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リッチは少女を弟子にした  作者: 川村五円
第七章 小さな魔王の国

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第二百五十五話 西からの船

 北海の秋の深まりは早く、十月の頭ともなれば朝晩は冬を思わせる冷え込みとなる。


「今朝は冷えますね……」


 早朝の散歩から戻ったセラが辟易とした様子で言った。長袖に薄手の上着をはおっている。日中はともかく、朝の冷たい空気の中を歩くにはやや軽装に過ぎたようだ。


 しかし後から続いて家に入って来たバルドはまったく平気な顔をしている。長袖のシャツ一枚にも関わらず、鍛え上げられた肉体はちょっとやそっとの寒さはものともしない。


 家の中ではすでに暖炉が活躍していた。静かに小さく燃える炎でも嘘のように暖かく、セラはその前にしゃがみこんで人心地ついている。


「そういえば北からトロール、来ないですね」


「船がなければ海は超えられないからな。聞いた時は大事かと思ったが、実はさほど大した仕事でもなかったかもしれん」


 朝食の時間の世間話にセラとルドルフはそんなことを言い交わした。


 北方大陸本国のトロールたちも、何か異常が起きたことはとっくに確信しているはずだ。


 しかし戦船のやってくる気配はこれっぽっちもない。その心配もない。


 なんとなればルドルフは敵がやってくるのを受け身で待つのではなく、それを未然に防ぐ手をしっかりと打っていた。


 夏のうちに北方大陸の港町に転移して、すべての戦船を焼き払ってきたのである。うまいこと失火に見せかけたので、トロールたちにこちらの関与を知られてすらいない。先方は思いがけぬ不運と歯噛みすることしかできなかったはずだ。


 念のため先日もう一度様子を見に行ったところ、新しい船が用意される気配はなかった。次は春になったらまた見に行こうと思っている。もし港に船団がひしめくようなら何度でも焼いてやる。あるいは船底に穴をあけて沈めてやるのでもいいかな。


 こうしてしまえば海というのはこの上ない防壁である。


 さしたる苦労もなく大きな成果を上げたことを思い出したルドルフは少し得意だった。


 そんな師匠を見つつ、セラがいたずらっぽく言った。


「流氷に乗ってやって来たりしませんか」


 この北の海は真冬になると流氷で閉ざされ、海の上を歩くことができるようになる。彼女はそんな話をスウェンから聞いて、その時を楽しみにしているのだ。


 セラの気持ちを知るルドルフも笑いながら答えた。


「さすがに軍勢が隊伍を組んで渡ってくるのは無理だ」


 バルドはその二人の話を聞きながら、目の前のパンとベーコンに交互にかぶりついていた。パンにもベーコンにも絶妙な焼き加減の焦げ目がついている。普通の人間の五人前くらいあった彼の食事は、セラが一人前を食べ終わらないうちにすでに消滅しつつあった。


 朝食が終わると、セラとルドルフはいつものように修練に入る。ルドルフがそのために使っている一室に入ろうとすると、


「今日も、頑張る、ぞっ」


 先に入っていたセラが一人気合を入れていた。


 秋は日に日に深まっていく。


 海に面した城壁の上ではコボルトの兵隊が北の水平線を日々監視しているが、その兵士らもとっくに飽いて、毎日をあくびしながら過ごしていた。すでに冬毛に生え変わったコボルトにとっては、この程度の寒さはなんでもないらしい。


 そうしたある日、晩秋に差し掛かったザマルに意外な来訪者がやって来た。


 褐色の肌に尖った耳を持つ長髪の男。真っ白な曇り空の下、彼は港の桟橋ではなく、その近くの浜に小船で乗り付けた。そして不思議なことにその小船が忽然と消えた後、残っていたミニチュアの模型を拾って鞄にしまうと、周りを取り囲むコボルトの兵士に飄々とした笑顔で話しかけた。


「魔王ガディ様はどこにおられるでしょうか。ダークエルフのディアドロがご挨拶にやってきたと伝えていただけると助かります」


 ダークエルフがやって来た、という報は魔王ガディの周辺をにわかに慌ただしくさせた。


 ルドルフもそれを聞くや否や、ガディが居城として使っている元町長の屋敷へと、呼ばれてもいないのに足を運んだ。放っておくととてつもない面倒が起こる予感がしたからである。セラにはバルドとともに家で留守番を命じる。


 ルドルフが屋敷へ入っていくと、入り口の広間にはすでにコボルト兵とともに待機するディアドロの姿があった。ローブ姿の巨漢の骸骨を見たディアドロは軽く一礼する。向こうからすればここで顔を合わせたことに驚いてもいいはずなのだが、相変わらずの腹の読めない笑顔だ。


 奥の広間にルドルフが足を踏み入れると、ガディは一番奥、ひじ掛けのついた椅子に赤い布をかぶせ、即席の玉座としたものに深く腰掛けている。その両側にはダドリーとグレアズが並び、スウェンが続いて控えていた。ルドルフも軽い挨拶を交わしてその末席に加わった。ややもせずしてヴァルターもやって来る。


 広間の隅にはまた、二体のマンティコアが近すぎず遠すぎずして寝こけている。あれは一応ガディの護衛として侍っているはずなのだが、まとうべき緊張感は微塵もない。


 それからしばらくして通されたディアドロが入って来た。その時、居並ぶ者たちの誰かを見てほんの一瞬だけ軽く目を見開いたが、そのごくわずかな驚きの色もすぐにいつもの笑顔で塗りつぶし、高らかに口上を述べた。


「魔王ガディ様、この度は新たに国を建てられたと聞き、このディアドロ、我らダークエルフを代表してご挨拶に参上いたしました」


「うむ。苦しゅうない」


 ガディはすでにご満悦の様子だったが、それからディアドロがしきりとガディを持ち上げるのを聞いて、玉座が後ろに倒れるのではないかと思うほどに胸を張った。背中と背もたれの間に挟まれた尻尾が、頻繁にさすさすと音を立てている。もしいま立ち上がれば、その尻尾は風車のごとく回転していたに違いない。かつてダークエルフから使い捨て扱いされていたことなど忘れ去っているかのようだ。


 ダドリーは最初こそ警戒の面持ちをしていたが、主君を称賛する言葉にたちまち軟化して、今ではガディの横で誇らしげな顔をしている。ほかの者は銘々に静かな面持ちで、新たな魔物の国の誕生を寿ぐディアドロの口上を聞いていた。


「魔物の国とおっしゃられたがな、陛下はたいそう心がお広い。この国ではいま魔物だけではなく人間も共に暮らしているのだ。人間たちもまた陛下を深く慕っておられる」


 ディアドロの口上の切れ間にダドリーが言った。


「ほう。それは大変興味深いことですね。素晴らしい。私もこれまで多くの魔王を見てまいりましたが、人間にまで慕われる魔王というのは見たことがありません。これもガディ様の威徳の成せる業ということでしょうか」


 ディアドロはわざとらしく驚いた様子を見せつつお追従を述べた。ルドルフには白々しくも感じられるが、ガディやダドリーは意に介さず素直に賛辞として受け取っている。それはどうにも不吉の予兆に思えてならない。


 そして口上がひと段落したところでディアドロの発した一言が、ルドルフをひときわ警戒させた。


「今後はどうなされるおつもりですか? もし国を広げてその威を四海に知らしめる、とおっしゃるならば、微力ながら我々がお力添えできることもあるかと。北のトロール兵団は御身の采配により痛手を受けておりますし、南の北アストル王国の領地も今ならば漁夫の利にて切り取り放題です」


 これはガディとダドリーが乗れば面倒なことになる。何か妙な方向に行こうとするのならば、ここで絶対に止めなくては。


 しかしそんなルドルフの覚悟に反してガディは冷静だった。


「うむ。いずれはそうするかもしれない。だが今は僕について来ている民の生活を安定させるべきだと考えている。内政の時というやつだ。そうだな、スウェン」


「はっ。陛下のおっしゃる通りです」


 好戦派の筆頭間違いなしのダドリーも得心したようにその言葉を聞いている。その地に足のついた様子にルドルフは感心した。あくまでよそ者として出しゃばらず、この国の内幕には極力タッチしないで来たが、少しできすぎに感じたほどである。どうやら名ばかりではなく、しっかりとした国の体裁を整えつつあるらしい。


「左様ですか。ではもし何かあれば、その時は是非ご用命ください」


 ディアドロは笑顔であっさり引き下がった。ルドルフにとってはこれも意外だった。もう少し巧言を弄して揺さぶりをかけると思っていたからだ。


 だがディアドロはまだしばらくこのザマルに滞在するらしい。いま少し用心しておくべきであろう。

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