オオグチ 4
オオグチの兄、『源太』は矢の刺さったままの死体を二体持ったままカズネに突進をした。
「女ァアアアッ!!」
カズネは乙矢を放ったが容易く死体で受けられ、背後の弓持つ男子弓道部員はカズネ達に向かって高速で遠ざかる相手に、誤射でカズネ達を射ることを恐れて甲矢を射てずにいた。カズネは甲矢だけを腰の引けた姿で従えた女子部員が持つ矢筒から引き抜き、つがえようとしたが間に合わない。
「マンマニナレッ!!!」
源太はカズネに迫り『大口』を開けた。これにカズネと、震えながらも従えられた女子部員は素早くしゃがみ込んだ。
「アアッ?」
大口を開けたまま一瞬戸惑う源太の胸板にカズネよりさらに後方から飛来した甲矢が突き刺さった。
「ゲッ?!」
刺さった部位が炸裂し甲矢は弾かれ、源太は後方に吹っ飛ばされて二体の死体も取り落とした。
カズネと従えた矢筒を持つ女子部員の後方の階段の陰から、下階にいた時には矢筒のみを持っていた女子部員が冷や汗をかきながら乙矢を構えようとした。弓には『合格祈願』の御守りが括り付けられていた。
「コノッ!」
源太は怒り表情を見せたが、即座にカズネは源太の胸の傷痕に乙矢を射ち込んだ。カズネの矢も炸裂し、背まで風穴が空いた。
「ベブゥウッ?!」
「中るぞこの野郎っ!!」
カズネは吠えながら従えた女子部員と共に達位置をずらして背後の弓持つ女子部員の矢の軌道を確保した。通常なら軌道を確保しても前方の『的』の前に人のいる状況で射つ等あり得ないが、選んでいられなかった。
源太はカズネの背後の女子部員の構える弓に気を取られたが、背に乙矢が命中し、炸裂した。従えた二名の矢筒を持つ男子部員と共にやや距離を詰めた弓持つ男子弓道部員が放った矢だった。
「女子から狙ってんなよっ!!」
「ヌゥウウッ!!!」
続けて、カズネの背後の女子部員の乙矢、カズネの甲矢、男子部員の甲矢を続けて受ける源太。再生しかけた右腕も無傷だった左腕、左目を吹き飛ばされた。
「ガッ・・・」
源太の意識は途切れそうになっていた。時が引き伸ばされたように感じる中、様々な思いが過り、記憶は鮮明になっていった。空腹だ。こんな、素人のガキどもに? 失敗だった。空腹だ。五助はどうしてる? 失敗だ。空腹。三郎と又吉。三郎と又吉? 二人は死んだ。二人? 誰だ? 弟? 喰う。蛇。志郎。約束。約束? 蛇。ネブッチョウの蛇。あの、名主。
その年、まだ『人』であった源太達の暮らす土地は酷い日照りが続き、飢饉が起こっていた。父と母、妹達は飢え渇いて早々に死んでいった。 兄弟の中では体の弱い四男の志郎も床に臥すようになっていた。
「動ける内に出家でもしないか? 坊主なんて面白くもないが飢え死ぬよりましだろう、源太兄ちゃん」
乾いた畑を前に三郎が疲れきった様子で言った。
「いや、出家何て冗談じゃねぇっ! あいつら何かと言えば地獄に堕ちる、地獄に堕ちると脅して布施をせしめやがる。俺は知ってんだよ源太兄ちゃん! たんまり貯めた布施で肉を喰らい、酒を呑み、女も抱いてる。許せねぇっ! 何が地獄だっ。何も悪さしねぇ俺達が飢え、ヤツらがのさばるこの世こそ地獄じゃねぇかっ!!」又吉は怒りに震えていた。
「ああ、腹減った。何でもいいからどうにかしようよ? 源太兄ちゃん」
五助はなげやりに言った。源太は胃がキリキリと痛んだ。なぜ、皆、自分に聞き、訴える? 長男だからか? 長男ならどうにかできることなのか? そんなワケがない。
「・・・一旦、家に帰って志郎に相談しよう。あいつは知恵が回る」
源太は苦し紛れに言って、弟達を連れて今にも崩れそうな家に戻った。
いつもなら良い知恵を出してくれる志郎だったが、その日に限ってすぐには答えず臥したまま、じっと、兄弟一人一人を見詰めて、こう言った。
「新しい名主様に相談してみたらどうだい?」
「え?」
息を飲む源太。弟達も顔色を変えた。
「志郎、あの新しい名主はよくない、気味が悪い。ネブッチョウの蛇が憑いてる何て噂もある」
三郎は怯えていた。
「俺はネブッチョウの噂何て気にしないが、前の名主一家が次々死んだのはあいつらが何かしたってのは、疑ってるぜ? まぁ、志郎。だとしても俺はどうってことないけどなっ」
又吉は虚勢を張ったが冷や汗をかいていた。
「でも、あの名主様は寺の坊主達よりよっぽど蓄えてるよ? どこから引いてるかしらないけど名主様の田畑は水が足りてるし、庭で鯉や雷鳥を飼ってるらしい。志郎兄ちゃんの言う通り名主様に相談してみようよ? 俺、腹が減って腹が減って、堪らないよ」
五助だけが、恐れていなかった。
「寺に出家するのはダメなのか? 俺達四人が寺で働けばお前一人くらい」
「それは無理だよ、源太兄ちゃん。この飢饉だ。連中も食い扶持の無い者を寺に入れたりしないよ。連中にそんな徳は無いよ。誰より連中が仏何て信じちゃいないんだから。他に、方法は無いんだよ、源太兄ちゃん」
志郎は諭すように言った。
「そ、そうか。そうだなっ! 新しい名主も案外、気のいい人かもしれないからな。よしっ、志郎。お前の言う通りにしてみよう」
源太は言い訳がましく言うと、志郎はただ黙って源太を見詰めていた。
確かに名主の家は飢饉等嘘であるかのように前庭の植木は青々と茂り、鯉の泳ぐ池には冷水がたっぷり湛えられ、雷鳥も気ままに小虫等を啄んでいた。一方でまるで人気は無いように見えた。
「訪ね、私を前にできたということはお前達は『供物』を持っているのだな?」
上がり框の辺りに立つ名主は死人のように表情の固まった顔をしていた。
「供物?」
源太は狼狽え、弟達も困惑した。
「何のことでしょう? 名主様。私どもは体一つ以外何も持っておりません。ですが、何かお恵み頂けるか、実入りの良い仕事を紹介して頂けるならいくらでも働いて恩に報いようとは思っています。是非に」
「お前達の命運はとうに尽きている」
名主は源太を言葉を遮って冷徹に言い放った。
「他の多くの里の者どもと同じに、揃って死ぬる定めよ。だが、お前達は、来た」
源太達の跪く土間の背後の戸がひとりでに閉まった。
「えっ?」
「源太兄ちゃんっ」
三郎と又吉は源太と共に唖然としたが、五助だけは腰を浮かせた。
「誰か、聡い者が、私に気が付き、お前達の定めを変えようとしたのだろう。愚かなヤツよ」
名主は冷笑し、その笑いの呼応してまるで人気の無い屋敷の奥から大波のように血煙が框まで押し寄せてきた。血煙の中には無数の一つ目の蛇が蠢いていた。
「うわぁっ?!」
腰を抜かす又吉。
「ネブッチョウの蛇、だ」
呆然と呟く三郎。
「逃げようっ、兄ちゃん達っ!」
土間を閉ざした戸に駆け寄り、開けようとする五助。戸は決して開かない。
源太は自分を冷たく見下ろす名主と目が合ったまま動けずにいた。
「飢え、渇き、奪われ、死に尽くし、忘れられ、虚しいお前達。その定め、変えたいか?」
血煙の蛇達を従えた名主は問うてきた。
「・・・定めを、変えられるのか?」
源太は泣き始めていた。
「源太兄ちゃんっ? ダメだっ。そいつは化け物だよっ!!」
閉ざされた戸を必死に開けようすしながら叫ぶ五助。
「この世がある限り、お前達は『喰う』に事欠くことはない。他人の富を奪うのが我らの力よっ。お前達の望む富は、せいぜい『腹一杯まんまが食べたい』か? クックククッ!!」
名主の形相は半ば大蛇のように変化し始めた。
「ドウセ渇キ、飢エ死ヌバカリ、欲シイカ? 望ム『富』ガ、欲シイカッ?!」
「・・・欲しい」
源太は答えた。
「源太兄ちゃんっ?!」
耳を疑う五助。
「腹一杯、美味いもん食べたいっ。生まれて良かったって思ったことねぇんだ。そんな風に感じてぇっ。父ちゃんも母ちゃんも妹達も、皆、苦しみ抜いて死んだ。誰も覚えちゃいねぇっ! ワケ何て無かった。俺は兄弟皆で美味いもん腹一杯食いてぇよっ。ネブッチョウでも何でもいいっ! 変えてくれっ! 俺の定めを変えてくれっ!!」
源太は泣きながら叫んだ。
「俺もだ! 俺の定めも変えてくれっ! こんな寂れた里で飢え死ぬ何て冗談じゃねぇっ!」
又吉も答えた。
「俺もそれでいいかな。どうせ死ぬんだ。化け物の力を借りるのもいいか」
三郎は力無く笑って答えた。
「兄ちゃん達、何言ってんだよ? 俺、馬鹿だからわかんないよ」
五助は戸を開けようとすることも忘れ、兄達を振り返った。
「『富』ガ欲シイト答エタナ? ナラバオ前達モ蛇トナレ」
変化した名主の言葉に応じて背後の血煙の蛇達の一部が三本の血煙の渦と化し、源太、又吉、三郎の口の中に流れ込んでいった。
「むごごごぅっ!!」
「げぇっ?!」
「おっぐぅっ!」
五助以外の兄弟達は体を震わせて血煙の蛇を呑み干した。
「源太兄ちゃんっ! 又吉兄ちゃんっ! 三郎兄ちゃんっ!」
五助は叫んだが、兄達は体を痙攣させるばかりで応えない。変化した名主は血煙の蛇達を率い、体を浮き上がらせて五助の目の前に降り立った。
「ひっひぃいいっ!」
恐れた五助は再び、必死で閉じた戸を開けようとしたがいくら引いても、叩いても、体当たりしても開くことはなかった。
「オ前モ愚カナ兄達ト同ジニ蛇トナレ」
「いっ、嫌だぁあっ!! もう殺してくれっ! 死んだ方がマシだよっ」
五助は土間に額を擦り付けて土下座して懇願した。
「だめダ。取ルニ足ラナイ『富』ノ為ニ、私ノ力ヲ借リタカラニハただデハ済マサナイ。オ前ニハ私ガ欲スル『富』ヲ支払ッテモラウ」
「支払う? 『富』を? 俺は何も持って無いよっ! 兄ちゃん達とおんなじだよっ」
「イイヤ、オ前ハ兄達ノ持タナイものヲ持ツ才ガアルヨウダ。私ニハワカル。ソレハ私ノ欲スルものダ」
「才??」
五助は益々混乱した。
「私ガ奪ウ富、ソレハ『人ノ幸イ』サァッ!!」
名主は血煙の蛇達を五助の口に押し込んだ。
「もぐげぇっ?!」
のたうち回る五助。
「下等デ半端ナオ前達ガ真ニ『人』ヲ越エルニハ、『最初ノ富』ヲ奪ウコトダ。デキナケレバ腹ニ入レタ蛇ドモニ喰イ尽クサレルダケダト知レ」
名主は大蛇の顔で倒れて痙攣する五助達兄弟を嘲笑っていた。
紅い日が、渇き切った里に暮れようとしていた。源太、又吉、三郎、五助は崩れかけた家に帰ってきた。既にその体は半ば蛇の怪異に変化しつつあった。
「志郎、帰ッタゾ。オ前ノ言ウ通リダッタ」
床に臥す志郎に告げる源太。源太、又吉、三郎は志郎を取り囲むように立ち、五助だけが柱の陰に入るようにまごついていた。
「やっぱりそうか、ごめんな。俺、どうしても俺達がこのまま終わるのが許せなかったんだ。だから恨んでいたんだと思う。これからきっと俺達のせいで数え切れない人達が不幸せになるんだろうなぁ」
志郎は臥したまま泣き、激しく咳き込み始めた。
「コレカレ俺達ハ『富』ヲ探シテ奪ウコトヲ始メル」
源太はむしろ静かに言った。
「マンマダッ! マンマヲタラフク喰ッテヤルッ! 好キナダケ暴レテヤルンダッ!!」
興奮する又吉。
「腹ガ減ッタ。余計ニ腹ガ減ッタ。マッタクわりニ合ワナイゼ」
不満げな三郎。五助はただおどおどと、柱の陰で何も言えずにいた。
「イイナ、志郎?」
源太は念を押した。
「兄ちゃん達、五助。皆それぞれ自分のことだけ考えればいいんだよ。それでいいんだよ。腹一杯まんまを食べてそれぞれ生き残って、それで」
志郎は柔らかく笑った。
「皆で罰を受けよう。先に待ってる」
「・・・ワカッタ。志郎、約束ダ」
源太は応えた。
「アアッ、俺モソレデイイゼッ! 悪ィナ志郎ッ」
又吉も応えた。
「マ、俺達何テソンナモンダロウ。ソレヨリ腹ガ減ッタ。モウイイカ?」
三郎も応えた。
「五助ッ! オ前モソレデイイナ?」
源太に鋭く聞かれ、五助はもう止められず、止まらないと悟った。
「ワカッタヨ、源太兄チャン。デモ、生キタママハヨソウ。俺モ食ベルカラ、ソレハヨソウヨ」
「・・・イイダロウ。オ前モソレデイイナ? 志郎」
「ああ、正直できればそうして欲しいと思ってたよ」
志郎は最後に苦笑した。
源太は蛇のごとく変化し始めていた手刀を振り下ろし、『オオグチ』にして『マガリネブッチョウ』足ろうとした異形の者の兄弟達は最初の『富』を喰らい尽くした。
「・・・思イ出シタ」
現在の怪異『オオグチ』の源太はやや間合いを詰めたカズネ達に次々と御守りの気を宿した矢を射ち込まれ、両腕だけでなく、頭の左半分も、胴の大半も、左脚も失い、細長い醜い肉の柱のようになっていた。
「何がよっ!」
カズネは甲矢を放ち、穴だらけの源太の体にさらに風穴を明けた。
「コイツっ、本当に殺せるのか?!」
困惑しながら乙矢を放つ弓持つ男子部員。
「マダダ。マダ、俺達ノ『富』ヲ手ニ入レテナイ」
「富? 何か言ってるよ?」
「ほっとけモチズキっ! 皆中っ! 皆中っ!」
カズネは戸惑ったが、弓持つ男子部員は手を止めずに矢を放ち続けた。
「マダダヨナ、志郎ォオオッ!!!」
源太は大蛇のように捩曲がり、部室棟の天井を再び突き抜けて行った。
部室棟の屋根を破って源太が飛び出すと、
「喰らえっ!!」
手に持った『商売繁盛』の御守りを括り付けた甲矢をトキタが右腿に突き立ててきた。右腿は弾け、源太は右脚も失った。
「オ前ッ?!」
宙に浮いたまま、源太が一瞬動きを止めると残った右頭部に甲矢が深々と突き刺さり、源太の頭部を吹き飛ばした。力を失い、屋根に墜ちる源太。
「中った」
トキタの後方のメンテナンス用の梯子の手前にいた下階では矢筒を持っていた男子部員は『必勝祈願』の御守りが括られた弓を手に茫然としていた。
「ウチの弓道部の御守り所持率ナメんなよ? 年4回も神社の祭事手伝ってんだからなっ」
言いながら、トキタは背側のベルトに差していた『良縁祈願』の乙矢を引き抜き、屋根に墜ち、頭を失ってなお、残った口で「アッ、アッ」と小さく呻いている源太に歩み寄り始めた。
「トキタさんっ、俺が射ちますからっ、危ないですってっ!」
男子部員は忠告したが、トキタは、
「いいんだっ! 俺が殺るっ!」
聞かずに源太の傍まで来ると、乙矢を振り上げた。
「化け物めっ、死ねっ!!」
トキタは乙矢を源太の『口』に振り下ろしに掛かった。その時、
部室棟全体を取り囲んでいた血煙の蛇達が一斉に源太に集まり、乙矢を振り上げた両腕を千切り飛ばしてトキタと源太を呑み込んだ。
「トキタ先輩っ!!」
梯子手前の男子弓道部員は矢を放とうとしたが、荒れ狂う血煙の蛇達を前に、どこに狙いを定めるべきか、判断がつかなかった。
迷っている内に血煙の中かれ原付のヘルメットを被ったままのトキタの腕の無い、骨だけの死体が吐き出された。
「トキっ?! うわぁあああっ!!!」
男子部員は泣き叫んで血煙の蛇達の中心に乙矢を放った。中心を射抜かれた血煙はその部分を中心に大きく抉られたが、蛇達は全体を大幅に縮小して集合し、一匹の体長10メートル程の一つ目の血のように紅い蛇と化した。
「オ前ノ『富』ハ何ダ?」
紅い大蛇と化した源太は問うてきた。
「富・・・??」
一つ目と目を合わせてしまった男子部員は身が竦んで動けなくなった。
「何やってんのっ!」
弓を肩に通し、乙矢と甲矢を帯に通したカズネがいち早く梯子を昇ってきて男子部員に叫んだ。後ろに他の弓道部員達も続いていた。
我に返る男子部員。源太も反応し、巨体を宙に飛び上がらせ、B棟へ向けて飛び去ろうとした。カズネ以外の弓持つ部員達は一様に、足場の悪い屋根の上で正しい射形で射とうとして手間取ったが、カズネだけは弓道の射形を無視して甲矢をつがえ、大胆に脚を踏み出して素早く矢を放った。
矢は宙で源太に命中した。見た目程は実体がはっきりしないらしい大蛇と化した源太は水風船を矢で射たように弾けたが、即座に2割は縮小して改めて紅い大蛇の姿に集合すると、宙でややよろめき、周囲に血を撒き散らしながらB棟へと飛翔して行った。弓を下ろすカズネ。
「遠いかっ、何でB棟?」
カズネはここでようやく、屋根に放り出されたトキタの骨の死体に気付いた。
「くそっ! あの化け物っ」
カズネは鋭く部活棟の屋根から半分程見えるB棟を睨み据えた。




