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翠嵐   作者: 里梅紅弥
二章
19/19

黒龍、猫になる。


「おい、白龍。お前ちょっと猫になれ」

「は? やだよ」

 アパートの一室。

 いきなりそう上から目線で命令する黒龍に、白龍はもちろん、当然の如く突っぱねた。

「何で猫に何かならなきゃいけねぇんだよ?」

「実は今日、女の子が来るのだが……」

「またか……」

 毎度毎度飽きもせず女性を家にあげることに、白龍はいい加減うんざりしていた。

 黒龍が連れてくる女性は、何故か毎回毎回テンションが高い女性ばかり……。白龍はそういう女性が少し苦手なのだった。それに、初対面の人には気を使う。やはり気持ちのいいものではない。

「実はその女の子に、俺は猫を飼っていると嘘をついてしまったのだ!」

「何でそんなしょうもない嘘つくんだよ!」

「仕方ないだろ! 可愛い女の子が可愛い猫を撫でる所を見て、俺は心底幸せな気分になりたいのだ!」

「そんな自分勝手な理由で猫にされてたまるかってんだ! そんなになりたきゃ自分でなれ!」

「俺が猫になっては、撫でる所が見えないではないか!」

 黒龍は心の底から欲望のままに叫んだ。何も仕方無くなどない。ただ純粋すぎる不純な欲が、黒龍を動かしていた。

 黒龍の横暴すぎる態度に、白龍は辟易し、大きく溜め息を吐いた。

「そんなに言うならまつりにでも頼めよ」

 白龍は、横で棒つきペロペロキャンディーをなめているまつりを指差した。まつりはびくっと肩を震わせ、そっと逃げようと、忍び足で移動する。が。

「まつり」

 黒龍がまつりの頭を、がしっとわしづかみにした。

 その瞬間、まつりはあわわっと汗を噴き出し、手をジタバタとさせ抵抗する。

「い、いやであります!」

「そのペロペロキャンディーは誰が買ってやった?」

 凄んだ声がまつりの頭上に響く。

「こ、黒龍様、であります……」

「お前の飯代は誰が出してる?」

「こ、黒龍様であります!」

 まるで上官に従う下官のように、まつりはハキハキと答えた。

「おい、黒龍。その辺にしとけよ。いい加減、お前の横暴さにはうんざりだぜ」

「は、白龍様……」

 まつりは白龍の心意気にジンとくる。堪らず助け船を出した白龍だったが、この行動は失敗だった。

「そうかそうか。やはりお前も猫になりたいか」

「はっ? そんなこと誰も言ってね──」

「では二人とも、猫にしてやる! よく考えれば、二匹の方が和むしな」

 白龍の声を無視し、黒龍は二人に向かって呪文を唱え始めた。

「……我に力を与えん。我に仕えし者達よ───」

「げっ。やべぇ! 逃げるぞまつり!」

「はいであります!」

 狭い部屋の中、逃げ惑う二人。部屋から出ていけばいいのだが、慌てていたのでそこまで考えが及ばなかった。

「猫に変えよ!」

 黒龍が素早く呪文を唱え終わり、手をまつりの方に向ける。

 まつりが回避しようと、その場を離れたその時。


 キラーン!


 まつりの後ろにあった鏡が黒龍の魔力を反射し、見えない光が黒龍に当たった。

「うわっ!」

 不思議な白い煙に覆われ、黒龍はその場に倒れこんだ。

「だ、大丈夫でありますか?」

 恐る恐る黒龍を見る白龍とまつり。

 そして二人の目の前にいたのは。

「にゃん」


 一匹の黒猫。


「ダァーッハハハハ!!! お前! 自分が猫になってんじゃねぇか!」

 その姿を見た瞬間、白龍は思いっきり笑いだした。

 目に涙を浮かべ、腹を抱えて笑い転げる。白龍のあまりの笑いっぷりに、まつりもつられて笑いだした。

「ワハハハ!!! 黒龍様! 失敗したであります!」

 指を差し、ゲラゲラと涙まで浮かべる二人に、黒龍はカチンと頭に青筋を立てる。

 すると、次の瞬間。


 ボキッ! ゴキッ!


 黒龍の猫は、白龍の顎を後ろ足で蹴りあげ、まつりの頭を思い切り殴った。

 殴られた拍子に、まつりの左の角がポッキリと折れる。

「角が折れたでありますー!!」

 折れた角を持ち、白目を剥く顔面蒼白のまつりだが、因みに角が折れてもしばらくすれば再生するのでどうということはない。

「いってぇな! 黒龍! 何すんだよ!」

 顎を手で押さえながら、涙目で黒龍の猫を睨む白龍。

「笑いすぎにゃ!」

 しかし、黒龍は、自分のことは棚に上げ、その小さな肉球を握り締めていた。

「ちっ、取り敢えず戻れよ」

「そうだにゃ」

 黒龍の猫は自分に手をかざし、呪文を唱える。

「……てんと、ちと、ひかりと、やみにょ(の)かみゅがみ(神々)よ。こにょもにょにょ(この者の)、にょろい(呪い)をときたまえ。てんにょちから、やみにょちから、すべてにょじゃあく(邪悪)にゃるたましいをけしたまえ」


 シーン……


 黒龍が呪文を言い終わっても何も変化はない。黒猫のままだった。

「あれ? どうなってんだ?」

「戻らない、であります」

「むぅ……。どうやら、呪文が上手く言えにゃいみたいにゃ」

「え? じゃあどうすんだよ! 一生このままなのか?」

「いや、時間がたてば元に戻ると思うにゃ……。しかし、これでは女の子が来ても何(にゃに)ももてにゃせんにゃ……」

「じゃあ帰ってもらえよ……」


 ピンポーン!


 白龍が呆れ顔で呟いた所で、部屋のベルがなった。

「やべ、来ちまった」

「どうする?」

「どうするって……」

「は~い、であります」

 二人が迷っているうちに、パタパタと翼を羽ばたかせ、まつりが玄関まで行き、返事をする。

「おい! まつり! お前は出るにゃ!」

「お前はいつも通りぬいぐるみのふりだ」

「え~…………」

 渋々、隣の部屋のベッドの上でお座りするまつり。

「さあ、白龍。お前が出るんにゃ」

「ったく、しょうがねぇなあ~……」

 面倒くさそうにボリボリと頭を掻くと、白龍は玄関のドアを開けた。

「は~い」

「あれ? 白龍さん」

「こんにちは」

 二人の女の子が白龍に微笑む。その様子に、黒龍の猫はいてもたってもいられず、女の子の前にさっと姿を現した。

「にゃん」

「あれ? この猫……」

 一人の女の子が黒龍の猫を抱きかかる。もしやバレたのかと思い、白龍は息を飲んだ。

「可愛い~!」

「へ?」

 ぎゅっと黒龍の猫を抱きしめると、女の子はとびきりの笑顔を猫に向ける。しかし、もう一人の女の子は、

「え? そう? 黒猫って何か不気味……」

 と、少し眉を顰め、嫌悪感を現わにしていた。

「そう? 可愛いと思うけど」

 更に女の子は、黒龍の猫の頭を撫でまわした。

 黒龍の顔は満更でもない様子だった。

(これはこれで……)

 にへらと笑う黒龍の、決して本物の猫ではしない顔に、白龍はバレるのではないかと冷や汗をかく。

「お、おい、黒──」

「え? 黒龍?」

「ああ、いや、えっと……黒糖! 黒糖って言うんだこいつ」

「へぇー。黒糖ちゃんか……。変な名前!」

「ところで、黒龍様はどこ行ったの?」

 もう一人の女の子がキョロキョロと部屋を見回した。しかし、黒龍の姿は何処にもない。

 黒龍の猫は、白龍に瞬(まばた)きで合図をした。

「え、えっと……。あいつは……。べ、別の女の子に会いに行ってるよ……」

「え……?」

 二人の顔が一瞬固まる。その瞬間、黒龍の蹴りが白龍の顔に直撃した。

「いってぇな! 何すんだよ!」

 蹴られて真っ赤になった顎を、痛そうに押さえるが、黒龍の猫はフンっと顔を横に背けた。

「貴様がふざけたことをぬかすからにゃ」

 白龍にだけ聞こえるようにひっそりと呟く。

「仕方ねえだろ? それしか思い付かなかったんだからよ……」

「黒龍様、私達との約束忘れたのかな……」

 先程の白龍の言葉を信じ、二人の女の子が顔を曇らせる。その様子に、黒龍は少し胸が痛んだ。と、その時。

「ガァァァァァ~~~……ヒュー……ガァァァァァ……ヒュー……」

 これでもかというくらいの、物凄いイビキが隣の部屋の方から聞こえてくる。

 二人の女の子がいる玄関からはかろうじて見えないが、白龍のいる場所からは丸見えである。

 見ると、まつりがぬいぐるみのふりに飽きたらしく、ベッドで大の字になり眠っていた。上下するお腹が生き物であることを示している。

「あれ? 黒龍様、いるの?」

「にゃ!? 俺はイビキはかかん!」

「え? なに今の声?」

 黒龍の猫の奇妙な声に驚く女の子達は、この後、更に驚くことになる。

「ん? 何でありますか? うるさいであります」

 黒龍の怒鳴り声によって目覚め、トコトコと玄関まで目を擦りながら出てくるまつり。その姿に女の子達は絶叫した。

「キャーー! ワニィィィィ!!!」

 二人の女の子は、これでもかと目を剥いたまま、一目散に逃げ出した。

「自分、ワニじゃないであります!!」

 開け放たれた玄関から走り去って行く二人の女の子を、黒龍は、猫の姿で哀愁を背中に漂わせながら見送る。ワニを飼っていると変な噂が流されては困ると思った白龍は、理不尽にもまつりに苦言を呈していた。

「まつり! お前何で寝てねぇんだよ。ずっと寝とけよ」

「ひどい言われようであります」

 しかし、黒龍は、やがて二人に顔を向け直すと、震えるような声で呟いた。

「……せいにゃ」

「は? なんて?」

「お前達のせいで、にゃにもかも台無(だいにゃ)しにゃ! こうなったら、お前達二人、可愛い女の子に変えてやる!」

「お前が悪りぃんだろ! 勝手に変な約束するから! 毎回毎回別の女連れ込みやがって! 自分の家なのに何でオレが気ぃ使わなきゃいけねぇんだよ!」

「黒龍様っ」

 突然遮るように、まつりが声を低くし、二人を制した。次にどんな言葉が来るのかと、黒龍と白龍は、二人してまつりを見守る。そして。

「黒龍様、凄んだって全然怖くないであります。『にゃ』とか言って変な語尾であります」

「お前が言うな!」

 ケラケラと笑いながら腹を抱える空気の読めないまつりに対し、黒龍のみならず、白龍までもがキレた。






「で? お前はいつ戻んだよ?」

 可愛い女の子にされるのを、かろうじて免れた白龍とまつり。まあ、呪文が言えないので、今の黒龍には何も出来ないのだが。

 白龍とまつりは、一向に元に戻らない黒龍の猫を眼前に据え、疲れたように同時に欠伸をした。

 女の子が帰ってから、かれこれ三時間は経過していた。

「むぅ……。もしかしたら、こにょ(の)まま戻らにゃいかもしれん」

 真剣な顔とは対照的なその言い方に、まつりと白龍は笑いをこらえる。黒龍の猫はそんな二人に、猫パンチをお見舞いした。

「いてて……」

「ひどいであります」

「──でもよ。このまま戻らなかったらどうする? 明日仕事だぞ?」

「むぅ……しょうがにゃいからやまさんにでも頼むか……。おい、まつり。お前ちょっと行ってこい」

「いやであります。めんどくさいであります!」

「貴様は俺の部下だろ? さっさと行ってくるのにゃ」

「そんな猫に命令されたくないであります!」

「命令を聞かないと、後でどうにゃるか、分かって言ってるにょか?」

「後のことは後の自分に任せるでありますっ」

 まつりは淡々と言い切ると、隣の部屋のベッドに寝直しに行った。

「にゃ、役に立たにゃいワニにゃ。おい、はくりゅー」

「んあ? オレに行ってこいってか?」

 机に頬杖を突き、白龍はジト目で黒龍の猫を睨んだ。

「そうにゃ」

「自分で撒いた種だろ? 自分で何とかしろよ」

 ひらひらと手を振り、白龍は面倒くさそうに視線を外す。

「どいつもこいつも……。俺が外にこにょ(の)まま出たら、可愛さのあまり、連れ去られてしみゃうではにゃいか!」

「いや、黒猫って意外と不気味だぞ? 誰も近付かねぇよ」

「そんにゃわけにゃいにゃ」

「やまさんのとこ行くだけだろ? 横に移動するだけなんだから連れ去られたりゃしないって!」

 余りにも楽観的に微笑みながら、白龍は黒龍の猫の背中をポンと叩く。

「──むぅ分かったにゃ。その代わり、俺が帰って来にゃかったらちゃんと探せにゃ」

「心配性だなぁ。ちゃんと探してやるよ。めんどくせぇ」

 白龍はそう言って、玄関のドアを開け、黒龍を外に追いやった。シッシッと、まるでノラネコでも追い払うように手を振ると、無情にも扉は閉められてしまった。


「全く……薄情にゃやつらにゃっ」


 玄関を一睨みした後、黒龍は隣の隣に横移動し、二〇一号室のドアをバシバシと思いっきり叩いた。

「やまさん! やまさん!」

 暫く叩くも返事はなく、部屋の中には人の気配すらない。

「もしかして、大家の部屋でまた酒でも飲(にょ)んでるにょか?」


 そう呟くと、黒龍の猫は目の前の鉄の階段を見据える。猫の姿で見る世界は、全ての物が巨大に見える。この歩き慣れた数段の階段でさえ、今の黒龍にはちょっとした山下り。しかも、午前中に雨が降ったせいで、滑りやすく濡れていた。黒龍は慎重に階段を下っていく。

 と、その時。


 ───ツルっ。


「に゙ゃ!」


 あと僅か三段ほど下れば一階に着くという時、階段に出来ていた結露に足をとられ、黒龍の猫は、ケツからポン、ポン、ポン! と、鍵盤でも叩くように滑り落ちていった。


「ぶにゃ!」


 おまけに地面に落下した衝撃で、顔面がコンクリートに直撃する。黒龍は、無様な声を鳴らした。

「全く……踏んだり蹴ったりにゃ……ん?」

 顔を短い両手(前肢)で撫でていると、目の前に見知った顔が巨人の如く覗く。それは隣に住んでいるよしおであった。


「にゃ、にゃん……?」


 黒龍の猫は冷や汗を垂らしながら、巨大なよしおの顔面に向かって苦笑いを浮かべる。

 よしおはその猫を見るや否や、その体をむんずと掴むと、すぐ側の一〇三号室のドアをバシッと開け放って叫んだ。


「スギさん! スギさん! オレ、猫拾っちゃいました!」


 黒龍の胴体を杉山に見せつけるように、両手を思いっきり伸ばした。杉山は昼寝でもしていたのか、メガネを掛け直すと、腹をボリボリと掻きながら、玄関前のよしおをジト目で見据える。

「何だよ。うるせぇな、よしお。大体このアパートはペット禁止だろ?」

 くぁっとあくびを一つすると、杉山は黒龍の猫をチラ見した。

「しかも黒猫じゃねえか。そんな不吉なもん飼うのか?」

「だってこの猫、首輪もしてないし、こんなに濡れて……。それに足も怪我してるし……」


(足……?)


 黒龍は自分の後ろ足を見る、階段から落ちた時、いつの間にか擦り傷が出来ていて、血が滲んでいたのだ。


(よしお……お前はいい奴だな……)


「やめとけ、やめとけ! 面倒ばっかで病気持ってるかもしれないぞ! 保健所行きだな。こりゃ」

 そう言って杉山は黒龍の猫の鼻を人差し指でピンっと跳ねた。その杉山の行動に、黒龍は怒りが頂点に達した。


 ──ガリっ!!


 杉山が鼻を跳ねた瞬間、黒龍はその右手を猫の爪で思いっきり引っ掻いた。

「いてぇーーー!!!」

 途端に杉山は右手を持って床に転がり、黒龍の猫はその勢いでよしおの腕から滑り落ちる。

 華麗に宙返りを決めると、黒龍の猫は、そこらへんに転がっている杉山の腹の上に見事に着地した。

「ぐぇ!」

 改めて杉山の部屋を見渡すと、引き伸ばされた白龍の写真やポスターが辺り一面、天井にまでびっしり隙間なく、気持ち悪いほどに張ってあった。

「にゃ! これは! 白龍とツーショットで撮ったポスター! にゃのに、俺がいにゃいだと!?」

 黒龍の写真は上手に、白龍の他の写真で隠されている。

 そのことに、またしても怒り浸透の黒龍。

 黒龍は猫の爪でポスターを全部破っていった。


 ──バリバリっ! バリバリっ!


「んのぅぅぅぅう!!!! やめろーーーー!!!」


 杉山が止めさせようと黒龍の猫に飛び掛かるも、黒龍は、猫特有の身軽さでひらりと躱す。そうして、ポスターやら写真やらは、全てビリビリに破かれ、杉山はその場で真っ白く灰になっていった。

「お、俺が、全財産はたいて集めた、白龍の写真が……」

 まるでムンクの叫びのように顔を引きつらせた後、床に膝と手をつき、杉山は力無く項垂れた。

 満足気に「フンっ」と鼻を鳴らし、黒龍の猫は床に着地する。


(フン、俺を蔑ろにした罰だっ)


「あ〜あ〜あ〜、足怪我してるのに暴れて……」

 よしおは黒龍の猫をヒョイッと後ろから持ち上げる。

「オレの心配より、猫畜生(ねこちくしょう)の心配か?」

「猫畜生って……。こんな可愛い子になんてこと言うんですか!」

「何処が可愛いんだよ? 顔も不細工だし、ましてや黒猫だぞ? お前よく触れるな、こんなブタ猫」

 杉山は、図らずもまた、黒龍の猫に顔を近付けた。直ぐさま黒龍の猫は、杉山の左頬を思いっきり引っ掻く。

「あでぇぇぇ!!!」

 何とも学ばない杉山である。杉山はあまりの痛さに、床に転がった。

「スギさん、知らないんですか? 猫は至高の生き物なんですよ。そこにいるだけで神の如き存在なんです。それを猫畜生なんて……不敬罪で捕まりますよ?」

「はあ? 犬の方がいいだろ? 従順で、可愛い。毛をモフモフさせた大型犬なんか最高だろ! 飼い主に忠実なところなんか、オレの白龍への忠誠心にそっくりだし」

 杉山は例の如く超回復で起き上がると、何を思ったのか、ドヤ顔を決め込んだ。

「はいはい……」

 何を言っても無駄だと思ったのか、よしおは呆れた目で杉山を軽くあしらう。

「──オレ、取り敢えず病院連れていきます。ついでに去勢もしてきますよ」


(きょ、去勢!?)


「オレ、猫飼ってたから分かるんですけど、この猫、耳に“さくら”もついてないし……。それに、見てくださいここ」

 よしおは黒龍の猫の尻を持ち上げると、なんと黒龍の猫の“タマ”の部分を掴みながら、杉山にそれを見せた。

「にゃにゃ!?」

 思わず黒龍の猫は赤面し暴れ出すが、よしおの思いのほか強い力に、身動きが取れず、その場で項垂れ、されるがままになっていた。

「この膨らみ、それにさっきの気性の荒さ……。ほら、まだ取れてませんよ」

「それはどうでもいいんだけどよ。お前まさか……飼う気じゃないだろうな?」

「いけませんか?」

「おまっ! アパート追い出されるぞ!」

「多分大丈夫ですよ。大家さん、優しいし……。アパートのみんなだって分かってくれると思いますよ」

「オレが反対してるだろうが!」

「スギさんの意見は聞きません。人権ないし……」

 よしおは杉山を横目でチラリと睨むと、

「とにかく、オレ今から病院行きますから」

 杉山の部屋から出ようと、ドアノブに手を掛けた。


(マ! マズイ! このままだと、本当に俺の矜持(タマ)がなくなる!)


 両手で抱っこされていた黒龍の猫だったが、よしおがドアを開けるその瞬間、片手になった所の隙を突き、何とかよしおの腕から脱出した。

「あっ! 待て!」

 よしおの制止する言葉も聞かず、黒龍の猫はそのまま、アパートから走り去っていった。






(ふぅ……ここまで来れば何とか大丈夫か……)


 額の汗を拭い、何とか商店街の中央まで来たものの、これからどうすればいいのか……。山澄を探すにもあてなどない。今、アパートに戻っても、またよしおに捕まるかもしれない。黒龍は詰んでいた。


(走ったから喉が渇いた……)


 舌をベロッと出し、疲れたとばかりに肩を落とす黒龍の猫。

 しかし、そこら辺の水溜まりを、文字通りノラネコのように飲むわけにもいかない。下界の空気に慣れきった闇の龍。いくら毒に耐性があるとはいえ、不衛生な水を飲んで腹でも下したら格好がつかない。まあ、猫の姿で格好もなにもないが……。

 黒龍の猫は、じっと水溜まりとにらめっこをしていたが、やがて諦めたように溜め息を吐いた。


(やはり、いくら喉が渇いたとはいえ、水溜まりの水を飲むなど、龍の尊厳に関わる。俺は何を考えていたのだっ。──よしっ! ここは!)


 黒龍の猫は、魚屋の前で立ち止まった。

「にゃんっ」

 すると、何を思ったのか、黒龍の猫は上目遣いでお座りをし、顔を本物の猫のように洗い始めた。

「あっ? なんだ?」


(フッフッフッ……。この愛らしい姿を見て、何か牛乳でも飲ませてくれるに違いない!)


 キラリと策略家のように目が光黒龍である。だが。


「げっ! 黒猫じゃねぇか! シッシッ!」

 店主は発砲スチロールの箱を持ったまま、指の先だけで追い払ってきた。

「んにゃ!」

 ガン! と、ショックを受け、顔面を硬直させる黒龍の猫。その後思いっきり拳を握り、魚屋の店主を睨みつけた。


(おのれ! もう二度とこの店では買わんぞ!)


 黒龍の猫はフンっと踵を返し、商店街の中央に戻っていったが、


(いや、きっと魚屋というのがいけなかったのだ。他の店ならきっと、俺を愛でてくれるに違いない!)


 と、思い直し、次なる標的の店を探し出す。

 目的が飲水(のみみず)の確保から、いつの間にかすり替わる黒龍である。

 黒龍の猫は、その後八百屋の前に立ち止まった。

「にゃんっ」

 龍の尊厳とは何処へいったのか、今度はゴロゴロと腹を見せ、思いっきり体をくねくねと、左右に揺れ動かす黒龍の猫である。


(フフフ……。さあ、俺の腹を撫で回してもよいぞ!)


 キラッ、と店主の方を流し目でチラ見し、黒龍の猫はドヤ顔を決め込んだ。


「何だこの猫? 商売の邪魔だ!」

 足をドン! と、地面に打ち付けられ、黒龍の猫は堪らず起き上がり、その場を脱兎の如く逃げ出す。

 そうして、また商店街の道の中央に戻っていった。

「…………」

 人々の行き交う道。猫の姿で見る通りは、巨大な人間砂漠。

 誰も黒龍の猫のことなど、見向きもしない。それどころか、黒猫と見るだけで、顔を顰(しか)めて通り過ぎる者までいる。


(黒猫には人権……いや、猫権などないというのか──!)


「あれ? 黒……龍……くん?」

「にゃ! にゃにゃにゃん!(やまさん!)」

 山澄がビニール袋を引っ提げて、黒龍の存在に気付いたのか、黒猫をチラ見する。どうやらコンビニに買い物に出掛けていたらしい。黒龍の猫は山澄に、その存在を懸命にアピールするが、

「まさか、そんなわけないか……」

「にゃにゃ!」

 山澄は気のせいだと思ったのか、すぐに顔を背け、アパートに帰ろうとした。


(あれ!? 喋れないぞ! まさか……)


 口をパクパクとして、情けなく空気を噛み、黒龍の猫は顔から冷や汗を垂れ流していた。


(本格的に猫になりかけている!?)


 黒龍の猫は、顔を蒼白に染め上げ、両手にほっぺたをぎゅむっと押し当てた。

 その猫らしからぬ振る舞いが気になったのか、山澄はもう一度、黒龍の猫に向き直った。

「え? 本当に黒龍くんなの?」

 うんうんと懸命に頷き、アピールをする黒猫。

「何でそんな姿に……」

 眉尻を下げ、困惑した顔で黒猫を見つめる山澄。その表情は何処か哀れみに満ちていた。

「にゃにゃにゃ……(それは……)」

「全然何言ってるか分からないよ」

「にゃんにゃにゃ!(なんだと!)」

 そこで山澄はハッと気が付いた。

 端から見れば猫と喋る変なおじさんである。しかし、何処となく潤んだ瞳で見てくる黒龍の猫をこのままにはして置けず、山澄は溜め息を零した。

「はぁ……。取り敢えず家(うち)帰ろうか……」

 肩を落とし、黒龍の猫を抱きかかえると、アパートへと帰っていく。

 その背中は30歳とは思えないような、定年を迎えたおじさんのようであった。






 緑川アパート、二〇三号室。


 山澄と白龍、ついでにまつりの二人と一匹に囲まれ、黒龍は猫の姿のまま項垂れていた。今は、何とか皿に水を汲んで貰い、一生懸命に飲んでいる所である。


 ピチャピチャ。ピチャピチャ。


「そうしてると、マジもんの猫だよな……」

「んにゃ!?」

 白龍の呆れたような呟きに対し、黒龍の猫はショックを受けたように口を半開きにした。

「で? 喋れなくなったのか?」

 コクリと頷き、黒龍の猫は後ろ足でカカッと顔を掻く。

「でも、自業自得だろ?」

 白龍は腕を組みながら、同意を得るように山澄に向き直った。

「そうだとしてもこのままってわけにもいかないし……」

 山澄は半眼で冷ややかに黒猫をチラリと見据えた。

「にゃんにゃにゃ、にゃにゃにゃーにゃにゃ! にゃにゃにゃん!(何とか出来ないのか! やまさん!)」

 山澄の組んだあぐら(・・・)に両手を乗せ、その太ももを揺さぶる黒龍の猫。

「これじゃ何言ってるのかも分からないし……」

 山澄は困惑した呆れ顔で、思わず黒猫から目を逸らした。

「まつり、お前同じ獣だろ? 分からないのか?」

「なっ! 自分を猫やそこらの犬と同じに思われては困るであります! 自分は気高きドラゴン。人間界にいる動物の言葉など、分かるわけないであります!」

「いや、ワニと同じ顔してるから……」

「ワニと同じ顔……!」

 まつりはショックのあまり、劇画調でそう言った。

 まつりがショックで固まった所で、山澄は疲れたように嘆息する。

「ハァ……。しょうがない。私の使い魔を呼ぶか……」

「え?! やまさん、使い魔って?」

「にゃにゃんにゃ?(使い魔?)」

 黒龍の猫と白龍がはてな顔で首を傾げていると、

「白龍くん、ハムかソーセージない?」

「魚肉なら黒龍のヤツがここにあるけど……」

 白龍は、ストッカーの引き出しから、赤いビニールに包まれた魚肉ソーセージを一本、手に取った。白龍がビニールを剥いた途端、プルプルと震える魚肉が顔を出し、黒龍の猫(・)心(・)をくすぐる。


 黒龍の猫は、それを見るなり白龍の足に飛び掛かった。


「にゃにゃにゃ! にゃにゃにゃ!」

「ちょ、何だよ! 食いたいのか?」

 手に持った魚肉を取られまいと、両手を必死に上へとやる白龍。

「にゃ!?」

 黒龍の猫は、その自身の行動にハッとした。


(俺は今……何を……!)


 黒龍の猫が、ショックで顔を引きつらせていると、白龍は困惑した表情を浮かべる。

「やまさん、まずくないか? ますます黒龍の猫(・)化(・)が進んでるぜっ」

「白龍くん、その魚肉を皿に置いて」

「お、おう」

 剥き出しの魚肉を皿の上に出すと、白龍はそれを手渡す。

 すると山澄は何を思ったのか、アパートの窓を開け、魚肉の皿を持ったまま、外に手を差し出し、ヒュー、と口笛を吹いた。

 すると、何処からともなく羽の音がバサバサと聞こえ、一羽の真っ黒いカラスが、皿の上に足を乗せる。と、そのまま魚肉を嘴(くちばし)で咥えた。

「え? カラス?」

「これが私の使い魔。カラノ介だよ」

「カラノ介!?」

 カラノ介は上を向き、魚肉をパクパクと飲み込みこんだ後、自身の羽根を胸元に持っていき、偉そうに胸を張った。

「われはカラノ介! 応龍様にこの身を捧げ、応龍様に付き従える者、デスね!」

「また変なヤツが出てきたな……」

「応龍様! 今度はどんなご依頼デスか? また白龍と黒龍のくそガキどもを見張るとかデスか?」

「はあ!?」「にゃ!?」

 カラノ介のとんでもない激告白に、白龍と黒龍は素っ頓狂な声を同時に上げた。

「しっー!」

 慌てて山澄は、自身の口元に人差し指を立てるが、時すでに遅し。白龍と黒龍は、その爆弾発言を聞き逃しはしなかった。

「やまさん! どういうことだよ!?」

「にゃにゃにゃ!」

「もう、何で言っちゃうかな……」

 山澄は頭をガシガシと掻きながら、カラノ介の方を恨めしそうに見つめた。

「カァ? われ、何かマズイこと言ったデスかね?」

 カラノ介は特に悪いことを言ったとは思っておらず、はてな顔で首を傾げている。山澄はその様子に、観念したように溜め息を吐いた。

「ハァ……、実は黒龍くんと白龍くんの様子を、カラノ介に見てもらってた時期があったんだよね」

「見てたって……。要するに監視だろ!?」

「監視とは少し違うけど……。君たちがダイエットちゃんとやってるか、一時的に報告してもらってただけよ。私がずっとついているわけにもいかないし。でもこの子、たまにサボってたけどね」

 チラッと呆れたような流し目でカラノ介を見る山澄。

「あん時か……」

「あれだけのハムでは足りないのデスね」

 カラノ介は、さも当然とばかりに羽根をバタバタと動かした。

「にゃにゃにゃにゃ……。(なるほど……)にゃー、にゃにゃにゃーにゃ、にゃにゃにゃ、にゃにゃにゃにゃ、にゃにゃにゃにゃ、にゃにゃにゃーにゃっにゃにゃ(まあ、白龍のやつは確かに監視が必要だったな)」

 黒龍の猫は腕を組んだ後、勝ち誇った顔で白龍の太ももの上に右足を掛けた。

「何言ってか分かんねーよ!」

 白龍は取り敢えず、馬鹿にされていることだけは分かった。太ももに乗った黒猫の足を手で追い払うと、ふと、先日の出来事が頭に浮かぶ。

「じゃあ、あの天井の顔もやまさんなのか?」

「顔?」

「アレだよ」

 白龍は、山澄を寝室に連れていき、天井を指差した。この間見つけた、謎の山澄似のシミが、にこやかに笑っているように見えた。

「えぇ? そんなに似てる?」

 困惑した顔で白龍と黒猫を交互に見る山澄。

「似てるよな? なぁ黒龍?」

「にゃっにゃにゃにゃ!(全くだ!)」

 黒龍の猫は、顔を手で洗いながら白龍に同意する。

「残念だけど、ただの木目だよ。私に見守ってて欲しいのは分かるけど」

「誰が好きこのんで、寝室覗いてもらいたいんだよ!」

「さ! そんなことより、カラノ介。この黒猫の言葉を訳してくれない?」

 さっさと話題を切り替えたい山澄は、居間に戻ると、パンッと両手を打ち、カラノ介に向き直った。

 続いてトコトコと戻ってきた二人が畳に腰を下ろすと、カラノ介は隣の黒龍の猫を一瞥する。

「不細工な猫デスね。何が聞きたいんデスか?」

「にゃんにゃにゃ!(何だと!)」

「まず、どんな呪文で猫の姿になったのか。黒龍くんが独自に編み出した正確な呪文がないと、元に戻せないからね」

「え? そういうもんなのか? オレはてっきり、やまさんならスパッと何でも出来ると思ってたわ」

「こういうのは色々制約があるのよ」

 山澄がうんうんと頷くと、横にいたまつりは、山澄の動きを真似するように呟いた。

「応龍様は完璧であります」

「お、そこのワニ、分かってるデスね」

「ワニじゃないであります!」

 皆が皆、わちゃわちゃと好き勝手に喋る中、黒龍だけは先程のカラノ介の発言を、いつまでも不満気に思い返していた。

「にゃにゃんにゃにゃ、にゃにゃにゃにゃん……。(不細工と言われたのが気になるが……)にゃー、にゃにゃにゃにゃ、にゃにゃにゃんにゃにゃにゃにゃにゃん……(まあ、こいつに頼るしか無いのか……)」

「さ、訳して! カラノ介!」

 山澄が早速促すと、カラノ介はチラリと黒猫を横目で一睨みし、さらっと言った。

「いやデスねっ」

「は? 今そんな短くなかったろ!」

「われは猫は嫌いデスね。猫の言葉など口が腐るデスね。カッーカッカッ!」

「にゃんにゃにゃー!(何だとー!)」

 カラノ介の煽りとも言える馬鹿にした笑いに、黒龍の猫は、遂に怒りが臨界点を突破した。黒猫は瞬時にカラノ介に飛び掛かると、途端に二人は畳の埃を撒き散らし、カラスと猫の縄張り争いの如きケンカをおっ始めた。

 黒龍の猫はカラノ介を爪で思いっきり引っ掻き、カラノ介は嘴で黒龍の猫をこれでもかとツツキ倒す。その様子に、山澄は思わず目を点にした。

「あ、あれ?」

「全然制御出来てねぇじゃねえか、やまさん! ──ったく、忠誠心の欠片もねぇな!」

「では自分が黒龍様の言葉を訳してみるであります!」

 意気揚々と前に一歩進み出で、まつりはドヤ顔でフンと鼻を鳴らす。

「はぁ? 出来んのかよ?」

「何せ応龍様への自分の忠誠心は、そこのカラスよりも気高く、清いでありますから!」

 まつりは謎の自信に満ち、胸を張ると、黒龍の猫の前に立った。

「にゃにゃにゃ!(まつり!) にゃーにゃーにゃにゃにゃにゃん、にゃにゃにゃにゃん、にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃ、にゃにゃーにゃ!(とうとう無駄飯ぐらいのお前が役に立つ時が来たのか!)」

 黒龍が猫語を言い終わると、まつりは少し間を置いた後、真剣な表情でポツリと呟く。

「……まつりには豪華な飯を用意する……であります!」

「にゃにゃにゃにゃ!(違うぞ!)」

「エビフライ……であります!」

「にゃにゃにゃにゃ、にゃにゃにゃにゃ、にゃにゃにゃにゃ!(お前が食べたいだけだろ!)」

「え? カニクリもつけてくれるでありますか?」

「にゃーにゃにゃんにゃ!(いい加減にしろ!)」

「……なあ、本当にそう言ってるのか?」

 その漫才のようなやり取りに、白龍は困惑気味に黒猫の方を向く。

 黒龍の猫はブンブンと顔を思いっきり左右に振った。

「違うって言ってるぞ?」

「自分にはそう聞こえるであります!」

「それはお前の欲望だろ?」

 まつりの願望ともいえる幻聴に、白龍は呆れた様子で思いっきり深く溜め息を吐いた。

「はあ……。カラスのヤローは使えないし……」

「カア!?」

「まつりはこれ幸いと欲望丸出しだし……」

「食べるでありますっ」

 空気も読まずジュルリとヨダレを垂らすまつり。

「このままじゃ黒龍は永遠の猫になっちまう。まあ、その方がオレも振り回されなくて済むか……」

「にゃんにゃにゃにゃにゃにゃー!!(何だと白龍!!)」

「もう黒龍に手書きで書いてもらうしかねぇんじゃねぇか? 呪文っ」

「にゃにゃにゃにゃ、にゃにゃにゃにゃーにゃにゃ!(この手で書けというのか!)」

 黒龍の猫は肉球のプニプニを白龍に押し付けた。

「まあ、言いたいことは分かる。でもしょうがねぇだろ? それしか方法がねぇんだからよ?」

 白龍はえんぴつと紙を取り、それらをテーブルに置くと、黒猫を紙の上に乗せ、両手の肉球に挟むようにしてえんぴつを持たせた。

「にゃーにゃにゃん……(しょうがない……)」


 ツルっ。


「にゃ!」


 滑る肉球。転がるえんぴつ。再度えんぴつを持つ黒龍の猫。


 ツルっ。


「にゃにゃ!」


 再び転がるえんぴつ。再再度持つ黒龍の猫。


 ツルっ。


 再々(ふたふたた)び転がるえんぴつ────


「にゃっにゃ、にゃにゃにゃにゃ!(やってられるか!)」


 黒龍の猫は目を吊り上げながら、転がったえんぴつを蹴り飛ばした。

「真面目にやれよ黒龍」

「にゃんにゃにゃにゃ、にゃにゃにゃにゃ、にゃにゃーにゃにゃ!?(こんな手で持てると思うのか!?)にゃにゃにゃにゃ!? (貴様は!?)」

「だから分かんねぇって……」

「こら! カラノ介! 言うこと聞かないと、もうハムもソーセージもあげないわよ!」

「カア!?」

 山澄の一喝に、カラノ介は嘴をあんぐりと開けて、目を丸くした。

「……しかたないデスね。われは応龍様の使い魔。応龍様の命令は絶対! デスね!」

「何で子分てのは、こうも食い意地が張った奴ばかりなんだよっ」

「にゃっにゃにゃにゃ(全くだ)」






「じゃあカラノ介。今度こそよろしくねっ」

 山澄が念押しし、カラノ介に冷蔵庫にあったハムを渡しながらそう言うと、

「分かったデスね!」

 カラノ介はそれを嬉しそうに飲み込みながら、

「さあ、猫畜生! 聞いてやるから言ってみろ! デスね!」

 と、偉そうに胸を張った。

「にゃっにゃにゃ……(全く……)にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃ(ムカつくカラスだ)」

「いいから早く言うデスね! こっちだって暇じゃないんデスね!」

 羽根をバタバタと羽ばたかせ、上から目線で言うカラノ介。

「黒龍、早くしないとマジで猫になっちまうぞ。大人しく聞いとけよ」

「にゃっ(ちっ)」

 黒龍は舌打ちをするが、舌打ちとは名ばかりの可愛らしい鳴き声が、周りの耳に届く。黒龍は一つ咳払いをした後、続けた。

「にゃにゃにゃ、にゃにゃにゃにゃ」

「われに力を……デスね!」

 カラノ介が続けて言うと山澄はそれを紙に書き始めた。

「にゃにゃにゃにゃん、にゃにゃにゃ、にゃにゃにゃにゃにゃ、にゃにゃにゃにゃにゃん」

「あたえん、われにつかえしモノ達よ。デスね! プッ、背中がかゆくなりそうな呪文デスね!」

 カラノ介は馬鹿にするように自身の嘴で背中をカカッと掻いた。

「にゃんにゃにゃ!!(何だと!!)」

「いいから続き言えよ」

 黒龍が肉球を小さく握り締めるが、隣にいる白龍が冷めた視線で呟く。黒猫は仕方なくその小さな肩を落としたのだった。






 そうして黒龍の猫は、何とか全部の呪文をカラノ介に訳してもらった。

「ふぅ、これで全部ねっ。えっと、ここから更に戻す方の呪文を生成して……」

「は? まだ呪文が必要なのかよ?」

「言ったでしょ? 複雑なのよ」

「おい、黒龍。そんな危ないもん、オレらに使おうとしたのかよ!」

「にゃ、にゃん?」

 白龍の追求を躱そうと、途端に黒龍の猫は、文字通りの猫被り(・・・・・・・・)をし、舌をペロッと横に流した。

「猫のフリしようたってそうはいかねぇぞ!」

「にゃにゃん?」

 黒龍は、今度は白龍の顔を真っ直ぐに見つめ、まるで言っている意味が分からないとでも言いたげに、真剣な顔つきで小首を傾げた。

「え? 黒龍?」

 すると、黒龍の目の瞳孔が、段々と縦に細くなっていく。まるで本物の猫のようだ。

「マジでやべぇ! やまさん! 早くしろよ!」

「はいはい!」

 山澄は黒龍の猫の額に手を当て、何やら呪文を唱えた。

 黒猫が目を瞑ると、体が徐々に光っていく。そして──


 ボンっ!


 という音とともに、猫になる前の黒龍の姿が、やっと煙の中から顕現した。

 黒龍は頭をボリボリと掻いた後、深く溜め息を吐いた。

「はあ〜、やっと元に戻ったにゃ(・)……」

 黒龍が一言そう呟くと同時に、黒龍並びに、その場にいる全員がこれでもかと目を見開き、黒目がなくなるのかと思うほど目を点にさせ、一瞬の静寂が場を制した。

「にゃ!? これはどういうことにゃ!? 言いたくもないのに勝手に語尾が変換されるにゃ!」


「だゃああああっハッハッハッハッ!!!!」


 白龍はこれまでにないくらいに大口を開けて、腹を抱えて床に笑い転げた。

「にゃ!! 白龍! いくら何でも笑いすぎにゃ!」

 茶色い畳のい草が剥げるほどに、足をバタつかせて、喉の奥が見えそうなほど笑い続ける白龍。続けて他の三人も、

「こ、これは……フフフ……」

「カァーカッカッカッー! これはお笑い草、デスね!」

「黒龍様、猫語が抜けてないであります!」

 まつりとカラノ介は黒龍を指差して笑い、山澄は口元を押さえ、小刻みに肩を震わせている。

「貴様らも笑うにゃ(な)!」

「もう、もう……やめてくれ……黒龍……。それ以上喋ったら笑い死ぬ……っ」

 白龍は死にそうになりながら、必死にかすれた声を絞り出していた。


「いい加減にしろにゃ!」


 しばらく後遺症として、語尾の猫語が抜けない黒龍であった。


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