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第五話 龍襲来【後】

 

 ドロドロに溶けた全身。

 かろうじて人の形を保っているだけの身体。

 

 瘴酸龍の溜め攻撃。それは地表さえ溶解させてしまう高濃度の溶解液を大規模に放射するものだった。

 リンド村は跡形もなく消滅し、大地はクレーターのように抉れてしまった。 

 煙立ち込める中そこに俺は立つ。


 あの瞬間、無我夢中で俺は防御に徹した。

 いやそれはもはや防御とも言えない、悪あがきでしかないものだった。

 魔術ではなく、純粋な魔力をただ全身から放出したのだ。

 魔力を純粋なエネルギーとして無理やり体外に放出し続けることで、膨大な質量の溶解液を真正面から防いだのだ。だがそれでも完璧にこの身を守りきることはできなかった。

 すでに俺の両目は失明した。鼻は潰れたし、喉は焼けて声も出ない。どれほど己の身体が損傷してるのかさえ分からない。痛みは一周回って痛く感じないし、そもそも全身の感覚がない。でも。


 でも、瘴酸龍へブラがそこにいることだけは分かった。


 魔力はまだまだ十分残っている。

 しかし魔術を使うことは不可能。完全に身体の方が壊れてしまったからだ。

 このドロドロに溶け焼け爛れた身体では逃げることも抗うことも戦うこともできない。ぎりぎり命を取り留めているのが精いっぱいの状態だ。

 息を絶え絶えに呼吸する。肺に空気が言ってるのかさえ分からない。

 ボタリボタリと生ぬるい重音と共に俺の周囲に腐敗した巨大な腸のようなものが落ちてくる。目も耳も使い物にならなくなった俺にはそれらは見えないし聞こえないが、心の目でわかった。

 瘴酸龍は俺の上にいた。

 ゆっくりとその巨体を俺に下ろしてくる。このまま丸ごと飲み込むつもりだ。

 溶解液は瘴酸龍自身おも溶かしてしまったのだろうか、屍の集合体はより一層爛れたことで醜さを増している。これから俺もこの一部になると思うと怖気立つ。が、もうどうにもならない。

 グチュゥアと瘴酸龍が腹を地に着くと俺は押し潰された。

 

 そして真皮の皮に包まれた人の腕が瘴酸龍の背を突き破り天を仰いだ。

   

 ◇   ◇


 痛い助けて出して痛い痛い苦しい痛い嫌だ出して痛い痛い痛い痛い苦しい痛い痛い助けて助けて苦しい痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い嫌だ痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い助けて痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛助けてい痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い苦しい痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い出して臭い痛い痛い痛い痛い臭い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い助けて痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い嫌だ痛い出して痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い出して出して助けて痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い苦しい痛い痛い――――――――――誰か、殺して。

 

 ◇   ◇

 

 屍の山に呑み込まれ俺の肉体は溶かされていく。

 絶体絶命の中、俺は崩れた顔に笑みを浮かべていた。 


 ◇   ◇


 瘴酸龍へブラは勝利を確信していた。

 かつて死喰小人族(ゴブリングール)でしかなかった災害は勝ち誇ったかのように大きく咆哮する。

 その声は皇国にまで届き、多くの者に恐怖を抱かせた。

 歴史上、討伐された記録のない「龍」の一体。瘴気の雨と共に襲来する規格外の存在。

 屍の集合体は新たな力を求めて歩を進める。

 

 しかし、その一歩目で瘴酸龍へブラは自壊する。

 八対の巨体を支える脚の一本が崩れ潰れて、瘴酸龍は地に落ちた。

 

 ◇   ◇


 肉体を失った俺は無防備な魂だけになり、瘴酸龍の一部に吸収されるのを待つだけの存在となっていた。

 水の注がれたコップに氷を落とせば消えてしまうように。溶けて水の一部になるように。生きたまま食われた俺の魂は瘴酸龍の一部になる。

 

 瘴酸龍の中はまるで深海にいるようだった。

 静寂とした暗く何もない重苦しいだけの空間だ。

 

 そして闇の中からそれは現れた。醜い姿のモンスターだ。

 数十匹のゴブリンの頭部があちらこちらから生えた巨体の豚人種(オーク)のようにも見えるモンスターだった。

 これが瘴酸龍へブラの抱く捕食者のイメージだろう。ぶくぶく太ってザッ捕食者という感じだ。

 化け物は俺に気付くと迫ってきた。

 魂だけの俺は文字通り手も足も出ない。足もないので逃げることもできない。

 モンスターは人魂のような魂の俺を掴んで口に入れると咀嚼して飲み込んだ。クチャラーだった。

 

 普通であればこれで終わりだっただろう。

 もしも偉大なる俺が偉大でなかったのならばこれで終わっていただろう。


 しかし俺の名前はアンネ・テマンプシャー。俺の真名はガルレージ・アルトライム。二つのスキルと百に分かれた魔術を駆使できる者。

 世界を終焉に導く偉大なる至高の魔術士。


 ここで終わるはずがない。

 

 モコモコモコモコとぶくぶくと醜く太った化け物が更に太って肥大する。

 そして俺は、俺を喰らった化け物を内から散り散りに爆散させた。

 両腕を振るい血と臓物を振り払うと、血と肉の雨の中、俺は悠々とそこから歩き出た。

 俺の魂は吸収されない――――それが名を魂に刻むスキル「命契約」の効力。


 瘴酸龍の吸収能力を水と氷で例えるなら、俺の名の刻まれた魂は石。


 石は決して水に溶けないし一部にもならない。

 偉大な俺の魂は絶対不変なのだ。


 そしてモンスターから殺すのと同時に力を奪ったことで、今の俺は人魂ではなく本来のガルレージ・アルトライムの姿をしている。精神の肉体なので美少女の姿ではない。筋肉マッチョのかつての姿だ。精神体だがやっぱり俺はカッコいい。

 衣類は一切羽織っていないが、この少女にはない筋肉隆々の太い腕、厚い胸板、裸だというのにまるで重装備の鎧に守られている気分だ。

 しかし感動に浸っている時間はない。一刻も早く俺は思い知ら占めてやりたいのだ。この俺に楯突くことの愚かさを。奪われる者の絶望を。この世には触れてはならない禁忌があるということを。

 俺は手を伸ばす。

 

 逆に吸収してやろう。

 腹の中から奪ってやろう。

 

 ここからが本番だ。

 

 ◇   ◇


 十六本の脚の一つが崩れたのから始まり、自壊は瘴酸龍へブラの至る所で起き始めていた。

 屍の集合体が崩れ落ちる。

 豪雨の中、伝説の「龍」の一角が崩れ去ろうとしていた。

 

 ◇   ◇


 数百年前、仲間である死喰小人族(ゴブリングール)たちは自分たちから(こうべ)を差し出してきた。

 ゴブは嫌だった。

 仲間を家族を友人を、ゴブは食べたくなかった。

 外敵と戦いその末、勇敢に戦死したのであればその死を無駄にしないため、その肉を喰らうことに躊躇いはしない。でもゴブに喰えと言っているのはまだこうして生きている仲間。ゴブにはできない。


「ワシらは喰らい過ぎた。その報いが遂にくることになった。だがワシら死喰小人族(ゴブリングール)の血を火を絶やすことだけは決してあってはならないことなのだ! 息子よ」


 父はそう言って涙を流した。他のみんなもそうだ。

 

「先人たちの犠牲あってワシらは今こうして生きている。弱き先人たちが決死になって繋げてくれたこの火があったからワシらが今ここにいる。ワシらも繋げなければならぬのだ…」

 

 父はゴブの両肩を掴む。

 その手は震えていた。 


 こうなった原因は先日生きたまま捕獲して連れてきた人間の魔導士の男が放った言葉からだった。

「貴様ら! 貴様らも死ね! 知ってるか!? 王都では貴様らを皆殺しにするための遠征軍が組まれたことを! 死ねよ! 薄汚いゴブリンが! くたばれ!! はははははははは!!」

 ゴブには意味がよくわからなかったけど、周囲の父を含めた大人たちの顔が一気に青白くなったのを覚えている。

 そして一昨日の夜に集会が行われ、ゴブの知らない内に決定したんだ。


 ゴブにすべて託すことを。


「人間と戦おうよ父さん。これまでみたく。だから…」

 ゴブはバカだけどそれができないということは雰囲気でわかっていた。でも言わずにいれなかった。 

「ゴブは父さんを殺せない…」

「殺すのではない。受け継ぐのだ」


 父の手は温かい。母のいないゴブをずっと大事に育ててくれた手だ。

 ずっとずっとゴブのために戦い続けてきてくれた優しい手だ。 


「生き抜くためにはそれ相応の犠牲が必要になる。だからワシらがお前の分の犠牲になるのだ。神様だってきっとお前一人ぐらいなら見逃してくれる」

 

 全員がゴブの顔を見つめる。

 ずっと一緒に生きてきた顔ばかりがそこにある。

 

「世界は広いのだ…。ワシも見たことはないが…、それを見てこい! 生きて世界をワシら全員の代わりに生きてこい!」

 

 ゴブは死ぬのは怖い。

 父も同じのはずだ。

 ここにいるみんなそうに違いないのに。

 なのになのに、ここから見えるみんなの顔には誰一人恐れを抱いていなかった。

 そうか、覚悟を決めていたんだ。ゴブだけを除いて。


 ゴブはこれでもかというほど涙を流す。

 みんなはゴブを信じて命を差し出そうとしている。

 それに答えることが、がっかりさせないことが、いまゴブにできる最善のことなんだ。

 

「父さん…、ありがとう…、ずっとずっと…」

「言わずとも通じておる。ワシはお前の中で生き続けるのだから寂しがるな。…ワシら種族を誇りに生き抜いてくれ、息子よ」


 ガブリ。

 ゴブはガブリと父の頭にかぶりついて一気に噛み切った。せめて苦しませないようにと祈りながら。

 仲間の肉を喰らったのはこれが初めてではなかった。初めて喰らったのはハンターに殺された母の肉。でも生きた仲間の肉を喰らったのは今回が初めてだった。

 いつもの冷たくなった死肉とは違う、新鮮な肉、脳汁、眼球。父の味は美味かった。

 ビクンビクンと痙攣を起こす父の身体を裂いて臓物を抉り出して喰らう。温かい内に。

 父の温もりを感じながら骨も残さず実の父を喰いつくした。 


 仲間たちの前で行われた凄惨な光景。父が息子に貪り食われる姿。

 それでも誰一人逃げ出すことはなく、ただ自分の番がくるのを待って静かにその(こうべ)をゴブの前に差し出していた。


 それからゴブは感謝する。

 

 ゴブはありがとうと感謝してみんなを食べ尽くした。


 ◇   ◇


 数百年間、奪い殺し吸収して増大させてきた魔力。

 それが今、瘴酸龍へブラから消え去ろうとしていた。


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