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欠けた契約を読む令嬢は、水路都市で居場所を結び直す  作者: 銀細工ナギ


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15/20

集会での突然の告発

 翌朝、集会所の扉が開く前から、広場には人が集まっていた。


 水路都市の各所から運ばれた紙束が、長机の上に並べられている。村長たちの受領書、職人組合の帳簿、船頭が保管していた荷札。ミレアが読み取った欠落文字には、赤い糸が結ばれ、日付と場所の順に整理されていた。


 町の人々は、前日までとは違う顔をしていた。怯えが消えたわけではない。それでも、自分たちの持つ紙が、誰かの言い分に従うだけのものではないと知り始めていた。


 ユハンは集会所の中央に大きな地図を掛け、修繕された水門と、商会が資材を運び込んだ経路を印で示していた。ネラは鍛冶組合の帳簿を胸に抱え、南側三村の村長たちはそれぞれの控えを手にしている。


「これなら、説明できます」


 ミレアが言った。


「誰が何を受け取り、何に署名したのか。紙の順番に沿って話せば、きっと――」


 そのとき、集会所の外でざわめきが起こった。


 扉が勢いよく開き、サーヴェンが入ってきた。背後には商会の書記と、見知らぬ二人の男がいる。二人とも濃紺の外套を着ており、胸には市政監査局の徽章が縫い付けられていた。


「始める前に、確認していただきたいことがあります」


 サーヴェンは、まるで自分こそが集会を管理する者であるかのように言った。


 ユハンが一歩前へ出る。


「ここは町の契約更新を話し合う場だ。商会が勝手に議事を進める権利はない」


「勝手にしているのは、そちらでしょう」


 サーヴェンはミレアを指した。


「その女を、ただちに拘束してください」


 空気が凍った。


「彼女は商会の保管庫から契約文書を盗み出し、内容を改竄した疑いがあります。昨夜、保管庫の鍵を壊した形跡も見つかりました」


 人々の視線が一斉にミレアへ向いた。


 ミレアの指先が冷たくなる。サーヴェンは、彼女が恐れる言葉を知っていた。偽造。盗難。破棄。かつて故郷で押しつけられた罪が、また目の前に並べられていく。


「証拠はありますか」


 ユハンが尋ねた。


「もちろんです」


 サーヴェンの書記が革袋から一枚の紙を取り出した。商会の印章が押され、下部にはミレアの名が記されている。


「これは、彼女が商会の保管文書を持ち出すことを認めた受領書です。署名もある」


 紙が机の上に置かれた。


 ミレアは近づかなかった。見るまでもなく、胸の奥で嫌な感覚が動いていた。紙の表面には、文字が途切れたときに生じる薄い震えがある。誰かが上から別の文面を重ねたときの、あの不自然な空白だった。


「ミレア」


 ユハンが低く呼んだ。


「読めるか」


「読めます。ただ、触る前に言わせてください」


 ミレアは集会にいる全員を見渡した。


「この紙に私の署名があることは否定しません。でも、署名をしたとき、上には別の文面がありました」


「言い逃れだ」


 サーヴェンが笑った。


「彼女は以前から、欠けた文字が見えるなどと言って契約を勝手に解釈していた。今回も、盗んだ紙を加工して証拠に見せかけているのでしょう」


 その言葉に、何人かが揺れた。商会は大きく、サーヴェンは長年この町で取引をしてきた。ミレアの力は、目に見える印章のようには信じられない。


 けれど、ネラが机を叩いた。


「なら、私の帳簿も盗まれたと言うの?」


 彼女は鍛冶組合の帳簿を開いた。


「これは組合の金庫に三十年保管されていたものよ。ミレアが触れたのは昨日が初めて。それでも、彼女が読んだ文字は、私が知っている記録と一致している」


「帳簿など、いくらでも書き換えられる」


「なら、村長たちの控えは?」


 船頭の男が声を上げた。


「俺たちの荷札まで、ミレアが盗んで書き換えたのか?」


 サーヴェンは口を閉ざした。


 ミレアは机の上の紙へ手を伸ばした。触れた瞬間、紙の内部に残った文字の影が、淡い光となって浮かぶ。


 ――文書の写しを調査のため一時預ける。返却期限は三日後。商会の責任者は、調査結果を妨げない。


 その下に、別の文が重ねられている。


 ――商会の許可なく記録を持ち出した者は、窃盗として処分する。


 ミレアは息を整えた。


「この紙は、改竄されています」


「またその話か!」


 サーヴェンが怒鳴った。


「お前の力など、誰も証明できない。紙に残った幻を見たと言い張れば、どんな罪人でも無罪にできるのか!」


 集会所の中に、不安が広がった。


 ミレアは一瞬、言葉を失った。能力を信じてほしいと願えば願うほど、彼の言葉が正しく聞こえてしまう。力だけを示しても、それはまた、誰かに利用される道具になる。


 そのとき、ユハンが静かに言った。


「彼女の力だけに頼る必要はない」


 彼は机の端から、昨日作った記録一覧を取り上げた。


「この受領書に書かれた日付は、船頭の運行記録と一致している。木材が届いた日は、商会の帳簿にも記されている。さらに、村長が署名した控えには、契約書にある印章の日付より前の紙質が残っている」


 ユハンは一枚ずつ示した。


「ミレアが全部を書き換えたと言うなら、町じゅうの人間の記録を同じように書き換えたことになる」


「共謀したのだろう!」


 サーヴェンは叫んだ。


 だが、声に力はなかった。


 南の村長が震える手で立ち上がった。


「私は、もう黙りません。商会の男に受領書を渡せと言われた。でも、契約に同意した覚えはない」


 続いて、船頭が手を挙げる。


「俺もだ。ミレアさんに頼まれる前から、荷札はこの箱に入れていた」


 ネラも帳簿を掲げた。


「この町にある紙を、ひとりで作り替えるなんて不可能よ」


 人々の声が重なっていく。


 ミレアは、目の前の告発が少しずつ崩れていくのを感じた。自分一人の証明ではない。昨日、皆で拾い集めた小さな事実が、今、彼女の周りに壁を作っている。


 市政監査局の男の一人が、机上の紙を取り上げた。


「サーヴェン殿。告発状に添えられた文書の原本はどこにありますか」


「原本は商会の保管庫に」


「では、なぜ被告とされる女性の署名入り文書を、あなたが持っているのです」


「それは……」


「さらに、この告発状には保管庫の破損が昨夜発生したとあります。しかし、保管庫の管理記録を見ると、鍵を開けたのは今朝、あなたの書記だけです」


 書記の顔色が変わった。


 サーヴェンはミレアを睨みつけた。


「こんなものは、些細な記録の食い違いだ。私の商会を疑うのか」


「疑っているのではありません」


 監査局の男は淡々と言った。


「説明を求めています」


 静寂の中で、ミレアは自分の名が書かれた紙を見つめた。


 かつては、誰かの罪を引き受けるために使われた名前だった。けれど今、その名前は町の記録のそばにあり、彼女自身の声で意味を取り戻そうとしている。


「私は文書を盗んでいません」


 ミレアははっきりと言った。


「私は、皆さんが書いたものを読んだだけです。そして、読めるものを読めるままに戻しただけです」


 ユハンが隣に立つ。


「この集会で裁かれるべきなのは、彼女ではない。人々の署名を別の契約へ差し替えた者が誰なのかだ」


 外で、水門の警報鐘が鳴った。


 乾いた音が町じゅうに響き、集会所の窓を震わせる。


 サーヴェンはなおも何かを言おうとしたが、誰もその声を待ってはいなかった。人々は机の上の紙へ身を寄せ、自分の記憶と照らし合わせ始めている。


 告発は、ミレアを黙らせるために投げつけられた。


 けれどその刃は、もう彼女一人へ向かってはいなかった。サーヴェン自身が積み重ねた紙の隙間に、深く突き刺さっている。


 ミレアはユハンと目を合わせた。


 次に示すべきものは、まだ残っている。


 彼女の読める文字と、町の人々が守ってきた記録。その二つを重ねれば、真実は誰にも奪えない形になるはずだった。

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