俺がそんな甘ったれな訳ねぇだろ!
【死と安らぎの神ハーディア】。
文字通り死を司り、神々の中で最も慈悲深い神であるとされている。
死の神と聞けば、恐ろしい神であると連想する者もいるかもしれない。逃れられない死とは、誰もが一度は考えるであろう根源的な生命の恐怖であるからだ。
しかし、”安らぎの”という言葉が付いていることから想像出来るように、それだけでは終わらないのがこの神である。
ハーディアにとって死とは、永遠の別離であり苦痛からの解放でもあるとされている。懸命に生き、その命を燃やし切った者を優しく迎え入れ、癒す。そしてまた次の生へと送り出す。それこそが自らの使命であり、喜びであると明言している。
死の先に在って母のように己を包み込み、導いてくれる存在。そう認識されているが故に、女神アルマンディに次ぐ力を持つ慈悲深き神として、人々から信仰されている。
実際その信徒も多く、死者、生者を問わず死による心の傷を癒せるよう、世界各地でその神殿が見受けられる。小さな村でも、ハーディアを祀った像があるくらいだ。人々の生活においては、ある意味アルマンディよりも身近な存在である。
「──んで、このシオンって街には、そのハーディアの本殿があるんだよ。その本殿に参拝しようと、世界各地から人が集まっているという訳だ」
「はぁ。それでこんなに並んでいる訳ですか」
ずっと先まで続く長い列を眺めながら、ラッシュの話にネコタは感心した声を出す。
遠くからでは分からなかったが、シオンの正門前にはたくさんの人が街に入る為に列を作っていた。
ラッシュが言っていたように、ここに並んでいる人達はその本殿への参拝に訪れたのだろう。老若男女、様々な格好の人達が大人しく街に入るための検問を待っている。
誰もが言葉数少なく、静かに並んでいることにネコタは密かに驚いた。まるで教会で礼拝をおこなっているようだ。長い行列で長時間待たされているのならば、気性の荒い者が騒ぎ立ててもおかしくないだろうに。
見るからに裕福そうな格好の人が、ボロの服を着た浮浪者のような者と一緒になって並んでいるのもまた異常だ。普通なら自分を先にしろと金、権力を使って強引に割り込もうとする者が居る。
ハーディアの本殿がある街ゆえに、皆少なからず粛々とした態度を心掛けているのかとネコタは思った。しかしそれ以上に、誰もが程度の差はあれ沈痛な表情をしているのが気にかかった。
「熱心なことだねぇ。わざわざ護衛を雇ってまでしてここまで来るなんて。中には危険を顧みず、一人で来ている奴も居る。本殿だからってそこまでして来たいものか? ハーディアの神殿なんかそこら中にあるんだから、どこでもいいじゃん」
「ちょっ!? エドガーさん! ちょっとは発言を考えてください!」
「ははは。まあハーディアの信徒に信心深い奴が多いってのは間違いない。だが、わざわざここの本殿に来ようとするのは、それなりの理由があるからだ」
「それなりの理由、ですか?」
首を傾げるフィーリアに、ラッシュは頷く。
「ああ。なんでも本殿には、ハーディアから直々に賜ったとされる神器があって、それが公開されているらしい。その神器を一目見る為に、このシオンに世界中から人が集まってくるのさ」
「神器ねぇ。神から与えられたならすげぇもんだってのは分かるが、わざわざ見に来る価値があるもんなのか?」
やはり、そこまでする価値を見出せない。
微妙な顔をするエドガーに、ラッシュは迷わず頷いた。
「当然、ある。その神器の名は【死者の鏡】。見かけはただの鏡だが、そいつには死んだ人間の姿を映し、その声を聞くことが出来る力があるそうだ」
「死んだ人と……」
どこかぼうっとした声で、アメリアは小さく呟いた。
反面、ジーナが胡散臭そう目を向ける。
「つまり、死んだ人間と会えるってことか? バカ言え、死んだ人間に会える訳がねぇだろ。詐欺じゃねぇのか?」
「それが出来るから神器なんだろ。バーカ」
「んだとウサギてめぇ!」
あわや殴り合いが始まりそうな二人を止め、ラッシュは続ける。
「確かに疑う気持ちも分る。古今東西、そういった詐欺が無くなることはないしな。だがまぁ、これだけの人間がこうして長い列を作って待っているからには、それなりの信憑性があるとは思わないか?」
「確かにそうですよね。死んだ人にもう一度会えるかもしれないって聞かされたら、なんとしてでも来ようとしてもおかしくありませんよ」
ネコタの考えはもっともだ。二度と会えないはずの人にもう一度会えるなら、そうしてもおかしくない。
それには同意しつつも、エドガーは引っかかるものがあった。
「死は厳格な物だ。たとえどんなに理不尽なことだろうと死は覆せない。生死の境界があやふやになれば、世界がめちゃくちゃになっちまう。変わることのないこの世の絶対のルールだ。
それをどうにかしようとした奴は碌でもない結果に終わるってのが、太古の昔から決まっているお約束だろう? 物語でも、現実でもな。
だのによりにもよって、それを知り尽くしている筈のハーディアがそんな鏡を人に授けたのか? そのあたりが俺にはどうにも腑に落ちねぇな」
エドガーの指摘に、ラッシュは肩を竦める。
「ハーディアが何を考えてそんな鏡を渡したのか? 神の崇高な考えなんて俺には分からん。だが、死んだ人間に再会出来るなら、それに縋りたくなる奴の気持ちは分かる。
難しいことは考えないで、便利な道具があるんだなー程度でいいんじゃないか? 神器の有り様なんざ、残された奴の気持ちに比べればどうでもいいことだろ?」
「……ま、それもそうだな」
エドガーは素直に肯定した。
茶化すように言いながらも、ラッシュの瞳からどことなく寂しさを感じとったからかもしれない。
「なんならよ、旅の用意が済んだらその鏡でも見に行くか? ほら、お前らだって誰か一人くらい、もう一度会いたいと思ってる奴が居るんじゃないか?」
ラッシュの提案に、エドガーはフンと鼻を鳴らす。
「アホか。昔ならいざ知らず、今さら会おうとは思わねぇよ。自分の中でケジメをつけて、悲しみはしっかり乗り越えたっつの。そこまでして再会なんざしてみろ。あのジジイのことだ。盛大に笑われるか、いつまでもウジウジしてんじゃねぇってどやされるかで碌なことには──なんだよ?」
まじまじと見つめてくる仲間たちに、エドガーは不機嫌そうにギョロリとした目を向けた。
うろたえたように顔を見合わせ、自分だけではないと分かると、ラッシュが遠慮がちに言う。
「いや、その、まさかお前がそこまで真剣に想っている相手が居るとは思わなかったから」
「はい。僕もてっきり、エドガーさんなら死人に興味はないって言い切るかと」
「お前のようなド畜生でも、大事にしていた奴が居たんだな。悪い、血も涙もない奴だと思ってたわ」
「ジジイってことは、おじい様ですか? エドガー様のお爺様はどんな人だったんですか? やっぱりエドガー様みたいに可愛らしかったですか? エドガー様は実はお爺ちゃん子だったんですか!?」
「ちっ、ちげぇよバカッ! 俺がそんな甘ったれな訳ねぇだろ!」
キラキラした目で迫ってくるフィーリアから距離を取り、エドガーは顔を赤くしながら怒鳴る。
「ジジイってのは祖父じゃねぇ! ただの知り合いだ! 知り合い! あと、別に俺じゃなくても、誰だって一人くらいは特別な奴が居るだろう!? オヤジだってそうだろ!? なぁ!?」
「ん。ああ、まあ……居るな。ただ、俺も今になって会いたいとは思わないな。もう済んだことだし、むしろ今さら会う方が傷つくことになりそうだ」
「ほら見ろ! こんな枯れたオヤジでさえそういう相手が居るんだよ! お前らだって居るだろう!? なぁ!?」
必死に訴えるエドガーに、ネコタは困ったような顔をする。
「居ないとはいいませんけど、僕の場合、そもそも地球の人な訳で。違う世界の人までその鏡に映るのかどうか……」
「あたしは一人も居ねぇな。特に親交が有った相手が居た訳でもねぇし、しいて言えば死んだ両親がそうかもしれねぇが、顔も知らないで死に別れた相手だ。特に寂しいとも思わねぇ」
「それでいいのかよお前。むしろそういう奴にこそ必要な道具だろ」
やはりこいつは人でなしだとエドガーは思った。
きっと草葉の陰でご両親も泣いているに違いない。
「もう一度会いたい人……誰か居たでしょうか? お爺様やお婆様になら会えるでしょうけど……でも、二人共十分長く生きてましたし、正直死ねて楽になれた部分が……私も特に寂しくは……というか、死んだ日もいつもと変わらずご飯を採りに森に入っていた気が……あれ? もしかして私って相当酷いことをしていたのでは……」
「良かったな。気づけただけ成長したよ、お前は」
フィーリアはフィーリアで、思った以上に冷めた女だった。
勇者パーティーのくせに、真っ当な倫理観を持った者が少ない。せめて自分だけでも人の心を忘れずにいようと、常識人であるエドガーは思った。
咎めるような視線を向けるエドガーに、ジーナは不満そうな表情を浮かべる。
「別にあたしらが冷たい訳じゃねぇよ。むしろ、死んだ人間にそうまでして会いたいって思う奴の方が少ないだろ。普通は自分の中で折り合いを付けられるもんなんだからよ」
「そっ、そうですっ! 決して私が冷血な訳ではないですよっ! エルフは寿命が長いですからねっ! 十分生きたからいつ死んでもいいんです! 人間の方より悲しみが薄いだけですっ!」
「それはそれで問題なんじゃねぇのか……?」
「そ、そんなことは……! ア、アメリアさんっ! アメリアさんだって居ませんよねっ!?」
「え? ──ああ、うん。居ないけど……」
「ほら! アメリアさんだって居ないって言ってますよ! ねっ? 私が冷たい訳じゃないでしょう?」
「アメリアとお前は関係のない話なんだよなぁ」
周囲の目が集まっているのにも気づかず、ワイワイガヤガヤと騒ぎながら、列を進む。
その後を一番後ろで追いて生きながら、アメリアは小さく呟いた。
「【死者の鏡】……」
そう呟くアメリアの瞳は、夢うつつな色をしていた。
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