第十四話 名無しの案内人
喜びがいくらか落ち着いたところで、セラは気がついたとばかりに胸の前で手を合わせた。脇に置いていた荷物の中からひとつの指輪を取り出す。シンプルで飾り気のない銀製の指輪だ。そしてテーブルを回り込んでルドルフの横まで来ると、それを両手に乗せて差し出した。
「これ、受け取ってください。お婆ちゃんが『お前がいっしょにいたいと思った人に渡しなさい。頼りになりそうな人を選ぶんだよ』って。だから弟子になれたらきっと渡さなくちゃと思ってたんです」
「ふむ?」
なんだろう、とルドルフがそれをつまんで目の前にかざす。
聞けば祖母が亡くなったのがほんの三週間前だという。両親はセラが物心ついた頃にはもう他界していて顔も知らない。似合わぬ冒険者の職に就いていたこと、先ほどの弟子入り志願の必死さ、天涯孤独の身の上だというならばいずれも納得だ。
この銀の指輪は生前の祖母が肌身離さずつけていたもので『私が死んだら必ず持っていくように』と言われていたらしい。いわば形見だった。
「ふうん、呪い除けの指輪ね」
指輪をしげしげと眺めてアリアナが言った。このエルフは卓越した目利きでもある。
「でも『いっしょにいたいと思う人』って、そういう意味じゃないと思うわよ」
後半はおかしさを噛み殺したような笑いが混じった。
それにはルドルフも同感だったし、なにより大切な形見を受け取るというのは重すぎる。魔道具として特にそそられる品物でもない。アリアナの言葉に乗っかってそのままセラに返した。それを渡す相手はゆくゆく見つけろと。セラはきょとんとしながらも自分の手に戻ってきた指輪を握りしめた。
再びちょこんとソファに腰掛けたセラにルドルフは改めてお茶と菓子を勧めた。彼女は結局まだどちらも口にしていない。冷めたお茶を温かいものに換えてやると、ようやく一口飲んで「おいしいです」と笑顔を見せた。
アリアナは自分もお茶のおかわりを所望すると、隣の少女に向けて目の前のアップルパイがいかに優れものかと解説を始める。場は取り留めもないお茶会の和やかな空気となった。
やがてセラがおずおずと尋ねた。
「あの、ずっと気になっていたんですけど……アリアナ様は師匠とはどういう知り合いなんですか?」
まだ少し遠慮がちながら、その瞳はいつの間にか知りたがりの子供のように輝いている。
アリアナはその見たことのない表情に少し驚いていたが、ルドルフにとっては魔術を教えた数日の間に見慣れた表情だった。大人しい割に、知りたいと思うことには物怖じしない。
「あら、セラちゃんから話しかけてくれるなんてうれしいわー。様とかなしで気軽にお姉ちゃんでいいからね。ルドルフの身内なら私の身内みたいなものよっ」
「身内……まぁ、いいか。それにしたってお姉ちゃんはないだろ。年齢からしたらおばあ……」
アリアナがニコリと無言の笑みをルドルフに向ける。なぜだかとても怖い。そういえば年齢の話をこちらから振るのはタブーだった。自分からは千年生きてるとか割と自慢げに言うくせに、そのことを揶揄した相手には相応の落とし前を取らせる女だ。
「お、俺のことはルドルフでも師匠でも何でもかまわないぞ。というか、ここに来るまでにそういう会話はしなかったんだな」
「んー、知り合いってことは教えてたけど、彼女あんまり話したがらなくて」
聞くにここまでの道中も四日間ほとんど無言で来たらしい。セラにとって道中のアリアナはまだ知らない他人であった。
「五十年来の知り合いなのよー。いっしょに長い長い旅をした仲なの。彼も私も殲滅の神子の従士でね――」
かつて極北の魔王を倒した殲滅の神子。同行した七人の従士の中にルドルフもいた。アリアナも同じ従士仲間で、言ってみれば戦友同士である。本来エルフは神子を導くだけでともに戦うことはないのだが、極北の魔王は特別に厄介な存在だったため、彼女も従士の一人として神子の隣で剣を振るっていた。
世事に疎いセラも殲滅の神子という名前には聞き覚えがあった。人間を滅ぼしかけた魔王を倒して世界を救った英雄の名前だ。たしかおばあちゃんがしてくれた寝物語で聞いたことがある。従士というのはよくわからないが、その英雄といっしょに戦った仲間のことを言うのだったっけ。ともかく師匠がその英雄の仲間の魔術師だったなんて!
彼女は目を丸くして自分なりの理解を精一杯にルドルフらに伝え、同時に興味いっぱいに目を輝かせた。
「あれ、でも殲滅の神子のお仲間の魔術師といえば……それじゃあ師匠の本当の名前はデダルス……様?」
セラが何気なく発したその言葉にルドルフは黙り、アリアナは大きく吹き出し笑い出した。
「まあ、殲滅の神子の一行の魔術師といえばそうだよな。あれに『様』なんてつける必要はないがね」
俺をデダルスに勘違いするということは、どうやらさっきアリアナが「デダルスに聞いてここまで来た」と言ったのは耳に入っていなかったらしい。まあ、あれも故人ということになっているので、ややこしい説明が省けて助かる。
「すみません……私、何か変なことを?」
ルドルフの口調がやや皮肉っぽくなったせいで、セラは思わず不安になってしまったようだ。なんとか笑いを鎮めたアリアナがフォローする。
「デダルスのほかに魔術師はもう一人いたのよ。諸事情により名前は伝わってないけど」
「名前が伝わっていない……?」
「いるでしょ。魔術師だと思われてないけど」
「……名無しの案内人!」
正解に思い当たったセラが胸の前でパンと手を合わせた。
「そうよー、こいつわずらわしい名声より誰にも名が知られないことを望むなんて言っちゃって。神子の従士に与えられる報酬をそれにしたもんだから呆れちゃったわ。おかげで妙な二つ名で呼ばれることになって」
アリアナがからからと笑った。
名無しの案内人。それは戦いではこれといった活躍を見せない謎の人物で、食糧調達や旅の足の用意、情報収集、獣人との交渉などサポート役としての様々な活躍が伝わっている。その役割があまりに多岐にわたっているので、神子と従士を助けた名もなき人々を一人の人間として習合した存在、という説もまことしやかにささやかれているほどである。
「もっと色々とお話聞きたいです!」
セラがねだるままに、それからしばらくはアリアナの昔語りが続いた。セラの反応が思いがけずいいので、語り部のアリアナもずいぶんと興が乗ったようだ。ルドルフは二人が話すのをほとんど黙って聞いていたが、時折アリアナが話を盛大に盛るところを訂正するのには素早く口をはさんだ。
「要するにまあ昔いっしょにちょっとした旅をした仲、単にそれだけの腐れ縁なんだ」
細かいことまでいちいちよく覚えているなこのエルフはと感心しつつも、このままだといつまで続くかわからないので、ルドルフは適当なところで話を終わらせようとした。
「とてもちょっとした旅で済ませられるものじゃないけど……ともかくいっしょに旅をしてルドルフにはだいぶ助けられた。それだけね」
アリアナは最後にそれだけは付け加えなければとでもいうように、ルドルフの言葉にかぶせてねじ込んだ。しかしそれを聞いたルドルフはかえってばつが悪い思いをした。
「ほとんど助けちゃいないさ。足を引っ張った方がだいぶ多かった」
殲滅の神子の旅路の記憶。
それは化け物ぞろいの仲間たちの中で、自分だけがどうしようもない凡人であることがひたすらつらかった記憶しかない。
たしかに名無しの案内人の逸話はほとんど本当のことだ。魔術師としての仕事をそっちのけで、色々と雑用をやったり面倒ごとを片付けるのに尽力した覚えはある。が、あれは役立たずの後ろめたさをごまかすための逃避のようなものだったと今のルドルフは思う。従士の報酬を半ば辞退するような形にしたのはそういう引け目ゆえだ。
「相変わらず謙遜がひどいわね。戦いだけのことを言ってるんじゃないのよ? あなたがどこからか用意してくれる暖かい食事でみながどれだけ助かったか」
アリアナのそんな言葉も、当のルドルフからすれば役立たずだった自分への仲間の気遣いにしか聞こえない。つまり戦いでは役に立たなかったとは認めるんだな、などとありもしないとわかっている言葉の裏をわざわざ読んでしまったりもする。
「世間でもあんた意外と人気あるのよ、ルドルフ。まあ実物を知って幻滅する人も多いだろうけど」
「そうそう実物は知らぬが華だよなぁ。知っているかセラ、エルフはオーガを素手で殴り殺せる」
「……リッチも殴り殺せるか試してみる?」
冗談を言い合う二人の様子を見てセラはふふっと笑った。




