オオグチ 3
トイレの個室に拘束されていた女子生徒は拘束を解かれ、水浸しの女子トイレ床の上に座り本人も水浸しのまま、鞄から取り出した煙草を吸っていた。目の前でオオグチの弟がカトウの死体を食べていた。死体は残り4分の1程度だった。
「そいつ、体育のカトウだろ?」
「知ラネ。死ンジャッタカラ食ベテル。モッタイナイ」
「人間って美味しいの?」
「徳ヤ霊力ノ高イやつハ美味シイ。子供モ美味シイカナ? 兄チャン達ハ子供ノ肉、好キダッタ。俺モ美味シイト思ウケド、ワザワザ取ッテ喰ワナイ」
「何で?」
「ソンナニ美味シクナクテモ別ニイイ」
「ふうん」
女子生徒は煙草を吐き出した。
「次、あたしを喰うんだよね?」
オオグチの弟は首を素早く反転させて女子生徒の方を見た。軽く驚く女子生徒。
「おおっ? 今、喰う? 煙草吸い終わるまで待ってよ」
鼻をひくつかせるオオグチの弟。
「オ前、臭イナ」
「うん? 縛られる前にウンチ入ってる便器に顔突っ込まれたから、そりゃ臭いよ」
「うんちカヨッ」
顔をしかめるオオグチの弟。
「さっき、カトウの腸とか喰ってたじゃん? そういうの気にするの?」
「俺達ハマンマニスル物ノ『意味』ヲ食ベテルカラナァ」
「意味? 結構哲学的なお化け何だね」
「哲学的ッ! キヒヒヒっ」
オオグチの弟は一頻り笑うと、反転させた首を元に戻し、カトウの死体の残りを一気に喰い尽くた。
「ングング、ソレ、ヨコセ」
「それ?」
女子生徒が戸惑っているとオオグチの弟は右腕を蛇のように伸ばして女子生徒の手から煙草のケースとライターを取って腕を引き戻した。
「オ前、うんち臭イカラ食ベルノヤメタ。代ワリニコノ煙草モラウ。『施シ』ヲ受ケタわけジャナイカラ調子ニ乗ルナヨ?」
女子生徒は自分の煙草を加えたまま困惑したが、
「・・・何だ、死なないのか、あたし」
苦笑して呟くのだった。
オオグチの兄はトキタの部以外のいくつかの部室を襲い、顎を外したトキタの口から上半身を出し、引き千切ってきた部員の耳をかじりながら一つの部室から出てきてげっぷをした。失った右腕も肘の手前辺りまで再生してきていた。
「ン~、ダイブ生エテキタナァ。モウチットダ」
無数の一つ目の蛇の蠢く血煙の充満した部室棟の廊下を満足そうに見回すオオグチの兄。多数の部室から悲鳴や物音、あるいは出入り口を叩いて助けを求める声がしていたが、全ての出入り口のドアもは血煙の蛇達に押さえられており、並の人間の力で開けられる物ではなく、廊下沿いの窓を破ってもその箇所を血煙に覆われるだけだった。
「アハハッ、次ハドノ部屋ニスルカナァ? アンマリもたもたシテイルト蛇ドモニ根コソギ横取リサレチマウゼ」
機嫌良く言っていると、突然廊下の向こうから血煙の蛇を吹き飛ばして一本の矢が飛来して左耳に辺り命中して耳と左側頭部一部を吹き飛ばしていった。
「痛ェエエエッ!!! ハァッ?!」
矢が飛来した先を見るオオグチの兄。
廊下の先で乙矢を構える弓道着姿のモチズキカズネいた。弓には『恋愛成就』の御守りが括り付けられ、傍らに矢筒をいくつも持った、やはり弓道着姿の女子生徒が二人いる。
「化け物っ! お前が原因か?! よくも皆をっ!!」
乙矢を放つカズネ。既に血煙がある程度祓われたこともあり、乙矢は正確にトキタの口から露出したオオグチの兄の眉間へと空を切っていったが、命中する寸前でトキタの右手が乙矢を掴みこれを止めた。
「何っ?!」
「アハハッ! 残念ダッタナァ、コノ程度ノデキ損ナイノ霊器ジャ、人間ノ体ハ通ラネェナァッ! アハハハハッ!!!」
嘲笑うオオグチの兄。しかし、オオグチの兄が仰け反った瞬間、オオグチの兄の右肩に背後から飛来した甲矢が突き刺さり、右肩その物を吹き飛ばし、生えかけていた右腕も千切り飛ばした。
「痛ェエエエ?! ハァアアアアアッ?!」
振り返るオオグチ。背後の廊下の先に乙矢を構えようとする男子弓道部員がいた。弓には『交通安全』の御守りが括り付けられ、傍らには矢筒を多数抱えた男子部員が三名いた。
「弓道部が女子だけだと思ったかっ?!」
叫び、女子部員二人を連れてにじり寄ってやや間合いを詰めながら再び甲矢を構えるカズネ。
「くっそッ! セッカク再生シカケテタノニッ。素人ノがきドモガッ!! くっそッ!」
オオグチの兄はカズネと男子部員を見比べ、焦っていたがすぐに不敵な笑みを浮かべた。
「マ、別ニオ前ラ何テドウデモイイカ」
そう言うやいなや、オオグチの兄は紙縒のようになって旋回してトキタの口から飛び出すと、天井に穴を開けて部室棟の二階へと逃れていった。弓道部員達は倒れ込んだトキタに駆け寄った。ヘルメットを付けたままのトキタは顎を外し返り血で血塗れだったが、外れた顎以外に目立った外傷は見当たらなかった。
「トキタ、だよな?」
「だと思うけど、あっ」
弓を持った男子部員にカズネが応えていると、トキタが目を覚ました。
「んっ! あぐぐぐっ!!」
起きた途端、トキタは両手で外れた自分の顎を持って外れた顎を力任せに戻そうとし始めた。
「おいっ、トキタ?!」
「危ないってトキタ君っ!」
カズネと男子部員達は慌てたが、トキタは構わず強引に自分で自分の顎を戻した。
「んぎっ!!!」
余程激痛だったらしく、トキタは体を屈めて耐えた。
「トキタ?」
「トキタ君、詳しい事情を聞かせて。私達もたまたま弓と御守りがあって生き残れたけど、ワケがわからないのよ? さっきのアレは何なの?」
男子部員を押し退けるようにしてカズネが問い掛けた。
「・・・オオグチ」
絞り出すようにトキタは答えた。
「オオグチ? 口が大きいから?」
「たぶん、そうだ。マガリネブッチョウとも呼ばれていたらしい」
「マガリ、ネブ???」
カズネは弓持つ男子部員と顔を見合わせて困惑した。
「体に入られている時、俺の意識は少し、あった。だから、アイツらはっ」
トキタは立ち上がり、近くの弓道部員の矢筒から矢を一本引き抜いた。
「俺が殺すっ!!」
血走った目でトキタは言った。
換気扇は回っているがカーテンを閉められ前後の出入り口の戸に鍵のかけられたB棟の第3理科実験室の一番大きなシンクで水を流し、トイレの個室から解放され煙草を吸っていた女子生徒が洗顔料で髪も全身も全てを丁寧に洗い流していた。女子生徒は鼻唄を歌っていた。
そのシンクからやや離れた席では椅子を二つ並べて座ったオオグチの弟が煙草を吸い、実験用の瓶に入った角砂糖を摘まみながら、ランプのアルコールをちびちびと飲んでいる。
「随分いいお酒飲んでるね?」
「ヨク言ウゼ、うんこ女。コレハ『施シ』ジャナイカラナ」
「ウンコ女って、あたしの名前はキザキミヤコだよ」
「知ラネ」
ミヤコは全ての洗顔料を洗い流しにかかった。
「あんた、日が落ちるまでにこの棟の人間食べるとか言ってなかった?」
「オ前ガ隠レテ酒ガ飲メルトコアルッテイウカラキタ。煙草モ吸エル。源太兄チャンハ酒モ煙草モモウ忘レチャッタカラ一緒ニイルトドッチモだめナンダ。兄チャン厳シイ」
「お化けにはお化けのルールがあるんだ」
「ソウ。デモ酒ハ美味シイ。招カレタ酒ハ特ニ『栄養』ニナル。ホラ、見ロヨ」
オオグチの弟は左腕の失われた左肩をミヤコに向けた。左肩から肘にかけて左腕が再生し始めていた。
「凄っ。生えるんだ」
ミヤコは洗顔料を全身から洗い落とし、シンクの側に置いて置いた実験用の白衣をタオル代わりにして全身を拭き始めた。
「オイッ、ミヤコ」
「呼び捨てかよ」
体を拭き終え、髪を念入りに拭き始めるミヤコ。
「オ前、何デ厠デ折檻サレテタンダ? 悪サシタノカ? キヒヒヒッ」
粗方髪を拭き終えたミヤコはうんざり顔をしたが、拭いていた白衣を投げ捨てると、別の乾いた白衣を着込み始めた。
「クラスで仕切ってる感じの子の彼氏と二、三回ヤッちゃったのがバレちゃってさ。別にそんな好きじゃないけど、モテるヤツだから、扱い上手いでしょ? それで、ふわーっとね。私、そういうのよくあるんだけど。何か、めんどくさくてさ、何か普通に、ちゃんとしてられないんだよ」
白衣を着て、前のボタンを止め、教員用のサンダルを履いたミヤコをオオグチの弟はランプのアルコール片手に見ていた。
「ミヤコ、オ前ハアレダナ」
「お? 何?」
「凄イ、馬鹿何ダナ」
「酷っ!」
「全然俺ノコト怖ガラナイシ、オカシイト思ッテタ。馬鹿ナノカ、馬鹿ナラショウガナイ。昔カラ馬鹿ハヨクワカラナイカラ。俺モヨク兄チャン達ニ馬鹿ダ馬鹿ダッテ言ワレテタケドサッ、キヒヒヒッ! キヒッ! キヒヒヒッ!!」
オオグチの弟は氷砂糖をかじり、煙草を吹かしながら上機嫌で笑い出した。
「アンタ、ツボ浅いね。酔ってる? まあいいけど。ホウ酸どこだろ? 目の消毒したい」
ミヤコは裸足にサンダルで歩きながらホウ酸の瓶を探して薬棚を開けて回り始め、オオグチの弟はランプのアルコールを啜りながらいつまでも笑い続け、笑う内に失われた右腕は手首まで再生していた。
状況が変わった。オオグチの兄はそう思いながら、もういたぶって楽しむようなことは止め、迅速に、部室棟の二階の部室を次々に襲い、血煙の蛇から生き残っていた部員やたまたま部室棟にいて生き残っていた教員達を乱雑にかじり殺して回っていた。
自分を殺せる道具を持ち、殺す方法に気付いた者達が複数名いる。逃げながら、奪い、力を蓄え、逆に殺すッ! 徳川の者達が世を統べていた頃からもうずっと、繰り返してきたことだ。ずっと上手くやってきた。だが、なぜだ? どこからか上手くゆかなくなり始めた。
オオグチ達は定期的に人里離れた場所で休眠していたが、ある時から三郎が休眠した後で起きるのを酷く億劫がるようになり、衰え始めた。又吉もまたある時から必要以上に他の異形の者や霊力を持つ人間に自分から襲い掛かるようになり、そのせいでオオグチ達は何度も住処を変えるハメになった。
今となっては滅びた又吉と三郎の顔や話した言葉も声もハッキリ思い出せなくなっていたが、今やオオグチの一族は自分と五助だけだった。間抜けな五助はともかく自分だけは生き残らなければならない。そうあるべきだ。志郎ともそう約束した。あの『蛇』も自分達にそうしろと、今でもオオグチの兄、源太の内で囁き続けている。
「兄ちゃん達、五助。皆それぞれ自分のことだけ考えればいいんだよ。それでいいんだよ。腹一杯まんまを食べて、それぞれ生き残って、それで・・・」
最後の時、志郎は笑ってそう言っていた。『それで』の後はよく思い出せないが、とにかく、自分達は志郎に許され、『まんまを腹一杯喰らい続けること』を約束したはずだ。あの『蛇』もそう言っている。
「マンマ、マンマ足リネェッ!! 足リネェゾォオオオオッ!!!」
源太は吠え、御守りも付けないただの掃除用具と竹刀で打ち掛かってきた部員二人を引き裂いて喰い千切った。既に耳以外の左側頭部は再生し、右腕も肩と一緒に手首まで再生していた。
そこへ源太を挟んだ廊下の両側から矢が放たれた。矢筒を抱えた部員『一人』を引き連れたカズネと同じく矢筒を抱えた部員『二人』を連れた弓持つ男子弓道部員達だった。予期していた源太は今殺した部員二人の死体で双方の矢を受けた。
「馬鹿ガッ! 人間ニハ通ラネェッツッテンダロウガァアアアッ!! てめぇラハ俺ガ殺スッ!!!」
源太は血走った目をして吠えた。