔を見た。


「大丈夫。ほら、ルドルフだったらなんでもないから。もう直ってるでしょ」


 アリアナの言う通り、ルドルフの砕けた手はすでに再生し元通りとなっていた。バルドは驚きの顔で目をしばたたかせた。


 事情を聞くに、バルドは不安や悲しみ、怒りなどの負の感情で心が乱れると、その腕力を制御できなくなることがあるのだという。それで物を壊したり、人を傷つけたりしてしまう。先ほどルドルフの手を恐る恐る握ったのは、つまりそれを慮ってのことだったのだ。


 人並み外れた体力と腕力。それがバルドの持つ神子としての異能である。


 彼はもともとアリアナの担当する神子で、この間修行先の道場に預けたという少年だ。しかし他の門弟と諍いを起こして大怪我させてしまい、半年経たないうちに出奔。そこをアリアナが見つけ出してここまで連れてきたということだった。


 その説明の間、バルドはどこか所在なげに立ち尽くしていた。門弟と諍いを起こしたとのことだが、それほど問題児には見えない。


 そこでアリアナが木剣をルドルフに投げてよこした。


「じゃあ、まずは手っ取り早く互いの実力を知りましょうか。バルド、この男は壊れないから、本気で打ち込んでも大丈夫よ」


 とっさに木剣を受け取ったルドルフは言った。


「待ってくれ。まったく話が見えない。さっき先生だとかなんだとか聞こえた気がするが、お前は俺に何をさせようというのだ」


「バルドに剣を教えてくれない? 実は魔剣士として魔術も手ほどきしてもらうつもりだったから、ちょっとそれが早まったのとプラスアルファみたいなかんじで」


「なんだその大きすぎるプラスアルファは。俺が剣を教えるたって基本がせいぜいだぞ」


「基本だけでも教えてもらえれば御の字よ」


 ルドルフは開いた口が塞がらなかった。


「ちなみにもとの修行先とは?」


「剣聖の道場よ」


「えっ、剣聖ってことはアークの手ほどきをうけていたのか? それじゃ、どう考えても俺には力不足だ」


「あれ、そうか知らなかったの。アークは五年前に死んだわよ」


 ルドルフは思わぬ訃報に静かな衝撃を受けた。


「…………そうか、アークが死んだか……」


 実はルドルフは剣聖アークに少しの間、剣を習っていたことがある。同じ神子に仕える従士としていっしょに旅をしていた頃のことである。


 その頃はまだ剣聖とは呼ばれてはいなかったが、十九歳にしてその剣はすでに常人のはるか及ばぬ域にあった。ルドルフは未だにあれより強い剣士を見たことがない。なんでもありの戦闘ならわからないが、純粋に剣と剣の勝負ならばアリアナでもかなわないだろう。


「今の剣聖はジルベルト君。それはともかく……」


 ジルベルトという名が出た瞬間、視界の隅でバルドがわずかに身じろぎしたのがわかった。目に悲しみの色を帯びている。だがすぐにルドルフの視線に気が付くと、キッとした目つきになり、アリアナの言葉をさえぎって割り込んだ。


「お願いします。打ち込みの相手をしてくれるだけでも助かります」


 同時に自ら携えていた木剣を握りしめ、挑むように胸の前にかかげる。そのバルドのまなざしにルドルフもいささか神妙な気持ちになり、少し距離を取って無造作に木剣を構えた。


 間に立ったアリアナが「始め!」と声をかける。バルドは瞬時にルドルフ目がけて一直線に突っ込む。その踏み込みは剣を習って半年とは思えないほど鋭い。フィジカルまかせの強引さも否めないが、それは中級以上の冒険者にも匹敵する動きといえた。とてもただの少年のものではない。


 そのバルドが振り下ろした一撃をルドルフは棒立ちで受けた。木剣がローブ越しにルドルフの鎖骨を強く打つ。


「まさかこれが本気なのか?」


 ルドルフはバルドがインパクトの瞬間、力を抜いたのを悟っていた。バルドは土壇場で全力で打ち込むのをためらったのだ。とはいえ、普通の人間が受ければ間違いなく鎖骨が砕けるくらいの力はあった。


 バルドは黙したままもう一度木剣を振りかぶる。そして今度は満身の力を込めて一撃を見舞った。ルドルフは再び棒立ちで受けた。またしても木剣がルドルフの鎖骨を強く打つ。


「なるほど」


 今度は打たれた鎖骨は見事に折れた。鈍い音とともにローブが大きく陥没する。魔剣でもなんでもないただの木剣でリッチを傷つけるとは、凄まじい怪力である。だがルドルフは平然として肩を払い、間もなく凹んだ鎖骨も元通りになった。


 その様子を見たバルドの表情は驚き一色。だがしばらくすると同じ顔に笑みが広がった。そこには少年のあどけなさと、思い切り力を振るえることへの高揚感が含まれている。


「次はこちらからも行くぞ」


 ルドルフが片手で剣をふるう。流れるように三度、木剣が空を切る。軽く振るったように見えて詰め将棋のように相手を追い詰める的確な剣筋である。なんとかかわしたバルドの体勢が大きく崩れる。しかしバルドはその崩れたところから強引に立て直し、間髪入れずに矢のような反撃の突きを繰り出してきた。恐るべき身体能力の成せるでたらめな技だ。


 その常人ではありえない動きにはルドルフも虚を突かれた。突進してきたバルドをつい木剣で叩き落す。


「あ」


 とっさのことで手加減できず、バルドはそのまま顔から勢いよく地面に沈んだ。


「大丈夫か!?」


 その芯を食った手ごたえにルドルフは慌ててバルドを抱え起こそうとする。


 しかし当のバルドはルドルフが触れる前に跳ね起きて距離を取った。顔は土で汚れているが、まるで何事もなかったかのように木剣をこちらに向けている。尋常ならざるタフさだ。あれも神子の異能ゆえの打たれ強さなのだろう。


「すごい! 強いですね!」


 バルドは闊達に声をあげ、喜びの笑みを見せる。最初のどこか頼りなげなかんじはまったくなくなっている。全力で体を動かすのが楽しくてたまらないといった様子だ。年相応の子供らしい笑顔であった。


 間髪入れず遠慮なしに突っ込んでくるバルド。それをまた同じように叩き落すルドルフ。跳ね起きて野獣のように飛び回るバルド。もはや戦い方が剣士のそれではない。術理を捨てた野生の動きだ。まるで四足の獣のようである。


 しかし不規則ではあるがその動きは極めて読みやすいものでもあった。なんとなればルドルフがわざと隙を少し見せてやればそこにわかりやすく食いついてくるのだ。もはや頭ではなく本能で動くバルドを、ルドルフは何度でもえいっと叩き落した。


「まるで先生みたいだ!」


 バルドからすると自分の攻撃が当たらない上に、気がついたらルドルフの剣を食らっている。一方的な展開である。しかしその顔は遊ぶ子供のように楽しそうだった。


「へぇー、旦那もやるとは思ってたけど想像以上だね。動きの起こりがまったく読めない。魔術師のくせに剣の道でも本職顔負けってどうなってんだい」


 いつの間にか帰ってきていたベルタが感心したように言った。途中から二人の戦いを観戦していたのだ。見ればセラやラエルと言ったほかの面々もそろっている。


 動きの起こりとは、人が体を動かす時に現れる予備動作のことである。ルドルフもそれは前剣聖から聞いて知っている。無意識のかすかな筋肉のこわばりや体重の移動。戦いにおいてはそうしたかすかな動きが相手に攻撃の意図を伝えてしまう。コンマ数秒の差だが、それが相手に反応の暇を与える。


 しかしリッチとなったルドルフは魔力で体を動かしているせいか、その予備動作がない、あるいは非常にわかりにくいようだ。自分でもそんなことになっているとは初めて知った。


 予備動作がない攻撃は相手にしてみればまったく唐突なものとなり防御すら難しくなる。あらゆる武術の達人が苦心と工夫を重ねて手に入れる極致を、ルドルフはリッチになったことで棚ぼたのように手にしていた。


 腕組みしながら二人の戦いを見ていたアリアナは何やら誇らしげな顔をしている。あれは自分はわかっていたわ! という顔だ。

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