正しさが崩れる
別の現場。
同じようなスタジオ。
同じような機材。
同じような流れ。
――――
違うのは、
空気。
――――
「いきます」
ディレクターの声。
いつも通り。
――――
収録が始まる。
主役の声。
上手い。
正確。
安定している。
――――
でも——
止まる。
――――
ほんの一瞬。
でも、
確かに。
――――
「……カット」
ディレクター。
少しだけ、間。
――――
「今の」
言いかけて、
止まる。
――――
理由が、
言えない。
――――
「……もう一回」
それだけ。
――――
やり直す。
――――
今度は、
完璧。
――――
でも——
また、止まる。
――――
空気が、
乗らない。
――――
「……なんか」
小さな声。
スタッフ。
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「足りなくない?」
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誰も答えない。
――――
でも、
否定もできない。
――――
収録が進む。
どのシーンも、
上手い。
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でも、
残らない。
――――
「……次、白瀬」
呼ばれる。
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一瞬、
空気が変わる。
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期待。
不安。
混ざっている。
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ブースに入る。
マイクの前。
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息を吸う。
吐く。
――――
考えない。
――――
でも、
全部ある。
――――
「……了解」
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ほんの少し、
ズラす。
――――
いつも通り。
――――
でも——
今日は、違う。
――――
「カット」
――――
沈黙。
――――
今度は、
長い。
――――
「……それだ」
誰かが、呟く。
――――
はっきりと。
――――
「それ」
ディレクターも、頷く。
――――
「それ、欲しかった」
――――
初めて、
言語化される。
――――
収録が進む。
――――
主役の声。
――――
変わる。
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揺れる。
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崩れる。
――――
でも——
“良くなる”。
――――
「……もう一回」
ディレクター。
――――
今度は、
止めるためじゃない。
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“寄せるため”。
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白瀬に。
――――
やり直す。
――――
空気が、
動く。
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さっきまでの“正しさ”が、
少しずつ、
崩れていく。
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でも、
誰も戻そうとしない。
――――
戻れない。
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「……なんだこれ」
スタッフの声。
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戸惑い。
でも——
否定じゃない。
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「良くなってるよな」
別の声。
――――
誰も否定しない。
――――
収録が終わる。
「お疲れ様でした」
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でも、
誰もすぐに帰らない。
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空気が、
残っている。
――――
さっきまでとは、
違うもの。
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「……あいつさ」
小さな声。
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「基準、変えてない?」
――――
――――
沈黙。
――――
否定できない。
――――
外。
――――
白瀬は、歩く。
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何も変わらない顔。
――――
でも——
世界は、
変わり始めている。
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スマホが震える。
黒崎。
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『やってんな』
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短い。
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『壊し始めたな』
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白瀬は、少しだけ空を見る。
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「……別に」
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静かに返す。
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「壊してないです」
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少しだけ、間。
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「ズレただけです」
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黒崎は、少し笑う。
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『それを壊すって言うんだよ』
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通話が切れる。
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一人。
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正しさは、
変わらない。
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でも——
基準は、
動く。
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白瀬は歩く。
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止まらない。
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主役じゃない。
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でも、
中心でもない。
――――
その間で、
確かに、
世界をズラしている。




