選ばれない声
朝。
スタジオは、いつもより静かだった。
人はいる。
声もある。
でも——
どこか、遠い。
「今日、最終テストだって」
小さな会話。
「主役、決めるらしい」
「……マジで?」
耳に入る。
白瀬は、何も反応しない。
ただ、台本をめくる。
ページの端が、わずかに擦れる音。
それだけが、やけに鮮明だった。
「白瀬」
マネージャーの声。
「気負うなよ」
軽く言う。
でも、その奥にある緊張は隠れていない。
「……はい」
短く返す。
十分だった。
⸻
ブースの前。
候補の声優たちが並んでいる。
知っている名前もある。
実力者ばかり。
空気が重い。
誰も、余計なことは言わない。
「次、白瀬」
呼ばれる。
歩く。
一歩ずつ。
余計なことは考えない。
考えれば、崩れる。
ブースに入る。
マイクの前。
深く、息を吸う。
吐く。
静かに、目を閉じる。
浮かぶのは、
黒崎。
相楽。
あの無名の声。
全部、混ざる。
でも——
混ぜない。
そのまま、置く。
「いきます」
声が落ちる。
始まる。
「……なんで、来た」
間を置く。
静かに。
でも——
奥が、揺れる。
「帰れ」
短く、押す。
無駄を削る。
「来んなよ……ここに」
一言だけ、足す。
感情が滲む。
止めない。
「来んなって、言ってんだよ」
今度は、少しだけ落とす。
叩きつけない。
押しすぎない。
「……帰れよ」
最後に、静けさを置く。
余韻を、残す。
沈黙。
長い。
誰も動かない。
「カット」
声が、少し遅れる。
それだけでわかる。
何かが、残った。
⸻
ブースを出る。
視線が集まる。
でも——
前とは違う。
ざわつかない。
騒がれない。
ただ、見ている。
評価できない、という顔で。
黒崎がいる。
少しだけ、目が合う。
何も言わない。
でも——
わかる。
ちゃんと見てた。
相楽もいる。
腕を組んでいる。
表情は変わらない。
でも、
ほんの少しだけ、
視線が深い。
それだけ。
⸻
結果発表。
全員が集められる。
空気が張り詰める。
「今回の主役は——」
一瞬、間。
「——神谷でいきます」
別の名前。
静かに、落ちる。
誰も騒がない。
でも、
空気が、揺れる。
「理由はシンプルです」
ディレクターが続ける。
「安定してる」
「作品として、成立する」
それだけ。
わかりやすい理由。
正しい判断。
誰も否定できない。
⸻
白瀬は、何も言わない。
驚きもない。
悔しさも——
少し遅れて、来る。
でも、
崩れない。
「……そっか」
小さく呟く。
それだけ。
⸻
外に出る。
空気が、軽い。
でも、胸は少し重い。
足を止める。
壁にもたれる。
目を閉じる。
思い出す。
さっきの声。
自分の声。
届いた感触。
残った空気。
「……」
ゆっくり、息を吐く。
負けた。
それは、事実。
でも——
「……だから、なんだ」
小さく呟く。
悔しさはある。
でも、それだけじゃない。
⸻
「落ちたな」
声。
黒崎。
隣に立っている。
「……はい」
短く答える。
黒崎は、少しだけ笑う。
「でもさ」
続ける。
「お前の、残ってた」
視線が、まっすぐ来る。
「作品にはならなかったけど」
少しだけ、間。
「消えなかった」
その一言で、
胸の奥が、わずかに動く。
⸻
「……意味あるんですか、それ」
思わず、聞く。
黒崎は肩をすくめる。
「知らない」
あっさり言う。
でも——
「俺は好きだよ」
軽く言う。
でも、嘘じゃない。
⸻
相楽が、近づいてくる。
足音が、静かに響く。
「落ちたか」
淡々と。
「……はい」
相楽は、白瀬を少しだけ見る。
「選ばれなかったな」
事実だけを言う。
でも——
そこで、止まらない。
「でも」
ほんの一瞬、間。
「消えなかった」
同じ言葉。
でも、重さが違う。
⸻
「……」
何も言えない。
⸻
相楽は続ける。
「作品としては、まだ弱い」
否定。
でも——
「個としては、強い」
肯定。
⸻
「どっちを取るかは」
視線が、少しだけ鋭くなる。
「お前次第だ」
それだけ。
答えは、渡さない。
⸻
去っていく。
静かに。
⸻
一人、残る。
黒崎も、いない。
誰もいない。
静かな廊下。
⸻
「……はぁ」
息を吐く。
長く。
ゆっくり。
⸻
選ばれなかった。
でも、
消えなかった。
⸻
どっちがいいかなんて、
まだ、わからない。
⸻
「……めんどくさいな」
小さく笑う。
⸻
でも、
足は止まらない。
⸻
歩き出す。
⸻
次は、
選ばれるためじゃない。
⸻
“選ばれなくても残る声”を、
もう一段、上に持っていくために。
⸻
「……やるか」
⸻
誰にも聞こえない声で、呟く。




