第三十話 中級魔術
刹那の色彩を送り出した翌日、ルドルフたちは完成したばかりの転移門を使って、第八層まで戻って来ていた。引き続きアリアナの任務を続けていくためだ。第九層への階段はバジリスクのいた部屋からすぐ近くにあり、一行はいよいよ現在の最達階層に降り立つこととなった。
第九層は一応人跡のある階層ではあるが、あまり奥までは探索されておらず、まともな地図もない。ほとんどが未踏の領域である。これはルドルフの生前から変わっていない。
要するにそれほど探索困難な領域ということになるのだが、しかしルドルフとアリアナにとってはまだ余裕のある場所だった。さすがにこれまでのように一層二日のペースで通過することは無理だろうが、時間がかかるだけで難しいことは何もない。
よって今までと同じように二組に分かれて仕事を進めることにする。夕方にまた第八層のバジリスクのいた部屋まで戻って落ち合うということで、それぞれに第九層の探索が始まった。
この日、セラは少し悔しい思いをすることとなる。
ここまで来ると魔物もかなり強くなり、セラの初級魔術ではだいぶ効き目が薄くなってくる。この先は上級冒険者たちが挑む領域なのだから当然だ。第九層の最初の魔物としてオーガの上位種であるオーガ・ウォリアーと遭遇したが、初級のエナジーショットでは倒すまでに十数発が必要だった。
これは敵がよりタフになったということもあるが、魔術の威力が大きく減衰させられているせいもある。一般的に強力な魔物になるほど魔術に対する抵抗力が高く、出力の弱い魔術ではろくにダメージが通らないのだ。リッチであるルドルフに中級以下の魔術がまったく効かないのも同じ理屈である。
セラが探索の中で魔術を使うのは魔力の半分まで、残りの魔力を使うのは野営地の訓練で、と決めているので、第九層の魔物を二体も倒さないうちにセラはもう魔術を使えなくなってしまった。
代わりにルドルフが魔術や肉弾戦で魔物を倒し始めると、セラは明らかにしょんぼりとした様子となった。
「まあ気に病むな。もともとお前の魔術は修行の一環として使っていただけだからな」
ルドルフがなんでもない顔で慰めの言葉をかけると、セラはやや下を向いて口を結んだ。
実際このあたりの魔物はリッチたるルドルフの敵ではない。もともとセラに戦力としての働きを期待していたわけでもない。彼女がただついてくるだけとなってもルドルフが気にするところではなかった。
だがセラにとっては違っていた。今まで魔物を倒す役割を一手に引き受けていたこともあり、何もできない自分にもどかしい思いをしていたようだ。
翌日の朝、セラが思いつめた様子で師匠の前までやってきた時、ルドルフは初めてその気持ちに気がついた。
「私に中級魔術を教えてくれませんか?」
唐突な申し出である。だがその理由は理解できた。なるほど。第九層の魔物にも有効な魔術を覚えたいというのだ。きっと夜の間に色々と考えたのだろう。
だがいきなり教えろと言われてもルドルフも困る。ひとまず理を説いてなだめようとした。
「中級魔術はそれほど簡単に覚えられるものでもないし、第一魔物を倒すのはお前の仕事ではない。ここからは俺とアリアナで片付けていくから大丈夫だ」
ところがそんな諭す言葉を聞いたセラは頑なに言った。
「中級魔術を覚えて、私もお役に立ちたいんです」
キッとした視線をルドルフに向けながらも、その声の最後の方は悔しさに少しわなないていた。
それは既視感のあるまなざしだった。この娘は普段は素直で大人しいようでいて、なかなか情の強いところがある。特に魔術のことでこうなると、簡単には引かないことがルドルフにもわかって来ている。しかし――
「そうは言ってもアリアナの任務も進めないといけないだろう? 今はそれを教えている時間はないんだ。中級の魔術の習得には早くて一ヶ月はかかる。最速でそれだから実際はもっとだ」
ルドルフはより具体的な見積もりを口にした。いかに才能があろうとも、中級魔術は今日明日で覚えられるものではないのだ。
「でも、じゃあ少しずつでも教えてくださいませんか?」
セラはまだ引き下がらない。
とはいえ探索の合間に少しずつでは、習得にかかる時間はさらに延びる。一ヶ月や二ヶ月どころではすまないだろう。結局習得できないままの日々が続くのだから、ルドルフもここでいい加減に「はい」と答えるわけにはいかなかった。セラの感じている悔しさや引け目がなくならないのは目に見えている。
さらにいうならば習得したばかりで熟練度の低い中級魔術の威力は、おそらく現在の練りに練られた初級魔術のものとさほど変わらない、というもうひとつの事情もあった。
別の言い方をすれば、今のセラのエナジーショットは初級にもかかわらず中級並の威力をすでに持っている。実際は彼女の初級魔術が第九層の魔物に通っていること自体が驚きなのだ。
つまりセラの今の問題を解決するには習得した中級魔術の熟練度を満足できる域まで高める必要もある。そのためにはさらに別で一ヶ月、二ヶ月の時間が必要となるはずだった。
一瞬でそこまで見通したルドルフからすれば、これはセラの心得違いと子供じみた我儘にしかすぎない。
しかし大成する奴は得てして勘違いから始めていたり我儘だったりもするんだよなぁ、ともルドルフは思い当たる。それにセラが自分を曲げなくなるのは魔術に関することだけだ。困ったことを言い出したなとは思うが、頭ごなしに黙らせるのはやや気が引けた。ひとまず会話しながら落としどころを探ってやるのが大人というものか。
「そこまで言うなら教えてあげたら?」
ルドルフが頭を悩ませ始めた刹那、アリアナが横からあっさりと言った。
ここまで思った以上に順調に来ているし、ルドルフが聖剣旅団をボコボコにしすぎたせいで、彼らはまだ装備を整え直すための金策の真っ最中だ。エルフの任務には思ったより時間的猶予ができていた。
「まあ一ヶ月くらいなら大丈夫。セラちゃんのやる気を尊重しましょう。その間、私は第九層の探索を進めておくわ。のんびりとね」
であるならばルドルフにも否やはない。中級魔術の行使に必要な魔力だけならセラはとっくに備えている。熟練度の問題についても説明して確認すると、セラは「できるだけ早く上達できるようにがんばります」と真面目な顔で言った。
それで話はまとまり、ルドルフとセラは第八層の転移門部屋で中級魔術の習得に時間を割くこととなった。
戦闘の役に立ちたいということなので、ルドルフが教えるのは中級のエナジーショットである。
中級魔術といっても基本的にやることは初級と変わらず、呪文を正確に覚えて術式形成に必要な魔力を乗せながら唱えるだけだ。ただ呪文の長さが三倍ほどになる。長さを増すことでより強く魔力を乗せる余地が生まれるのだ。
使い古された魔術師ギルド謹製の魔術教本を取り出し、その呪文を一字一句違わず暗唱させる。暗唱自体にはそれほど時間はかからなかった。
次におよそ三十秒間の呪文を過たず唱えながら、抑揚と拍子を手がかりに適切なタイミングで魔力を込めていく。この時点では呪文の節の意味などは深く考えず、ただ教本に書かれていることを無心でなぞるだけだ。
ここはさすがにセラもすんなりとは行かない。ルドルフがおぼつかないところを指摘して少しずつ修正していく。セラが唱える呪文の字句は完璧だが、抑揚や拍子にはだいぶおぼつかないところがあり、魔力を乗せるタイミングがかなりズレている。
そのタイミングには唯一の正解があるわけではなく、いくらか許容の幅はあるが、それでも基準内に収まらなければ魔術を発動させるための術式は完成しない。
実のところある程度はうまくいっている部分もあるので、術式はわずかに形成されているが、完成して発動するところまでいかなければ目に見える効果は何もなかった。このように初めての魔術は発動するまでうまくいっているのか非常にわかりにくい。なのでその習得は非常に根気のいる仕事なのだ。
セラは夕方までにすっかりとくたくたになってしまった。思わず初級魔術とは比べ物にならない難しさだと口にする。探索の片手間で習得するなどとても無理だったと、よく理解できたようだ。
とはいえ、ルドルフから見れば十分に驚くペースで習得に近づいている。なにより午後まるまるぶっ続けで試行錯誤を続ける集中力が恐ろしい。これなら最速の習得は十分あり得る。
「この調子なら本当に一ヶ月で問題なさそうだな。進み具合は悪くない。一ヶ月経てば」
ルドルフは少しでも疲れ切ったセラの励みになればと、お手本とばかりに中級のエナジーショットの発動する様を見せてやる。詠唱はゆっくりと、基本通りながらも、景気よく最大威力になるよう魔力を精緻に込めながら。
やがて詠唱が終了するとともに魔力のエネルギーの塊が尾を引いて飛び、部屋の向こう側にいつの間にかできていた岩の的を粉々に砕いた。的のサイズは第四層でセラに初級のエナジーショットを指導していた時よりもだいぶ大きい。
「これこの通りにできるだろう」
師匠がそう声をかけるのをよそに、セラはなにやらポカンとしてその魔術の跡を見ていた。
彼女はそれから少しだけ考え込んで、確信のあるまなざしでルドルフに言った。
「えっと、できるかもしれません」
セラはルドルフのお手本をなぞるように呪文を唱え始めた。詠唱の抑揚から速度から、つまり魔力の行き渡らせ方までもがそっくりそのままだ。魔術は当然のように発動し、部屋の向こうの壁を強く打って消えた。
「できました! 師匠!」
セラがやったとばかりに振り向いてルドルフを見上げた。
ルドルフはいま見たことがにわかには信じられず口をパカッと開けている。できました、じゃないんだが?
「師匠?」
何も言わないルドルフの顔をセラが下から訝しげにのぞきこむ。
「もう一発撃てるか? 的はあそこだ」
ルドルフは今起きたことを確かめようと、地属性の魔術で再び岩の的を作った。セラは言われた通り、その岩の的に向けて中級のエナジーショットを放った。そのエナジーショットは先ほどルドルフが放ったものと同じように的を粉々に砕いた。
さっきの一発はまぐれではなかった。というかそもそも魔術はまぐれで発動できるものではないのだが。
「これは……すごいな……」
ルドルフはそれきり絶句してしまった。見ただけでそっくり真似したというのか。本当に見よう見まねで? ルドルフはセラの才能を見誤っていたことを悟った。いや、これは単なる才能ですませられるものではない。もはやなんらかの特殊能力としか思えない。
そういえば、とルドルフはセラに初級魔術を教えていたときのことを思い出した。あの時もルドルフがお手本を見せると急速に上達していたのではなかったか。セラが魔術を覚えるとはそういうことだったのか?
ならばセラの放つエナジーショットがとても初心者のものではなく、熟達の魔術師のそれであることにも納得がいく。ルドルフ自身の放つ魔術と遜色がないどころではない。あれはルドルフの放った魔術そのままなのだ。
黙ったまま考え込んでいる師匠の様子を見て、弟子は何かいけないことでもしてしまったのかと不安な顔となった。そんなセラの様子に気が付いたルドルフは両手で大げさに彼女を持ち上げると、くるくると回りながら言った。
「はっはっは! すごいぞ! 思わず何も言えないくらい驚いてしまった。何が一ヶ月だ!」
「えへへ、やりました!」
褒められたセラはパッと花の咲いたように笑った。




