第百五十六話 力と力、そして力
バルドとエゼルは広大な謁見の間を縦横に走り回って剣戟の音を響かせている。
追うエゼル、かわすバルド、といった構図だ。バルドの鎧や衣服はあちこちが裂け、流れた血でドロドロに汚れている。対するエゼルはまったくの無傷である。
エゼルが繰り出す剣をバルドの剣が受け流し、バルドが繰り出す剣をエゼルの剣が大きく弾く。まず純粋な腕力でバルドの方が負けている。エデによる上級のフィジカルエンチャントを受けているにも関わらずだ。
理屈はわからないが、エゼルは先ほどの雄叫びでさらに力を増している。
バルドはその力の差をすぐに察し、この間のように足を止めて打ち合うことはせず、しきりに動き回ってエゼルに目標を定めさせない。それでなんとかエゼルの猛攻をかわし、いなし、かろうじて凌いでいる。
そう、かろうじて、なのだ。
凌いでいるとはいえ、紙一重で皮一枚、時に肉にまで達する剣は幾度となくバルドの体を切り裂いていた。フェリーナの法術によってすぐに傷は塞がるものの、血にまみれたその姿は痛々しいのひと言だ。
少しでも手を間違えれば即座に致命傷になりかねない。バルドは激しい運動量と緊張によるプレッシャーですでに汗だくである。
とっさに大きくしゃがんだバルドの頭上をエゼルの剣がかすめた。そのバネを利用してエゼルの胴目がけて剣を突き出すが、余裕で弾き返されてしまう。弾き返された勢いを利用してバルドは大きく間合いを取った。すべての攻撃が見事に通じない。
見るからに彼我の実力差は明らか。
しかしそんな状況でもバルドは戦いの悦びに笑みを浮かべている。一方のエゼルはまるで苦悶の形相だ。表情だけ見ればどちらが勝っているのかわかったものではない。
戦いが始まってまだ一時間も経っていないが、すでにエデは自らの魔力を切らして魔石の魔力に頼っている。上級の強化魔術を使い続けるのは消耗が激しく、エデの顔には疲労の色が濃い。
ラエルは砂の精霊を使ってエゼルの剣の勢いを鈍らせたり、風の精霊に煤を飛ばしてもらって敵の視界を塞いだりと、姑息な妨害を繰り返している。それはいくらかバルドを助けてはいるが、ラエルの顔には歯がゆい思いがにじみ出ていた。残念なことに王宮の中は精霊の力が弱く、それくらいしかできることがないのだ。
せめて屋外なら今日の強い風を活かせるのに。
小さな建物ならば土台に干渉して壁や床を崩すような派手な技も考えられるのだが、城のような大きな建造物に対してそれを行うのは難しい。しかもこの謁見の間は強力な魔術で守られている。崩すのはどうにも不可能だった。
後衛を守るように立つマルクも同じような表情をしている。あの戦いの中に飛び込めば即座にまっぷたつにされて死ぬイメージしかない。さらに悪ければ自分をかばおうとしてバルドがやられる恐れもある。ゆえにこうして立ち尽くすしかないのだ。
幸か不幸か、エゼルはなぜかバルド以外を狙ってくることはしようとしない。少なくともエデとフェリーナを片付ければ、その支援を失ったバルドはすぐに耐えられなくなるだろうに。
「すみません、もう魔力が尽きました……」
やがてエデが途方に暮れたように言った。それは激しい剣戟の音に紛れる小さな声だったが、なぜかその場の誰にもとても大きく聞こえた。
彼女が最後の魔力を使ってかけたフィジカルエンチャントの魔術。その効果の切れた時がバルドの最期となる。
マルクは思わず自分の荷物をひっくり返してまさぐり始めた。どこかにしまったまま忘れた魔石が入っているかもしれない。それが絶望的な徒労であることはわかっている。だがもはやそれくらいしかできることはないのだ。
そんな悪あがきにも関わらず無情にもその瞬間が訪れようとした時、彼の目の前を一陣の赤い風が駆け抜けた。
「オラァ!」
ガラの悪い掛け声とともにアクィラの全体重を乗せた槍がエゼルを激しく打つ。だが響いたのは鈍い金属音。エゼルはそれを大剣の腹で受け止めている。その反動で自ら跳ねたアクィラはくるっと宙を回転して着地した。
「ここからは僕が支援します!」
その声とともにバルドは再び己の力が増幅するのを感じた。ルカである。上級のフィジカルエンチャント。魔剣士であるルカもエデからその魔術を習得していた。
「おうおう、ちょっと見ねぇ間にずいぶんと男前の顔になってるじゃねえか。エゼルさんよお」
しかしそんなアクィラの煽りにも関わらず、エゼルは再びバルドに剣を向ける。
「クソッ! 相変わらずアタシは眼中になしかよ!」
悔しまぎれに炎を繰り出してエゼルの身を炎で包むが、エゼルは痛痒にも感じていない。リッチキングはアクィラ対策でアンデッドたちの体に入念に耐火の術式を施していた。ラエルが生まれたその炎に働きかけて火勢を増すが、エゼルは炎をまとったまま平然と動き続け、バルドに向けて攻撃を繰り返している。
バルドとエゼルが持てる力の全力で動き回ると、さすがのアクィラも横槍を入れるのは難しい。それに繰り出した槍が当たる気もしなかった。さっきの完全な不意打ちでも無理だったのだ。
あの二人は闘争者としての次元が違う。エゼルだけではない。バルドも強敵と刃を交えるこのひとときで見違えるような急成長を遂げていた。
彼女は少し離れた場所から二人が攻防を繰り広げるのを眺め、それから己の右手を見つめた。
赤竜の炎。あと一発残っている。もはやエゼルに通じそうな攻撃といえばそれくらいしかない。
己のなすべきことはそれだ、と見極めたアクィラは黙って右手を突き出し狙いを定めた。バルドとエゼルの動きをよく見て、その先を予測する。外すわけにはいかない。必死で猛攻を凌ぐバルドには悪いがここはじっくりと……
いや、全然悪くはなさそうだ。
バルドの顔に相変わらずの笑みが浮かんでいるのを見てアクィラは少し笑ってしまった。悪いのはむしろ戦いに興じるこの時間を終わらせることのように思えた。
アクィラは余計な気負いから解放され、冷静にチャンスをうかがう。やがてその時がやってきた。後ろに飛びのくバルドを追ってエゼルが飛ぶ。
今だ。
タイミングを合わせて力を貯める。狙いすましたアクィラのその腕から白い閃光が走った。
エゼルの飛ぶラインと白い閃光の切り裂くラインが交差する。
「殺った!」
アクィラの確信と歓喜。しかしそれは瞬時に驚愕へと変わった。
大きく跳躍したかに見えたエゼルの蹴り足は思ったよりも弱かった。勢いがない。高さがない。地に足がつくのが速い。そして素早くもう一度、今度は思い切り地を蹴った。白熱する炎はエゼルの通り抜けたずっと後を焼いた。まんまと閃光をかわしたエゼルはそのまま転がってバルドの向こう側に周った。
バルドを盾にする位置取りだ。これでは今だ輝く光を放っている手を振り回して追撃もできない。エゼルはすでにアクィラの赤竜の炎を何度も見ている。それは警戒するにも対策するにも十分な回数だった。
動きを誘われた。
相手が一枚上手だったことを悟ったアクィラの悔悟が、さらに己への怒りと落胆へと変わるその瞬間、ラエルが叫んだ。
「アクィラ! 天井とか壁を壊して! なるだけ大きく!」
ラエルが言い終わらないうちにアクィラは歯を食いしばり、右手から伸びた熱線を横薙ぎにする。轟音とともに謁見の間の天井と壁が大きく崩れた。ほんのわずかの間の出来事だ。その向こうには目の覚めるような青い空が広がっている。強い風が大きく吹き込んでその場にいる者すべての衣服や髪を激しく揺らす。
「風よ! あいつの動きを止めて!」
ラエルの声とともに突風がにわかに巻き起こりエゼルの体に向かった。そのまま足をもつれさせ体勢を崩し、壁に強く打ち付ける。エゼルの体は常人ならば怪我どころではすまないであろう勢いで激突したが、その肉体は当然のごとく無傷。
しかしその猛烈な風の流れに逆らうことはできず、壁に押し付けられたまま体の自由が利かない。剣も取り落としている。その自然の力はエゼルの持つ力よりもはるかに大きかった。
「昨日の嵐のおかげで風の精霊は絶好調なんだ」
雨が止んだ後も吹きすさぶ強風が、頭の上でヒョウと何か得意げに答えるような音を立てた。
「でもそんなに長くは無理っぽい。バルド!」
ラエルの声に応えるかのように、バルドが剣を前に向けて突き出し突進した。その切っ先がエゼルの胸を突き破り、そのまま背後の壁にエゼルを縫い留める。さすがのエゼルもこれではもはや動くことはできない。
しかしそのように動きを封じられながらもエゼルは恐るべき執念を見せた。胸元に飛び込んできたバルドの首を両手で締め上げて、その体を持ち上げる。
苦悶に顔を歪めたバルドが剣の柄を放してエゼルの両手を引きはがそうとするが、エゼルの丸太のような腕はビクともしない。そのままギリギリと力を込め続けてバルドの首を握りつぶそうとする。
「いい加減、終わっとけ!」
だがその時、横から飛び込んできたアクィラの槍がエゼルの片腕を深く切り裂いた。反対側からはルカが鮮やかな剣閃でもう片方の手首を切り落とした。
万力のような締め付けから解放されたバルドが床にうずくまり激しく咳をする。エゼルは今度は足でその頭を蹴り潰そうとしたが、バルドはすんでのところで転がってその攻撃をかわした。
両足は宙に浮き、胸に突き刺さった剣を抜くこともできず、加えて両腕ともに壊れている。エゼルは完全にバルドを攻撃する手段を失った。しかしその眼光に宿る殺気は依然鋭い。うかつに近づけば食い破られてしまいそうだ。
なおももがくエゼル。それは見ようによっては哀れにも見える恰好であったが、相対している者にとってはそんな感情を抱く余裕などない。男の気迫に誰もが一歩引いて身構えた。見開いた目に宿る執念がただただ恐ろしい。
それでもやがて終わりの時は来た。
おもむろにエゼルの体に無数の小さなひび割れが走り、それらがつながり大きくなっていく。おそらくは反動だろう。あの雄叫びからの尋常ならざる力の増強がノーリスクで得られるはずがない。体が徐々に崩れ落ちる。
足が崩れ、腰が崩れ、男の瞳から急速に光が失われていく。ややもせずしてその崩れが胸まで達した時、エゼルの残りの体は地に落ち、すべてが床に砕け散った。
怪腕の神子はこうして二度目の死を、完全な滅びを迎えた。




