1-3 おちこぼれ
ここに来るまでの顛末を、盛大な愚痴を混ぜソフィアに話す。
アルハードは、思い出すだけでもイライラするといった様子だが、ソフィアは特に口を挟まず、時折相槌を打つ程度だ。
「――この一年間、あいつの顔を見なくて済んだってのに、今日は最悪な日だよまったく!」
「最悪な日か、それならばアルは一体一年に何回最悪な日があるかわかったものではないな」
そう、アルハードがこうして愚痴を言うのは珍しくない。というか、三日に一回くらいは言っている気がする。
ソフィアは、愚痴を聞くことに対して、特に面倒くさいなどとは思わなかった。それは、アルハードにとってストレスを発散させるためであり、アルハードは愚痴を言う中でも特にその相手を見下したり、悪く言ったりすることがなかったため、聞いていても不快に思うこともなかった。
このくらい、可愛いものだ。その程度にしか思っていない。
「しかしまぁ、ヒューゴはもう上級魔法を使えるようになったのか。誰かさんとは違って優秀だな」
「うるさいよばか」
愚痴の中心人物を褒めたことで、アルハードが拗ねてしまう。
ソフィアからしても、ヒューゴは教え子であり、アルハードと比べると、とても熱心に魔法の勉強をしていた印象がある。ソフィア自身も先生をしていた際何度も質問されたものだ。
実際、十六歳で上級魔法を使えるというのは、かなり優秀であり才能が無ければできない。
王都の魔法兵になるためには、上級魔法を使えることが必須であり、彼らはエリートの集まりでもある。
一般的に上級魔法を習得するためには、その属性をある程度特化して精進しなければならない。
学園を卒業するまでに、中級魔法を一つか二つ使えるようになっていればかなり優秀であり、それから上級魔法を使用できるようになるまで、三年はかかるという。それを学園卒業後、一年で習得出来たとあらば、それは相当な努力が必要であっただろう。
魔法兵の他に、王宮魔術師と呼ばれる者たちがいるが、彼らは超エリートの集まりである。そのトップを務めるアルハードの姉はもはや格が違っていた。
《精霊の寵愛を受けし君》イザベル・ボールドウィン。
何度か彼女が魔法を使っている所をソフィアは見たことがあるが、本物の天才とは彼女のことを言うのだなと、そんな感想を抱いた。
そんな姉と比べられ、そして魔法の腕は人並み以下。おちこぼれというレッテルを貼られながら、公爵家の人間であるため、面と向かって言ってくる者はほとんどいない。陰口に囲まれて生活をしているアルハード。
改めて、難儀だなとソフィアは思った。
「でもよかったじゃないか」
「なにが」
アルハードはまだ不貞腐れていた。
ぶっきらぼうに返事をするアルハードに、ふっ、と小さく笑う。
「アルは、それ程ヒューゴのことが嫌いじゃないんだろう」
「はぁ!? なんでだよ! 俺はあいつの事なんか大っ嫌いだよ!」
先程までの愚痴の中心人物を、今度はそれ程嫌いじゃないんだろうと言われ、驚きとともに声を上げている。アルハードは全力で否定しているが、ソフィアはそんなことはないのだと、半ば確信を持っていた。
アルハードに面と向かってモノを言える人間は少ない。それこそ、家族か、同じ位を持つ貴族、もしくは王族くらいなものだろう。
ソフィア自身も、面と向かってモノを言える者の一人なのだが。
「大嫌いだとか憎まれ口を叩きつつも、アルにそんなことを言ってくる人間なんて彼くらいなものだろう? 確かに口は悪いかもしれないが、正面切って話ができる相手というのはそんなに悪いものじゃないと私は思うけどな」
ソフィアは小さく微笑みながらそう告げる。
ソフィアがこうして小さく微笑みながら何か言うときは、決まって相手を諭そうとしている時の癖である。これは初等学園の時から変わらないもので、アルハードはぐっと言葉を飲み込んだようだ。
それからアルハードは喋らなくなってしまったので、ソフィアもそれ以上何かを言うことはない。
きっと本人もわかっているはずなのだと、だけど認めたくない部分もあり、それにうまく折り合いをつけるため、色々と考えているのだろう。
ここからはアルハードが考える事だと、ソフィアはそう思ったので、視線を手元の書類に戻す。ただし、いつもよりかはアルハードを気にかけながら。
あれから所長室には話し声はなく、ソフィアが紙を触る音と、ペンを走らせる音しか聞こえなくなっていた。
アルハードは考える。ソフィアが伝えようとしていることを。
ソフィアが柔らかい笑みを浮かべ、語りかけるように優しく言葉を紡ぐ時は決まって大切なことを伝えようとする時だった。
初等学園にいた頃から、何か悪さをした生徒がいると、目線を同じにして今みたいにしていた。
アルハードも何度か経験があったため、もう何年も前のこととはいえソフィアの言葉に耳を傾けてしまう。
それ程ヒューゴの事が嫌いじゃない。正面切って話ができる相手。
嫌いか嫌いではないかといわれれば嫌いだ。ただ、正面切って話ができる相手と言われればそうかもしれない。
アルハードとて正面切って話ができる相手がいない訳ではない。現に目の前にいるソフィアは正面切って話ができる相手である。他にも兄の部下である騎士のキアランなどがそうだ。ただ、同世代ではどうだろうかと考えたとき、それはヒューゴだけである。
ヒューゴだけが、アルハード・ボールドウィンという公爵家次男に、退くことなく言葉をぶつける事のできる人物なのだ。ヒューゴの言葉は、家族やアルハードよりも偉い人、ソフィアとは違ったものを感じさせられる。
もちろんあの人を馬鹿にしたような話し方や、言葉遣いにはイライラはするのだが。
しかしヒューゴは正面からぶつかって来る。だからこそ、心底ヒューゴを嫌いになることはできなかった。
アルハードが嫌いなのは、自分を遠巻きにし、見下した目で後ろ指を指してくる連中だった。
特にこの一年間はひどいものだった。学園を卒業した後何をするでもなく、親の七光りを使って、この研究所に入り浸っているアルハードを良く思わない人間はごまんといる。
ヒューゴのような人間はいなかったので、どいつもこいつも陰でヒソヒソとしているだけだった。
実はかなりその状況に参っている自分がいたのだと、アルハードは気づいていなかったのだが。
言葉は悪かったが、今日ヒューゴからおちこぼれだと言われたことに、どことなくホッとしている自分がいることには気づいていた。まったく腹立たしい話ではあるが、事実として受け止めてもいた。
アルハードは、今の状況で十分だと思っていた。親の七光りで生きていくというこの状況に。
我ながらクズの発想だと思うが、何もできない自分が何かをしようなどとは思わなかった。
父親の機嫌だけを損ねないようにしながら、誰にも迷惑をかけないように生きる。後ろ指を指されることは仕方がない。もはや自分に人並みに生きることは出来ない。そう諦めていた。
ヒューゴは、そういったアルハードの本質を見抜いていたのかもしれない。だからこそ、あれ程までにきつい言葉を投げかけていたのかもしれない。
そう思ったら、なんだか腹の虫も治まってきたような気がする。けれども、だからといって何かをしようとも思わなかった。
それが、アルハード・ボールドウィンという人間である。
「今日はもう帰るよ」
アルハードの言葉は、ここに来た時とは打って変わり力がなかった。時間にしても普段帰る時間よりもだいぶと早い。けれど、今日はなんとなくソフィアと同じ部屋に、言葉も交わさずにいるのは気まずかった。
ささっと帰ってしまおうとドアへと向かうと、不意に声がかけられた。
「アル、ちょっと待ってくれ」
ソフィアの方へと振り返り、ん? といった感じに首を傾げる。
「ちょっと王宮の書庫から取ってきてもらいたい資料があるんだが」
「いいよ。なんてやつ」
アルハードがソフィアの元へと近づく。ソフィアは羽ペンをサッと滑らせ、必要な資料のタイトルを書き出す。
「ここに書いてあるやつだ。明日でいいから頼む」
いくつかのタイトルが箇条書きにされた紙を受け取り、懐にしまう。
こうしてソフィアから、王宮に資料を取りに行って欲しいという頼まれごとはたびたびあった。王宮に入るには、身分のあるものであらば特に制限なく出入りできるが、そうでない者はそれなりの手続きが必要である。
アルハードならば身分も保証されているので、すんなりと取りに行ける。
アルハード自身、ソフィアにはお世話になっているので、特に断ることもなく毎回おつかいを引き受けていた。
「じゃあ明日の午前中に寄ってくるよ」
「いつもいつもすまんな」
「ははは、いいよ、このくらいしか出来ないし」
口に出してから、ふと思ってしまった。
十六歳にもなって、おつかいくらいしか出来ない……。
先程のヒューゴの件もあり、ちょっとこれはダメージがでかいようで、自分が口にした言葉にへこんでいる。
「じゃあ、また明日」
アルハードはそう告げ、部屋から出て行った。ソフィアが、また明日。といいながらヒラヒラと手を降っているが、アルハードは手を振り返すことなく、そそくさと帰路についた。




