第二百三十八話 エピローグⅡ とっておきの土産話
セラが目を開けると、視界の端にバルドの顔が見えた。ベッドの横でじっと腕を組み、目を閉じて座っている。
セラはそんなバルドを見ながらゆっくりと上半身を起こそうとする。ベッドが軋む音にバルドは目を開いた。
「セラ!」
その瞬間、バルドは大きく叫んでぎゅうっとセラを抱きしめていた。
セラは突然のことに曖昧な笑顔で驚いていたが、すぐに息ができなくなって小さくつぶやいた。
「……く、苦しいよ」
「ご、ごめん」
耳元にそのかすかな声を聞いてバルドは慌ててセラから離れた。
「俺、みんなを呼んで来るよ!」
バルドは勢いよく立ち上がると、「セラが目を覚ました!」と声を上げながら部屋の外へと走っていった。普段寡黙な彼がああいう風に大声を出すのは珍しい。
セラはその様子を呆然と眺めていたが、ふと自分の足元でヌイが丸まって寝ているのに気がついた。ちょうどその視線に反応したかのように、猫のごとく体を捻って寝返りする姿にくすりと笑う。
セラは少しずつ思い出してきた。
短剣でお腹を刺されて。それから師匠に抱えられているうちに何もわからなくなったのを覚えている。
「きっとまた師匠が助けてくれたんだ……」
セラはなんとなくそうつぶやいた。うれしいというよりも不思議な気持ちだった。
このまま死んじゃうのかな、と思ってもいたが、師匠の腕の中にいると何も不安はなかった。助かると確信していたのとは違う。命の終わりがこんなにも安らかなものなら、素直にそれに身をゆだねるのも悪くない。そんなことを考えていたのだ。
「セラ~!」
それからすぐ、走る足音とともにメアがやってきて、先ほどのバルドと同じようにセラをぎゅっと抱き締めてきた。バルドとは違って息ができなくなるほどの締め付けではない。
「セラお姉!」
次いでやってきたフォルエラはセラの寝るベッドに頭から飛び込んできて、真正面から腰のあたりに抱きついた。
その衝撃で目覚めたヌイはしばらく寝ぼけまなこでセラのことを見つめていたが、やがてぐしゅっと泣いたかと思うとメアと反対側から抱きつき、黙ったままセラの腕に顔を埋めた。
三方から抱きつかれてセラは戸惑うとともに、なんだかおかしくなり自然と笑顔になる。
「大丈夫か? 体の調子はどうだ。どこか痛みや違和感はないか?」
いつの間にか部屋の中に入って来ていたルドルフがセラに尋ねた。
その横にはみなを呼び集めて戻って来たバルドがいる。部屋の入り口にはアリアナとペレディルスが佇んで、中の様子を微笑みながら見守っていた。
「えっと……ちょっと、みんな離れて」
そのセラの言葉にもかかわらずフォルエラとヌイはくっついたままだったが、メアが離れたので、セラはかろうじて右手が自由になった。その右手でセラは自分のお腹の中ほどをさすった。刺された場所だ。どこにも痛みはない。特に違和感もないようだ。
「大丈夫……だと思います。痛いところはありません」
セラはルドルフに向かって答えた。
「そうか。だが病み上がりだ。あれほど血を流したあとだし、しばらくはまだ寝ているといい。何か消化にいい果物でも持ってきてやろう」
ルドルフはそう言うといったん部屋から出て行った。
やがてセラのベッドを囲むようにして椅子が並び、みなでそこに座ってあれこれとしゃべりだした。セラのことをどれだけ心配したか、治って目が覚めてどれだけうれしいか、セラが寝ている間の出来事、元気になったらまたどこかへ遊びに行こう、などなど。
話を聞くにセラは三日ほど目を覚まさず寝ていたらしかった。
不治の呪いを解いて腹の傷は塞いだものの、そのまま昏睡状態に陥っていたのだという。血を流し過ぎていたためだ。
出来る限りの治療を終えたルドルフが「峠は越えた。もう大丈夫だ」とは言ったが、床に点々と続く血の跡や、血まみれになったセラの衣服、血の海になっているベッド、そんな生々しい光景を見たバルドやメアは生きた心地がしなかったと口にする。
やがて小一時間が経ってもみながセラの部屋に入り浸っているので、見かねたルドルフが見舞客を追い払いに来た。
「病人をあまり疲れさせるんじゃない。見舞いはまた明日だ。今日は解散解散」
フォルエラは強い不満を表明しつつも、セラがまた眠ったまま起きなくなってしまうぞ、と脅されると怯えたような表情になって素直に部屋の外へと出て行った。
ヌイはいつの間にかスッといなくなっている。またうるさいのがいなくなったらこっそりベッドにもぐりこみに来る気だろう。
みなが別れの挨拶をして出て行ったあと、セラは最後に残ったルドルフに声をかけた。
「師匠」
「どうした」
「ありがとうございます」
「ゆっくり寝て早く体を治せ。今は休むことが仕事だ」
ルドルフが明かりを消して部屋から出て行き、ドアが静かにパタリと閉まった。セラは静かな闇の中で目を閉じると、すぐに安らかな寝息を立て始めた。
セラの部屋から出てきたルドルフにアリアナが声をかける。
「よかったわね」
「ああ、よかった」
ルドルフはデダルスに情報を迫ってから二年ほどをかけてタイムリープの呪文の把握に成功し、なんとか無事に現在の時間へと帰って来た。
帰って来てすぐ、ルドルフはその右手で目の前にいたデダルスの口を塞ぎ、エナジードレインでその命を吸い尽くした。デダルスは最初は驚き、とっさに懐から何か小さな筒を取り出したが、すぐに諦めたように目を閉じ、抵抗することなく死にその身をゆだねた。
後で調べると、その筒は転移魔術のこめられた使い捨ての魔道具だった。いざという時の逃げる手段を、周到にも用意していたというわけだ。しかし、それを使う間が十分あったにもかかわらず、デダルスはそれを使わなかった。
レシエの作った不治の呪いの特効薬は無事に効果を発揮し、セラはなんとか一命を取り留めた。その霊薬を飲ませてからセラが落ち着くまでは慌ただしく、特に感慨を感じる暇もなかったが、落ち着いてみれば恐ろしく久しぶりに顔を合わせたような気がする。
過去では体感で実に十年近くを過ごしていた。
セラが眠り続けて目を覚ますまでの間、ルドルフもまた己の書斎で微動だにしないただの骸骨のようにして過ごした。色々なことがありすぎた。一人孤独に目を閉じ、内省する時間が必要だったのだ。
「正直、今回ほど大変だったこともなかった。極北の魔王を倒す旅の方が楽に思えたほどだ」
「……そうね」
さすがのアリアナも此度の諸々には精神的に疲弊したようだ。過去に飛ぶ直前にエナジードレインされたことを一度も当てこすって来ないのは、ずいぶんと彼女らしくない。
「でもまぁ、終わってみれば悪いことばかりでもなかったか」
沈黙のまま辛気臭くなりそうな場の空気を振り払うようにルドルフが言った。
「そう?」
「少なくとも俺にとってはな。昔の故郷とか、とっくに死んだ両親や弟と会えたのも懐かしかったし、色々食ったり飲んだりできて楽しかったし」
リッチになったことに微塵も後悔はないが、生きている体の良さも少しは見直した。
「それに最後にはあんなことになってしまったとはいえ、仲間や恩師と久しぶりに会って話せたのもうれしかったしな。お前なんて旅までいっしょにできたんだ。実は意外と悪くなかったんじゃないか?」
ルドルフが良かれと思ってそう言うとアリアナは顔をしかめて片手で頭を抱えた。
「あのねぇ」
そしてどうしようもなく溜まっていた鬱憤を一気呵成に吐き出した。
「あの旅は相変わらずひどかったんだから。だいたい初期のあいつらのまとまりの無さを忘れたの? どこ行ってもみんなトラブル起こすし、しょっちゅう喧嘩してるし、あとあなたがいなくて食べる物がなかったのはひもじいし。あったはずのきれいな思い出も逆に台無しになるほどだったんだから! あんたは外れてたからいいでしょうけどねっ!」
「俺のことはお前が外したんだろ。自業自得じゃないか」
ルドルフにそう返されて、アリアナは小さなため息とともにつぶやいた。
「はぁ……仕事のことがなかったら私もまた同じ旅がしたかったわよ」
かすかに聞こえたその言葉にルドルフは聞かない振りをする。眼窩の緑の光がわずかに踊った。
それと時を同じくしてルドルフは過去でできた弟子の少女のことを思い出していた。
魔術で時間をさかのぼって過去に行っていた。そんな話はアリアナから固く口外禁止を言い渡されている。
だがルドルフはいつかこっそりと、妹弟子でもある彼女の話を、祖母の娘時分の話をセラにしてやろうと思っている。聞かせてやるその時を、今から楽しみにしている。




