さすがにそこは年齢を考えろよ!
「──ッヒィイイイヒャッハアアアアアアアアアアアア!!!! エドガー、一気にいきまーす!!!!」
「ぷひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! よっしゃ、あたしも負けてらんねぇ!! ウサギに続きまーす!!!!」
砂の守り人の部族との力試しが終わって、夜。
集落は、楽し気な声で賑わっていた。
もう夜も遅いというのに、あちこちに明かりを点け騒いでいる。
砂漠の奥地では貴重な食料と酒を放出し、皆が酔っ払いはしゃいでいた。
──グビッ! グビッ! グビッ! グビッ! グビッ! プハァー!
一息に酒を飲み干し、ドンッ、と器を叩きつけるエドガーとジーナの二人。その雄々しい姿に、砂の部族達がやんやと喝采を上げる。
昼間の空気からは考えられない歓迎のされぶりであった。
エドガーは顔を真っ赤に、どこか逝ってる目で叫んだ。
「まだまだ飲み足りねぇ! 夜はこれからだぇえええええええ!」
「そうだそうだぁ! どんどん持ってこおおおおい!」
似たような様子で、ジーナもエドガーに追随した。
完全に性質の悪い酔っ払いである。むしろ部族の者達からは喜ばれているとはいえ、いくらなんでも加減をしろとラッシュは思った。
「まったく、羽目を外すにも程があるだろ。少しは遠慮しろよな」
そう言いながら、二人ほどではないがラッシュ自身も手酌で酒を楽しんでいる。
アメリアは酒で唇を濡らす程度だが、珍しく楽し気な雰囲気だ。そしてフィーリアに至っては、まるで大食いにでも挑戦しているかのように出された料理に片っ端から手を付け、至福の表情であった。
部族の人間も、外の人間も、誰もがこの宴を心から楽しんでいた。
──ただ一人を除いては。
「ぐすっ……うぐっ……えぐっ……ひっ、ひぐっ……うっ、ぐすっ……!」
宴の隅で、ネコタは膝を抱えて泣いていた。
楽し気な雰囲気の中、そこだけ明らかに空気が違っていた。気を使ってか、接待を任された部族の美女達も、見て見ないふりをしている。見事な空気のぶち壊し具合であった。
さすがに放っておけず、ラッシュはネコタに近寄りポンと肩に手を乗せる。
「おい、いつまで泣いてんだ。いい加減元気だせよ」
「だって……! 強くなったと思ったのに……! よりにもよってこんあ大勢の前で……あんなウサギに……みじめに……!」
ネコタは体中をボロボロにし、顔には殴られた跡がはっきりと残されていた。目元の青あざが痛々しい。端正な顔が台無しであった。
ネコタとエドガーの決闘は、最初は互角に見えたものの、時間が経つにつれネコタはエドガーの手によって痛めつけられていた。
女神の力で強くなったとはいえ、やはり歴戦の戦士の経験には勝てなかったようだ。それでも下手に食いついてしまったせいで、後半は気絶しない程度に手を抜かれ完全に遊ばれていた。見ている観衆ですら同情するほどだった。
それに気づいた時、ネコタは羞恥心と悔しさから涙が止まらなくなった。
「くそっ……くそっ! あんなクズ野郎なのに……なんでっ、なんであんなに!」
「ああ~、いや、お前も頑張ってると思うぜ? 実際努力もして強くなってるしな。ただほら、アイツも長年経験を積んできた一流の戦士だし、負けるのも当然の話だ。そこまで落ち込むことは……」
「いぇ~い! お前ら、ちゃんと飲んでるか~!?」
余計な時に来やがって……。
ネコタを慰めていたラッシュは、エドガーの陽気な声を聞きしかめっ面をした。最悪のタイミングだった。
エドガーはヒック、と酒臭い息を吐きながら、フラフラと千鳥足でこちらに向かってくる。おっとっと、とネコタに寄りかかる。
「おいおい、なに暗くなってんだよ~。皆楽しんでんだから、お前も楽しもうぜ~?」
「……うるさいな。放っておいてください」
ふいっ、と。ネコタは目元を拭いながら顔を背ける。
しかし、エドガーは追いかけるようにして顔を寄せ、囁いた。
「なんだなんだ、何か嫌なことでもあったんかい? どれ、この俺に話してみ? お前のちっぽけな悩みなんて、パパーっと解決してみせるぜぇ! ヒック!」
「ちっぽけじゃない! というか、酒臭いから離れてくださいっ!」
「んだよ~。なんか知らんが落ち込んでるから、せっかく慰めてやろうと思ったのに」
ちぇ~、と拗ねたように小石を蹴るエドガーに、ネコタはプルプルと怒りを堪えるので必死だった。こいつ、誰のせいでこうなったと……!
「まっ、誰にも悩みを話したくないってんなら仕方ねぇな~。そういう時はほれ、酒でも飲んで忘れりゃいいんだよ~」
こうなることを予期していたのか、エドガーは用意していた酒をネコタに渡そうとする。
完全にダメ人間の理屈だ。ネコタは蔑むような目を向け、はぁ~と重々しい息を吐いた。
「要りませんよ。そもそも、僕は未成年ですから飲めません」
「そりゃお前の世界の話だろ~? この世界ならお前も成人扱いだから、気にすんなよ~。それに、未成年でも隠れて飲んでる奴なんて五万と居るって~の! だいじょぶだいじょぶ、ふひゃひゃひゃひゃ!」
「他人は他人、僕は僕です。何を言われようとも、要りませんので」
キッパリとネコタは断る。
気持ちよさそうな表情をしていたエドガーだが、急に冷めた目をしボソリと呟く。
「ここまで言っても飲まないとか、冷めるわ〜。つくづく空気の読めない奴」
「はぁ!? 今なんて……!」
「そもそも、歓迎の酒を出されて飲まないとか、礼儀的にどうなのよ? 無礼にも程があるだろ」
「うっ、それは……いや、でも僕は未成年ですし、仕方なく……」
「異世界に来てまで、馬鹿正直に自分の常識を守って小さく纏まる。そこで満足してるから、お前はいつまで経っても成長できねぇんだ」
「はぁ? なんでそこまで言われなきゃ──」
「魔王討伐なんて無茶をやるからには、少しくらいルールを破っても余裕を持てる姿を見せてほしいもんだな。まっ、お前が今の情けないままでいいっていうなら、別にいいけどな。一生そうやって何かあるたびにウジウジ泣いてるがいいよ。──この泣き虫がっ!」
「……ッ! ちくしょおおおおおおおおおおおおおおお!!」
ネコタはエドガーから器を奪うと、やけになって飲みだした。
エドガーは嬉しそうに手拍子をする。
「おおー! やれば出来んじゃねぇか! その調子その調子! はいっ、ネコタ君の! ちょっといいとこ、見てみたいー!」
「お、おい。飲みなれてないんだから、あんまり無茶させんなよ」
「馬鹿野郎。いつまでも引きずらせたままの方が可哀そうだろうが。酒ってのはこういう時に使うんだ。飲んで忘れさせてやれ」
どうやら、エドガーなりの優しさだったらしい。
力技であるが、なるほど、一理ある。
そもそもの原因がこのウサギであるということ忘れなければ、良いことを言うなーと思わないでもなかったのだが。
「さて、泣き虫が少しは吹っ切れたようだし、俺はあっちに戻るわ。ちゃんと世話してやれよ〜」
「おっ、おいっ! ちょっと待っ」
キッカケを作っておきながら、エドガーは問題をラッシュに押し付けて騒がしい場所へと帰っていく。
自分勝手な奴め、と悪態を吐くラッシュ。そんなラッシュに、近寄る男が居た。
「客人、楽しめているか?」
「アンタは……」
ラッシュに声をかけたのは、ネコタと戦った部族一の戦士、シギだった。
昼間の気難しそうな顔とは違い、穏やかな表情をしている。これが同じ人物かと、ラッシュは密かに驚いた。
シギはチラリとネコタを見ると、小さく汗をかく。
「ずっと落ち込んで居たようだから、どうしたものかと悩んでいたが……どうやら杞憂だったようだな」
「あっ、ああ。すまんな、気を使わせちまったみたいで」
「あっ、シギさんだぁ! 昼間はどうも! それと、このお酒美味しいですっ!」
「うむ、気に入ってくれたなら何よりだ。景気付けだからな、好きなだけ飲んでくれ」
「はぁああああい! いっぱい飲みまぁああああしゅ!」
「お、おいっ、ネコタ。あんまり羽目を外しすぎないよう……」
やんわりと止めようとするラッシュだったが、どうやら遅かったようだ。初めての飲酒でヤケ飲みしたネコタは、立派な酔っ払いになっていた。シギの合図で砂漠の女に酒を注がれ、煽てられながら上機嫌に飲み続けている。もはや止めるのは難しいだろう。
遠慮を見せないネコタに焦るラッシュだったが、シギは朗らかに笑った。
「なに、気にするな。戦士が死を覚悟した戦に赴こうとゆうのだ。少しでも戦意高揚になるのなら、このくらい安いものだ」
「そう言ってくれると助かるよ。しかし、良かったのか? こんな場所だと酒や食料なんて貴重な物だろうに、俺達の為にこんなに使わせちまって」
「確かに貴殿の言う通りだ。だが、あの悪魔を倒すと言い切った戦士達を盛大に送り出そうとするのに、反対する者などこの砂漠には居らんよ」
シギはラッシュの隣に腰を下ろし、ラッシュの器に酒を注ぎながら言う。
「昼間、あの強き女が言った通りだ。私達は【グプ】を恐れ、【グプ】の怒りに触れないように生きてきた。若い娘を生贄に捧げるという屈辱を良しとして、今まで生き延びてきたのだ。
アレが恐ろしく、歯向かうという気も湧かなかった。だからこそ、真実を言い当てたあの女に私は怒りを見せたのだ。
仕方がないと自分に言い聞かせ、見ないふりをしていたその情けない心を暴かれたからな」
シギは自らの酒をグッと飲み干し、続ける。
「だが、だからといって、あの悪魔をそのままにしていていいと思っている訳ではない。
どうにかしなくてはと、この砂漠に住む部族の誰もが思っていたのだ。アレを殺すのは、この砂漠の部族にとって、なによりも変えがたい大望なのだ。それが出来るだけの可能性を見せられては、こうして期待せずには居られない。
だからこそ、こうやって貴重な物資を惜しみなく使って、貴殿らを送り出すのだ。他人に期待して、自分たちが震えたまま何もしないというのは、虫のいい話ではあるが」
「……いや、こうして送り出してくれるだけで十分だよ。存分に期待してくれ」
ラッシュはシギに酒を注ぎ、器を重ね合う。
それに、シギは安心したように小さく笑った。
「そう言ってくれるとありがたい。貴殿達が【グプ】を倒せたなら、死んでいった者達も、今生きている者達も、安らかになる。族長も長年抱えてきた傷が癒えるに違いない」
「ん? なんだ、その言い方だと、族長はその【グプ】っていうのに特別なもんがあるのか?」
シギは酒に口をつけながら、小さく頷いた。
「ああ。【グプ】には多かれ少なかれ、誰もが傷つけられてきたが……この部族で最も奴に傷つけられたのは、間違いなく族長だからな」
♦ ♦
明るく、騒がしい声で満ちた集落の外れ。
族長ファティマはそこで独り、宴に背を向け、どこまでも広がる砂漠に目を向けていた。
その目はしっかりと何かを見据えているようでもあり、どこか夢を見ているようなものでもある。矛盾した、複雑な感情を抱え、ファティマは静かに砂漠を見つめていた。
「……姉様」
ポツリと呟き、ファティマは胸元をぎゅっと握る。
砂漠を見つめ湧き出てきた苦しさに、ファティマは潰されそうな思いを感じた。
「なんだ〜? バアさん、その歳で寂しがりやか〜?」
「ひぃやあ!?」
すぐ側で聞こえた声に、ファティマはビクリと跳ね上がった。
暴れまわる心臓を抑えながら横を向けば、見るからに酔っ払ったウサギが、胡乱な目で自分を見上げていた。
「な、なんじゃ、お主か。驚かせよって。なんでこんなとこに居るんじゃ。まだ宴は終わらんじゃろ。向こうで飲んでればよかろうに」
「ん〜、いや〜、俺もそうするつもりだったんだけどよ〜……途中で、そういやバアさんの姿が見えねぇな〜って思ってなぁ?
もしかしたら歳も歳だし、誰も気づかない場所で独りでおっ死んでるんじゃねぇかと思ってよ。
ありえなくないから、一度気づいちまったら気になっちまって……しょうがねぇな〜、一肌脱いでやるか〜! って、探しに来てやった訳だ。ありがたく思えよ……ヒクッ!」
「このガキッ……!」
ピキリ、とファティマのこめかみに筋が浮き上がった。
怒鳴りつけてやろうかと思ったが、酔っ払っている風のエドガーを見てファティマはため息をついた。おそらく、悪気はまったく無いのだろう。失礼にも程があるが。
「余計なお世話じゃ。お主に心配されるほど老いぼれてはおらん。さっさと向こうに行け」
「ふっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ! 老いぼれがなんか言ってやがるっ! 冗談が上手いなバアさん!」
「喧嘩を売りに来たのかお主!? 上等じゃ! まだまだ動けるところを見せてやろうか!?」
ファティマが本気の怒りを見せたというのに、エドガーは怯えるどころか、ゲラゲラと腹を抱えて転がりだした。今世紀一番のギャグだと思った。あまりにも無礼すぎる。
ぐぬぬぬっ、とファティマは呻く。あと二十年若ければ……! と思わずにはいられない。年老いたこの身が恨めしい。
「ふぃ〜、笑った笑った。面白かったぜ、ありがとよ」
「このっ……チッ! 満足したなら宴に戻りな。もうわしに用はなかろう」
「まぁまぁ、そう冷たいことを言うなよ。お礼にほら、ババアが寂しがらないように側で飲んでやるから」
「いい加減にせぇよお主! わしがいつ寂しがった!?」
「姉様って、泣きそうな声出してたじゃねぇか」
「うぐっ……!」
痛いところを突かれ、ファティマは声を詰まらせた。
周りに人が居ないと思い込んで居たとはいえ、一生の不覚である。よりにもよってこんな性格の悪い男に聞かれるとは。
言った通り、戻る気はないらしい。エドガーはよいしょと腰を降ろすと、ファティマにほれと空いた器を差し出した。なんだかんだ言いつつ、どうやら最初からそのつもりで用意していたようだ。
ファティマはしぶしぶと受け取り、エドガーの注いだ酒に口をつける。それを見て、エドガーも満足そうにしながら酒を飲み始めた。
「んで、族長ともあろうババアがなんでこんな所で一人になってるんだ? せっかくの宴だってのによ」
「別に理由などないわ。わしも歳じゃからな。騒がしいのが苦手なだけじゃ」
「ああ、そうなのか。まぁ、ひねくれた年寄りなら、そういう奴も居るよな」
なんでもない顔で、エドガーはグビグビと酒を飲みつづける。
ファティマは本当にこのウサギをどうかしてやろうかと思った。
わりと本気で考え始めるファティマだったが、続くエドガーの言葉に目を丸くする。
「ただ一人になりたかったってだけなら良かった。俺はてっきり【グプ】の討伐が気に入らないのかと思ったぜ」
「……なぜそう思う?」
「あん? いや、だってよ。皆が楽しんでいる中、一人だけ宴から抜け出したら気に食わないのかと思うだろ?」
それが自然だろ、とばかりに、エドガーは答えた。
ファティマは顔をしかめる。決して正しくはないが、内心を見事に見抜かれている気がした。
「しかし分からねぇな。なんだってババアはそんな不機嫌そうにしているかね。他の連中は、俺達を信じて、【グプ】を倒してくれるって喜んでんのによ。ババアだって、その【グプ】ってのが居なくなった方が嬉しいだろ?」
「それはもちろんだ。ただ、わしは他の奴らとは違って、お主らが勝てるとは思えないだけだよ」
「ああん? あんだけ俺の強さを見せてやったろ? 心配しなくても、【聖獣食らい】だろうが俺達ならあっさり倒してやるさ」
「お主らは逆に、【グプ】を舐めすぎている。そんな簡単に殺せるような奴なら、わしらでとっくに殺しておるよ。……そうさ。そうすれば、姉様だって死ぬことはなかった」
ファティマはやりきれないように目を伏せた。
それを見ぬようにして、エドガーは尋ねる。
「バアさんの姉ちゃんは【グプ】に殺されたのか?」
「……殺されたのではなく、自ら死にに行ったんだよ。姉様は五十年前、この部族の生贄になったのさ」
力なく息を吐き、ファティマは続けた。
「姉様はこの部族どころか、砂漠の民全体で見ても美しい人じゃった。美しく、気立ても良く、それでいて誰よりも優しい。当時の砂漠の娘は、誰しもが姉様のようになりなさいと言われた、憧れた存在じゃった。もちろん、わし自身もな。わしにとって姉様は、一番身近な家族であり、遠い存在でもあった」
そう語るファティマは、どこか誇らしげであった。
その嬉しそうな声に、エドガーは耳を傾ける。
「そんな姉様にはな、やはりそれに負けないくらい相応しい恋人が居た。砂漠一と謳われた戦士だった。にも関わらず、争いを好まない穏やかな気質の男でな。
……ああ、そうじゃな。思い返してみれば、あの勇者の小僧とそっくりかもしれん。可愛らしい顔つきも、雰囲気が似ておる」
「俺、ソイツとは絶対友達になれねぇわ」
エドガーはしかめっ面で断じた。
偏見の強い男である。
くっくっくっと、ファティマは忍び笑いを漏らした。
「確かに、お主のように妬む男が多かったの。あんな優男がと、嫉妬の目を向けられておった。わしらはそんな男どもを白けた目でみていた物じゃ。
じゃが、戦士らしからぬその男を、姉様も気に入ったようでの。出会ってそう時を経たずして、二人は将来を誓いあった恋人になった。家族ぐるみの付き合いで、もはや身内同然の扱いでの。わしもよく可愛がってもらったもんじゃ」
ファティマは胸元に手を伸ばすと、首に下げられた小さな赤い宝石のペンダントを取り出す。
それにチラリと目を向け、エドガーは尋ねた。
「それは?」
「砂漠の部族に伝わる【送り石】という風習でな。この砂漠特有の【呼び玉】という宝石がある。
これは一つの宝石を砕いていくつかの宝石にすれば、同じ石から出来た物同士を近づければ光るという性質を持っているんじゃ。
これを、家族や恋人、自分にとって大事な相手に贈り物として渡すんじゃよ。この石は元の一つの石に戻ろうとしている、という風に言われておってな。砂漠で迷った時、大事な人の元へ帰ってこられるおまじないとして使われている」
ファティマは懐かしむようにそれを掲げ、眩しそうな目をしていた。
「これは姉様の恋人から貰った物でな。同じ石から出来た物を、姉様とその男も持っていた。二人と同じ物を持って、わしもはしゃいだものじゃ。今ではもう忘れかけていたがの」
夢から醒めたように、ファティマは平静に戻った。
胸元に宝石を仕舞い、また砂漠の方へ目をやる。
「本当に、憧れの二人じゃった。自分もいつかあんな恋人を見つけて、二人のようになりたいと思っていたもんじゃ」
「おやおや〜? もしかしてバアさん、実は惚れていた?」
ニヤニヤと意地悪そうな笑みを浮かべるウサギに、ファティマは鼻で笑った。
「その気持ちもなくはなかったが、姉様の恋人という意識が強かったんでな。二人がお似合い過ぎて、割り込もうとすら思えなかった。わしもまだ幼かったし、恋を知るには若過ぎた。だからこそ憧れで済んだ訳じゃが……その憧れも、すぐに裏切られたがな」
また、ファティマは暗い表情を作った。
それは、憎しみのようなものが感じられた。
「気づいていないのは、わしだけじゃった。周りの大人も、恋人も、そして姉様自身も分かっておったのじゃろう。ほどなくして、この部族が生贄を出すことが決まった。そして選ばれたのは当然、姉様じゃ」
吐き捨てるような口調で、ファティマは続ける。
「生贄を出すのは持ち回りだ。仕方ないとはいえ、周りの部族は姉様の美しさを知っているから促した節があった。生贄に相応しい美しい娘は他に居ない、とな。わしや恋人の両親も、そうなる前に二人に婚儀を挙げさせようとしていたが、他ならぬ姉様がそれを拒んだ」
「ほう、そりゃ何故?」
「もし姉様が婚儀を上げてしまった場合、わしが生贄として選ばれる可能性が高かったからじゃ」
絞り出すような声で、ファティマは言った。
「姉様はわしを守るために、恋人と一緒にならず、未婚のままで居ることを選んだ。確かに早かったとはいえ、建前を作ることも出来たのにも関わらずじゃ。そうと知らず、わしは姉様が生贄にされることを悲しみ、行かないでほしいと泣いてすがった。
姉様は困ったように笑いながらわしを慰めていたが……本当はどれほど怯えていたのかと思うと、想像しがたい」
「……妹想いの、いい姉ちゃんだったんだな」
寂しげに、エドガーはそう言った。
ファティマはゆっくりと頷く。
「ああ、その通りじゃ。本当に、わしは姉様が大好きじゃった。どうしても失いたくないほどに。じゃから、どうにかして姉様を守れないかと、最後の最後まで希望に縋り続けてしまった。その縋った先が、部族一の戦士である姉様の恋人じゃ」
躊躇った仕草を見せ、ファティマはゆっくりと続けた。
「姉様を愛したあの砂漠一の戦士なら、きっと姉様を助けてくれる。そう信じてわしは疑わなかった。
じゃが、いくら砂漠一の戦士といえど、たかが一戦士にあの悪魔を殺せる訳がない。
もちろん恋人も最後まで足掻いていたよ。人数を集め、【グプ】を倒す算段をつけようとした。
しかし【グプ】を恐れた砂漠の民が、力を貸すわけがない。むしろ、余計な事をするなと止められるだけじゃった。【グプ】を怒らせたらどうなると思っている、とな。
結局何も出来ないと悟った恋人は、無力な自分に絶望し、そして最悪の選択をした」
エドガーは静かにファティマが話すのを待っていた。
ファティマは、震えた声で言った。
「逃げたのじゃよ。その恋人は、姉様が死ぬと分かって、それでも気丈に心配かけまいと笑い続ける姉様に最後まで寄り添うことも出来ず、生贄に差し出される日が来る前に姿を消したのじゃ」
ファティマは、震えていた。
エドガーは何も言わず、ただ黙って話を待った。
「そうと分かった時、わしは深く失望した。憧れたあの人なら……姉様が愛し、姉様を愛したあの人なら、なんとかしてくれると。
信じて、いたのに……逃げ出したことが、許せなかった。裏切られたと思った……わしは殺してやりたいほど憎かったのに……なのに、姉様は一言も恨み言を言わなかった。
恋人が居なくなった翌朝……全てを察して、ほっとしたように笑っていた……」
ポトリと、砂の大地に、涙が落ちた。
枯れ果てたはずの身から、かつての悲しみが蘇っていた。
「今ならば、自分がどれだけ過度な期待を抱いて居たのかは理解できる。だから、戦ってほしかったとは言わん。
じゃが、せめて……せめて最後まで、姉様の側に居てほしかった……! 死ぬ前に、最愛の人の側に、居て欲しかった……!」
ファティマは声も出さず、ただ流れ出るままに涙した。
エドガーは気づかないふりをして砂漠を眺めている。
そう時を経たずして、ファティマの涙は止まった。袖で目元を拭い、そしてまた遠くを見るようにして、砂漠に目を向ける。
「まぁ、ババアのくだらない感傷じゃ。昔のこと今も引きずって、戦おうとする男達に水を差していただけの話よ。くだらないと思うか?」
「いや、別にくだらなくはねぇだろ。誰だってバアさんのみたいな経験をしたら、そうなると思うぜ」
「それで慰めているつもりか? ふん、まぁいい。ともかく、わしは今でもお主らが祭壇へ向かうことには反対じゃ。殺されると分かっているのに、みすみす行く必要もあるまいて」
「アホか。俺らをその恋人やらと一緒にすんじゃねぇよ。俺らの中に、びびって似げ出す奴なんて一人も──」
エドガーの脳裏に、甘い顔つきの少年と、大食らいの美女の姿が過った。
なんて邪魔な奴らだ、と。エドガーは忌々しく思った。
「……まぁ、二人くらいしかいねぇよ。過半数は勇敢だから大丈夫だ。たぶん」
「頼りない発言じゃのう。お主、実は怯えておらんか?」
「おれがビビる訳ねぇだろうがクソババア! 何が相手だろうが勇敢に飛び込んでやるわい! ただ、連れに一部信用出来ない奴らが混じってるだけだ!」
それはかなりの問題ではなかろうか?
ファティマが疑問に思っていると、エドガーはケッと鼻を鳴らし、ピョンピョンと宴に戻ろうとした。しかし、途中でエドガーはピタリと止まり、背を向けたまま言う。
「バアさんよ。さっきの話を聞かせれば、俺が諦めると思ったのかもしれないけど、逆効果だぜ」
「なに?」
キョトンとした顔をするファティマに、エドガーは振り返らずに言う。
「あんな話を聞かせられたら、ますます【グプ】って奴は倒さなきゃいけないだろ。バアさんの姉ちゃんや、その恋人。そして、バアさんみたいな奴をこれ以上増やさないためにもな」
ぶっきら棒にそれだけ言って、エドガーはそのまま宴に戻っていった。
ファティマは目を丸くして、じっとエドガーを見続ける。その姿が宴の中に消えたのを見届けると、ふっと穏やかな笑みを浮かべた。
「……生意気なウサギめ」
胸が軽くなったような気持ちで、また広い砂漠へと目を戻す。
騒がしい声が聞こえているというのに、何故か、とても静かに思えた。
今夜は、穏やかに眠れるような気がした。
♦ ♦
──翌朝。今日も憎らしいほどに、太陽は灼熱の陽気を放っている。
肌の焼けるような暑さだが、嫌でも人の心を持ち上げる快晴だった。そんな晴れた日だというのに……この場にいる殆どが、今にも死にそうな顔をしていた。
「おぷ……うぇ……気持ち悪い……暑っ……だるっ……」
「死にます……これ死んじゃいます……祭壇に辿り着く前に……この気温で……」
「同感だ……まさかあたしがここまで……やられるとは……休んでから行こう……でないとマジで死ぬ……」
「加減して飲まないからだ、バカ共。だから何度も止めただろうが……」
二日酔いで苦しむエドガー、ネコタ、ジーナを、ラッシュは呆れた目を向ける。
考えなしに飲みやがって、とも思うが、おおっぴらに注意するのも憚れる。
【勇者】がグプを退治すると決まって、よっぽど嬉しかったのだろう。見回せば、部族の人間もほとんどが三人と同じような顔で苦しんでいた。
「……やっぱり、皆、誰かがその魔物を退治することを願ってたんだね」
「そうですね。羽目を外したくなる気持ちも分かる気がします」
酒をそこまで好まないアメリアと、食に走っていたフィーリアは、心を広くして苦しむ者達を慈しむように見ていた。苦しんでいないからこその余裕、優越感がちらほら見えなくもなかった。
こいつらも褒められたもんじゃねぇな、とラッシュが思っていると、シギを侍らせたファティマが現れた。そして苦しんでいる三人を見て、白けた目を向ける。
「うちの者もバカじゃが、お主らは大バカじゃの。これから祭壇へ向かおうという奴らが、誰よりも酔っ払ってどうする。危険な場所に向かおうという自覚があるのか?」
「仰る通りだな。面目無い」
ラッシュは恥ずかしそうに頭を下げた。
ファティマは疲れたように溜息を吐くと、シギに目で促す。
シギは抱えていた荷物をラッシュに渡した。
「余剰分の食料と水だ。そう多くはないが、これだけあれば祭壇があると言われている地帯までなら保つはず。済まないが、こちらにも余裕がある訳ではないのでな。これで許してくれ」
「いや、十分だ。何から何まで済まない」
「おっ、おお……酔い覚ましの水……ありがてぇ……」
「ちげぇよボケ! ひっこんでろ!」
よろよろと近寄ってきたウサギを、ラッシュは容赦なく蹴っ飛ばした。酷い動物虐待だった。
「な、何をする……酒を抜かなきゃ、ろくに歩けないぞ……」
「貴重な水を酔い覚ましで飲ませるか! 酒は歩いて抜けっ!」
「なっ、なんて酷いことを……貴様に人の心はないのかぁ……!」
「クソオヤジ……自分だけ助かりやがって……覚えてろよお前……!」
「やめましょうよ……自業自得ですから……僕、もう絶対お酒は飲みません……」
みっともない姿を見せる酔っ払いに、ファティマは呆れを通り越し、心配になってきた。
「本当に大丈夫かお主ら。砂漠を舐めてると死ぬぞ」
「心配はごもっともだが、こいつらも普通じゃない。歩けばそのうち元気になる。いざとなれば殺してでも歩かせるから」
わりと本気の表情のラッシュに、ファティマは若干引いた。コイツら、仲間をなんだと思ってるんだろうと、同じ人間なのかを疑いたくなった。
「まぁよい。ほれ、持っていけ」
ファティマは諦めたように息を吐くと、懐にしまっていた物をラッシュに渡す。
しっかりとした布で大事そうに包まれたそれに、ラッシュは目を細める。布を解き中を見て、ラッシュは小さく眉を上げた。
「これは……羅針盤?」
「ああ、そうじゃ。その羅針盤が、祭壇までの道を指し示すと言われておる。【勇者】が訪れた時、その羅針盤を【勇者】に渡して祭壇まで導くことが、わしら守り人の使命なのじゃよ」
「なんでぇ……偉そうに言っておきながら……スゲェのはその羅針盤じゃねぇか……守り人とか、存在する意味が……ウプッ!」
「ひゃっひゃっは! そんな情けない姿では何を言われてもなんとも思わんな」
「クソババァ〜……!」
青い顔で蹲るエドガーを見て、ファティマは愉快そうに笑った。族長の珍しい姿に、部族の者達が揃って驚いた顔をしている。
「まぁ、精々【グプ】に殺されぬよう、励むことじゃな。無事に生き残って、ちゃんと羅針盤を返しにこい。また次の【勇者】に渡さなくちゃならんでの」
「言われなくても……そうするっての……ババアの方こそ……お迎えが来ないよう祈っとけ……」
「それこそ心配無用。わしはまだまだ現役じゃからの」
「……ねぇ、なんだかエドガー、族長さんと仲良くなってない? 私を放って族長と楽しんでたんでしょ」
「私もそう思いますっ。酷いですっ、私だってエドガー様と遊びたかったのに!」
「おい、その言い方だと誤解を招い……待って、揺らさないで……お願い、お願いだから……!」
アメリアとフィーリアに揺さぶられ、苦しげな声を上げるエドガー。
ファティマは面白そうにそれを眺め、ネコタに声をかけた。
「今代の勇者よ。確か、ネコタと言ったかね」
「は、はいっ。そうですっ」
ネコタは吐き気を抑え、慌てて立ち上がる。
ファティマは難しい表情のまま、言った。
「お主の強さは見せてもらったが、戦う覚悟は出来たのかい? アンタはあのウサギと違って【グプ】に怯えていたように見えたが」
「あっ、はい、えっと……まぁ、そうですね」
ネコタは気まずそうに目を逸らし、頬をかきながら言う。
「でも、僕は勇者ですから。確かに怖いけど、役目を果たさないと。それに、そのグプっていうのも、いずれ誰かがやらないといけないことですし」
「……そうかい」
苦笑するネコタに、ファティマは表情を隠すように俯いた。
その姿は、かつて憧れた男の姿によく似ていた。
(まぁ、あの人はもっとしっかりしていたけどね……)
それでも、こうして似た男が勇者をやっているのも、縁なのかもしれない。
ファティマは首飾りを外すと、ネコタに渡す。
ネコタは戸惑ったような声を出した。
「あの、すみません。これは?」
「なに、部族に伝わるおまじないさ。お主、少しばかり頼りないから貸してやる。せいぜいそいつに守ってもらえ。羅針盤と一緒に返せよ」
「……分かりました」
ファティマの様子から何かを感じ取ったのか、ネコタは素直に受け取り首に掛けた。
ネコタの首にぶら下がっている宝石を見て、ファティマは満足そうに瞳を閉じる。
(姉様。どうかこの子をお守りください)
最愛の姉に祈り、ファティマは目を開けた。そして妙な気配を感じ、そちらに目を向ける。
すると、ウサギがあんぐりと口を開け、震えながらこちらを見ていた。
「なんじゃお主。アホ丸出しの顔をしおって」
「ば、バアさん……」
フルフルと震えながら、エドガーはなんとか声を絞り出す。
「お、俺は……俺は別に、何歳だろうと、そういう気持ちになったって……い、いいと思うぜ……バアさんだって……一人じゃ寂しいもんな……ちょっと歳考えろと思わなくもないけど……年齢は関係ねぇと思う……!」
「待て、お主何を言っておる?」
「でも、だけどよ! バアさんは良くても、ネコタが可哀想だろ! こいつはまだ十代の若者なんだぞ! いくらなんでも、相手が死にかけの老いぼれじゃあ可哀想だろ! 流石にそこは年齢を考えろよ!」
「……違うわこのバカタレ! くだらないこと言っとらんで早よ行け!」
こいつらに心配は無用だったと、ファティマはようやく悟った。
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