第三百四話 飛行訓練
転移魔術、即日連絡を可能にする術をもってルドルフは急使として各都市を回り、ニカマスにオウルとアンブローを、ポルモアにクロードを、クカマスにカミラを訪ねた。時を同じくしてセラはゼレクとオウルの協議の仲立ちとしてキランカとニカマスを往復する。
いずれの都市も四方の町や村からトロールたちが集結しつつある気配は感じ取っており、三都市のレジスタンスらはルドルフが訪れる前から警戒を強めていた。
「どの都市も猶予は二週間あるかないかといったところでしょう」
大陸中のトロールの配置と数をそらで把握するオウルは冷静に言った。彼はニカマスのみでなく、ほかの都市に関してもトロールたちの集まる動きを頭の中でつぶさに思い描くことができた。
その見立てによれば、トロールたちが三都市で動くのは五月の半ば前後。企図していた一斉蜂起よりも一ヶ月以上早い。
しかしいち早くトロールたちの意図を知ったことで、状況はむしろレジスタンスにとって好都合なものになった。なんとなれば小さな町や末端の村々ではともかく、それらの都市においては蜂起の準備がほとんど完了しているからだ。仮に今日戦いが始まったとしても、十分形にはなる。
もちろんやはり不都合もあった。今現在、すでに三都市のトロールの数はおよそ元の倍近くになっている。このまま待てばさらにその数は増える。形になるとはいったが、そうなってしまえば負担の集中する三都市は厳しいどころではない戦いを強いられる。
さらにはキランカにもトロールたちは集まって来る。このまま手をこまねいていれば、せっかく生き残った人々も蹂躙されてしまうだろう。
そこでその日のうちにゼレクとオウルは急ぎおおまかな方針を決めた。
レジスタンスは反乱を大きく前倒しする。先制攻撃である。
キランカに戻ってきたルドルフが聞かされた今後の基本方針はこうだ。
キランカを除く三大都市のレジスタンスと民衆を軸とした反乱軍によるトロールたちへの対抗。
そしてその間にストーラウ率いる神子と従士の一行が王都に潜入してボルドールを討つ。ルドルフらは各地の戦線を助けるより当初の計画通りに行動することとなった。
敵が早く動きを見せたことで全土での一斉蜂起は潰えたが、トロールたちが準備の整った三大都市に集まって来てくれるのなら無理にそれをする必要もない。三大都市をいち早く制圧し、小勢に分かれて到着するトロールたちを迎え撃ち各個撃破する。
キランカについても後ほど具体的な対策を立てるつもりだ。
敵がこちらの動きを知らず、こちらが敵の動きを知るところに勝機はある。少し前まで反対だった情報の利はディルグへの尋問によって逆転していた。
もっとも、この先制攻撃が王都ラチルカに伝わり、ボルドールが出陣してくるような羽目になれば勝敗の行方は一気に混沌としてくる。その事態を防ぐためにルドルフには追加のひと仕事が決まった。
もし反乱の動きが察知されれば、山上の烽火台によって速やかに王都まで連絡がいく。その烽火台のネットワークを事前に破壊しておかなければならない。
名付けて烽火台制圧作戦。
「そのようなことが可能なのですか?」と身を乗り出すオウルに「できると思うよ」とアンブローが軽く言って決まった作戦だ。
それは王国の守護者としてすべての烽火台の位置を把握するアンブローだからこそ言える言葉だった。反乱を開始する各都市近辺の烽火台さえ無力化してしまえば、途切れた連絡網は王都まで届かない。できるのならばやらない手はない、という重要な仕事である。
「んー、でも一人で行くのは少し心許ないか。ねぇ、ルドルフ君、軽く手伝ってくれない? 空を飛んで行けばすぐだからさ」
そんなアンブローの軽い一言でルドルフはその重要な仕事に巻き込まれていた。
そのための準備に赴くルドルフを前にストーラウが言った。
「期待している」
「うまく飛べるようになったらだがな。俺がやるかやらないかは」
やって当然のようなストーラウの口調にルドルフはやや不機嫌に返した。
ルドルフはこれからアンブローに空を飛ぶ練習をつけてもらうのである。
もともとエレストリア王国が運用していた烽火台はどれも見通しの利く山の上にあり、反乱開始に間に合うように制圧を済ませるためには地面を歩いていては間に合わない。この作戦の前提は空を飛ぶこと、しかも夜陰に乗じて事を済ませられるよう、少なくともおっかなびっくり以上の速度で飛べる必要があるのだ。
「がんばってください」
セラが笑顔で師匠を送り出した。彼女は明日もまだゼレクとオウルの連絡役を務めることになっている。
黄昏の迫るニカマスをルドルフが再訪すると、アンブローは準備万端といった様子で待ちかまえていた。
「さっきセラに魔力を補充してもらったからね。いくらだって付き合えるよ」
左手で右肩を抑えてぐるぐる回す。つやつやとしたやる気の笑顔だ。あのヤドリギの長杖は持っていない。飛行によって減った魔力はまたセラに補充してもらうから大丈夫だという。
それから二人は町から少し離れた森の中に移動した。あまりの暗さに魔術の明かりを小さく灯すが、もとより人の通わぬ森の奥深くである。トロールに見つかる心配はない。
これから夜通し練習するつもりだ。ドールもアンデッドと同じ、寝なくて平気な身の上である。
「まずはどれくらい飛べるのかやってみて」
そのアンブローの言葉にルドルフは飛行の指輪を発動させ、わずかに浮かび上がる。宙でピタリと止まろうとするが、やはり重心が安定せずゆらゆらしてしまう。それから少し離れたところへ移動。歩く程度の速さで宙を滑り、止まろうとしたところで不安を感じて地面に足をつける。
「こんな具合だ」
「ふむ」
アンブローはルドルフの手を取った。柔らかな皮膚を備えた手と乾いた骨の手。両手を握って向かい合った状態となる。
「ボクが支えるからまずは重心を取る練習をしてみよう。少しだけ浮かんでみて」
その言葉に従い、ルドルフはわずかに浮かび、足先を地面から離した。アンブローは地に足をつけたままだが、そうして支えられているだけでもルドルフはだいぶ安定して浮かぶことができている。
「いいね。うまいうまい」
まるで赤子が立つ練習をさせられているかのような景色である。
「じゃ、少し上に浮かぶよー」
そう言うとアンブローは自らも宙に浮かび、ルドルフを上から引っ張るような形になった。
「同じ高さになるようにそろえて。ゆっくりでいいからね」
言われた通りにルドルフが体を上昇させると、アンブローもまたさらに上昇する。そうして辺りの木のてっぺんと同じ高さにまで昇った。ルドルフはまだいくらか不安定ながらも、いつになくスムーズに宙に浮かんでいることに気を良くした。
「手を放すよ。慌てないでね」
アンブローが手を放した。ルドルフは安定して宙に立っている。
「おお……」
思わず声が漏れた。ひとりでピタリと宙に立つことができている。こいつは素晴らしい。
「こっち来て。ゆっくりね」
少し離れたアンブローが手招きをする。ルドルフはそれに従い飛ぼうとするが、しかしそこで大きく姿勢を崩した。
「うわわっ!」
天と地がひっくり返り、上と下がわからなくなる。その場でぐるぐると縦に回り、やがて目の前に木の幹が迫る。と、アンブローがルドルフを抱き留め、体を使ってその回転を止めた。
「大丈夫大丈夫、最初はみんなこんなもんさ」
ルドルフを抱いたままアンブローがその背中を手でぽんぽんと叩く。ルドルフは安堵と不甲斐なさに嘆息した。
このように介助者の助けがあっても空を飛ぶというのはやはりなかなか大変なことだった。ルドルフはそれからしばらく手を引かれて飛び、ほとんど引っ張り回されているだけのような有様。
が、アンブローのフォローにより落下することはない。またしくじってもフォローがあると考えると思い切って飛ぶことができるようになり、ある時を境に無様に体勢を崩すことはなくなった。
肝要なのは怖がらず思い切って出力を出すことだ。それが頭でわかってきたというより、感覚でわかってきた。こうなるともう体勢を崩す方が難しい。
疲れを知らないリッチとドールは夜を徹して練習に励み、翌日の昼過ぎにはルドルフはひとりでもだいぶ安定して飛ぶことができるようになった。ストーラウやアンブローほど高速に飛ぶことはまだ無理だが、早足くらいの速度は出せる。
ひとしきり飛ぶことを楽しんだ後、ルドルフは軽くアンブローに頭を下げた。
「感謝する。手取り足取り、手間をかけた」
「どういたしまして。なかなか上達の早い生徒でボクも楽しかったよ。ストーラウなんてもっとずっと時間がかかったもんだよ」
「ほう。ストーラウにもこうして教えたのか。しかし何年前の話だそりゃ」
「うーん。忘れるほど前だね」
そう言ってアンブローは笑った。ついでに少し疑問に思って聞くと、以前のどのボディも飛行する機能を備えていたらしい。それでストーラウと大陸全土を飛び回って王国を守っていたのだと、ひどく懐かしげに話した。
ルドルフはしげしげとその表情を眺める。
見られていることに気づいたアンブローは一転して顔をしかめた。
「ふん、あれはほんと要領の悪いやつだったよ」




