1話 跳べ、エドガー!
宣伝目的の番外編。
三年ぶりに筆を取り、執筆活動を再開しました。
カクヨムにて新作の先行限定公開始めてます。
詳しくは活動報告にて。
ノカド村は、聖王国トピアの辺境にある数ある片田舎の村の一つでしかなかった。
それが大きく変わったのが、【賢者】アメリアが現れた時だ。その瞬間、この村は【賢者】の故郷という、国にとっても大きな意味のある村になった。
ノカド村には【賢者】を生んだ村という功績を称えられ、生活が豊かになるよう国から援助が入るようになった。
【賢者】が修行に専念できるようにという国の思惑であったが、当事者である村の者にとっては理由などどうでもよい。国から見れば僅かな支援でも、辺境の者にとっては今までとは生活とは比べ物にならないほど楽になった。
村人の全てがそれを喜んでいたが、二点だけ心に影を落とす出来事があった。
一つは、アメリアという明るい少女が居なくなってしまったこと。
こちらは【賢者】という立場があるのでしょうがないと、誰もが理解し、納得して受け入れていた。
もう一つは、トトという少年のこと。
口約束とはいえアメリアの婚約者であり、当人同士も仲が良かった。それを村の人間も微笑ましく見守っていた。しかしアメリアと離れることになり落ち込む様子に、避けようのない現実とは分かってはいたものの、不憫に感じていた。
そしてアメリアが村を去るその日。そのトトが行方不明になったのである。
村人が総出で探したが、トトが着ていた服だけが見つかりその後の行方が知れなかった。僅かな望みをかけ国に訴えもしたが、むしろ【賢者】に危害が加わる可能性を考え、国はそこで情報を握りつぶした。
こうして、トトの捜索は不可能になってしまった。
将来を期待できる聡明な子供の失踪は、大人たちはもちろん、憎く思っていた同世代の子供でさえ、心の隅に棘を残すものになった。最もこの件を悲しんでいたのは、理由も分からず大事にしていた一人息子を亡くした両親であったことは言うまでもない。
●
――それとはまったく関係ないのだが、ノカド村から歩いて数日離れた森の中。
一匹のウサギが、苦し気な声を上げていた。
「おっ……おっ、おぉ……助けて……アメリアァ……!」
繰り返すが、全く関係ない。
彼は後に“エドガー”と呼ばれることになる、今はただのウサギの獣人である。
彼の頬はげっそりと痩せ、毛並みがボロボロになっている。人間よりも身体能力に優れ、より本能的なためサバイバル能力にも長けている獣人が、なぜここまでボロボロとなっているのか?
よほどの理由があることが推し量れる。
「さすがに食料も無しで旅に出るのは……無謀だった……」
失礼。ただのバカであった。
「道から外れてショートカット、ってのがそもそも失敗だったな……今の俺ならいける! とか思ってた……森の歩き方なんか知らねぇのに何考えてんだホントに……勢いって怖いな……」
失礼。特大の大バカであった。
「でも、村の皆が今の俺に食料をただで分けてくれる訳ないし……森に逃げ込まなきゃ、ゴブリンに食われていたし……どうしようもないよな……」
どうやらバカなりに理由はあったようだ。
だとしても無謀すぎるが、まぁ同情できなくはない。
「そもそも、この体はなんだよ。いずれは【勇者】より強くなるって言ってたくせに、ゴブリンに勝てる気すらしなかった。ブディーチャック……アイツ、嘘を吐いたのか?」
ウサギは自分の身体を改めて見る。
白い毛皮。小さな手足。長い耳。何だったら耳の方が長いのではという低い身長。
どこにも、強そうな要素が見られない。
自分の名も名乗れず。強さを得ることもできず。
失うばかりで、何も手に入っていない。
「俺は……なんのためにこんな……」
大事なあの子に追いつくために、全てを捨てたのに、何も手に入っていない。
そう思うと、進むと誓ったはずなのに、覚悟が揺らぐ。
これからどうなるのだろうと不安が頭によぎったが、グゥゥウウウ、という腹の音でそんな不安は吹き飛んだ。
「これからどうしよう、じゃない。むしろ今がヤバい」
幸運にも、未来への絶望で心が折れることは避けられた。
どうなるか分からない未来を憂う余裕なんかない。それよりも今! すぐにでも死んでしまいそうな現実をなんとかしなければ。
特大の不幸を直近の不幸で上塗りしただけ、とも言える。
「肉……は、動物なんか狩れないし、そもそも火がない。魚も同じか。果物か木の実でも……」
そもそもウサギに肉が食えるのか、というのはまぁ横に置いておくとして。
ウサギはヨロヨロと歩きながら、果物か木の実が無いかと探し始める。しかし不運にも、そういった木はどこにもなかった。
「……キノコはさすがに避けた方がいいよな」
なんとか見つけたのは、肉厚なキノコだった。ゴクリと喉が鳴ったが、これこそ知識がないとどうなるかも分からない。流石に死の予感がすると、ウサギはなんとか思いとどまった。キノコに手を出すのはそれこそ最終手段だろう。
「……あっ。やばい」
なけなしの体力を振り絞り食料を探し続けるが、とうとう限界がきた。ウサギはクラリと意識が遠くなり、ついに横たわる。
「あぁ……チクショウ……腹減った……」
大事なあの子。惨めな自分の姿。何も言えずに別れた両親。優しかった故郷の人達。
この瞬間だけは、その全てがどうでも良かった。ただ腹が減った。それだけしか考えられない。
腹が減りすぎて、痛みと吐き気を感じる。そのまま眠ってしまいたいと思う気持ちを抑え、なんとか目を開けると、ウサギの目の前で草が生えていた。
野草や毒草ですらない。それこそ、どこにでも生えている雑草だ。そこら中に生えすぎているが、目に映ってはいても目に入らなかったもの。
しかし、空腹のウサギは本能で動いた。寝転がり、涙を流しながら、モシャモシャと口に含んで咀嚼し、ごくりと飲み込んだ。
「……ん? あれ?! 食える! 食えるぞこれ!」
僅かな苦みを感じるが、食えなくはない。腹を満たすには充分だ。
すると、ウサギは一心不乱に雑草を食べ始めた。この際、贅沢は言えない。食えるならなんでもいい。
「――んぐっ! ふぅ。はぁ、助かった。これで少しはマシになる」
腹が満たされれば、余裕ができる。ウサギはなぜ雑草がこんなに食えるのかを考えた。
人として、口に含んだこともある。その時も食えないことはないかもしれないが、途中で吐きたくなる苦みと食感だった記憶がある。しかし今は普通に食える程度には食料になっていた。直感的に、栄養になっているという確信もある。
「……あっ。そうか、ウサギだからか」
そりゃそうだ、と。気づけばすんなりと納得した。
そして、食料問題も解決したことに気づく。最悪、草を食べれば生きていくことも出来る。
だが同時に、これは――
あることに気づきかけたウサギだったが、ピクリ、と耳が動く。何か小さな、草を踏んだような聞こえた。
「――ヒッ?! うっ、うわぁああああああ?!」
「グルル――ッ!」
すぐ傍の茂みの陰で、オオカミがウサギを見ていた。
オオカミは気づかれたと見るや、すぐにウサギを追いかける。
「わぁあああ!? あああっ、ああああああっ!」
先に気づき逃げたはいいが、ドタドタと不器用に二足歩行で走るウサギに、オオカミはあっさりと追いつき、噛みつこうとする。
寸でのところで避けるが、オオカミが噛もうとする度に、白い毛が宙を舞う。いつ捕まってもおかしくないほど、ウサギは追いつめられていた。
「はっ! はっ! はっ! やばいやばいやばい!」
ウサギは逃げ続けるが、その動きは外見を裏切るような鈍さだ。しかし、彼はこれでも必死だった。
慣れない視点で、慣れない手足を全力で振り回すが、それでも速度は上がらない。むしろ、焦れば焦る程ドタバタとした動きになり、遅くなる。
それでもなんとか逃げ続けているのは、オオカミ自身もウサギの動きが鈍すぎて予想を外してくるからに過ぎない。だが、単純に鈍いことに気づけば、あっさりと捉えられるだろう。そしてその時は遠くない。
「やだっ! 死にたくないっ! こんなところで死にたく――」
たとえ体の調子が悪かろうと、死ぬわけにはいかない。ウサギは必死で思考を回す。早く走れないのならば、意表を突いた動きで――
とうとう捕まるという時、ウサギは咄嗟に横に跳んだ。その判断は正しく、ガチッ、と狼の歯が鳴る。
しかし、その動きはウサギの予想を上回った。
横に跳ぶ。ただそれだけの動きで、オオカミとの距離が大きく離れた。
「えっ? え、あれ?」
動いたのは自分だ。これだけの距離を取れたのも、間違いなく自分の動きだ。
ただ、横に一度跳んだだけで、なぜ?
そう考え、思わずウサギは自分の足を見た。そして、気づいた。
「そうか。ウサギだから……」
気づけば、全てが一気に繋がった。
そうだ。そもそも、走るというのが間違っている。
ウサギの走りというのは、つまり――
「――ヴォン!」
呆然と止まるウサギとの距離を詰めようと、威嚇しながらオオカミが襲う。
しかしウサギは戸惑いつつも、今度は焦らなかった。
――走るのではなく、飛び跳ねる。
グッ、と足に力を入れ地面を蹴り、前に進む。
するとたった一度の跳躍で、ウサギは数メートルもの距離を稼いだ。
「おっ?! おぉおおおおお?!」
あっさりとオオカミから距離を取り、景色が高速で流れる。しかし、ウサギの目は光景をしっかりと捉えていた。
もはやオオカミから逃げることは容易い。むしろ、この速さで自爆する方が怖い。
まるでそれが自然だったかのように、ウサギの走りは洗練されていった。より障害の少ない逃走ルートを導きだし、その走りに慣れる度に、跳躍の微調整で繊細に飛び跳ねる。
完全にこの走りを掴んだ時、オオカミの姿はとっくに無くなっていた。
「すげぇ……これが俺の……」
少し試しただけでこれだ。より使いこなせていけば、誰にも負けない強さを手に入れることができるかもしれない。そうすればあの子の元へ近づける。
改めて手に入れた自分の身体の性能に、ウサギは高揚感に包まれた。しかし、すぐにそれは失われた。
――雑草を食べれるようになった。
――走るのではなく、飛び跳ねることによる高速移動。
確かに便利だ。確かに強い。だが、これ以上なく現実を突きつけられる。
「……俺は……本当に……ッ! もう、人じゃ……!」
ボロボロと涙が溢れていく。本当の意味で、彼は現実を突きつけられた。
望んでいたとはいえ、大事な物を手放してしまった、と。
だが同時に、彼は思い出した。
――あの時にした覚悟も、また本物なのだ。
「……とりあえず、雑草は最終手段だな。本当にそれしかない時だけだ。人の尊厳は失いたくない」
グスッ、と鼻をすすると、ウサギは涙を拭ってピョンピョンと進み始めた。
その足取りはこれまでとは比べ物になるくらいに軽い。だが、この先で彼に待ち受けている壁は、とても分厚い。
――決して報われることのない彼の苦しく長い旅路は、こうして始まった。