第三百話 主客逆転
のどかな白昼、キランカの東の城門の上に忽然とローブ姿の骸骨が現れた。
近くにいたオークの番兵がそれを目ざとく見つけ、明らかな異常に騒ぎ始める。
その間にルドルフは次元収納からトロールゾンビを次々に召喚し、城壁の内側へと投下した。百体ほどの虚ろな目をした無言のトロールの集団が、混乱するオークたちを大股で追いかけ挽き肉に変え始めた。
槍を構えてこちらへ走ってきた番兵オークの腕を取る。
「魔力も補充しながらいかんとな」
ルドルフが言うなり、オークはたちまち精気を吸い尽くされ、干からび枯れ落ちた。
一昨日、遠目に確かめた限りでは敵の船の数は二百隻ほど。一隻につき百から二百が乗って来たとして概算で二万から四万と言うことになる。ルドルフは今からその万の軍勢をこの市街地で相手取るつもりだ。
一人ではない。こちらにも軍がある。死者の軍である。
手勢のトロールゾンビが城門で混乱を巻き起こしている間に、ショートリープの魔術で移動したルドルフは中心街のとある屋根のひとつに立った。死霊魔術師にしか見えない霊の渦が、死霊魔術師にしか聞こえない怨嗟を叫びながら、たちまちまとわりつき始める。
暗い感情に心がざらつく。自分のものではないその気持ちに飲まれぬように心を立てながら、ルドルフは漆黒の杖を構えた。
『その恨みと嘆き、奴らに存分にぶつけるがいい』
禍々しい死霊魔術の呪文とともに、見えざる何かがその場に続々と姿を現した。陽の光のもとではっきりとは見えないが、青く冷たい輝きを帯びた霊体が無数に浮かび上がる。
魔物に強い恨みを持つ霊たちを、生者の命を吸い尽くす霊体のアンデッド、スペクターへと変えたのだ。
空を埋め尽くす勢いで頭上を飛び交うスペクターの姿に、オークたちはここでも大混乱となった。手持ちの武器を闇雲に振り回して恐ろしげな霊たちを追い払おうとするが、スペクターは身を削られるのにかまわずオークにまとわりつく。怨霊の化身に触れられたオークは精気を失って青白くなっていき、そのまま倒れて冷たくなっていった。
たちまち数十のオークが物言わぬ死体となる。ルドルフが再び杖を一振りすると、今度はそのオークたちが虚ろな目のまま起き上がり、生ける同胞へと刃を向けた。いたるところで血が流れ、阿鼻叫喚の地獄がそこに現出する。
広がる混乱を聞きつけて、やがて町のあちらこちらから統率の取れたオーク、そしてトロールたちの部隊が現れた。新手の部隊は目の前の異常にいくらか浮足立ちつつも、混乱を収めるべく百単位の数の力で着実に対処を始めた。
ゾンビたちは槍衾の前に沈み、物理攻撃に強いはずのスペクターもさすがに散らされる。またオークの魔術師らの炎の魔術も死者たちを焼き払った。
まさか魔術師までいるとは。相手もなかなか一筋縄ではいかないようだ。
だが数というならこちらも負けはしない。
戦場跡など多くの人間が非業の死を遂げた場所では、年月とともに怨念が熟し、やがて陰惨な気と穢れに満ちた『澱み』を成すという。ルドルフも死霊魔術師となって初めて認識できた現象だが、ここキランカも間違いなく澱みの地となっている。その澱みの中にさまようすべての亡者が今や我が兵なのだ。
ルドルフは再び杖を振って追加のスペクターを大量に生み出した。
「ぬぐっ……」
その際、死者たちの暗い情念が己の体を通り過ぎていくような感覚に思わず声が漏れる。枯れ果てた骸骨からスケルトンを組み上げたり、死にたての死体からゾンビを生み出すのとは明確に異なる感覚。
実のところ、死霊魔術でこれほど精神に負荷を感じたことは今までになかった。澱みにただよう想念とはこれほどのものか。
だが、いける。負荷をやり過ごした精神はむしろ高揚している。新しく生まれたスペクターたちが再びオークどもを蹂躙する姿に、眼下の炎がチラチラと踊る。
さらに重ねてアンデッドの群れを投入し、すっかり戦況を押し返すと、ルドルフは街区の外れの神殿跡へと急いだ。
そして昨晩のうちに墓地から掘り出していたエグダルの死体を地に横たえ、ひとつ呪文を唱える。その詠唱が終わった時、冷たいエグダルの体がむくりと起き上がった。無造作に埋葬された時のまま、革の鎧の心臓の位置には、一突きにされた剣の傷と流血の跡が残っている。
「これを使うがいい」
ルドルフが一振りの業物の剣を差し出すと、エグダルは青白い顔と黒く血走った目でそれを受け取り、ぎょろりと辺りを見回した。獲物を探す目である。
地上に留まっていた霊魂を使ってヨミガエリとしたエグダルだが、霊の状態で半ば狂っていたせいか、あまり繊細に意思疎通できる風ではない。しかしその激しい怨念は、アンデッドとなったこの男に生前にも増して強い力を与えていた。強い負の想念はアンデッドの力を高める原動力ともなるのだ。
並々ならぬ力に満ちたエグダルを前にして、ルドルフもまた己の力の高まりを感じていた。いつの間にか心を満たしていたオークへの怨嗟や憎悪が心地良く感じられる。そしてそのにっくきオークどもを皆殺しにできる歓喜と高ぶり。
オークどもを皆殺しにするぞ。ああ、しよう。してやろう。
エグダルのいる方からそんな声が聞こえた気がした。だが実際は誰も何もしゃべっていない。
「「「「ああ、オークどもを皆殺しにする」」」」
エグダルの無言の声に引きずられるように復唱したのはルドルフだった。その声はルドルフひとりのものだけではない。数多の老若男女の声が重なって響いた。
背に数多の死者たちがおぶさっているかのような圧力。
これはいけない。そう感じる分別が思考の片隅にまだあった。だがその分別はまとわりつく霊たちのどす黒い情念にたちまち塗りつぶされた。
すぐそこに隊伍を組んだオークの部隊が不意に通りかかる。エグダルが狂戦士のごとき雄たけびを上げて突進したかと思うと、あっという間に十数体のオークが血だまりの中に沈んでいた。
その惨状の前で、ルドルフは不満げに言った。
「俺たちにも」「私たちにも」「わしらにも」「僕らにも」
「「「「殺させろ」」」」
その重なる声と同じく、ルドルフの意志はいまやひとりのものではなかった。




