第十五話 もうひとつの交渉
話題がひと段落したところでアリアナがついでの用事を思い出すように言った。
「そういえばもうひとつ大事な要件があったわ。聖剣。聖剣を返してもらえるかしら? 持ってるんでしょ。あれがなくなると私もけっこう困るのよ」
「聖剣?」
ルドルフがとぼける。
「とぼけても時間の無駄よ。あれはちょっとやそっとじゃ壊れるようなものじゃないの。ここでなくなったんだから、あなたが在り処を知ってるのは道理でしょ」
「異空の狭間に飛んで行って行方が知れないと言ったら?」
「異空の狭間まで行って探してきなさいよ」
立ち上がってテーブルに手を突いたアリアナがルドルフに指を突き付けて迫った。セラは交渉モードに入って冷えた口調でやり取りし始めた二人の様子を少しはらはらしながら見守っている。
しばらくの沈黙があったが、ややもせずしてルドルフはごまかしても無駄と悟って観念した。
「わかったわかった。だが言ってみればあれは俺の得た戦利品だ。ただで返す道理もないと思うが?」
ルドルフからしてみれば、住居に押し込まれて殺されそうにもなっているのだ。迷惑料くらいはいただきたい。遠い昔はルドルフも魔物相手に同じようなことをした覚えはあるが、やられる方になるとこれほど腹立たしいことはなかった。
「あなたにとっては無価値な代物だし、はるばる訪ねてきた旧知の労をねぎらって土産に包んでくれてもいいんじゃない?」
「ろくに土産も持たずにやってきたくせに何を。まったく俺のためじゃないアップルパイはもちろんノーカンだからな」
「お土産ならかわいいお弟子さんを連れてきたでしょー」
「それもノーカンだ。その話はもう済んだ」
「だいたい聖剣は聖剣の神子が持たないと力を発揮しないんだから。あなたが持っていても宝の持ち腐れよ」
「ほう。それはいいことを聞いた。アンデッドにとっては、あれが力を発揮する状況にないことは計り知れない価値だ」
ルドルフとアリアナの視線がバチバチ火花を立てんばかりにぶつかった。
「腰のこれに物を言わせてもいいんだけど?」
アリアナが不敵な笑みを浮かべながら剣の柄に手をやる。
「おっとチンピラみたいなことを言い出した。そもそもエルフは人間に危害を加えられないはずだが?」
「残念ながら今のあなたは人外扱いなのよねー」
「あ、やっぱり?」
神の使徒たるエルフには自分や仲間が危害が及ばない限りは人間を傷つけられないという縛りがあるのだが、自分がまだその人間のくくりに該当するのかどうかは一応知っておきたいことだった。
「ほらぁ、知りたいことを教えてあげたんだから、そろそろ素直に出すもの出して」
「いやぁ、これだけじゃまだ足りないだろう~」
再び沈黙。
ソファに深く座り直して腕を組みながらアリアナは思案の顔となる。ため息をつきながらひとつ提案をした。
「はぁ、わかったわ。それじゃ、エルフはあなたに直接手を出さないってことでどう? ギリギリ人間判定にします。聖剣の神子たちも殺さないでいてくれたことだし、通ると思うわ」
ケビンを殺してしまったのはどうなのだろう? 気になったルドルフはそれを聞いてみたが、彼は聖剣の神子とは関係がないし、単なる個人間の争いにいちいち干渉しているほどエルフは暇ではない、ということであった。「罪のない女の子を殺そうとするような悪党ならなおさら言うことはないわ」とも言った。彼らは誰しもを無差別に救う博愛の守護者というわけでもないのだ。
しばし考え込んだルドルフが「あと一声」と言うと、アリアナはさらなる条件を出した。
「まだ足りない? うーん、じゃあついでに神殿や冒険者ギルドの連中にもあなたに手を出させないようにする、と言いたいところだけど、彼らが暴走したらどうせ私にも止められないし、それでは詐欺みたいなものね。代わりに情報ってのはどうかしら? このダンジョンの中にここより落ち着ける場所があるの。そこなら当面は安心して過ごせる」
「ほう、それはどこだ?」
「第十二層。今のあなたなら簡単に、とまでは行かなくても問題なく行けるでしょ。ここと同じで地脈のすぐそばだからお買い得の物件よ」
アリアナがなぜそんなことを知っているかはともかく、これは十分な対価だ。
ルドルフとしても住む場所を移すことは考えていた。必ずしもこのダンジョンの中とこだわる必要はなかったが、近場でそういう場所があるのなら、とりあえずはそこに行ってみるのもありだろう。第十二層ならば人はまず来ない。地脈から魔力を拝借できるのもとても魅力的だ。研究にも湯水のように魔力が使える。
ルドルフはそれで手を打とうとしたが、しかし即答しようとしてためらう懸念がひとつあった。
自分はともかく、セラが無事についてこられるか。
たしかにルドルフ一人ならいい場所だが、リッチに比べて人間は格段に脆い。ダンジョン第十二層までへの罠や魔物相手にセラを守り切れるだろうか? 第十二層といえばトップレベルの冒険者たちがそれなりに覚悟を決めて挑むような、そういう難易度の場所なのである。
もともと気乗りせず受け入れたとはいえ、弟子は弟子。むざむざと死なせるわけにはいかない。
「セラちゃんのことを心配してるのね。大丈夫だとは思うけど、じゃあこれあげるわ」
ルドルフが何も言わないうちに、アリアナはそれを察し、右手の人差し指にはめていた指輪を外してテーブルの上に置いた。滑らかな銀色の細いリングに漆黒に近い紺色の小さな宝石のついたシンプルな意匠の指輪だ。
「特級の結界の指輪よ。どんな危害からも三度まで持ち主を守ってくれる。その分、一度使うと魔力を再チャージするのは少し大変だけど、仮にもリッチなら朝飯前でしょう。セラちゃんに持たせてあげなさい」
アリアナはごく軽々しく差し出したが、とんでもなく希少な一品である。
結界の指輪は魔術師がよく使う、身を守るための魔道具だ。一般的にはせいぜい普通の剣の一撃を弾く程度の品物だが、「どんな危害からも三度」となると、このわずか麦粒ほどの宝石のついた小さな指輪に尋常ではない魔力が込められているとわかる。
「これはいくらなんでも、こちらがもらいすぎになってしまう」
もらう側のルドルフが思わず緊張してしまうほどの品だった。セラもつられて息をのむ。
「その指輪は立ち退き料ってことで。そもそもあんたダメよ、リッチなんかがこんな浅い階層にいちゃ。みんな怖がるし。人間の法律ではダンジョンは国の持ち物なんだから、不法滞在者はあなたの方なんですからね」
アリアナが冗談めかして言った。
「かえって借りを作ってしまうな」
「気にしないで。私が持っててももったいないだけだし。あの旅の間もずっとはめていたのだけど、気が付かなかったでしょう」
彼女は過酷な極北への旅の途中に指輪の効果を一度も発動させなかった。最後のあの極北の魔王との激戦でも発動しなかったのならば、たしかにこのエルフには無用の長物といえる。
ルドルフはその化け物ぶりに内心呆れながら指輪を受け取ると、少し離れたところまで行き、次元収納を開いた。ガランと音を立てて床に一本の大剣が落ちた。
「その魔術、便利ねぇ。でもあんたこれ世間に広めちゃだめよ。セラちゃんにも教えないで」
隣まで来たアリアナがセラに聞こえないよう、ルドルフに身を寄せてひそひそと言った。
「言われなくても教えはせん。長年の研究の成果をそんな簡単に渡す魔術師はおらんよ。相手がいかに弟子とてな」
「なら安心したわ。さすがにこういう世界の景色をガラっと変えかねないものがむやみに広まるのはちょっと困るのよ」
そう言いながら聖剣を拾ったアリアナが不意にニヤリと笑う。これ見よがしの悪い笑みである。そしてルドルフに向けて聖剣をかまえると、おもむろにそれをルドルフに向かって振り下ろした。
「フハハ! 愚かなるリッチめ、滅びよ!」
その刀身がガンと音を立ててルドルフの体に叩きつけられる。
えもいわれぬ間。
「なんてね。びっくりした? 聖剣の神子の手にないとこの剣は役に立たないって言ったでしょ」
「お前そういうのやめろよ。ローブが痛むだろ。イラッと来るだけで面白くないんだよ」
「あら、そ。ごめんなさいね」
ルドルフとアリアナがまたふざけ始めるのを見て、セラはどこかほっとしたような微笑みを浮かべていた。