第二十八話 最期の顔
バジリスクが巣くっていた部屋にその日の寝床を定めると、ルドルフは早速転移門の作成を開始した。夜を徹して二日。二人の食事の支度をしたり、探索に出るアリアナを送り出す以外、不眠不休で没頭する。
セラは寝るのと食べるのと日課の魔術の訓練の時間以外は、邪魔をせぬよう注意しながらルドルフが転移門を作る作業を見ていた。飽きもせず延々と視線を注いでいる。
骨の指先が、わずかに黄ばんだ大きな布に、慎重にゆっくりと魔法陣を描いていく。布が焦げるにおいとともに黒く細い線が刻まれる。時間とともに複雑で繊細な魔法陣がその姿を現す。熟練の細工職人のような仕事をルドルフは黙々とこなした。そして一枚書き終わるとまたすぐ次の一枚を書き始めるという具合で、最終的に彼が書いた魔法陣の数は合計で十枚にもなった。
すべての魔法陣を書き上げると、ルドルフは一枚一枚を順番に黒い糸で縫い合わせて束ねていった。その糸により魔法陣と魔法陣がつながり、全部の魔法陣がつながってひとつの魔法陣として機能する。積層魔法陣と呼ばれる高度な技術である。
最後にそれを床に置くと、保護と固定の魔術をかけ、転移門を起動するための魔力を流し込む。この作業にもコツがあり、あんまり下手をするとせっかくの魔法陣は壊れて動かぬガラクタになってしまう。ルドルフはこの工程も淀みなくこなした。
「よし、これで完成だ」
ルドルフはそう言うと、動作の確認をするために今できたばかりの転移門の上に乗った。魔法陣に乗ったその姿がパッと消える。そしてそれからすぐに転移魔術が発する光の煌めきとともに転移門の前に戻ってきた。ルドルフは問題なしとばかりにセラに向けて親指を立てた。
翌朝、アリアナ、セラ、ルドルフの順番で転移門に乗る。三人はあっという間に第四層の懐かしいルドルフの元根城へと移動していた。そしてその部屋の転移門からさらに第一層へと移動する。
この時ベルタのことを忘れていたが、気がつけば彼女もいつの間にかついてきている。ルドルフがどうやったのか聞くと、自分でもよくわからないという。わからないずくしである。死んだ瞬間に遠く離れた旧知に別れを告げに来るゴーストもいると聞くので、もともとそういう不思議な存在なのだと思うしかない。
当初は石像を神殿に運び込んで処置してもらおうと考えていたが、数が多くていささか大変だし、運んでいる間に壊れたりしても事だ。ということでまずアリアナが神殿とギルドに事情を話し、ダンジョンまで神官を呼んでくることになった。ここで神官に石化解除の法術を使ってもらおうというわけだ。
アリアナが戻ってくるまでルドルフとセラは転移門のある部屋で待機することになった。ダンジョンの入り口にほど近いとはいえ、何もない袋小路の部屋なので通りがかるものはない。
待つ間に石像をあらかじめここまで運んでおく。ルドルフが転移門から石像を抱えて現れては転移魔術を使って消え、と何往復もする間に、セラは遺骨や遺品を脇に並べて置いていく。それをすませるとあとは手持ち無沙汰なので、待っている間セラは日課の魔術の訓練をし、ルドルフはそれを見守っている。
二時間ほどが経ったところでアリアナが三人の神官を引き連れて戻ってきた。神官のうち一人は神殿の神官長代行を務める一級神官で、ほかの二人より少し立派な法衣をまとっている。ついでに冒険者ギルドのギルド長と職員数名。ギルド長はやや頼りなげな痩せた中年男だ。それから野次馬とおぼしき冒険者たちもいくらかついてきていた。
横倒しに並べられた石像の前にリッチと少女が並んで立っているのを見た彼らの反応は様々で、恐怖しているものが半数、興味深く見ているものが半数といったところだ。よく見ると先日からダンジョンの中で見たことのある顔も交ざっている。二人の神官はたじろいだ様子を見せているが、一級神官は内心はともかく堂々たる態度を保っている。ギルド長は平静を保とうと努力してはいるが、明らかに腰が引けていた。
「神子とリッチがバジリスクの巣穴から救い出してきた者たちです」
いつもと違ってキリっとした顔を作ったアリアナがギルド長に言った。そしてアリアナの目くばせを受けたルドルフとセラは黙ってお辞儀をする。害意無しのアピールだ。
ギルド長をはじめとして腰の引けていた者たちはそれを見て緊張を解いた。恐ろしげなリッチが少女の制御下にあると納得できたのであろう。
「たしかにここ数年で行方不明になっていた顔があるようだ」
頼もしげな職務者の顔となったギルド長がすべての石像を順番に確認して吟味していく。そして確認のすんだものから神官が代わる代わる法術をかけて石化を解除していった。野次馬の中から「おお」というため息のような小さな歓声が上がる。
石化から解けた者たちは総じて何が起きたのか、自分が今どこにいるのか、まったくわからないと言った風だった。中には錯乱して暴れる者もあったが、その場合はルドルフがぬっと前に出て静かに武器を取り上げ、あとは野次馬の冒険者たちが取り押さえて落ち着かせていた。ただいずれの被害者たちもバジリスクの恐怖から助かったと理解するとその表情は一様に喜びに変わっていき、中には涙を流す者もいた。
三名では十七人の石化を今日中にすべて解除するのはなかなか難しいだろうとルドルフは考えていたが、一級神官が疲れる様子もなく法術を使っていくと石像からの蘇生は滞りなく進んだ。ほかの二名の神官がやっとのことで石化解除したのが合わせて四人だったことを考えると、その力量はさすがといったところだ。
「彼女たちの顔は知らないな。この三人に関しては石化を解くのを少し待ってくれないだろうか」
順調に石化の解除が進む中、最後の石像を確かめたギルド長が言った。その三人というのはアリアナが特に目をかける三人である。
「彼女たちに関しては私が素性を保証します。ギルド長は刹那の色彩というパーティ名に聞き覚えはありませんか?」
アリアナがそう言うとギルド長はしばらく宙をにらんで考える様子を見せていたが、それからゆっくりと驚いた表情になり、しまいには叫んだ。
「刹那の色彩!? 私が駆け出しの頃に活躍していたあの!? 行方不明になったのがたしか二十年くらい前だったか……にわかには信じられんな」
それほど昔に消息を絶ったパーティがこういった形で生還するなんてことがあるだろうか。ギルド長は半信半疑であったが、幾度も石像を確認するうちにたしかに特徴が符合することを認めた。そしてつぶやく。
「ううむ、それはそれで待ってもらいたいような。ちょ、ちょっと心の準備が」
ギルド長は緊張した様子で髪や服装を直して居住まいを正した。それから深呼吸をして「やってくれ」と言った。
一級神官が順番に法術を使っていく。三人のうち二人は石化を解かれるとすぐに起き上がり、何が起こったものかと顔を見合わせた。だが胸が深くえぐれているベルタに関しては一級神官は石化の解除を保留し、二人が自分たちの身の上を把握するのを待ってから告げた。
「彼女は傷が深すぎる。石化を解除してもすぐに命を落とす可能性が高い。このまま末期の言葉を聞きたいというなら石化を解こう。そうでないなら石化した状態のまま最上級の回復法術を受けられる場所まで連れていくことだ。もっとも最上級の回復法術は誰でも簡単に受けられるものではないし、それで助かるとも限らない。そのための負担と徒労に終わる可能性を考えると、ここで看取る選択をしても誰も責めはしないだろう。仲間内でよく相談してから決めて欲しい」
簡単には受けられない、というのは要するに少なからぬ金がいるということである。並の者にはとても払えないような金額が。しかし刹那の色彩もかつてそれなりに名の通ったパーティだ。身に着けている装備なども含めればそれくらいの財産はある。
「ベルタが助かる可能性があるならそちらに賭けます」
「このまま死なせるなんてできないよ」
残された二人は軽く涙をぬぐいながら一も二もなくベルタを救う選択を取った。
最上級の回復法術を使える特級以上の神官がいるのは王都か聖都のみだ。そのうちのグラナフォートから近い王都に二人は向かうことにした。
ギルド長はことが迅速に進むように口添えすると二人に約束し、それからギルドの職員に声高に指示を飛ばした。ベルタの石像を間違いなく運び出すために、担架と十分な人手を連れて来いと叫んでいる。こんな状況だが、彼はどこか少し舞い上がっているようだ。後で聞くに、刹那の色彩は当時駆け出しだったギルド長にとって憧れの存在だったらしい。
『あたしはこうして死んでいるのだから、無駄なことはやめさせておくれよ』
一部始終を見ていたベルタが少しうれしいような少し寂しいような、切ない声でルドルフに言った。もちろんほかの者には聞こえない声だ。
『うーん、この状況で否定する方向に口を挟むのはなかなか難度が高いぞ。血も涙もない奴みたいじゃないか』
ルドルフはやや冗談めかして言った。ベルタは無言である。
『まあ、それに俺の見立てではお前は確実にまだ生きてる。あの石像は俺の次元収納に入らなかったからな』
ルドルフが率直な所見を口にした。生物は入れられない。それは次元収納という魔術のルールのひとつである。
『それじゃこの姿はなんなんだい。無駄な希望を持たせないで欲しいんだよ。あの子らがあんまり可哀想だ」
しかしそんな特殊な魔術のルールのことなど知らないベルタは少し怒ったような声になった。ルドルフの言葉を気休めと受け取ったのだ。
『ゴーストにも生霊というものがあってだな――』
そこでルドルフは生霊というものの説明をしてやった。ゴーストは必ずしも死んだ後でなるものとは限らない。生きていても強い恨みや執着があると、本人が寝ている間などにゴーストとして姿を現すことがある。ルドルフの見たところあの石像にはまだ命があるし、ならばここにいるベルタはおそらく生霊である。
よって最高の治療を受けられるなら蘇生の可能性はある。この世に死者を生き返らせる手段はないが、生死の境をさまよっている状況ならまだ助かる目はいくらでもある。
それを聞いてもベルタは釈然としない顔をしていたが
『そうだなあ。お前が逆の立場ならどうだ? 仲間のことをそう簡単に諦められるか?』
ルドルフからそう言われると、彼女はやや神妙な顔つきとなった。彼女の気性からして、逆の立場なら死にそうな本人に何を言われても絶対に諦めはしないだろう。
『あとはなんだ。あれが仲間に最期に見せる顔でいいのか?』
残っているただひとつの石像を指さしながらルドルフは言った。つられてそちらを見たベルタは鼻で笑った。鬼の形相をした自分の現身がそこにある。
『ああ、最悪だね。まるで魔除けの神像みたいだ』
それから観念したかのようにつぶやいた。
『もし駄目だったとしても笑った顔を見せて逝ってやるくらいはできるか。うんと痛くても笑えるように、心構えをしておかなきゃならないね』