第4話「敗北の白フンと、オークの愛のムチ」
第4話「敗北の白フンと、オークの愛のムチ」
魚人マリオの放った大技『大渦巴投げ』によって天空高く舞い上げられ、武道場の分厚い畳へと真っ逆さまに爆沈したあの日から、三日の月日が流れた。
「……俺の『漢』は、あの一投で粉々に砕け散っちまったんだ……」
学園の静寂な保健室。消毒液の匂いが漂う中、ベッドの上で全身に痛々しい包帯を巻き、頭からすっぽりとシーツを被ってイジイジと丸まっている巨大な塊――それは他でもない、無敗のエルフンドシ番長であったはずの雑賀アルヴェインだった。
長ランはハンガーに力なく掛けられ、下半身の締め込み(ふんどし)は緩みきっている。かつて精霊の風を纏っていた威風堂々たる面影は、見る影もない。
「アルヴェイン番長! しっかりしてください! たった一度の敗北じゃないですか! 起きて段ボール土俵を叩きましょうよ!」
「そうです先輩! 相手は柔道三段の魚人……体重も骨格も違うんです! 物理的に投げられたからといって、先輩の無心の美学は敗れてはいません!」
ベッドの脇では、すっかり舎弟となった特攻のシマダと、けん玉のサキが必死に声をかけていた。足元では霊獣アース・パグのトシロウが、「キュ~ン……」と情けない声を漏らしながら、ズタボロになったシーツの端を短い鼻先で引っ張っている。
だが、一度完全にへし折られたアルヴェインのメンタルは、地下水脈の底よりも深く沈み込んでいた。
「だめだ……。俺はただの、喧嘩最弱のヒョロガリエルフだ……。卓球や紙相撲の『盤上遊戯』で調子に乗っていただけなんだ。俺の足腰は、風のように軽かった。あんな大質量に耐えられるわけがない……もう白フンを締める資格なんて、俺にはねぇ……」
エルフの天稟である「軽さ」が、武道においては致命的な「弱さ」でしかない。その絶対的な物理の壁に直面し、彼は絶望していたのだ。
その時だった。
ガラバァァァン!!
オーク材の頑丈な扉が、爆発でも起きたかのような破壊音とともに蝶番ごと吹き飛んだ。
室内が一瞬にして暗闇に包まれる。入り口を完全に塞ぐように立っていたのは、学園指定の特大ジャージの袖と首元がはち切れんばかりにパンパンに膨れ上がった、緑褐色の巨躯――アルヴェインの担任であり、大地の豊穣を司るオーク族の戦士、ゴルバ先生であった。
「なにをシクシクと湿気たツラをしておるか、アルヴェインッ!!」
「ご、ゴルバ先生……?」
「一回畳に転がされたくらいで、神聖なる一晒しを解くとは何事じゃ! お前の目指した『漢の道』は、その程度の布切れ一枚より薄かったのかーっ!?」
ドスの効いた、地鳴りのようなオークの怒声が保健室全体を激震させる。窓ガラスがビリビリと共鳴し、アルヴェインは怯えてシーツから顔だけを覗かせた。
「……先生、俺は弱いんです。ガチの格闘技をやられたら、弓矢で鍛えた手首のスナップも、動体視力も、一切役に立たない。俺には……質量が足りないんです」
「バカモンがッ!!」
ゴルバ先生の丸太のような太い拳が振り下ろされ、アルヴェインの寝ていたベッドのパイプフレームがひしゃげる。
「お前に足りんのは物理的な質量ではない! 大地と繋がる『圧倒的な下半身の意識』じゃ! 風に頼るエルフの悪癖が抜けきっておらんから、羽虫のように投げられるのじゃ! エルフの風とオークの土を混ぜ合わせ、己の丹田に無限の重力を創り出せ! 特訓じゃーーーっ!!」
「ひえぇぇぇっ!?」
問答無用で引きずり出された先は、聖樹学園の裏手に聳え立つ『大樹の霊峰』の中腹だった。ここは巨大な根が地表に露出し、濃密な土のマナが渦巻くオーク族の聖域である。
アルヴェインは強制的に白フン一丁にさせられ、両肩に大人が三人で抱えるような巨大な精霊木の丸太を担がされていた。
「よいかアルヴェイン! 精霊の風など呼ぶな! 己の丹田(下腹部)に意識を集中させ、大地の恵みを足の裏から直接吸い上げるのじゃ! それは我らオーク族に伝わる『大地柱』の儀式! 丸太担ぎスクワット、千回ッ!」
「く、狂ってる……! 足の骨が軋んでるぞ……ッ! 先生、俺エルフだよ!? 繊細な弓引きの種族だよ!?」
「うるさいわい! 質量が足りぬなら、大地の重力を己の体重に変えよ! 重力に逆らわず、重力と和解しろ! 漢なら下半身で語れぇぇぇ!!」
過酷な特訓は陽が傾くまで延々と続いた。
次に向かったのは、霊峰の奥地に存在する『源流の滝』。マリオたち魚人が恩恵を受ける地下水脈、そのすべての源となる極寒の滝である。
「水に負けたのなら、水の源流で己を鍛え直せ! 滝の重圧を全身で受け止め、微動だにせぬ『不動体』を完成させるのじゃ!」
白フン一丁で滝行を行いながらの無心瞑想。滝の破壊的な水圧が、アルヴェインの華奢な肉体を容赦なく打ち据える。
さらには、粘土質の泥沼に放り込まれ、俊敏に逃げ回るトシロウを素手で捕まえる『泥着力養成追いかけっこ』へと移行した。
「グヒッ! グヒヒッ!」
「ま、待てトシロウ! 霊獣の四つ足、速すぎ……っ! ぬかるみで足が滑っ……うわぁぁぁ!」
全身泥まみれになり、顔面から沼に突っ込み、ゼーゼーと荒い息を吐きながら地面に倒れ込むアルヴェイン。全身の筋繊維がズタズタに千切れそうな悲鳴を上げ、視界がチカチカと明転する。
(……俺は、何をやっているんだ……? こんな泥にまみれて……エルフの気高さなんて、どこにもねぇ……)
大の字になって、赤く染まり始めた夕空を見上げる。むせ返るような泥の匂い。冷たい滝の残り香。
だが、ふと気づいた。これまで決して感じたことのない、ぐっと丹田に力を込めた時に生じる、腰回りの圧倒的な『安定感』に。
純白だった彼の一晒しは、泥水を限界まで吸い込み、ズッシリとした鉛のような重みを帯びて下腹部に張り付いていた。
(……『水褌は、激流の抵抗を殺し水圧から丹田を守る』……マリオはそう言っていたな)
アルヴェインの脳内に、雷のような閃きが走った。
(そうか……。俺は『風』でいなそうとしたから、足元をすくわれた。なら、水と土の重みを敵とするのではなく、この泥水を吸い込んだ一晒しの『物理的な重み』を、俺の丹田の錨にしてしまえばいいんだ……!)
腹の底から、マグマのような熱い塊がこみ上げてくる。
アルヴェインは顔の泥を乱暴に拭い、ゆっくりと立ち上がった。両足で、大地を強く踏みしめる。
ズシン。
足裏から地球の中心へと、極太の杭を打ち込んだかのような重厚な感覚。泥と水を吸って質量を増し、彼の体に完全に馴染んだ白フンが、夕日に赤く照らされて力強く眩しく輝いた。エルフの自然調和の才が、オークの大地信仰と完全に融合した瞬間だった。
「……ふぅぅぅぅっ……!!」
アルヴェインは足元に転がっていた巨大な丸太を無言で拾い上げると、両腕でグッと頭上高く突き上げてみせた。丸太の重さを、筋力ではなく、完全に下半身の骨格と重心のコントロールだけで支え切っている。その背中には、かつての弱々しさも、敗北のトラウマも、微塵も残っていなかった。
「……ほほう。見違えたぞ。ようやく良い面構えになったのう、アルヴェイン」
腕組みをしたゴルバ先生が、太い牙を覗かせてニヤリと笑った。
「エルフの身でありながら、オークの泥着力を完全にモノにしよったか。下半身に一本、太く強靭な『芯』が通ったわい。これでマリオとのリベンジマッチの準備は整ったぞ」
「感謝するぜ、ゴルバ先生……。俺の白フンは……俺の魂の重心は、もう二度と、誰にも揺らせねぇ!」
「グヒッ!!」
足元で同じく泥まみれになったトシロウが、誇らしげに胸を張って夕日に向かい遠吠えを上げた。
地獄の特訓を乗り越え、大地の「重力」を味方につけたエルフンドシ番長。次なる舞台は、魚人マリオが待つ畳の上。運命のリベンジマッチの幕が、今上がろうとしていた。




