第1章 プロローグ
虚弱体質の方、アレルギー持ちの方、マイナーな趣味をお持ちの方、お金をかけずに趣味を楽しみたい方に読んでいただいて、何か一つでもお役に立てれば、幸いです。
「◯◯気象予報士の今日の中継は、△△県□□市にあるなんちゃら公園からお届けします」
毎朝同じ番組で彩海の一日は始まる。
ほう。藤が見頃だって。
「近くだね。まだ行ったことないよね?」
そう彼女が話しかけると、夫の陽久が
「何言っているんだ。行ったことあるじゃないか」
と呆れたように言った。
言っていないと彩海が言い張ったら、「それじゃ、連休が終わったら行こう」と陽久は仕方ないなぁなと笑いながら提案した。
夫は相変わらず優しいなぁ、と彩海は思った。
なぜ連休明けなのかといえば、もちろんすいているから。混んでいると駐車できない可能性が大。山に近い地域は駐車スペースが限られているし、Uターンも難しい場所も多いのだ。
◯◯気象予報士の「今日の中継」を見てドライブの行き先を決めることが多い。もちろんネットで調べることも多々あったが。
以前の彩海は長年ひきこもりのような生活をしていた。元々インドア派だった上に体調が悪かったせいもある。
彼女はいわゆる気候病だった。しかしそんな名前は数年前にようやく認知された病だ。
彼女は、病気だった家族の世話で長年十分な睡眠を取れなかった。そのため、若いころから彼女の自律神経は乱れていた。
元々喘息やアレルギー持ちだったので余計に体調不良になったのだろう。
二十年前突然激しい目眩に襲われて、救急車に運ばれた。その後も度々突然激しいめまいや頭痛、胃痛にのたうち回ることがあった。
出先でそんな状態になったらと考えると、恐ろしくて遠出したいだなんて、とても思えなかった。
お日様アレルギーで、少しドライブしただけで、顔と腕に発疹ができたこともあった。そして、食物アレルギーがあるために外食もできないからだった。
それでも子ども達がまだ幼いころは、紫外線予防クリームを塗ってあちらこちらと連れて行っていた。
ところが小学生の高学年になると、二人の息子はインドア派になって旅行を嫌がるようになったので、無理に出かけることはなくなったのだ。
十年ほど前だったか、彩海はテレビの情報番組で気候病というものがあると知った。そしてもしかしたら自分はそれなのでは? と思った。
気圧の変化がわかるというアプリが紹介されていたので、彼女はすぐさまそれをダウンロードして、しばらくそれを記録していった。
そして半年ほど経って、やはり自分は気圧の変化や、気温変化によって体調が崩れることが分かった。
喘息持ちの母親が台風が来るときはすぐ分かると言っていたが、あれは事実だったのだなとと思った。
昔から天気が悪くなると足腰が痛むと言われてきたが、おそらくこれも同じだろう。
非科学的だと医者は馬鹿にしていたが、馬鹿なのは一体どっちなんだろうか。全ての病が科学的に説明されているわけでもないのに。
これまでどれだけ病院を回ったか分からない。対処療法だけでまるで役に立たなかった。そもそも処方された薬が役に立ったことは、アレルギー剤以外なかった。
毎日あれを飲まないと、耳の奥まで痒くなって我慢できなくなるのだ。他の場所はともかく、手が届かないのだから。
昔、蚊責めという罰があったというくらいなのだから、痒いのは痛みと同等の辛さがある。
それでも、直接死に関わらない病気や珍しくない病に対して、医者は重きを置かないらしい。仕方ないとただ諦めていた。
しかし、気候病だと分かったことは彼女にとって大きかった。原因が分かったからといって特効薬があるわけではないが、病名と原因が分かったことで、精神的にかなり楽になった。
調子がいい日が続いているからと予定を入れても、当日になって急に体調が悪くなるということが繰り返された。その度に家族にも迷惑かけてしまい、本当に情けなくて仕方なかった。
鼻水が出たり咳が出る度にまた風邪を引いたのかとガックリときた。
運動をしようとしても、すぐに体調が悪くなって続かなくなることが多くなると、さらに自信がなくなっていった。その度に自分の不甲斐なさに落ち込んだ。
自分に段々自信がなくなっていった。
しかし季節の変わり目の鼻水や咳は風邪ではない。花粉症とは違うが、これも一種の気温差アレルギーの症状なのだろう。胃痛もしかり。
少し我慢していれば治まるのだからそれまでの辛抱だ。辛いときは休み、体調が戻ればまた動き始めればいいと、開き直ることにした。
今日も何もできなかったと落ち込むのではなく、できたことを思い出して自分を褒めた。時間がかかっても洗濯ができた。夫の朝食とお弁当の用意だけはできた。偉いぞと。
たとえそれ以外は何もできなかったとしても。
それを毎日ノートに少しずつそれを書き込んでいった。一つでもやれたことがあればそれだけで良しとした。
まあ、寛大な夫だったからそれが許されたのだと百も承知していたが。普通は追い出されるよね。
そのうち、少し体調が整ってきたとき、夫の陽久がドライブに誘ってくれた。職場の近くに蓮の咲く公園があるから行ってみようと。
その時は蓮の花より夫の職場見たさに出かけて行った。しかし、その蓮園はかなり大きくて、かなり種類が豊富で見事なものだった。
彩海の喜ぶ顔を見た陽久は、来週は別の蓮園へ行ってみようと妻に提案した。
そこは車で一時間掛かった先週の場所の半分ほどの距離の場所だった。古代蓮の池で、古代住居跡が再現されていた。
そしてネット検索してみると、なんと住んでいる市内の運動公園内にも蓮池があった。
結構身近な所に蓮の名所があるのだなと彩海は思った。
それ以降、梅や桃、薔、菖蒲、牡丹、紫陽花、チューリップ、マリーゴールド、彼岸花、そして藤など、近場の名所へ毎年のように二人で出かけるようになった。
ではなぜそこにメジャーな桜見が入っていないかというと、近所にそこそこ有名な桜の名所があって、ママ友と散歩しながら花見をすることが毎年の恒例になっていたからだ。
それは歩いて行ける距離だからこそ、体調に合わせて変更もできたから続けられたことだった。
子ども達がまだ小学生だったころはママ友達とランチもしていたのだが、料理が置かれた瞬間にめまいを起こして、その場でお金を置いて退散したこともあった。
やはり近所だったので、どうにかうちにたどりついた。あれから、迷惑をかけるからランチも止めた彩海だった。
もともとアレルギーのせいで外食は苦手ではあったのだが。
普通の女性は年をとると夫より友人と出かけるのを好むものなのだろうが、彩海は色々と訳ありだったので、他人とだと気を使って疲れてしまう。
それゆえ、理解してくれる優しい夫と出かけるのが一番好きだった。
とはいえ結婚してからというもの、彼女と夫には旅行運がなかった。
結婚式の一週間後にグアムへ新婚旅行に出かけるはずだったが、夫の祖母が亡くなったのでキャンセルをした。
そして一月後に改めて旅行することになったのだが、乗るはずだった飛行機が、その半月前にコース変更になったからと、旅行プランの見直しを迫られた。
そのせいで結局出かけたのは式の半年後だった。
その後もどこかへ行こうとすると、季節外れの大雨になったり、雪が降ったりした。
その中でも一番印象に残ったのは伊豆半島旅行だった。
前日に旅館から、大雪で駐車場が雪で積もり、車が停められなくなったので宿泊は無理だと電話があった。
海を見下ろせる小高い山に建っている宿は、人気が高くてなかなか予約が取れない。ようやく泊まれると思ったのに。
評判のいい旅館だったので、その翌年に再チャレンジをして再び予約を取った。ところが、またもや東日本で大雪が降ったのだ。
旅館からは、今度は雪掻きを済ませたのでお泊りいただけますと電話があった。
ところがこちらの方が行けなかった。車を雪の中から掘り出すことができなかったからだ。
本来積もるほど雪が降る土地ではないというのに。
今思えば異常気象の走りだったのかもしれないが、それにしても旅行運がない。まあ、大事故に遭っていないだけ幸せなのだろう、と思うしかなかった。
ちなみにその数年後にようやくその旅館に泊まることができたのだが。
やがて子ども達も成長して家を出た。
子どもだけを家に残す心配もなくなったので、始めからきっちりとした計画を立てず、当日の調子を見てから生き当たりばったりでドライブすることから始めてみた。
ところが二人があちらこちら出かけるようになったその時期は、なんとコロナ禍だった。
その当時は出かけるのを控えるのが当たり前だった。それなのに、なぜわざわざ引きこもりを止めたのか。
それは、引きこもっていたせいで体の機能が衰えてきたからだった。このままではフレイルになって、寝たきり予備群になってしまうと不安になった。
しかし、人との接触はまずい。
ということで、人のあまりいない場所ということで、城巡りをすることにした。
えっ? 城なら観光客が……と思うわれるだろう。しかし、それは白鷺城とか大阪城、名古屋城とか、天守閣などがある有名どころの話だ。
城巡りアプリというのがある。それによると日本国内には少なく見積もっても三千以上の城、正確に言えば城跡があるのだ。
歴史のあるの町には大概城址公園が存在するのだから。
そこでまず近場から攻めようと思った。
しかし、これが彩海は沼にはまりきっかけになり、その後晴久は、妻の付き合いで、超忙し過ぎる旅行のお供をさせられる羽目になったのだった。
エッセイ以外で初の現代ものの小説です。
読んでくださってありがとうございました。




