第三百一話 狂乱の死霊魔術師
「おい、少し妙じゃねえか?」
最初に異変に気がついたのはアクィラだった。側にいるのはラエル、ゼレク、ストーラウ。
ルドルフが派手にやって敵を引き付ける間に、生き残りの人々をまとめて町から脱出させるのが彼らの役割だった。今はちょうど弱々しい足取りで急ぐ避難民のすべてが北門を出たところだ。
そこに港の方角からかすかな爆音が続けて響き、火災の煙が立ち上るのが見えた。当初の話ではなるべく町に被害を出さないように作戦を進めるということになっていたはずだ。それにしてはちょっと様子がおかしい。
しばしそちらを眺めれば、どうやら火の手はさらに広がりつつある。
「あれじゃアタシがやるっつったのと変わんねえじゃねえか」
「何か想定外が起きたのかもしれん」
ストーラウはやや険しい目で彼方の煙を眺めている。
この辺りに残っていた数少ないオークたちはすでに片付けた。あとの避難誘導はゼレクだけでもなんとかなる。そこでストーラウ、アクィラ、ラエルは城門を固く閉じた後、ルドルフのいる方角へ向かうこととなった。
三人が港に近づくにつれ、建物を焼く煙のにおい、そして肉の焼ける臭気が強くただよってきた。
やがて炎上の赤い陽炎の中、無数のアンデッドを従えたルドルフの姿が遠く視界に入る。耳障りに響く哄笑。それは近寄るのをためらうような不死の王の姿だった。
飛び交うスペクターの渦がオークたちを巻き込み精気を吸い尽くしている。エグダルは陣形を固めたオークの一団を易々と突き崩し、その真ん中で剣を振り回して死体を量産していた。有象無象のオークゾンビは生者を探して襲い掛かる。
ルドルフは新たにできた死体を新たなゾンビにしつつ、虚空からスペクターを生み出し続け、破壊の魔術を際限なく放ち続けている。普通ならばとっくに魔力切れを起こしてもおかしくないペースだが、どうやら魔力は手元に戻したスペクターから還元を受けているようだった。
それらと戦うオークたちの姿は、戦いに臨むというよりも、必死に災害に抵抗しているかのようである。
「アクィラさん! ラエル!」
不意に上の方から声が響いた。見ればすぐそこの家の屋根の上にセラとバルドがいた。ショートリープで地上まで下りてきて認識阻害の面を外す。
二人は隠れてルドルフについて回り、敵の大将らしき者が出てきた時に不意を打って叩く手筈となっていたはずだ。
アクィラが尋ねた。
「いったいどうなってる。状況は」
「それが……」
この町のレジスタンスの頭目であるエグダルをアンデッドにする。そこまではルドルフが事前に決めた通りに物事が進んでいた。
しかしその直後、師匠の様子が何かおかしくなった。常にはない濃い闇の気配をまとい、普段は抑えている瘴気を辺りにまき散らす。町に被害がでるのもかまわずに炎の魔術で敵を焼き、アンデッドらを引き連れて殺すべきオークを方々に探し回っている。それは当初の予定とはまったく違った行動だった。
その意図をただすべくセラとバルドが呼びかけても答えは返ってこない。明らかな異常事態だ。
「亡者たちの想念に飲まれてしまったのかもしれん」
困惑する四人を前にしてストーラウが静かに言った。だがその表情はやはり険しい。
「とりあえず港に行こう。オークに船で逃げられると面倒だ」
計画ではアンデッドを率いて港に向かったルドルフがすべての船を焼くはずであったが、今のルドルフは完全にそれを忘れ、目先の敵を追いかけている。代わりの誰かが早急にそれをやる必要があった。
ストーラウを先頭に一行は裏道を通り、時折行き合うオークやトロールを倒しながら港までたどり着いた。
すると案の定、広々とした港湾には、集団で大挙して船に乗り込むオークたちの姿がある。
中にはひときわ立派な板金鎧をつけた偉丈夫、大将らしきオークもいた。声を張り上げて船に乗りこむように指示を飛ばしている。撤退、というより、正体不明のアンデッドたちによる襲撃を沖でいったんやり過ごそうという腹のようだ。すでにオークの兵たちを満載した船が十隻以上、岸を離れていた。
「まずいな。一番遠くのやつはもうアタシの炎でも届かないぞ」
「僕に任せて」
物陰からその様子をうかがいながら、アクィラとラエルが言い交わす。ラエルが海に向かって呼びかけた。
「海の精霊よ、そのおっきな船をぜんぶ君たちにあげる。宝物のように捕まえて放さないで。水の底に沈めてずっと大切にしまっておいて」
その小さな呼びかけとともに不思議なことが起こった。帆を広げ、水面を裂いて進んでいた船という船が、ゆっくりと海の中に下降し始めたのだ。動いていた船だけでなく、停泊していた船もまた。船の上の、そして岸壁からそれを見ているオークたちがいっそううろたえるにもかかわらず、すべての船は沈み続け、やがて静かに水底に落ちていった。
なんとか沈没する船から逃れたオークが海面に顔を出し、あるいは岸に向けて泳ぎ、あるいはただ溺れてもがいている。
その時、街区の中央から港に迫る火災の煙とともに、オークゾンビの群れが大挙して現れた。上空からはスペクターの大群が宙を舞って現れる。
船が不可解に沈んでいく様を呆然と眺めていたオークの将の目に獰猛な光が宿った。
『ここが我らの正念場ぞ。戦って血路を開くのだ。ウーディルの裔よ、死中に活を見いだせ!』
その将の一声で港を埋め尽くしていたオークたちの目にも気概がみなぎった。
隊伍を組んで各々武器を構え、アンデッドを迎え撃ち、突撃した。その整然と統率された圧力は雑多に押し寄せる同胞のゾンビたちを鎧袖一触の勢いで葬り、オークの将の間近に控えるオークの魔術師たちが上空にファイアバーストを放ってスペクターたちを散らす。
そうしてオークの軍はアンデッドらに拮抗し、徐々に押し返し始めた。
「とりあえず町から脱出しようとしているみたいです」
その言葉の聞き取れるセラがオーク兵の動きを説明する。
オーク兵らは次々に現れるアンデッドらを屠りつつ、北門へ向けて進もうとしている。
その様を確認したストーラウがアクィラに言った。
「急ぎ、北門へ。オークたちが門から出るのを防ぎ、逃げた人々を守ってくれ」
「そんなまどろっこしいことしなくても、この場で焼き尽くしちまえば」
「ここ以外にもまだオークはいる。一匹でも北門から出せば大事になりかねない。それに……この場はオークとアンデッドをできるだけ共倒れさせたほうがいい」
それは自分たちが警戒すべきは今やオークやトロールだけではない、という話だった。
「……了解。お前はどうするんだ」
「あのオークの大将を確実に倒す。場合によってはルドルフ殿もなんとかしなければ」
その時だった。
ゾンビを叩くオーク兵たちの間にいくつもの爆炎が巻き起こったかと思うと、その只中を突っ切って一直線にオークの大将のもとに駆ける人影があった。凄まじい憤怒の表情。名状しがたい叫び声。エグダルである。
エグダルは剣を振り回しながらオークの集団を蹴散らし、瞬く間に大将に迫った。
刹那、大将の戦槌が横薙ぎにエグダルを襲った。強打を受けた首がひしゃいであらぬ方向に曲がる。エグダルは剣を握りしめたまま、大きな音を立てて海に落ち、それきり浮かんでこなかった。
続けて爆炎が巻き起こり、混乱に陥るオークたちの間を悠然と歩いてくる巨漢のローブ姿。辺りが暗くなったと錯覚するほどの濃い瘴気をほとばしらせたリッチがそこにいた。炯炯と輝く緑の眼光も今日ばかりは何か不吉なものに思えてならない。
「どうする?」
アクィラが聞き返す。明らかに状況が変わった。
「行ってくれ。何よりも人々の安全が最優先だ。ここは私たちでなんとかする」
「わかった。ラエルはもらってくぜ。おい、ラエル、行くぞ」
ストーラウが答え、アクィラとラエルはそろって来た道を引き返した。
「師匠……」
「しばらく様子を見る」
胸に手を当てルドルフをうかがうセラ。ストーラウは静観を告げる。
目前では巨躯のリッチの擁するアンデッドらと、偉丈夫のオークが率いるオーク兵たちが激しくぶつかり合っている。ルドルフは未だ禍々しい気配をまといながら、配下のアンデッドが削られるそばから新しいアンデッドを続々と生み出し続けている。
その様子を注視したままストーラウが言った。
「セラ、ルドルフ殿を正気に戻す方法に心当たりはあるか?」
「……わかりません。あんな風になった師匠を見るのは初めてなので」
「あの状態で放置すれば西の魔王のオークやトロール兵団どころではない災厄になるかもしれん。もしも正気に返らないままなら危険すぎる。ここで滅ぼさねばならん」
坦々としたストーラウの口ぶりにセラは息を呑んだ。その当たり前のことを当たり前のようにするという声に。
師匠のあの姿が普通じゃないことはわかっている。しかしエルフがそこまで言うほどの事態だとは。
セラは考えた。
今の師匠にはきちんと『魂の器』がある。一度は滅ぼしても大丈夫なことはわかっている。しかしかと言って進んでやりたいことではない。ましてや敵の親玉との戦いを前にそんなことになれば、それはまた恐ろしい結果につながりかねない。
不意に師匠が聖剣で貫かれて消滅してしまった時のことを思い出した。あんな気持ちはもう絶対にいやだ。
セラはエアリアルボイスの魔術を使い、師匠の耳元に向けて必死に呼びかけた。
『師匠! どうか正気に戻ってください。師匠!』
しかし何ら変化は現れない。
その呼びかけをどれだけの時間続けただろうか。やがてルドルフはただひとりでそこに立ち尽くしていた。いつの間にかアンデッドらはすべて倒され、競り勝ったオークたちが配下を失ったリッチを遠く取り囲んでいる。
どうやら数と数との勝負ではオークの方に軍配が上がった。だが明らかに格の違うアンデッドを前に、オークらはまだ緊張を解いていない。リッチの足元には命を吸い尽くされたオークの搾りかすが何体も転がっていた。うかつに近づけば一瞬でああなる。
その対峙の様を見るに、無言で立つリッチが追い詰められている気配は皆無だ。
しかしその姿はセラを微塵も安心させなかった。勝つにしろ負けるにしろ、あのままの状態ではどちらだって同じだ。
セラは悲鳴のような声を風の魔術に乗せた。
『師匠!』
それでも反応はない。
その様を見てセラの目に覚悟が宿った。どうやら声だけでは足りない。ルドルフを視界にとらえたまま、おもむろにショートリープの呪文を唱え始める。バルドが慌てて杖を持たない方の手を握った。
「待て」
しかし詠唱が終わらないうちにストーラウが制止する。
「どうやら正気に戻ったようだ」
弟子の呼びかけが功を奏したのかはわからない。だが間もなくしてルドルフの様子が明らかに変化した。
その体からあふれ出していた瘴気は落ち着き、その眼光も静かな緑に戻った。得体の知れない怪物のようだった気配も消えている。
セラの見慣れたいつもの師匠がそこに立っていた。




