第二十一話 凪の層の異変
第四層に異変が起きていた。
凪の層と呼ばれ何もなかったこの層に、他の階層と同じく魔物が湧き始めている。
「これもあなたのせいじゃないでしょうね」
「何もしてないぞ。むしろ今まで平和だったのが俺のおかげといえるんじゃないかな?」
その朝、ルドルフとセラは転移門でやってきたアリアナとともに、まずは第四層の中央部を目指していた。ルドルフのいた部屋は第四層の東の隅っこにあり、第五層に至るには西へ進んでから中央部で方角を変えて南西に向かえばよい。それが今日の計画である。
このルガルダのダンジョンは全体的に広々とした造作が特徴で、横に広いだけでなく天井も高い。三人は宮殿の回廊のような通路を進んでいく。
そして予定どおりに中央部までやってきた時、彼らは冒険者とオークが戦っているのに出会った。
冒険者たちは戦士と神官と盗賊の三人組、オークたちも三体と数は同数であったが、冒険者の側は戦闘の要となるべき戦士がすでに倒れ、神官も見たところ傷を負って跪いている。盗賊が間に立って一人でなんとかオークの力任せの攻撃を凌いでいるが、それも時間の問題といったところだった。
オークはその太って見える体といくらか大ぶりの潰れた鼻から豚などと蔑称される人型の魔物だが、実際の豚と同様にその体のほとんどは筋肉で出来ている。相当な実力差がない限り、一人で三体を抑え続けるのは困難だ。
「助けるわよ」
アリアナが問答無用とばかりにルドルフの目の前から矢のように飛び出した。手にした剣でオークたちを背後から切り伏せる。ほぼ同時に地に倒れたオークたちはアリアナに気が付かなかったどころか、自分たちが死んだことすらわからなかっただろう。戦いとも言えないような戦いは瞬く間に決着した。
「あ、ありが……ひぃっ」
絶体絶命の危機を救ってもらって礼を言おうとした盗賊は、しかしアリアナの背後に巨大な骸骨の影を見て悲鳴をあげる。神官も跪いたままメイスを構えた。
「ああ、あれは無害なので気にしないでください。まずは傷の手当てを」
アリアナはフードを取って、誰が見てもエルフとわかる尖った耳をあらわにした。その効能はあらたかで、冒険者たちの敵対心や恐怖心は消え、驚きと疑問の表情だけが残った。
神官が幸いにして生きていた戦士と自らの治療に法術を使う間、アリアナは盗賊から事情を聴いていた。
それによると彼らは第六層から地上に帰る途中、ここでオークに襲われた。より下の層を探索していることからもわかるように、普段ならばこの層のオークごときに後れを取る実力ではない。しかし第四層は安全という頭で油断していたため完全に不意を突かれた形になり、最初の一撃で戦士が倒れてしまった。それからはかろうじての防戦がやっとだったということであった。
アリアナがルドルフをジト目で見る。ルドルフはなぜそんな目で見られているのか理由がわからない。
「その、俺何もしてませんが? みたいな反応やめてくれない。理屈はわからないけど状況からして原因はあなたなんだから」
現在第四層で何が起きているかといえばこうだった。
ルドルフは今まで長い間、第四層にある地脈の魔力をすべてを吸い取り、魔石製造の魔道具で魔石に変換し、自分の研究に使うための貯蔵に回していた。それにより第四層はダンジョンの機能が麻痺して凪の層と呼ばれる有様となっていたのだ。
しかし昨日買い出しに行く前に、彼は部屋の隅で稼働させていた魔道具、一面に複雑な刻印のある円筒状の台座を停止させて、おもむろに次元収納にしまった。なんとなれば留守中に盗まれては事だし、ここにはもう長居はしない。
するとどうなったかというと、第四層は通常通りの魔力の流れを回復し、一晩の間にダンジョンとしてのあるべき姿を取り戻していたのである。
「私が第三層のキャンプまで先行して第四層に魔物が出たことを伝えに行きます。あなた方は地上まで戻ったら、ギルドに第四層がもはや凪の層ではなくなったと報告してください」
アリアナは冒険者たちにてきぱきと指示する。今までにない事態が起きていることに加え、エルフからの要請とあっては冒険者たちに否やはなかった。
セラは外面モードの凛々しいアリアナをまじまじと見て、珍しいものでも見たかのように目をぱちくりさせている。
「ルドルフとセラちゃんは予定通り第五層の方に向かってちょうだい。その途中で彼らみたいに魔物に襲われている人たちがいたら助けて。第五層への階段の前にキャンプがあるからそこで落ち合いましょう。私は第三層のキャンプに異変を知らせたあとで戻って来るから。一日遅れくらいで追いつけると思うわ」
現状第四層は第三層から第五層への単なる通り道とみなされているため、層を上下する階段をつなぐ一本道を外れるルートを通る者はまずいない。アリアナが第三層の方へ、ルドルフとセラが第五層の方へ向かえば、取りこぼすことはないだろうという腹だった。
だがルドルフはわずかに腑に落ちない顔をしている。
「うーん、そこまでする必要あるか? 冒険者なんだから実力不足で死んだり怪我したりは当然だろう?」
「いやいやいや、これは明らかに不測の事態だから。ここで何かあったらあなたとセラちゃんが突き上げを食うのよ。件のリッチが動き出したとたん、第四層に魔物が現れたとなれば関連は明らかでしょうに。あなたはともかく神子としてのセラちゃんの評判を落としたくないの」
そう言われるとルドルフは素直になるほどと納得した。
「ルドルフ、出会う冒険者たちはあなたからしたらまったくの他人でしょうけど、なるべく親切に便宜を図るのよ。セラちゃんのためにもね。リッチというだけで第一印象マイナスからスタートなんだから。少しでもイメージアップしないと」
アリアナは両手を胸の前でぐっと握って応援するようなしぐさをしながらそう付け加えた。そしてルドルフの返事は待たずにものすごい速さで第三層の方向へ消えていった。
あとに残されたルドルフとセラは言われたとおりに第五層への南西の道を進み始めた。にわかにミッションを言い付けられてしまったが、セラのスタミナを考えて今まで通りのペースは崩さない。順調にいけば半日ほどでキャンプまで着くはずだ。
途中、何度かオークと遭遇した。オークたちはその都度先頭を歩いているルドルフに襲い掛かってきたが、その攻撃を棒立ちで受けたルドルフがエナジードレインでオークたちを軽く屠る、という流れで何の障害にもならなかった。もちろんダメージもゼロである。
魔物が出現すると言っても別に異常発生というわけではなく、言ってみればダンジョン第四層の通常営業だ。難易度で言えば初級から中級になろうとする冒険者が狩場とする場所で、ルドルフにとっては散歩をしているのと何ら変わりがない。
と、そこでふとルドルフに思いつくことがあった。このくらいであればセラの実力を測るのにちょうどいい。
「セラ、次はお前の魔術を見せてくれるか?」
「はいっ」
セラは少し緊張を含みながらも勇んだ面持ちで、昨日新調した魔術用の短杖を握りしめた。
しばらくして次のオークと遭遇する。試し打ちには都合よく数は一匹のみ。ただ今までの半裸のオークとは違い、じゃらじゃらとしたスケイルメイルを着こみ、両手で太い槍を構えている。ダンジョンにおいては便宜上オーク・ウォリアーと呼ばれる上位種だ。
遠くからルドルフとセラを発見したそのオーク・ウォリアーはものすごい勢いでこちらに突進してくる。あれにぶつかっただけでセラの小さな体など軽く吹き飛んでしまうだろう。しかし少女はうろたえることなく短杖を構え、落ち着いて呪文を唱えた。
ルドルフにオーク・ウォリアーが飛び掛かる。その前面にセラの唱えた呪文により、うっすら光を発するシールドが展開する。オーク・ウォリアーがそれにぶつかって後ろにたたらを踏んで立ち止まったところに、続けて唱えたエナジーショットが光の尾を引いた。それは見事頭に命中し、オーク・ウォリアーの太った体が弾かれたように後ろに飛んだ。顔がひしゃげて血が飛び散り、そのまま倒れてピクリとも動かない。明らかなオーバーキルだった。
セラ自身が自分の放った魔術に驚きを見せている。
手にした短杖を目の前にかざし「すごい」と言った。ずっと使っていた祖母の遺品の古びた短杖に比べると全然感覚が違う、ぐっと魔術の行使が楽になった、と言葉を漏らす。それは格別の品というわけでもないが、一般に手に入る杖としては間違いなく一級品である。魔術師にとっての杖は戦士にとっての剣のようなもので、いいものを使えばそれだけ仕事は楽になるのだ。
ぴかぴかの新しい短杖をまだしげしげと眺める彼女をルドルフは率直に褒めた。
「なかなかいいエナジーショットだな。シールドのタイミングもよかった。次もその調子で頼むぞ」
褒められたセラはようやく地に倒れ伏す成果を確認し、控え目に照れながらもうれしげに微笑みを噛みしめた。
いずれも初級魔術としては満点の威力と精度だ。これくらいできれば中級以上の冒険者パーティに入っても遜色のない働きができるだろう。ダンジョンの魔物とはいえ生き物を殺したことに少しは動揺するかとも思っていたが、まったくそんな様子もなく、戦利品としての装備品や魔石をどうするか聞いてくるくらいだった。意外と肚も座っている。まあ、そうでなければ冒険者になろうなどとは考えないか。
ルドルフは色々な意味で改めてこの弟子に感心していた。
それからまた何度か数匹で群れているオークやオーク・ウォリアーに出くわしたが、すべてセラの魔術の餌食となった。さすがにシールドは複数のオークをすべて止めることはできなかったが(ルドルフは何度かオークに殴られたが)エナジーショットは一撃につき一殺、確実にオークたちを仕留めていった。
やがて少女の表情にかすかな誇らしさが隠しきれずのぞいた。




